100.ブサメン、塩対応
月曜、定時後。
末永課長とふたり、社内の別フロアにある小会議室で膝を突き合わせていた源蔵だったが、極秘特例業務の最後の詰めの打ち合わせを終えたところで、不意に仕事とは無関係の話題を振られた。
「ところで櫛原さん……今、社内で噂になっている小湊君との件は、あれは事実なのですか?」
末永課長は源蔵を疑っているというよりも、心配しているといった顔つきだった。彼はどうやら、源蔵のことを高く買っているだけではなく、人間としても随分と信用してくれている様だ。
そこで源蔵は、大事な仕事仲間から早急に不安を払拭してやるべく、自らのスマートフォンを取り出した。
「これを聞いて頂ければ、ご安心頂けるかと思います」
いいながら源蔵は、ある音声データを再生させた。
その内容は、ラブホテル街の路上で源蔵が由歌と交わした会話の一部始終だった。
実はあの時、源蔵はスマートフォンの画面に映し出されている時刻を確認する振りをしながら、録音アプリを起動していたのである。
この録音アプリは証人保護プログラムの適用が決まった際、FBIの極東担当者からもしもの時の為にと配布された特別製で、画面上でアプリをタップして起動する必要は無く、スマートフォン本体横に配置されている電源ボタンや音量操作ボタンを軽く操作するだけで起動させることが出来る。
画面をわざわざ触ってしまうと、相手に何をしているのかと警戒させてしまうが、本体横のボタン操作ならば気づかれることも少ない。
由歌が何の警戒も無くあれこれ喋りまくったのも、当然といえば当然の結果だった。
「……成程、そういうことでしたか」
末永課長は納得し、そして安心した顔つきで二度三度、頷き返した。
「小湊君の件は、こちらで調査を進めます。噂を流して櫛原さんを叩こうとしているのはどう見ても、宮城ですからね。あいつが一枚、噛んでいるのでしょう」
「お手数おかけしますが、宜しくお願いします」
源蔵が頭を下げると、末永課長はやめて下さいよと苦笑しながら頭を掻いた。
「宮城は我が社を窮地に陥れた大罪人です。あいつを罰する材料がひとつ、増えただけですよ」
実は今回、源蔵が力を貸した極秘特例業務というのは、その宮城良亮の罪を調査し、そしてダイナミックソフトウェアを窮地から救うことだった。
勿論動いていたのは源蔵と末永課長だけではなく、社長や執行役員、法務室、情報セキュリティ部などがひとつのチームとなって良亮のやらかしたミスを徹底的に炙り出していた。
それらのひとびとが遂に、良亮を断罪する為の物証と法的手続きの準備を終えた。
後は当人を処分するだけであった。
◆ ◇ ◆
翌、火曜日。
その良亮が役員専用会議室に呼び出された。
同席していたのは社長、執行役員、法務室の面々、情報セキュリティ部長、顧客側のソフトウェア部門責任者達、そして末永課長と源蔵といった顔ぶれだった。
この時の良亮の緊張は見ていて気の毒に思える程だったのだが、彼が会社に与えた打撃を考えれば、誰も庇い立てすることはないだろう。
「宮城君……君の軽率な行動が我が社の製品開発を窮地に追い込んだ」
ダイナミックソフトウェア社長は前置きも無く、そう切り込んだ。
実は良亮は、会社のPCからアダルトサイトを毎日の様に閲覧しまくっていた。
通常ならそんなサイトは情報セキュリティ部が施している遮断処理でアクセス出来ない筈だが、良亮は現在開発中のモジュールが社外ネットワークに直接アクセスすることが出来る機能を悪用し、情報セキュリティ部の管轄外のところで好き放題やっていたのである。
そしてそのうち彼は、と或るサイトでコンピュータウィルスに侵入されてしまった。
このコンピュータウィルスはダイナミックソフトウェアと顧客ソフトウェア開発部門が共同で開発中だった、或るプロジェクトのモジュールサーバーに侵入し、個人情報を社外にばら撒くソースコードを埋め込んでいたのである。
「勿論そんなウィルスを作った連中が最も悪いのだが、社内に於ける諸悪の根源は間違い無く君だ、宮城君。当社としては処分せざるを得ない。同時に、今回の対応に必要となった全ての諸経費も君に請求する。必要ならば民事訴訟も起こす」
社長からの言葉は、いってしまえば良亮にとっての死刑宣告だ。
良亮はがくがくと震えながら、青ざめた顔で俯いていた。
(流石に今回は、情状酌量の余地は無いわなぁ……)
源蔵は澄まし顔で処断される良亮を眺めながら、やれやれとかぶりを振っていた。
尚、今回の極秘特例業務で源蔵が担当したのは、コンピュータウィルスによって書き換えられたソースコードの特定と復旧だった。
ネットワーク管理系資格と数々のソフトウェア開発系上級資格を持つ源蔵でなければ、手に負えなかっただろう。それ程の難作業だった。
「しかも宮城君……君はあろうことか総務課の女子社員を脅して、我が社の救世主であり君の尻拭いまでやってくれた櫛原さんを陥れようとしたそうだな……これだけでも万死に値する罪だよ。自分がやったことの愚かさを君自身、理解しているのかね?」
社長の詰問に、源蔵は思わず感心した。
(へぇ……会社側が個人の名誉の回復の為に、そんなことまでしてくれるんや)
社長のその口ぶりから察するに、由歌も良亮から何らかの被害を受けていたものと考えられる。
きっと彼女も、自分の意思で源蔵を陥れようとした訳ではなかったのだろう。
しかし実行犯として動いた事実は変わらない。可哀想ではあるが、こればかりはどうしようもない。
◆ ◇ ◆
そして、木曜日。
宮城良亮に対する懲戒免職と損害賠償訴訟の告示が社内全体に告示された。
同時に良亮が源蔵を陥れようとして、由歌を使って卑劣な行為に出ていた事実も通達事項として発表されていた。
「あの……櫛原、さん……」
今にも泣きそうな顔で美彩が声をかけてきたのは、件の告示と通達が出回った直後だった。
しかし源蔵は、敢えて塩対応に終始した。
別段、美彩に怒っている訳ではない。
由歌と一緒に映っている動画という物証があった以上、美彩が源蔵を嫌うのは当然であろう。
だが何よりも源蔵としては、美彩はもっと他の若いイケメンと一緒に居る方がお似合いだと思っている。自分なんかの為に時間を使ったり、気を廻すのは余りに勿体無いし、無駄な話だ。
そろそろ彼女とは距離を置いた方が良い。
いってしまえば、今回の一件は美彩を突き放す為のひとつの切っ掛けとなった訳だ。
彼女の為にも、ここで甘い顔を見せるべきではなかった。
「今朝、末永課長からお達しがありましたよね。上条さんと僕のバディ制度上のチームは本日付で解消されています。今まで御指導、ありがとうございました」
源蔵はわざと他人行儀な態度で頭を下げ、そして美彩に背を向けた。
これで良い――美彩もきっと自分には愛想を尽かせて、他の若いイケメンに目が向く様になるだろう。
そして源蔵には、次の仕事が既に決まっている。
今後、彼女と社内で顔を合わせることもなくなる。
少し寂しい気もするが、これが本来あるべき姿だと、源蔵は自身にいい聞かせていた。