墜落のパンドラ
はじめまして。白蜜、と申します。
初投稿ですし、なろう自体が初めてなので拙い部分もあるかと思いますが宜しくお願いします。
BLと表記はしておりますが、人によってはブロマンス程度かもしれません。
不定期で更新していきますので、お付き合いください。
むかしむかし。まだ、大陸が複数の国に別れていた頃の話。空の上には、大きな浮かぶ国がありました。その国の人々は空の民と呼ばれ、地上とは違う文明を築いていました。その頃、この地上には魔物は存在しなかったと言われています。
ある日、空の上から、大きな鉄の箱が落ちてきました。その中にはなんと、大量の魔物が潜んでいたのです。我々人間はそれに対抗する為に、協力をして一つの国となりました。
これが、この国誕生の歴史です。
爽やかな風が頬を撫で、カストルは重い瞼をゆるりと持ち上げた。
木の葉が風でさわさわと揺れる。辺りの綺麗な、自然豊かな景色を見て、これは夢だなと心のどこかで感じた。夢の中で夢を見ていたのか、と不思議な気分になる。
身体を起こして立ち上がり、空気を胸いっぱいに吸って、吐いた。これはかつての、空ノ國の景色だ。こんな自然はもう、見る影もない。
カストルは木の幹に触れ、上を見上げた。木の葉の間から覗く青色。そのまま数歩後ろに下がり、どさっと仰向けに寝転がる。
視界を埋め尽くすたくさんの青、青、青。
「つい一週間前の出来事なのに、何十年も前の景色を見ているみたいだな」
カストルが掌をかざす。その手をそのまま額に落とし、瞼をそっと閉じた。
見慣れた灰色の天井が映る。つんと鼻を突く鉄の匂い。上半身を起こして床に足を着く。ひんやりとした感触。だるそうに俯けば、ぱらぱらと青みがかった銀髪が頬にかかる。
「ねむ……」
ふわあと大きな欠伸をしながら立ち上がり、カストルはよろよろと支度を始めた。
部屋着を脱ぎ捨て、引き出しからワイシャツとズボンを引っ張り出す。袖に腕を通し、ボタンをとめようとして、中々指先が上手く動かずにまごついているところだった。
「カストル、起きてます? 」
トントンと部屋のドアを叩く音が響く。
「起きてる…」
むすっとした声でカストルが答える。ギイッと扉が開き、そこにはカストルと同じくらいの男の子、ムルジムが立っていた。
「全く……カストルは本当に朝が弱いですね」
ムルジムが呆れたため息混じりに苦笑する。きちっと一つに結ばれた金色の髪に、夜を思わせる紫紺の瞳。じっとしていれば、人形と見間違えそうなほど整った顔と白い肌。
「ムルジムがおかしい。なに? 月ノ民は皆早起きなの? 」
カストルの文句に適当に相槌を打ちながら、ムルジムはカストルの身支度をてきぱきとこなしていく。苦戦していたボタンもするするととめていくものだから、カストルにとってはすごく不思議なことだった。
「ジャケットは―」
「いい、着ない。重い」
素っ気ない返しに苦笑しつつ、ムルジムがくしを持って鏡台の椅子にカストルを促す。カストルは大人しくそこに座った。
ムルジムが優しい手つきでカストルの髪を梳かしていく。時々触れるムルジムの指が心地よく、カストルの機嫌は大分良くなっていた。
ふと、鏡越しにムルジムがじっと此方を見ていることに気づき、カストルも鏡越しに目を合わせる。
「ん? 」
「あ、いや……あまりにも、貴方の瞳が綺麗だったので」
ムルジムに言われ、カストルは自分の瞳を見る。空ノ民の中でも珍しい、彩やかで深い、澄んだ青色の瞳。数回瞬きをして、「そうか? 」と軽く首を傾げる。
「俺としては、ムルジムの瞳は夜みたいで、すごく落ち着くよ」
ムルジムが少し目を見開いた後、嬉しさと悲しさの入り混じった微笑みを浮かべた。
「本当、物好きな方ですね」
ムルジムが「できましたよ」と呟く。カストルの膝裏まである長い銀の髪は、綺麗な三つ編みに結ばれていた。
カストルは立ち上がると、窓際に飾ってあるピアスを丁寧に取り外し、ムルジムに向き合った。ピアスはシンプルな円のモチーフで、それぞれに青色の宝石と紫色の宝石が飾られていた。
カストルは青色の宝石が飾られている方を取ると、ムルジムの左耳に近寄った。
「じっとしてろ」
先端がすっと入り、カストルが手を離すとちらちらと細かく揺れる。
「次は貴方の番ですよ、カストル」
ムルジムがカストルからもう片方を受け取り、それをカストルの右耳につける。
「はい、ばっちりです」
お互いに相手をみつめ、ふわっと微笑む。
「では、会議に参りましょう」
カストルの目も醒めてきたようで、先程までの倦怠感は薄れていた。
「だりぃな……」
ぶつくさ文句を言いながらも、カストルは大人しくムルジムの後に続き、大広間へと向かった。
ほとんどが灰色の、単調な廊下を歩いて行く。かつかつと、二人の足音が反響する。ムルジムの歩行に合わせて揺れる金の髪を見ながら、カストルは考え事をしていた。
一ヶ月程前、突如星ノ銀河から現れた謎の生命体が、月ノ國を侵略した。月ノ國は、他の二つの國、空ノ國と神ノ國に比べ、独自の文明が発達しており、また、未来視と呼ばれる予言者もいた為、撃退は容易いものと思われた。
だが、予想外の事が起こった。月ノ民が未来視を自らの手で創ろうと量産していたサンプル達が生命体と共鳴し、自我を持って月ノ民を襲った。
月ノ國は指揮系統が内部から乱れ、壊滅。美しく幻想的なあの都は、サンプル達の拠点と化している。僅かに生き残った月ノ民たちは、空ノ國へと逃亡してきた。
空ノ民達は月ノ民達と力を合わせ、この防衛兼生活施設を造り上げた。そして完成した直後、―ちょうど今から一週間前にあたる―サンプル達が空ノ國へと攻め込んできた。
サンプル達は今この瞬間も、空ノ國を破壊している。彼らの生態系に詳しい研究者達が全員死亡したことにより、勝率はほぼなく、全滅するのも時間の問題であった。
ふと、周りの視線が気になってカストルは意識を現実へと引き戻した。ちらほらと、同じように大広間へ向かう空ノ民達が、ムルジムをちらちらと見ながら囁きあっていた。
そもそも、怪しい研究をしているという噂で空ノ民が月ノ民へ抱くイメージはあまりよくないものであった。今回の事件で、自分達も巻き添えをくらい、全滅するかもしれないということに怒り、それは敵意へと変わった。
「……ま、不可抗力か」
カストルがぽつりと呟く。自分にもあまり良くない視線が注がれていたが、気づいていないフリをした。面倒事に巻き込まれるのはごめんだ。
「そういえば、何か視えたか? 」
「…いいえ、何も」
カストルの問いに、ムルジムが目を伏せて首を横に振る。
カストルとムルジムは幼馴染である。ムルジムは好奇心旺盛で、幼い頃よく秘密で空ノ國へと遊びに来ていた。月ノ國の文明に興味があったカストルは、よくムルジムの隠れ家へと遊びに行ったものだ。
そして、カストルはムルジムが月ノ國でもトップクラスの優秀な未来視であることを知っている。他の未来視よりもより正確に、より詳しく未来を視ることができる。その力は月ノ國内でも重宝されていたらしい。
だが、どんなに優秀な未来視でも、好きな時にどれだけ先のことを視るかは決められないらしい。ふっとフラッシュバックのように突然視える。そしてそれは、変えることができない。
そう、ムルジムは寂しそうに語っていた。
(さて……どうしたものか)
カストルは、ムルジムが何か隠し事をしていることに勘づいていた。カストルは昔から直感で生きており、彼の勘は大体あたる。幼馴染というのなら、尚更だ。
何回か聞こうとはしたが、隠しているというのならそれなりの理由があるはずで、上辺はいつも通りだが本当は憔悴しきっているムルジムに追い討ちをかけるような真似をするのは気が引けた。
だからといって、ずっとそれを背負わせておくのも、それはそれでストレスの原因になってしまう。人付き合いが不器用なカストルは、中々聞くタイミングを掴めずにいた。
そんなこんなで歩いていると、いつの間にか大広間についていた。空ノ民達の話し声と、月ノ民達が機械を操作する電子音が混じりあって反響している。カストルとムルジムは人集りを避けながら、自分達の指定席へ座った。
大広間は至ってシンプルな造りだ。前方にステージがあり、それを囲むように扇形に席が設置されている。
カストルは大きなため息をつき、背もたれに体重を預ける。天井を走る青白いラインが目に入る。ムルジム曰く、機械を動かすための動力の動線なんだそう。
「こらこら、カストル。髪が崩れてしまいますよ」
「いーんだよ、硬っ苦しいのは嫌いなんだ。ちょっと崩れてるくらいが丁度いい」
壇上の机に人が立つ。空ノ國と月ノ國の最高責任者、空ノ王と月ノ王だった。
辺りが段々と静かになって行く。完全な静寂に包まれてから、月ノ王が口を開いた。
「先程、我々月ノ民が逃亡の際に使用したパンドラの方舟の再起動を確認しました」
周りがどよっと騒がしくなる。壇上のモニターには、パンドラの方舟の設計図らしきものが投影されていた。
「こちらはとても頑丈に造られており、ここにいる皆様を乗せ、神ノ國への逃亡が可能でしょう」
辺りが一層騒がしくなる。神ノ國は、その名の通り神が住む國だ。そのような神域に逃亡して大丈夫なのか、本当に無事で済むのか、ざわつきの主な話題はこの辺りであった。
「みな、落ち着け」
低く穏やかな声。声の主は、空ノ王だった。
「このままここにいても、じわじわと数が減っていくだけだ。ならば少しでも、生き残る可能性が高い方にかけてみないか?」
空ノ王の言葉に、皆が口を噤む。空ノ王の言葉はもっともだったが、パンドラの方舟とかいう怪しい乗り物、ましてや月ノ民が造ったものなど、空ノ民は信用できなかったのだ。
「月ノ民の文明は―」
突然カストルが立ち上がり、話し始める。皆の視線が一斉にカストルに注がれた。
「本物だ。先天的で、耐久度も高い。実際、この施設はサンプル達の攻撃を防いでくれているし、そこそこ快適な生活もできている」
空ノ王をちらっと横目で見る。空ノ王は、続きを視線で促した。
「でも、空ノ王が仰る通り、ここで篭ってても飢え死にするだけだろう。神ノ民とて、月ノ民と空ノ民が絶滅したら困るはずだし、助けてくれると思うよ、俺は」
そこまで言うと、カストルは席に着いた。そして再び、だるそうに背中を預けて天井を見上げる。
カストルは、空ノ民の中でも少し浮く存在だった。いつもだるそうにしており、面倒事と退屈なことを嫌う。ただの面倒臭がりかと言えばそうでもなく、やる気のある時は期待以上の成果をあげるし、理にかなったことを言う。周りの目を全く気にしない、自由奔放な性格だった。
「現状、俺達には勝ち目がない。できることは限られてるさ」
その呟きを最後に、すぅすぅと寝息を立て始めるカストル。本当に自由である。
「パンドラの方舟の強度は、我々が保証致します。実際、逃亡中にパンドラの方舟が破られることはありませんでした」
月ノ王がここぞとばかりに説明を加える。辺りが再びざわついた。
カストルの言う通りであった。月ノ民の文明は近代的であり、効率化されている。神ノ國も、無下に追い返したりはしないだろう。
「空ノ王よ、私は方舟に乗ります! 」
民衆の一人が立ち上がって声を張り上げる。それに続き、次々と空ノ民が立ち上がり、宣言を始めた。
「うるせぇ……」
カストルが呟いて唸りながら立ち上がる。そのまま出口へ向かって歩き始めた。
「カストル、何処に行くんですか? 」
「部屋。重要な話は終わったろ。あとは情報が回ってくるのを待ちゃいい」
ムルジムは微苦笑すると、立ち上がってカストルの後に続き、大広間を後にした。
「あー疲れた」
部屋に入るなりカストルが伸びをしながら言う。ワイシャツの上の二つのボタンを外し、ベットに腰掛ける。ムルジムはその隣に座った。
「珍しいですね、カストルがやる気になるなんて」
ムルジムが微笑む。カストルは「んー」と気のない返事を返した。そして、少し黙考した後、ムルジムの腕を掴んだ。
「っ?!」
突然の出来事に対応できず、ムルジムはそのままカストルに押し倒される形でベットに横になった。
「ど、どうしたんですか?カストル……」
「お前、なんか隠し事してるよな?」
ムルジムの睫毛がぴくりと動く。痛くはないが、腕はがっしりと押さえつけられており、逃げるのは不可能だった。
「隠し事、とは……? 」
ムルジムが困ったような表情を見せ、首を傾げる。カストルはそれに答えることなく、黙ってムルジムをみつめていた。
カストルの青が、ムルジムを射抜く。
故郷ではとっくに失われた綺麗な青が、じっとこちらを見続けている。いや、こんなに綺麗な空は何処を探してもないだろう。カストルだけが持つ、カストルの空。
「……視えるんです」
ムルジムが、ぽつりと呟く。
「混沌と狂乱の渦。沢山の断末魔。サンプル達の金切り声」
ムルジムの瞳は、ここではない、何処か遠くをみつめているような不安定さがあった。
「どの可能性を考えても、行き着く場所はほとんど一緒です。僕達は、滅びます」
これを他の民達が聞けば、衝撃的な事実であっただろうし、酷く狼狽したであろう。
だが、カストルにはそれよりも気になることがあった。
「『どの可能性を考えても』……? 待て、未来視は、自分の好きな未来を選んで視ることができるわけじゃないんだろ? 」
ムルジムがきゅっと口を引き結んで顔を逸らす。その顔で、カストルは全てを悟った。
ムルジムは唯一、視る未来を選ぶことができる月ノ民なのだろう。たが、そんなことが研究者達にバレたら、すぐに捕まって隅々まで調べられる研究対象とされてしまう。下手をすれば、兵器にだってなりうるのだから。
「……でも、ムルジムの予言の割には、些か抽象的じゃないか? 」
「これ以上視えないんです。視ようとすると、弾かれるように現在に引き戻されてしまいます」
カストルは色々な物が入り混じったため息を一つつき、ムルジムの腕を離した。
「まあ、そういう運命だったんだろ」
カストルが呟く。ムルジムは上半身を起こし、カストルの肩に頭を置いた。
「……滅ぶのが、怖くありませんか? 」
辺りはとても静かで、お互いの鼓動や息遣いがよく聞こえた。
「さあな。生きるとか死ぬとかはよくわからん。でも、俺はムルジムが隣にいれば、それでいいと思う」
上手く言葉にできず、カストルが少し不機嫌そうに唸る。
「……そうですか」
カストルは本当に、死ぬことに関して興味がないのだろう。この世に興味が失せれば、簡単に命も手放してしまう。そういう人だということを、ムルジムは知っていた。
「多分、ムルジムがいなきゃ、俺はもう生きてなかったかもしれないな」
カストルが自らの頭を、ムルジムの頭にこつんと乗せる。
「そこはお互い様ですね」
ムルジムが目を閉じる。お互いの体温を感じながら、二人はしばらくそのまま目を閉じていた。
ゴゴゴと大きな音が響き、パンドラの方舟の入口が開かれる。民衆が次々と乗り込んでいくのを、カストルは少し離れた場所から見ていた。
会議から一日半後である。
ムルジムは方舟の操作に駆り出されており、カストルは一人であった。
パンドラの方舟は、モニターで見たとおり完全な立方体の、巨大な鉄の箱だった。間近で見ると圧巻の大きさである。よくこんな大きいものが浮遊するなと、カストルは不思議そうにしていた。
大分空ノ民達も乗り込んだようで、人混みも先程よりマシになっている。そろそろ自分も乗ろうかと、カストルは立ち上がり、歩き出す。他の民と違い、カストルには荷物等はなかった。強いて言えば、ムルジムと対になるピアスが、唯一の持ち物と言える。
方舟の中は、大体施設と同じような造りだった。鉄の壁に鉄の床。青白いラインは施設よりも多く走っている。これを浮かせるには、当然それなりの動力が必要なのだろう。
カストルは一人になれる場所を探して歩き回る。人混みは、カストルにとって大の苦手であった。うるさいし、空気が籠る。どこもかしこも人混みだらけだなと思っていると、
「カストル、こちらです」
聞き慣れた声に振り返る。ムルジムが細い通路から手招きをしていた。カストルがで伸ばすと、ムルジムはその手を優しく掴み、先導きって歩き出す。ダクトのように狭い通路を這って進むと、その通路は、小さな個室に繋がっていた。
「ここなら、貴方もゆっくりできると思いまして」
ムルジムが微笑む。カストルも微笑みを返した。
「いい所だ。通路がもう少し広ければもっと良いな」
「昨日の今日で早急に造ったので、勘弁してください」
お互いの顔を見て、ぷっと吹き出す。ころころと、鈴を転がすような笑い声がこだました。
「ムルジム、さてはお前、徹夜したのか? 」
「バレましたか」
ムルジムが困ったように笑う。薄らと見える目元の隈。
「悪い子には強制寝かしつけだな」
カストルがにっと笑い、ムルジムを抱きしめて備え付けのベットにダイブする。ムルジムが楽しそうにきゃっきゃと笑った。
「もう、本当に夜は元気なんですから」
「夜行性なんだよ」
カストルがふふんと笑う。ムルジムは「なんですかそれ」と可笑しそうにからから笑った。
一通り笑い終わって、カストルがムルジムの髪を撫でる。
「……どのような最期を、迎えるのでしょうか」
ムルジムがぽつりと呟く。薄い唇をきゅっと歪め、長い睫毛は震えていた。
この先何が起こるのか、どうして滅んでしまうのか、それはわからない。わかっていることはただ、自分たちが滅んでしまうということ。それを視たムルジムの不安は、カストルとは比べ物にならないだろう。
「そんなん、そう簡単にわからんさ。でも……もし死ぬなら、俺はムルジムと一緒に死にたい」
ムルジムの目が大きく見開かれる。カストルの口から淡々と紡がれたその言葉。生命の終わりを表しているのに、希望があるような、不思議な言葉。
「……僕もです。誓います。死ぬ時は、一緒です」
こつんと額を合わせる。ムルジムの紫紺の瞳が、カストルの青の瞳が、絡まり交差する。お互いにとって、空を表すその瞳は、きらきらと輝いていた。
大きな音と振動で目が覚めた。
ベットから転がり落ちそうになったムルジムを抱きとめ、自分は受身をとってダメージを軽減する。
「すみません、ありがとうございます」
「何が起きている? 」
流石のカストルでも、醒めずにはいられない状況であった。起き上がったムルジムが壁に手を当て、なにやらコードを入力して外の景色を映し出す。
「高度が落ちています」
ムルジムの顔からさあっと血の気が引く。カストルはその間、周りの騒音に聞き耳をたてていた。
民衆の叫び声に混じる、甲高くおかしな抑揚のついた機械のようなノイズ音。
「……サンプル達の鳴き声だ」
カストルの呟きにムルジムが目を見開く。そしてすぐにカタカタと複数のボタンを押し始めた。
高度はどんどん落ちて行っている。激しい揺れに耐えながら、カストルはムルジムの傍に駆け寄った。
「そんな……」
ムルジムの手が小刻みに震え、ふっ、と身体の力が抜ける。カストルはそれを見逃さずにムルジムを抱き寄せ、開かれたモニターを読む。
「……嘘だろ」
モニターに映し出された文章。月ノ王から、月ノ民全員に送られたメールの内容は、パンドラの方舟の本当の使用用途。
「『パンドラの方舟は、サンプルを運ぶために作られた運搬船である』…?!」
サンプル達の巣窟に自ら乗り込み、厳重にゲートを閉めて密室を作り上げたというのか。
メールの送信時間はつい三分程前。だが、方舟の制御ができていない今、月ノ王が生きているのかは怪しかった。
「どうすれば……これは、僕達月ノ民の責任で……」
ムルジムがなにやらぶつぶつと呟く。目の焦点が合っていない。パニック状態になっていることは明らかだった。
地表が、どんどんと近づいてくる。
「ムルジム、落ち着け、ムルジム!」
カストルが静かな、だが力強い声でムルジムの顔を引き寄せる。ムルジムの瞳がカストルを映す。
「あんただけが、負う責任じゃない。俺たちは、この結末を分かっていて黙っていた。滅亡を、信じて」
緊急ゲートから地上へと落ちていくサンプル達を、カストルは遠い目で見つめる。
「生き残った。生き残ってしまった。…まるで、罰だ。俺らはここで解放されることが赦されなかった」
カストルの、ムルジムの肩を掴む手に力が入る。ムルジムはその手を見てから、カストルを見た。
「…償えるようなもんじゃない。沢山の民が死んだ。これからもずっと、死に続ける。俺たちのせいで」
震えるムルジムを、強く抱きしめる。どこにも行かぬように。罪の重さに押し潰されぬように。
「過去は変えられない。なら、未来を変えよう。ムルジムの未来視すらも覆す結末を、迎えよう。2人で」
カストルの囁きに、ムルジムは息を飲む。
そうだ。誰かがやらねばならない。月ノ民の生き残りである唯一の己が、責任を持って。
「なぁ、ムルジム。この罪を償おう。2人で、一緒に」
「…はい。私たちができる、最前のことを」
遥か上空から、突如現れた四角い鉄の箱。
方舟は落ちてゆく。
数多の災厄と、二つの希望の空を乗せて。