1.令嬢
「――おはようございます、保安官さん」
あくびを噛み殺しながら、資産家で知られるスミス家のひとり娘・デボラが応接室に入ってきた。
つやのある赤毛が、掃き出し窓から差し込む昼に近い太陽の光に輝く。
「おはようデビー。ゆうべのパーティーは楽しかったかい?」
座り心地のいい椅子から軽く腰を浮かせて、保安官のホワイトは、娘と同じ年頃のデボラに笑いかけた。
「ええ、とっても。明け方まで踊って、今しがたジェラルドに送ってもらって帰ったばかりですの」
優雅な仕草でデボラがホワイトの向かいに腰掛けた。
「では、彼はまだこの家の中に?」
「ええ。馬たちを一休みさせたら、すぐに戻ってお仕事ですって」
デボラが肩をすくめる。
「さすがはトーマス家の馬車だ。馬たちの扱いもしっかりしてる」
人のよさそうな細い目をさらに細めたホワイトが、
「ジェリーも忙しいことだな。婚約披露パーティーの翌朝も仕事とは。ようやく跡取りの自覚が出てきたらしい」
いたずらっぽく笑った。
「改めて、婚約おめでとうデビー」
「ありがとうございます」
頬を赤らめてにっこりしたデボラが、
「……ところで保安官さん。今日のご用件は何ですの?」
大柄なホワイトを見上げ首を傾げた。
「今日は、父ではなく私にお話があってわざわざお越しになったとか。そう聞いて、お茶を放り出して飛んでまいりましたのよ? 私」
「そうだった」
ホワイトが膝を打つ。
「いかんな。どうも、年を取ると忘れっぽくなって」
眉を寄せた彼に、
「まだ、そんなお年じゃありませんわ」
デボラが笑った。
「単刀直入に聞こう」
ホワイトが真顔になった。
「ゆうべ、泥棒に入られなかったかい? デビー」
「――泥棒?」
美しい青い目が見開かれる。
「ああ、泥棒だ」
ホワイトがうなずいた。
「年のせいか、最近早く目が覚めてね。今朝も明け方にのんびり馬を走らせていたら、ここらじゃ見たことのない男を見かけたんだ。どうにも怪しいと捕まえてみると、この屋敷に盗みに入ったところだというじゃないか。二階の窓が開いているのに気づいて、つい出来心が、だと」
「まあ」
デボラが口を覆った。
「幸い、入ったのはその部屋だけで、屋敷の中で物音がしてすぐに逃げ出したそうなんだが。それがどうも、君の部屋らしい。といっても、見たところやつは手ぶらで、大方、盗んだ品物は既に仲間の盗品業者に」
「そんな!」
青ざめたデボラが、ホワイトの言葉を遮った。
「ついさっき、部屋に戻って着替えたときには、何も気づきませんでしたわ」
「それがいつもの手口らしい」
保安官がうなずいた。
「なるべく現場を乱さず、被害が露見するまでの時間を稼いで、その間に遠くへ逃げるんだ。何か盗まれるようなものに心当たりはないかい? たとえば――」
「サファイアのブローチ!」
デボラが悲鳴をあげた。
「去年、おばあさまの形見にいただいたんです。あれだけは、金庫に入れず私の部屋に置いていたの。折に触れ眺めて、おばあさまのことを思い出したくて。すぐにメイドに様子を……いえ、私が自分で見てまいります」
言うなり、返事も聞かずデボラは部屋から飛び出していった。
十数分後。
「……では、盗まれたものは何もなかったと?」
保安官に念を押されて、
「ええ」
自分の部屋から戻ったデボラがうなずいた。
「しかし」
言いかけたホワイトに、
「窓にもすべて、鍵がかかっておりましたわ。失礼ですが、泥棒の話はその男の勘違いだったんじゃありませんこと?」
デボラが悠然と微笑みかける。
先ほどとは打って変わって楽観的な態度に、
「窓ならもう、朝一番にメイドが開けて回っているはずだ。鍵はそのあとかけたんだろう」
ホワイトが顔をしかめた。
「その点については、あとでメイドに聞こう。ただ、泥棒の被害については、なかったと君がいうなら何よりだが……念のため、お父上にも話を」
言いかけたホワイトに、
「それは必要ありません」
デボラがきっぱりと首を左右に振った。
「父も母も、昨夜の疲れでまだ休んでおりますわ。あとで私から説明いたします」
「そうかい?」
頭をかいたホワイトを、
「ええ。保安官さん、この件はどうぞ内密に」
毅然とした表情でデボラが見返した。
「わが家に泥棒が入ったなどと、被害もないのにおかしな噂が流れては困ります」
「……わかった。それじゃ、今日のところはこれで」
釈然としない表情で、ホワイトが腰を上げた。
(……なんとか、ごまかせたわ)
メイドの案内でホワイトが出て行ったあと、デボラは応接室の椅子に座り込んで大きく息をついた。
保安官の話の途中で気づいたのだ。あの高価なサファイアのブローチ、あれを盗もうとする者がいたとしたら、それは……。
慌てて自分の部屋に戻って宝石箱を開けると、心配していた通り、ブローチはなくなっていた。
(ジェリー……!)
空の宝石箱を前に、デボラは膝から崩れ落ちた。
(なんてことを! この間、言われた通りお金を貸してあげておけば)
婚約者のジェラルドが、下手人を使ってブローチを盗み出させたに違いない。自身にアリバイがある上に、このスミス家の皆が出払っている、婚約披露パーティーの夜を狙って。
……あのとき、金輪際賭けごとはしないと涙を流した彼を信じて、お金を渡せばよかった。そうすれば、彼もこんな大それたまねはしなかったはず。
(――隠さなくては)
涙にくれる間もなく、デボラは小さな拳を握った。
保安官には、泥棒の被害はなかったと言い張ろう。
幸い、盗まれた宝石は既に仲間の手に渡っているらしい。しかも、泥棒は屋敷の他の部屋には入らずに逃げ出したという。
それなら、保安官さえ説得できれば、この話は表沙汰にはならないはずだ。捕まえられた泥棒も、被害がないとなれば早々に釈放されるだろう。
盗まれたあのブローチは、盗品を扱う店で売りに出されるのだろう。なんとかそれを買い戻すことができれば、この件は誰にも知られずに済む。
(私が、彼を支えなければ)
美しくて明るくて、誰からも愛されるジェリー。
彼にその気はなくても女性たちが放っておかない、罪作りなジェリー。
いくつもの工場を持つトーマス家の跡取り息子なのに、努力が嫌いで賭けごとが大好き、いつもお小遣いが足りなくて困っている、仕方のないジェリー。
そんな彼が、デボラは物心ついた頃から好きだった。渋る両親を泣き落として彼との結婚を認めてもらったときは、天にも昇る気持ちだったものだ。
彼から、両親には内緒で何度もお金の無心をされるのには困惑したけれど。それだって、このままでは彼のためにならないと、ここしばらくは心を鬼にして、三回に一回は断ってきた。
そんな彼が、ようやく自分から父親を手伝い、仕事を覚え始めた矢先に――。
(どうしてこんなことを。ジェリーったら)
万一このことが世間に知られたら、プライドの高い彼は何もかも捨てて、どこか遠くへ姿を消してしまうに違いない。
(――でも、大丈夫)
膝の上で、デボラはなめらかなドレスの生地をぎゅっと握りしめた。
(きっと、何もかもうまくいくわ。私さえ我慢して、この危機を乗り越えれば)