憧れのあの子
よし。今日は、今日こそは。
もうウジウジしないように、朝から何度もそう唱えていた。
今日こそは、あのピンク色の髪の子に、話しかける!
“おばあちゃんがね、腰痛めちゃったみたいなのよ”
母からそう告げられたのが約一ヶ月前。
それからちょうど夏休みに入ることもあって、私は母に連れられて田舎の祖母の家に泊まり込んでいた。
「……はぁ」
夏休み前とは別物のように鳴らないスマホ。
きっとあの子たちは、私のいないグループを新たに作っていろいろ遊びに行く計画を立てているんだろうな。
想像するまでもなく、ほぼ確定なその現実に心が重くなった。
「……行ってきまぁす」
「りっちゃん、傘持ったかいね?今日は雨降るさかい」
「えー?すっごく晴れてるよ、大丈夫」
祖母の助言を無視して、足取り重く家を出る。
あなたはちゃんと勉強もしなさい、と放り込まれた現地の夏期講習は「いつもの子達」で埋め尽くされていて、とても馴染める雰囲気ではなかった。
冷たくされるわけでもなんでもないのに、どこか居心地悪く感じる自分にも辟易する。
……あ、よかった、今日もいる。
そんな教室で見つけた、ピンク色に髪を染めた女の子。
いつもひとりで音楽を聴いて、いつもひとりでお昼を過ごして、いつもひとりで帰っていく。
寂しそうでもなく、かといってツンケンしているわけでもなく、どこか独特な雰囲気を持ったその子がとても魅力的に見えていた。
「じゃあ、165ページからの過去問は宿題にします」
お昼の時間がやってきた!
先生に当てられないかどうかよりも、これから話しかけることを思うとずっとドキドキした。
あの子はいつもお昼を持ってきてるみたいだから、今日は私も前もって買ってきておいたし、うん、よし、準備万端、今日こそ、今日こそ!
「あっ」
大きなヘッドホンを構えた彼女に慌てて近寄る。
「あの……」
「?」
「よ、よかた、よかったら、お昼一緒に……食べてもいい?」
噛んじゃったけど、言い切った!
いつの間にか足元に落ちていた自分の視線を恐る恐る戻す。
「……。」
ぱち、と視線が合った瞬間。
NO、の手の振り方をして、彼女はがっつりヘッドホンをはめた。
惨敗。
「……嘘でしょ」
さっさと帰ろうと玄関まで来て驚いた。
ついさっきまで快晴だったのに、ものすごく雨が降っている。すぐそこのコンビニにすら走るのを躊躇う勢いで。
「こんなの聞いてないよ……」
しばらく自習室で時間を潰そうか……でもなんとなく、普段からいる子達の定位置が決まっているあの部屋は入りにくい。
少し迷った結果、自販機と長椅子の置いてある休憩スペースに腰を下ろした。
「あ」
少し後に入ってきたのは、あのピンクの子。
お昼を断られたこともあって、なんとなく目が合わせづらい。うつむいて握りしめたココアの缶を見つめていると、視界に小さな飴が入ってきた。
「ん」
「え?」
「お昼、断っちゃってごめんねー。お詫び」
「あ、うん……ううん、ありがとう、私こそ、なんか急に……ごめんね」
飴を受け取りながら、やっぱり泳いでしまう目をどこに向けたらいいかわからずに曖昧に答える。
「え?なんで謝るの?」
「え?」
「…………よくわかんないけど、なんかキミ、友達いなそうだよね」
「……!」
「友達?っていうか、いつも誰かの後ついて回ってそう」
「……!!」
「雨、早く止んでほしいよね~」
「……!?」
「お昼はひとりがよくてさ。じゃね」
「……、」
いろいろな衝撃に、全く脳がついていかなかった。
以降、私はその子に話しかけるのも諦め、他に友達を作ることもせず、ひたすらに夏期講習が終わるのを指折り数えて過ごした。
お友達はできた?とニコニコ聞いてくる祖母に腹を立て、お手伝いをしながら母に八つ当たりして、鳴らないスマホは充電なんかしてあげなかった。さすがにとっくに電池は切れている。
早く帰りたい。こんなところ、きらい。帰ったらみんなに連絡するんだ。夏休み最後の一日でも、どこか一緒におでかけしてもらうんだ。
“友達いなそう”
なぜだかその言葉が、ずっとぐるぐる心を回って不快だった。
「……またぁ?」
玄関で大きくため息をつく。何度目かわからない急な雨にイライラしていた。
たしかに今朝も、おばあちゃんは傘を持って行けって言ってたけど。
上着のフードをかぶって、鞄をリュックみたいに背負って、ダッシュの準備をする。コンビニまで、走る。足止めなんかくうもんか。イライラをぶつけるように出発の準備をしていたその時、上から声が降ってきた。
「……コンビニ行くの?コンビニまでなら、入れてあげられるけど」
ピンクの子。
自分のイライラが、しゅう、と音を立ててしぼんでいった。
どう答えていいかわからない。この子は私が嫌いなのではないのだろうか。違うんだろうか。
「コンビニじゃなかった?」
不思議そうに首を傾げる彼女に、こちらが首を傾げたかった。
「あ、いや、コンビニ……」
「おっけ」
二人で歩きながら、ちょっとだけ身の上話をした。
おばあちゃんのこと。
夏期講習だけの参加であること。
全然連絡がこなくなったSNS。
「別に自分から連絡すればいいじゃん」
「でも……鬱陶しいかなって…………」
「友達なのに?」
「みんなで楽しそうなら、なんていうか、空気も……壊したくないし……輪、乱したくないっていうか……邪魔かもだし……」
「そんなこと気にしてんの?わがままだなー」
「わがまま!?」
絶句した。何よりも避けてきたこと。いちばん、”そうならないように”してきたこと。
「え、だって、そんなこと誰かに言われた?そうして、って?」
「それは……っ、」
「いい子でいたいんでしょ。優しい私、で。仲良くしてもらいたいから。いい人ねって、認めてもらいたいから」
「そんな、」
「それ、友達なの?」
「……っ」
涙が溢れた。ちがう。そんなんじゃない、そんなんじゃなくて私は……私は。
どんどん強くなっていく雨が、本当のことを突きつけられた気分はどうだい?って、私を更に抉ってくるみたいだった。
「じゃ、ここまで。今日までお疲れ様でした。また新学期から、気を引き締めて頑張ってください」
それから死ぬほど長く感じた夏期講習。
今、最後の授業がようやく、終わった。ようやく。
喜びとは遠くかけ離れた気持ちで教室を後にする。どっと何かが押し寄せて、今にも倒れ込んで休みたい気分。だけどあとはもう、しんどい事は何もない。あと数日でおうちに帰るだけ。おばあちゃんちでもなく、元のおうちに。
「おつかれ」
疲労困憊でのろのろと玄関の階段を下っていると、後ろから声がした。
このまま忘れたかった、あのピンクの子。ガム、いる?と、まん丸の包みを差し出している。見た事のない包み。
「……。」
ぺこりと会釈をしてガムを受け取る。包みの中身は、彼女の髪よりもっと鮮やかなピンク色だった。
「この前はごめん。ちょっと考えたんだけどさ。いいと思う、それは。良い人でいたい、ってこと」
「えぇぇ……」
今更感が過ぎるフォローに思わず呻きが洩れた。私の口から覗いた舌は、既に真っピンクだったと思う。
「嘘じゃないって」
「だって、」
声にならなかった。彼女の言っていることは本当で、でも本当じゃないのに。違うのに。
「それは優しいキミならでは、だもん。私の言い方が悪かったと思う。泣かせてごめん」
「……。」
「いいじゃん?”いい人でいたい”ことも、”輪を乱したくない”ことも。優しいキミだからこそできること。私ならそんなこと思いもしないし。ていうか輪なんて気にしたことなかったし」
「そうなの……!?」
「だからさ、胸を張りなよ。輪を乱したくない、それでいいじゃん。堂々とそれでいなよ。いてもいなくてもいい感じのところにいるんじゃなくて、優しいねって、ありがとうって、笑ってくれる人といなよ」
「そんな人……」
「いるかもよ。いないかもしれないけど、でもここよりそっちの街は広いでしょ」
青空を見上げながら階段を降りていく彼女は、羽が生えてるみたいに身軽に見えた。
この町の方が確かに狭いけど、きっと彼女にはあんまり関係ないんだろうって、そんな気がした。狭くたって広くたって、彼女はどれだけだって自由でいられるんだろう。
「だけど、あなたは私といられないでしょ……そんなふうに笑ってくれないでしょ」
「まーねー。めんどくさい」
「ほら!」
果てしなくどうでも良さそうにガムを膨らませてみせる彼女を思わず小突いた。
「はは!まー、私はひとりの方が好きだから。相手が優しくても優しくなくても、私はどうでもいいし、こういう方が好きだから」
「そんなふうに、強くなりたい」
「ならなくていいんだよ。だから他の人に優しくできるんだから。それに強いのとは違うと思う」
「よくわからない……」
「ま、自信持てよ、って話!」
あのコンビニの前で、再び私は彼女と別れる。
きっともう、会うことはないのかもしれない。私が願ったとしても。
「もしも……もしまた帰省した時とか、会えたら……もしもね、その時は、話、聞いてくれる?」
「えー。やだ。まぁ気が向いたらね」
「……。」
「落ち込むなって!気が向く時もあるかもしれないから!」
そういって振り返った彼女は本当に綺麗だった。いつか私もそんな人になれるだろうか。
私なりの、綺麗な笑顔で笑えるだろうか。
そんな日が来るという想像は全然つかなかったけれど、でも……「そうなりたい」とは、少しだけ――ほんの少しだけだけど、でも確かにそう思う気持ちが、心の奥で光っていた。
おばあちゃんの天気予報最強説。