第6話 呪い
屋敷に戻ったフィエルティアはありのままを父に報告すると、その日はもう何も考えられずベッドに入った。
そして次の日、朝食を終えたフィエルティアは、母の肖像画が飾られている部屋に向かった。家族しか使わない少し狭い部屋に飾られた母の肖像画をぼんやりと見上げる。
母フィーナは父の二人目の妻だ。兄ジャックの母が病死してからしばらくして、隣国から嫁いできたのだという。
(お母様が生きていてくれたら相談できるのに……)
王妃の話を聞いて、フィエルティアの気持ちは大きく揺らいでいた。この世に呪いは存在する。それを目の当たりにして、自分のことが分からなくなった。
「フィエル、ここにいたのか」
「お父様」
振り返ると、父がそばに歩いてくる。隣に並ぶと母の肖像画を見上げた。
「お父様はセス様のことを知っていらっしゃったんですね」
「ああ。国の重臣はまぁまぁ知っているかな。お前は小さくて覚えていないだろうが、セス様は第一王子として普通に暮らしていたんだ。だが呪いを受けて以降、姿を戻すこともできず、結局今は弟のグラード様が王太子となっている」
「呪いは本当なのね……」
静かに訊ねると、父は低く「ああ」と返事をする。
「私も……、呪われているの?」
「違う!」
父は激しい口調で否定した。今まではそれで安心できた。父がそうではないと言ってくれている以上、自分は絶対に呪われていないと信じられた。でも今、父の言葉を信じられない自分がいる。
「セス様が呪われているなら、私も、私のこの姿も呪いではないのですか?」
「違う。お前は呪われてなどいない」
なぜ父はここまではっきりと断言できるのだろうか。子供の頃からそうだった。どれほど周囲から呪われていると言われても、父だけは絶対に違うと言い切っていた。
「ではなぜ私はこんな姿なのですか……」
「フィエル……」
父はそのまま黙り込んだ。何かを知っているのかもしれない父。でもその理由は一度も語られたことはない。本当は何も知らないのかもしれない。ただ親心で違うと言っているだけなのかもしれない。
小さい頃から何度も繰り返してきたやり取りに溜め息が出る。
「お父様は、私がセス様と結婚した方がいいと思いますか?」
「お前の気持ち次第だろう」
「私が決めてもいいのですか?」
「結婚とはそういうものだ。無理強いするつもりはない」
本来なら王族との結婚など親ならば諸手を挙げて賛成するだろう。それを言わない父を尊敬するしありがたく思うが、今は辛くも感じる。
こんなにも重大なことを自分一人で決めなくてはならないなんて、荷が勝ちすぎる。いっそ命令された方が楽なくらいだ。
「もし私がセス様と結婚したら、あの城の奥で私も暮らすのよね」
「セス様が今度どうなるかは分からないが、恐らくはそうなるだろうな」
それはまるで幽閉のように感じた。塀に囲まれた庭。閉ざされた扉。セスと二人、静かに息をひそめて暮らす生活。
人目を嫌う自分にとって、良い環境のようにも思える。けれど、それで幸せかと考えると、答えは出ない。
「ゆっくり考えたいと思います……」
「そうしなさい」
父はそう言うと、ポンポンと肩を叩いて部屋を出て行った。残されたフィエルティアはもう一度肖像画を見上げる。
「お母様ならなんて言ってくれるかしらね」
呟く声に返答はない。
◇◇◇
夕食の時間になり食堂に行くと、今日は舞踏会がないのか、ジャックとシンシアが席に着いていた。
少し居心地悪く感じながらも椅子に座る。家族全員での食事は、シンシアが嫁いでくれてからは随分賑やかになった。二人の子供はとても元気な男の子で、いつも子犬のように転げ回って遊んでいる。
「今日は全員揃っているな」
最後に食堂に入ってきた父がそう言いながら席に着く。それを待って食事が始まった。
あまり食欲のないフィエルティアは、ゆっくりと食べながら楽しそうな子どもたちの会話をなんとなく聞いていると、シンシアに名前を呼ばれた。
「フィエル、そういえばケヴィンの噂を聞いたんだけど」
「え?」
「どうやらラウラとの交際が上手くいっているみたいで、間もなく婚約するかもって」
「そう、なの……」
驚きにフィエルティアはそれだけ言うのが精いっぱいだった。あれからそれほど経っていないのに、もうそんな話が出ているなんて信じられない。
ラウラが自分の家の身分よりも格下の相手を結婚相手に決めるなんて思ってもみなかった。
「シンシア、フィエルにはもう関係ない話だろう? そんな話は」
「あら、大切なことよ。ラウラは社交界の中でも幅を利かせている子よ。侯爵令嬢だし、たとえ嫌なことをされたからって無視はできないわ」
「それはそうだが……」
窘めるジャックをぴしゃりと言い負かしたシンシアは、真剣な目をフィエルティアに向ける。
「フィエル、結婚は時間じゃないわ。タイミングもあるのよ。あんなに色々な男性とお付き合いしていたラウラも、決める時はあっという間よ。ラウラも18歳だもの、そろそろ焦ってきていたのかもね」
「タイミング……」
「だからね、もしあなたに求婚する方が現れたなら、迷わずに飛び込むべきだと私は思うわ」
シンシアの言葉にフィエルティアは返事ができなかった。幸せな結婚がしたいという願いは、自分にはおこがましいものなのだろうか。
家のため、家族のために、自分の気持ちを押し殺してでも、結婚することが正しいのだろうか。
「シンシア、もうそのくらいにしなさい」
父の少し低い声にシンシアはふいと顔を戻すと、食事を再開する。父がこちらに視線を向けるが、フィエルティアは笑顔を作ることに失敗し、あやふやに頷いた後は、味のしない料理を口に運んだ。
◇◇◇
数日後、今度は王妃から直接の手紙が届いた。内容はまたセスと遊んであげてほしいというもので、結婚の話は今はまだ保留で良いと書いてあった。
なんとなく行きづらい気持ちもあったが、それでもセスの顔を思い出すと会ってあげたいという思いが溢れた。
父にも許可を貰い、城に赴いたフィエルティアは、城の奥へと向かう。その途中、庭でお茶会が開かれているのが見えた。社交シーズン中は、昼間によくお茶会も開催される。
城で開催されているのなら、王妃か、王太子妃の主催のものかもしれない。遠目にも知り合いの女の子たちがいるのが分かった。それを横目に見ながら歩いていると、正面の円柱からドレスの裾が見えた。
「あら、フィエルティアじゃない」
「ラウラ……」
柱から姿を見せたラウラは、楽しげな声を上げてにっこりと笑った。