最終話 プロポーズ
フィエルティアとセスが城に戻って3ヶ月が経った――。
浮足立っていた城中も元の落ち着きを取り戻し、平穏な日々が続いている。
セスとよく遊んでいた奥庭のベンチに座ったフィエルティアは、膝の上に王妃の日記とクマのぬいぐるみを置き、木々の隙間から洩れる光を目を細めて見つめる。
うららかな春の日差しの中、奥庭はたくさんの花が咲き乱れている。
昨日、グラードからラウラがリザーナ牢獄に移送されたことを聞いた。それからフィエルティアはラウラのことを考えずにはいられなかった。
後で知ったことだが、ラウラもまた自分と同じように足の痣が原因で婚約破棄をされた過去があった。生まれつきの痣で、両親からも碌な結婚ができないと落胆されていたらしい。
姉のロクサーヌだけが愛され、両親からは見向きもされず生きてきたラウラは、誰かを恨まずにいられなかったのかもしれない。
ラウラの叫びは、耳の中にこびりついたように消えない。
(私が不幸であり続けることが、ラウラの救いだったのね……)
同じような痣のある者が、自分よりも明らかに不幸であることを見ることで、あれよりはましだと実感していたのかもしれない。
それが行き過ぎた結果、こんなことになってしまったのだろうか。
(私は父や兄がずっと味方だった……。外でどれほど辛い目に会おうと、家に帰れば慰められて癒された。ラウラはそれもなく、ただ一人で……)
許されることでは決してない。同情する気もおきないけれど、それでも考えずにはいられない。
もし痣のことを打ち明けてくれていたら、もしかしたら、一番の友達になれていたかもしれないと。
「こんなところにいたのか」
低い声にハッとして顔を上げると、セスが回廊からこちらに歩いてくる。フィエルティアの目の前で立ち止まり、周囲を見渡すと笑みを浮かべる。
「ここは静かだな」
「ええ、そうね」
「また読んでいたのか?」
「あ、うん。これを読んでいると王妃様を感じられて落ち着くの」
ラウラのことを考えていたことは言わず、フィエルティアは笑顔で答える。
セスはフィエルティアをじっと見つめ、少しだけ間を空けてから「そうか」と頷いた。
「……ここは変わらないな」
「住まいを表に移してしまったから、もうあまりここに来ることもなくなったわね」
「懐かしいな……」
目を細めて庭を見つめるセスを見上げ、フィエルティアも庭に目を移す。それからゆっくりと立ち上がると、「ちょっと歩かない?」とセスを誘った。
「ねぇ、ここを覚えている?」
フィエルティアが指を差す先には大きな木があるだけで、別段変わったところはない。セスは首を傾げ、少ししてから肩を竦める。
「初めてあなたとかくれんぼをした時、あなたが隠れた場所よ」
「よく覚えているな」
フィエルティアが笑って言うと、セスは驚いた顔をし、思い出そうとでもしているのか顔を顰めた。
「だって、“もういいよ”って言いながら、あなたまったく隠れられていなかったんだもの」
「そうだったのか?」
「そうよ。ぬいぐるみの“ノノ”を抱きしめて、小さい身体をもっと小さくして丸まってたわ。とっても可愛かったんだから」
懐かしい思い出に笑みが零れる。
「もうあの小さなあなたを抱っこできないのが残念だわ」
そう言ってフィエルティアは持っていたぬいぐるみを見つめた。すると、背後から突然セスに抱き締められる。
「これからは俺がフィーを抱きしめる。それでいいだろ」
頭の上で聞こえた声はなんだか少し不貞腐れたような声で、子どものような反応にフィエルティアはまた笑いを漏らす。
「私ね、今だから言うけど、逃げている間、少し楽しかったの」
「え?」
「危険が迫ってるって分かっていたけど、森の中の小屋みたいな場所で暮らしたり、ルイーズに料理を教わったり、いろんなことを全部自分でやったり、本当に新鮮で、楽しかった」
もう遠い日のように感じる。それでも思い出は色褪せずにはっきりと胸に刻まれている。
「そうだな。俺も、フィーとルイーズとアンディと、4人で小さな家族のように感じていた」
「城下町の家も素敵だったけど、やっぱりあの森の小さな家が良かったな……」
「城での暮らしは慣れないか?」
セスに訊ねられて、フィエルティアは少しだけ困ったように眉を下げる。そっとセスの腕に手を置き慎重に考えると口を開いた。
「今までずっとこの姿のせいで人から隠れるように暮らしてきたから、いつもたくさん人がいるお城はちょっとだけ落ち着かないの」
「俺もだ」
小さな溜め息が頭の上で聞こえてフィエルティアは微かに笑う。
「でも、あなたがいてくれるから大丈夫よ」
今までも家族がいつも味方でいてくれたから踏ん張れた。そしてセスの存在はそれを上回るほど力強い心の支えになっている。
その気持ちを伝えたくてそう言うと、ふとセスが腕を離しフィエルティアの正面に回り込んだ。
「なぜ俺との結婚を決めてくれたんだ?」
「なぁに、突然」
「いや……、俺はずっと子どもだったし……」
ごにょごにょと口の中で言うセスは自信なさげで、どこか小さな時を思い出させる。微笑ましく思いながらフィエルティアは答えた。
「あなた、天使のようにとっても可愛かったのよ」
「可愛くたって結婚はしないだろ?」
「小さいあなたは落ち込んでいた私を一生懸命励ましてくれた。絶望していた私には本当に救いだった。それだけで十分」
セスの両手を取ってギュッと握り締める。最初はすべてから逃げたくてセスと結婚を決めたかもしれない。それでも共に過ごす時間が長くなればなるほど愛おしさが胸に溢れた。
今はあの時、決意した自分を褒めてあげたい。
フィエルティアの言葉にセスはまだ顔を強張らせたままだった。この答えではだめだったかなとフィエルティアが心配になると、ふいにセスが跪いた。
「フィー。今更だが、俺から言わせてくれ」
「セス?」
「フィエルティア、俺と結婚してほしい」
突然の言葉に、フィエルティアは驚き目を見開く。嬉しさが溢れて言葉が出てこない。握られた手を包むセスの大きな手を見つめ、彼が大人の男性なのだと、もう子どもに戻ることもなく、ただ自分をその大きな手で、身体で、温かく包み込んでくれるのだと実感する。
「フィー?」
こみ上げる涙が頬に零れ落ちる。少しだけ不安そうなセスの顔を見下ろし、フィエルティアはただ何度も頷いた。
「ええ……、ええ、もちろん……、あなたと結婚するわ」
のどを詰まらせながらもそう答えると、パッと笑顔になったセスが立ち上がり、ギュッと抱き締めてきた。
「フィー!」
「セス、苦しいわ!」
あまりにぎゅうぎゅうと抱き締めてくるので、少し眉を寄せて顔を上げると、間近にセスの顔があって息を飲み込んだ。
「ずっと一緒にいよう」
「セス……」
フィエルティアがそっと目を閉じると、ぎこちなく唇が触れる。フィエルティアも腕を上げると、セスの身体を抱きしめて幸せを噛み締めたのだった。
◇◇◇
初夏になり、グラードの計らいでセスとフィエルティアの結婚式が行われた。
城の教会で誓いを立てた二人は、その後貴族たちから祝福の言葉を貰うため大広間に向かった。入れ替わり立ち替わりで挨拶に来る貴族たちに、笑顔で返事をするのも大変だが、フィエルティアは疲れも感じずたくさんの貴族と話していた。
「疲れていないか?」
こそっとセスに耳打ちされて、フィエルティアは笑顔のまま首を振る。
「平気よ。セスこそもう少し笑顔で、ね?」
「ずっと笑ってなんていられるか」
「まぁ、そんなこと言って」
セスの方へ視線を向けると、胸の勲章が少し曲がっているのに気付いて手を伸ばす。
「曲がってるわ」
「そういえば、女性たちがフィーの腕の模様を真似していたな」
「そうね。お化粧で模様を描いているようよ」
フィエルティアがセスの妻として紹介されてから、フィエルティアの腕のバラのような模様を美しいと女性たちが真似するようになった。今ではすっかりブームのようになり、社交界でも腕や首筋などに色々な花の模様を描くのが、主流になりつつある。
「腹は立たないのか?」
「なぜ?」
「今までさんざんフィーの姿を呪いだなんだと蔑んできたのに、ころっと態度を変えて真似してくるなんて」
口を尖らせて言うセスに、フィエルティアは笑って首を振る。
「私は嬉しいわ。美しいなんて言われたことなかったし、お母様とリルシュナが残してくれたものを皆が認めてくれたんだもの」
「お前がいいなら、俺はいいが……」
セスは腑に落ちない様子でそう言うと前を向き、フィエルティアの手を握った。
「まぁ、フィーが美しいのは本当だしな」
「セスったら……」
セスのうっすらと赤くなった頬を見上げて、フィエルティアはクスクスと笑いを漏らした。
本当は少しだけ理不尽に感じた。城で会う女性たちは、過去を忘れたようにころっと態度を変えて媚びを売ってきた。最初は腹が立ったけれど、だからといって全員に謝らせたい訳じゃない。たぶんそんなことをさせても、本人が心から謝罪の気持ちを持っていないのなら意味はないのだ。
人の心の難しさを学んだフィエルティアにとって、これもまた学びになったことだった。
「私はそんな人間にはならない」
「何か言ったか?」
呟きにセスがちらりと視線を寄越す。また貴族が挨拶に歩いてきて、フィエルティアはにこりと笑った。
「セスも素敵よって言ったの」
小声でさらりとそう言うと、セスが照れたように笑う。
貴族の男性に挨拶されて、セスが笑顔で頷く。フィエルティアもまた、胸を張って笑顔で挨拶を返した。
これからもきっとこうして人の心に惑わされることはたくさんあるだろう。それでもセスと共に、真っ直ぐ自分を信じて生きていきたい。
フィエルティアはセスと自然に目を合わせると、微笑み合った。
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