第26話 来訪者
2階にセスが上がってしまうと、アンディは視線をフィエルティアに向け口を開いた。
「奥方様、この家は下町の端にありますが、隣家もあり人通りも少なからずあります。できる限り外には出ないようにご注意下さい」
「ええ、分かっているわ」
「アンディ、助け手は見つかりそうなの?」
ルイーズの言葉にアンディは眉を寄せ首を振る。
「殿下に後見役のような方がいれば話が早かったのだが、そういう方もいないしな……。私もルイーズも思い付く伝手がないとなると……」
「味方もなく、八方塞がりってことね……」
フィエルティアは溜め息を吐いて呟く。孤立無援の状態では、これ以上どうにもならない。もはや捕まるのを待つしかないのか。
「敵の正体がはっきりしましたので、動きはだいぶ捕捉できています。今回のような危険なことはもうないようには致しますが、何が起こるか分かりません。これまでと同じように警戒を怠りませんように」
「ええ、分かったわ」
アンディがまた情報収集へと出て行くと、フィエルティアは何はともあれ今度はこの家で生活していかなくてはならないと、家の中を把握するため部屋を見て回った。
家の中に手押しポンプがあったり、かまどもレンガで作ってあったりと、森の小屋とは違いだいぶ機能的だ。それらを確認しつつ、ちらりとセスの様子を見に行くと、セスは15歳ほどの姿で王妃の日記を読み耽っていた。
(さっきの会話は覚えているかしら……)
アンディはやはりセスが主君であるからか、セスに指示を仰いでいる。でもセスの年齢はまちまちで安定しない。記憶がどれほど固定されているのか、思考はどうなっているのかよく分からない。
このままで良いのかフィエルティアは少しだけ不安だった。
家の仕事をしていると街のざわめきが落ち着かない。森の中は静かで人気がなかったからか、暮らしに慣れてからはゆったりとした時間を過ごしていたが、この家は外を歩く人の大きな声が聞こえてくる。隣の家からも生活音が響き、遠く教会の鐘の音も聞こえてくる。
「落ち着きませんか?」
並んで料理をしていると、ルイーズが聞いてきた。手が止まっていたことに気付いて慌ててじゃがいもの皮を剥きだす。
「ちょっとだけね。なんだか人の声が怖いわ。ルイーズは大丈夫?」
「そうですわね。今までとても静かなところでしたものね。わたくしも少し落ち着きませんわ」
「見つからないかしら……」
「どうでしょう。セス様がここにと言われたのなら、他の場所よりは安全だとは思いますが」
ルイーズの言葉に、アンディと同じような信頼を感じて、フィエルティアは少しだけ不思議に思った。
「アンディもルイーズもセスのこと信じているのね」
「それはもちろん、主君である訳ですから」
「でもずっと子どもだったじゃない? 本人も言っていたけど、子どものままで知識も何もないって」
今のこの状況の判断をセスに任せるのは無理がある気がする。
「セス様はそう言っておられますが、知識がないというのは少し違います」
「少し違う?」
「はい。セス様は7歳の頃まで神童だと言われていたんです」
「まぁ、神童?」
ルイーズはその頃を思い浮かべているのか、遠くを見つめて目を細めた。
「7歳にして読み書きは完璧、数術も教える分すべて吸収する勢いで、教授たちも目を丸くしておりました。難しい政治や経済の本もすらすらとお読みになって、先王様も王妃様も将来が楽しみだとよく言っておられました」
「そんなにすごい子どもだったの」
「ですからセス様は潜在的にはこの状況を理解しておられると信じているのです」
「なるほど……、そういうことだったのね……」
二人の絶対的な信頼はそういうことだったのかと、フィエルティアは納得した。
確かに記憶が残らないと言っている割に、セスは的確にアンディに指示を出しているし、咄嗟の判断も間違いなくできている。
すべてがたまたま運よく上手くいったのだとは、さすがにフィエルティアも思ってはいなかった。
「セスってすごい人なのね」
フィエルティアの言葉に、ルイーズは嬉しそうに頷いた。
話している内に料理もそろそろ出来上がり、セスを呼びに行こうかと思った時、突然扉から大きなノックの音が響いた。
トントンと軽快に何度かノックされた後、「こんにちはー!」と女性の元気の良い声が届く。
驚いたフィエルティアは肩をビクリと跳ねさせると、ルイーズと目を合わせた。
「え!? て、敵!?」
「こんにちはー! 隣の家の者だけどー、いますー?」
動揺している間も、声は続く。
どうしたら良いか分からずルイーズと固まっていると、2階からセスが走り降りてきた。
「僕が出る」
そう言った姿は15歳ほどで、フィエルティアは慌ててその腕を掴んだ。
「ダメよ! セスの姿は見せない方がいいわ。敵かもしれないし、本当にお隣の家の人なら、セスの姿を見せては後々面倒よ」
「でも!!」
(私たちを守りたい気持ちは分かるけど……)
もし今の姿を見られた後で、今度は子どもの姿を見られてしまったら、変に思われてしまうと、フィエルティアはセスの腕を引くと、自分が前に出た。
「私が出るわ。セスは隠れていて」
「フィー……」
心配そうに名前を呼ぶセスに笑顔を見せたフィエルティアは、一度大きく息を吐き気持ちを落ち着ける。その間にも扉のノックは続いている。
セスがとぼとぼと階段を上がって行くのを見送ると、ポケットにしまっていた手袋を嵌めてから扉のノブを握った。
「は、はい! 今開けます!」
フィエルティアは極力明るい声を出し扉をゆっくりと開ける。敵だったらどうしようかと内心ビクビクしながら扉の隙間から顔を出すと、恰幅の良い40代ほどの女性が笑顔で立っていた。
「ああ、良かった! いるじゃないか」
「あ、あの、すみません。ちょっと料理中で……」
「そりゃすまなかったね。私、隣に住んでるマーサってもんだけど」
声の大きな女性は快活な笑顔を向けてくる。エプロン姿で頭には三角巾、手にはなぜか大きなパンを一つ持っている。
「お隣の方、ですわよね」
「そうそう、右側ね。左側は空き家だよ。近々引っ越してくるって旦那さんに聞いてたけど、今日からだったんだね」
「旦那様?」
「黒髪の背の高い人だよ。あの人、あんたの旦那さんだろ?」
「え? あ! そ、そうです! 私の……、はい、旦那様で……」
頭の中にアンディの姿が浮かんでフィエルティアは慌てて頷く。やっと目の前の人が本当にただの隣の人だと信じられそうで、小さく息を吐いた。
「あんた、名前は?」
「あ、ご、ごめんなさい! 私は、えっとフィ、フィーナと言います」
「フィーナさんかい。若い夫婦だねぇ。どこから越して来たんだい?」
「えーと、マルヴェラです」
「あら、マルヴェラ? 随分田舎から来たもんだ!」
「早朝に到着しまして……、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「いいのよ、そんなこと! 引っ越しの後片付けで大変だろ? これ、お近づきのしるしに、そこのパン屋のパンだけど受け取っておくれよ」
マーサが差し出すパンは食べがいがありそうな大きさで、フィエルティアは目を丸くしておずおずと受け取った。
「あら、あんたその手は?」
「え? あ! これは……」
慌ててした手袋は上まできっちり上がっておらず、ピンクに染まっている肌が見えてしまっていた。マーサに指摘されて真っ青になったフィエルティアは、動揺して目を泳がせる。
「あ、それは火傷をしてしまって、ね?」
助け舟を出したのは、部屋の奥にいたルイーズだった。駆け寄ると、フィエルティアの腕を隠すように引っ張る。
「あら、あんた母親かい?」
「ええ、そうです。ルイーズと言います。これからよろしくお願いしますね」
「母親も一緒かい。なんだ、親孝行な若夫婦じゃないか」
マーサは感心したような顔でうんうんと頷く。それからフィエルティアに同情的な目を向けると続けた。
「火傷なんて気にすることないよ。若い時は気になるもんだけど、こうして嫁に貰ってくれた旦那さんがいるんだ。自分が思うよりもずっと他人は気にしていないもんだよ」
慰めるようにフィエルティアの肩をポンポンと優しく叩いたマーサは、「それじゃあこれからお隣同士、仲良くやろうさね」と言って、自宅に戻って行った。
フィエルティアは扉をしっかり閉めた瞬間、大きな安堵の息を吐く。ルイーズも同じように肩から力を抜いて二人で目を合わせた。
「どうやら敵じゃなかったみたいだな」
「上手くやれたでしょ?」
階段から姿を現したセスに笑顔でフィエルティアは言ったが、セスは難しい顔で頷くだけだった。
それからセスはずっと黙って何かを考えているようだった。夕食の時も無言で、どうしたのかと心配していると、寝る時間になってセスはやっと口を開いた。
「フィー、隣に座って。ルイーズもちょっといいか」
深刻な声に、皿洗いをしていた二人は手を止め椅子に座る。
「城に戻る必要がある」
「お城に? なぜ? 危険過ぎるわ!」
まさかそんなことを考えていたなんてと驚くフィエルティアをセスは真っ直ぐ見つめる。
「グラードと直接話したい」
「セス……」
「もし本当に僕を脅威に思っているのなら、僕だけを始末すればいい。こんな大袈裟にする必要なんてないんだ」
「セス、あなた一人で死ぬ気なの……?」
「君たちをこれ以上危険に晒す訳にはいかない」
セスがどれだけ自分たちを心配してくれているのかは分かる。けれどそのせいで己を犠牲にするなんて到底納得できない。
「だめよ。そんなこと頷ける訳ない」
「ここも長くは持たないだろう。逃げ回っていてもいつかは捕まってしまう」
「アンディが助けてくれる人を探しているわ」
「間に合わないかもしれない」
弱気な発言に反論できずにフィエルティアは口を噤んだ。しばらく考えた末、やはりこれしかないとセスを強く見つめ言った。
「やっぱりお父様に助けを求めましょう!」
「フィー、それは」
「聞いて。すべては呪いが始まりだったのよ。呪いを解いて大人になったあなたが王位なんて望まないとはっきり言えば、きっと殺されない」
「だがアシュリー伯爵まで危険になるんだぞ?」
「私、お父様に聞いてみたいことがあるの」
「聞いてみたいこと?」
「王妃様の日記に書いてあったでしょ? 幼い頃、セスを熱病からお母様が救ってくれたって」
「ああ、あったね」
「あれがどうしても引っ掛かるの。お母様は医者ではなかったはずよ。それがなぜあなたを救えたのか聞いてみたいの。それに、お父様は呪いのことも知っているような気がする……」
「それは君のこと、ということか?」
「うん……。もし私が呪われているなら、お父様は呪いが何なのかを知っているはず。それならセスの呪いの事も、何か知っているかもしれない」
「なるほど……」
フィエルティアの言葉にセスは小さく頷くと考え込む。
父を危険に晒したくはない。けれど国王と王妃が亡くなってしまった以上、呪いを知る人物は今や父しかいないだろう。呪いがすべての始まりなら、知る必要がある。
きっと父は許してくれるだろう。
「すまない、フィー。君の言う通りだ。危険だが、父君に助けを求めてみよう」
提案を受け入れてくれたことにフィエルティアは笑みを浮かべた。申し訳なさそうな少年の落としたような笑顔に手を伸ばす。きつく握られた拳にそっと手を置くと、にこりと笑う。
「一緒に頑張りましょう。まだ希望は消えていないわ」
「ああ、そうだね……」
セスは拳を緩めると、フィエルティアの手を握り締めた。二人が見つめ合って微笑み合うと、それをルイーズが穏やかな目で見守っていた。




