第25話 二つ目の隠れ家
城下町に入る前に馬を降りた4人は、夜闇に紛れるように路地を歩き、城下町の中でも下町の方へ足を進めた。
フィエルティアにとってはあまり歩いたことのない下町の様子に、キョロキョロと周囲を見渡す。ぼんやりとした街灯の灯りの中に人影はまったくない。
まだ寝静まった時間で、街は静まり返っていて、自分の足音がやけに大きく感じた。
「こちらです」
アンディが足を止めたのは、小さな家が立ち並ぶ区画の一つだった。幅の狭い二階建てで、隣の家に完全に接地しており、下町のごちゃごちゃした風景にある普通の家だ。
「どうぞ」
扉を開けて中へ招き入れるので、3人で家の中に入ると、なんとも可愛らしいこじんまりとした室内にフィエルティアは目を輝かせた。
「また狭い家で申し訳ないのですが」
「いいえ、とっても素敵。かまどもお台所も使いやすそう」
笑顔でそう答えると、セスは笑ってフィエルティアの頭をポンと叩いた。そこでふとセスがずっと元の姿のままなのだと今更気付いた。
セスの顔を見上げじっと見つめると、目を合わせたセスが微笑む。
「色々あって疲れただろう? 少し休め。ルイーズ、お前もだ」
「平気よ、このくらい。私だって……あ……」
強がっているつもりはなかったが、答えた先で足が震えた。ずっと長いこと馬に乗っていたこともあるからだろうが、気が緩んだからか膝が震えて立っていられない。
よろりとよろけてしまうと、セスが抱き留めてくれた。そのまま抱き上げられてしまい驚いた。
「セ、セス!?」
突然のことに動揺して名前を呼ぶが、セスは降ろす気がないらしい。アンディの方へ首を向けると、「2階にベッドがございます」と答えた。
「じ、自分で、歩けるわ!」
「じっとしていろ」
セスはそう言うと、そのまま階段を上がり出す。セスの肩越しに後ろを見ると、にこにこと笑ったルイーズが付いてきていた。
2階は部屋が一つしかなく、迷わずそこへ入ると、大きなベッドがあって、フィエルティアはそこにそっと降ろされた。
「今はゆっくり休め。先のことは後で考えよう」
「ええ、そうね……」
25歳のセスは本当に頼もしく思えて、フィエルティアは今まで自分がしっかりしなくてはと気を張っていたことに気付いた。
セスの言葉に素直に頷くと、肩から力を抜く。
「ルイーズも少し休め。疲れただろう」
「ありがとうございます、セス様」
ルイーズが感謝を述べると、セスは笑って手を上げ部屋を出て行く。静かになった部屋でルイーズと目を合わせると、二人で笑い合った。
「セス様のお陰でまた命拾いしましたわね」
「そうね。助かったわ。一瞬、死ぬかと思ったけど」
「フィエル様も勇敢でした」
「たまたまよ。さて、セスの言葉に甘えて、少し休みましょうか」
「はい」
フィエルティアの提案に、ルイーズは大きく頷いた。
◇◇◇
それから一眠りして目が覚めると午後になっていた。ぼんやりと目を開け何度か瞬きを繰り返す。何となく横を向くと、ベッドの脇にセスがいて驚いた。
「セス」
「ああ、起きたか」
名前を呼ぶと、さっきまでより随分若い姿のセスが目を合わせる。17歳ほどのセスはベッドの横にあった椅子に座って王妃の日記を読んでいた。
「それ……」
「持ってきていたんだな」
「大切な物だもの」
「そうか……」
フィエルティアはゆっくりと起き上がりながら答える。セスは穏やかな慈しむような目を日記に向けている。その顔を見て微笑んでいると、ふとセスがフィエルティアの手を握った。
「……何度も怖い思いをさせてすまない」
「セス……」
少し恥ずかしくて視線を落としたフィエルティアは、その声が少しだけ低くなったような気がして、そっと視線を戻して驚いた。
セスの姿が25歳になっている。こんな間近で年齢が変わったことがないので驚いてしまうが、セスはこちらの様子には気付いていないのか話し続けた。
「普通の奴に嫁いでいれば、こんな苦労はしなかった」
苦しそうに呟くように言った言葉に、フィエルティアは何と答えれば良いのか少し悩んだ。『そんなことない』と言ったところで、セスを慰めることはできないだろう。
「セス、セスのお嫁さんになることを決めたのは私よ? セスこそ、勝手に私が押し掛けてきてしまったこと、怒ってない?」
「そんなこと! そんなことは、ない」
フィエルティアの質問にセスは強く否定してくれた。それにホッとしてフィエルティアは笑顔を見せる。
「小さなあなたは私に懐いてくれたけど、『結婚』なんて理解してなかったでしょ? 迷惑じゃない?」
「迷惑なんて、俺は……思ってない」
「セス……」
明らかに照れたような表情をしたセスは、どもりながらふいと下を向いてしまった。今まで大人の姿のセスは強い意思を感じたけれど、感情を見せるようなことはなかった気がする。こんな風に自分のことを質問されて動揺する姿を見ると、逆にそれが真実なのだと信じられた。
今のこの状況は結婚という形にはなっているが、求婚をされた訳でもなく、ただフィエルティアが決めただけでここまで来てしまっている。だからもしかしたらセスは自分のことを納得してくれていないかもしれないかと、心のどこかで不安に思っていた。
なんだかやっとセスとの結婚を実感できて、フィエルティアが嬉しさに浸っていると、セスの手が頬に触れた。
「フィー……」
セスの顔が近付いてきて、驚いたフィエルティアは慌てて目を閉じる。うるさいくらい胸の鼓動が鳴る中待ったのだが、セスが触れる前に部屋にノックの音が響いた。
「セス様、そろそろフィエル様はお目覚めになりましたか?」
朗らかな声と共にルイーズが扉を開けて、フィエルティアがパッと目を開けると、セスが慌てて身を引いた。
「あらあら、お邪魔してしまいましたか?」
「ルイーズ!」
ルイーズが嬉しそうにそう言うと、セスは真っ赤な顔で声を上げる。フィエルティアも恥ずかしくて下を向いていたが、迫力のまったくないセスの声につい笑ってしまった。
「フィー!」
「セス様、フィエル様、朝食ができていますから、お二人とも下へお越し下さいな」
「分かったわ。ありがとう、ルイーズ」
フィエルティアが答えるとルイーズは笑顔を残して扉を閉めた。何となく視線が合ったセスは、少しばつが悪そうな顔をしてから立ち上がった。
「行こうか」
「はい」
セスが差し出した手に、自分の手をそっと乗せると、セスは嬉しそうに微笑んだ。
二人で下の階に降りると、アンディが立ち上がり「おはようございます」と挨拶する。それに返事をするセスはもういつもの様子に戻っていた。
「アンディ、何か分かったことはあるか?」
「はい。昨日の襲撃者たちの飼い主が分かりました」
「誰だ」
「ベルツ侯爵です」
アンディの言葉にフィエルティアは手を合わせる。
「じゃあ、国王陛下が差し向けた訳ではないのね!?」
そう訊ねると、アンディは眉を寄せ、難しい顔をして首を振った。
「ベルツ侯爵は、現王妃、ロクサーヌ様の父君です」
「あ……」
「ベルツの単独の犯行か、それともベルツの私兵を使ってグラードが指示しているのか……」
セスの低い声にフィエルティアはゆっくり手を下ろす。いまだにフィエルティアはグラードを悪く思いたくなかった。何度かしか話したことはないが、それでもその時の印象はとても良かったのだ。
「ベルツ侯爵は国中に追手を放っているようです。国境線も固めて国外に逃亡されるのを警戒しています。まさか城下町に戻ってくるとは思っていないようで、この辺りは警戒が薄いのですが、安全とは言えません」
「そうか……」
セスは重い溜め息を混じらせながらそう言うと、顔を顰めて黙ってしまった。
しばらくの沈黙が流れる。フィエルティアは色々と考えてみるけれど、良い案など浮かばなかった。ずっとこんな逃亡生活を続けていけるとは思っていないけれど、かといって捕まらないためにどうしたらいいのかなんてまったく分からない。
なんとなく全員がセスを見ていると、アンディが声を掛けた。
「どう致しますか?」
「うん……。少し考える」
セスはそれだけ答えると、席を立って2階に上がって行ってしまった。




