第24話 逃避行
剣がまともにぶつかって激しい音が響いた。フィエルティアはその音に竦み、思わずルイーズに身を寄せる。
男の攻撃をセスはどうにか凌いでいる。けれど剣の稽古などまともにしていないセスにとって、これはきっとぎりぎりの戦いだろう。
ハラハラとした気持ちで見ていたフィエルティアだったが、明らかな劣勢にどうにかしなくてはと周囲を見渡す。
「フィエル様?」
フィエルティアはゆっくりとその場に座ると、足元の雪をかき集めギュッと握り締める。できるだけ強く固めると立ち上がり、戦い続ける二人を見据える。
よく狙いを定め、二人が少し距離を空けた瞬間、雪玉を投げつけた。
「なっ!?」
雪玉が顔に当たった男が驚いてこちらを見る。その隙をついてセスが剣を振り抜いた。
男が倒れ、セスが安堵した顔をこちらに向けるが、すぐに二人目の男が追い付いてくる。
「くっ!!」
苦しそうなセスの声に、また助け手をと雪玉を作ろうとして、三人目がこちらに迫っていることに気付いた。
すでに剣を抜いた状態の男がセスではなくフィエルティアに向かって走り寄ってくる。
「フィー! 逃げろ!!」
男と剣を交えながらも叫ぶセスに、フィエルティアは一瞬どうしようか迷った末、隠し持っていた短剣を引き抜き、振り下ろされた剣を受け止めた。
「ちぃ!! 女のくせに!!」
まさか剣を受け止められるとは思っていなかったのだろう男が吐き捨てる。
間近の男のだみ声と形相があまりにも怖くて、フィエルティアは短剣を握っていた手が震えてしまう。ふいを打つ形で一撃は上手く受け止められたが、これ以上は動けそうにない。
男がまた剣を振り下ろそうとするのを、絶望的な気持ちで見上げる。
「フィエル様!!」
「ぐっ!!」
ルイーズの悲痛な叫び声が聞こえたと思ったら、突然男が苦悶の表情に顔が歪み、前のめりに倒れ込んだ。
「奥方様!!」
「アンディ!?」
森の闇の中から呼ぶ声に振り返ると、そこからアンディが走り出てきた。そのまま苦戦しているセスの方へ割り込むと、一撃で敵を切り伏せる。
「遅くなり申し訳ありません!」
「いい! 逃げられるか!?」
「こちらへ!!」
二人の会話を恐怖に身体を硬直させたまま呆然と見つめていたフィエルティアだったが、走り寄ったセスに手を握られてハッと意識を戻した。
「まだ走れるか!?」
「は、はい!!」
アンディがルイーズを背負うのを確認すると、セスはフィエルティアの手を引いて走り出した。
すでに背後に数名の追手がいることは足音で分かる。肝の冷える思いで、それでも必死に走ると、木の陰に隠すように馬が二頭いることに気付いた。
「殿下! 馬に!!」
アンディの声にセスが軽やかに馬に飛び乗る。
「フィー! 後ろに!!」
フィエルティアが渾身の力で飛び上がると、手を強く引っ張られ思った以上に身体が浮き上がった。そのままの勢いで馬の背に乗ると、セスの背中にしがみつく。
「アンディ!!」
「ハッ!!」
ルイーズを後ろに乗せたアンディが走り出す。その後ろについてセスも走り出した。
フィエルティアも馬には乗れるが、こんなにも早く走ったことはない。ましてや闇夜の中、今にも木々にぶつかってしまうのではないかという恐怖に、フィエルティアはセスの腰に回した腕に力を込め必至にしがみついた。
「アンディ、この道は!?」
「お任せを! しばらくはこのまま!」
暗闇でよく分からないが、雪のない道に出た後、アンディは真っ直ぐに通りを進んでいる。
背後に追手の姿は見えなくなったが、このまま道を進んではいつかは見つかってしまう気がする。フィエルティアは不安な気持ちで背後の闇を何度も確認した。
森の中の街道をしばらく進むと、アンディが馬の足を緩めた。
「止まって下さい、殿下」
「なんだ?」
ずっと全速力で走っていた馬がゆっくりになり、フィエルティアはほっと息を吐く。周囲を見渡すと別段何かがある訳でもなさそうだ。前も後ろもただ街道が続いているだけで、なぜここで足を止めたのか疑問に思った。
「お待ち下さい」
アンディはその場に完全に停止すると、周囲をキョロキョロと見回す。するとすぐそばの低木が揺れ、ガサガサと音を立てて人が出てきた。
「待たせたな」
「いえいえ。時間通りですよ」
アンディが声を掛けると、男性の低い声で返事が来る。その後ろにもう一人いるが、その者も外套を着てフードを深く被っているため、性別はよく分からない。
二人は木の陰から馬を連れ出すと、道まで出てきて身軽に乗り込んだ。
「だいぶ近いが行けそうか?」
「お任せ下さい。逃げ足は速いですから、心配はいりませんよ。では」
そこまでで会話を終わらせると、二人は馬の腹を蹴り、そのまま走り出した。その背中を見送ったアンディは闇に姿が見えなくなると、セスに視線を戻した。
「殿下、こちらに抜け道がございますので、付いてきて下さい」
ゆっくりと森の中へ入って行くアンディについて行くと、確かに獣道のような細い道が続いている。街道からはまったく視界が遮られているので、この道に入ったとは気付かれないだろう。
「あの二人は?」
「雇っておきました。隣国のルワイユ王国の者たちですが、こういう荒事には慣れた者たちです。金で何でもやるような生業なので、身代わりを頼みました」
「大丈夫なのか?」
「あの街道を真っ直ぐ進むと、まもなく国境です。彼らはルワイユの通行手形を持っておりますので、問題なく入国できます。国境まで逃げ切れば大丈夫でしょう」
二人の静かな会話がなんだかとても不思議で、フィエルティアは口を挟まず聞き続ける。いつの間にか道は広くなり、その内走りやすい踏み固められたような道になると、アンディは馬の足を速めた。
「この道は、引き返しているな」
「はい。ご命令通り、城下町に隠れ家をご用意しました」
アンディの言葉にフィエルティアは驚いた。まさか本当に城下町に戻るなんて思っていなかった。
少しの間、安定した生活が送れていたからか、今の戦闘での緊張もあってか、この先のことを考えるととてつもなく不安が広がる。
セスの服を掴んだ手にギュッと力をこめると、何かを感じたのかセスがフィエルティアの手をそっと握ってくれた。
「セス……」
肩越しにちらりと振り返ったセスの目が優しく細められて、それだけでフィエルティアはホッとした。
そうして夜通し馬を走らせ、まもなく夜が終わる頃、なつかしい城下町が見えだした。




