第21話 魔女の呪い
アンディが来ればきっと何かが変わると、この状況が好転すると何となく思っていたフィエルティアは、昨日とまったく変わらない生活が続くと落胆したが、少しだけだか思い掛けない変化があった。
それはセスの年齢だ。5歳の姿であることが常だったセスが、今日朝起きてみると、10歳程度の姿になっていた。それもそこから変化することなく、昼を過ぎてもそのままの姿なのだ。
「セス」
静かに本を読んでいたセスに声を掛けると、顔を上げこちらを見る。まだまだ幼さの残る顔だが、少し顎のラインが鋭角になっていて、なんだか新鮮だ。
「邪魔してごめんね。少しお話していい?」
「いいよ」
聞き馴染みのないハスキーな声に成長を感じながら隣に座る。本を閉じたセスはフィエルティアを見ると、少し目を細めた。
「昨日のことは覚えてる?」
「昨日……、アンディが来たこと?」
(覚えてるのね……)
今までまったく記憶が残っていることがなかったのでフィエルティアは驚く。昼食の後片付けをしながら聞いていたルイーズも驚いた表情をしている。
「何があったのかも、覚えてる?」
「覚えてるよ……。父上と母上のことも……」
少し悲しげな声と顔で呟くセスに、フィエルティアはハッとした。たぶん感性はやはり年相応なのだ。つい会話が成立するからと無遠慮に聞いてしまったことを後悔した。
「ごめんなさい、私……」
「ううん。フィーも悲しんでいるの、僕知ってるから……」
「セス……」
「ルイーズもフィーもごめんね。僕のせいで……」
しょんぼりと肩を落としそう言ったセスに、フィエルティアは慌てて抱き締めた。
「違うわ! セスのせいじゃない!」
「フィー……」
「そうでございますよ、セス様。わたくしもフィエル様も、セス様を責める気など、まったくありませんよ」
「ルイーズ……」
ゆっくりと近付いてきたルイーズが、優しくセスの背中を撫でさする。もう片方の手でフィエルティアの背も撫でてルイーズは優しく微笑んだ。
「今は心穏やかにして、アンディを待ちましょう」
「そうね、ルイーズ」
慰めてくれるルイーズの言葉にフィエルティアが頷くと、セスは微かに微笑んで小さく頷いた。
それからフィエルティアは部屋の掃除やルイーズの手伝いをし、料理を教わったりして時間が過ぎたが、夕方になって少し時間ができた。
相変わらず静かに本を読んでいるセスを見て、自分も何か読もうかしらと、今まで見ていなかった本棚を眺めた。
(物語がたくさんある……。これって先王様のご趣味かしら……)
国に伝わる英雄譚や伝説が書かれた物語が多く並ぶ本棚は、どこか少年が好きそうなものばかりだ。
フィエルティアはそれらを順に目で追っていき、最後に端に並べられた編み物や刺繍の手引き本を見つけた。きっとこれは王妃様が読んだのだろうと微笑み手を伸ばす。
けれどその隣に一冊だけ背表紙にタイトルが書かれていない本があることに気付き、何となくそれを手に取った。
「日記だわ……」
古い表紙にもタイトルは無く、本を開くと中には細かい文字で、びっしりと文が綴られている。見覚えのある文字は王妃のもので、フィエルティアは目を見開いた。
一番最初のページは王妃が王太子妃になったその日のことが書かれていた。嬉しさと期待と、これからの不安と戸惑いが書かれている。
(王室に嫁いだ時から書き始められたものなんだわ……)
フィエルティアはそのページを読んでしまってから、ハッとしてページを捲ろうとしていた手を止めた。
他人の日記を読むなんていけないことだと本を閉じようとしたが、中表紙に青いインクで目立つように書かれた文字が目に入った。
『フィエルティアへ』と書かれている。
「私の名前?」
まだくっきりとしたインクの文字は、つい最近付け足されて書かれたものだと分かる。
「王妃様……」
(これは読んでいいということかしら……)
勝手にそう解釈してはいけないとも思ったが、それでも自分の名前が書かれているというのなら、この中に何か王妃が伝えたいものがあるのかもしれないと、フィエルティアは日記を読むことに決めた。
日記の最後のページを見てみると、つい最近のことが書かれていた。
『セスとフィエルティアが仲睦まじく、幸せに暮らしていけることを願っている』。そう書かれた文章を読んで、フィエルティアは涙を滲ませる。
「王妃様……」
王妃の優しい笑顔と声が聞こえてくるようだった。
涙を拭いながら最後のページから戻り、また最初からペラペラとページを捲る。王太子妃になって一年が過ぎた頃、セスを身籠っている。その時の文章は、嬉しさが滲み出ているような、走り書いたような文字だった。
そこでふとフィエルティアは気付いた。
(もしかして、セスが呪われた時のことが書かれているんじゃないかしら……)
慌ててページを捲り、セスのことが書かれた文章を探した。その中にセスが3歳の時に熱病に罹った時のことが書かれた文章に、フィエルティアの母の名前があることに気付いた。
「なんでお母様の名前が……」
フィエルティアの母フィーナは、フィエルティアが2歳になった頃亡くなっている。微かにしか記憶がないが、まさか王妃の日記に出てくるとは思わず、ついその文章に目を留めた。
セスが熱病に罹り主治医にも見放され絶望したが、先王がフィーナを密かに召喚し、その命を救ってくれたと書かれている。
「どういうこと? お母様はお医者様じゃないのに……」
他のページに母の名前がないかと探してみるが、そこ以外に名前が出てくることはなかった。
フィエルティアは元のページを開くと、もう一度その内容を読んでみる。
「『フィーナには感謝してもし足りない。かけがえのない息子の命を救ってくれたこの御恩を、いつか必ず返さなければ』」
(まさか……、これがあって、私をセスの妻にと言ったのかしら……)
真相は分からない。それでも自分と王妃には繋がりがあり、それが母のおかげなのだと知れて嬉しかった。
フィエルティアは口許を綻ばせながら、ページを捲るとついにセスが呪われた時のことが書かれた文章を見つけた。
「あった。これだわ……」
――恐れていたことが起こってしまった。セスが呪われてしまった。100年前の魔女の呪いが最悪な形で姿を現した。王家の過ちがまだ赦されてはいないのだと痛感する。どうしたらいいのだろう。このままではセスは大人になれず、王太子になることもできない――
「100年前の魔女の呪い?」
王妃の日記はそれから懊悩の言葉に占められていく。あらゆる文献を調べ、賢者に話を聞き、どうにか呪いを解こうとしていたことが分かる。けれども結局呪いを解くことはできず、王太子の座をグラードに決める時には相当の葛藤があったようだ。
フィエルティアはかなり先まで読んでみたが、呪いに関する詳細は書いておらず、ページを捲る手を止めた。
「魔女なんて……、おとぎ話みたい……」
この国の物語には魔法や不思議な話がたくさんある。この本棚にある本にもたくさん登場するが、フィエルティアはそれらは夢物語であり、作り話であると思っていた。けれどよく考えれば呪いはすでに現実にあると身をもって体験していて、それならばこの呪いを掛けた者は、不思議な力を持っているということの証明になる。
この世界に魔女がいるという現実がすぐには飲み込めず、フィエルティアは一度日記を閉じた。とにかくセスに一度魔女のことを聞いてみる必要があると、隣に部屋に行くとお茶を飲んでいるセスが顔を上げた。
「セス、魔女の呪いって知ってる?」
フィエルティアがそう聞いた瞬間、セスの顔が凍り付いた。
「魔女……、やだ……怖い!!」
頭を抱えてぶるぶると震えだす。
「セス!?」
「やめて!!」
突然のセスの反応に驚いたフィエルティアは、慌ててセスに駆け寄るとその身体をギュッと抱き締めた。
「セス!!」
「フィー! 怖いよ!!」
セスは泣きながら叫ぶと、渾身の力でフィエルティアに抱きつく。今までとは違う強い力に少し苦しく思いながらも、フィエルティアは懸命にセスの背中や頭を撫でた。
「ごめん! 大丈夫、大丈夫よ。もう何も考えてなくていいから……。落ち着いて、ね?」
フィエルティアが優しく声を掛け続けると、次第にセスの身体の緊張が解けていき、だいぶ時間が経つと、ガクッと身体が傾いで脱力した。
腕を緩め下を向くと、セスは目を閉じて眠ってしまっている。
「あら、セス様はお昼寝ですか?」
扉を開けて入ってきたルイーズが朗らかな声で話し掛けてくる。その手に乾いた洗濯物を持っていて、それらをテーブルの上に置くとセスの涙に濡れた顔を見て首を傾げた。
「何かあったのですか?」
「とりあえず、セスを運ぶの、手伝ってくれる?」
セスのあの強い拒絶の反応を見ると、これ以上聞きだすのは無理だろう。辛い思いをわざわざさせるのも心苦しいし、フィエルティアにはできそうにない。
(考えなければ……)
命を狙う敵のことはアンディに任せるしかないが、呪いのことは調べることができるかもしれない。
フィエルティアはやっと掴んだ糸口に、ほんの少しだけだが希望が見えた気がした。




