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第2話 セス

「どうしたの? 誰かにいじめられたの?」


 心配そうに訊ねてくる男の子は答えないフィエルティアの前に腰を落とすと、また口を開いた。


「お腹痛いの? 大丈夫?」


 質問を続ける男の子に、ようやく気持ちが落ち着いたフィエルティアは微かに口の端を上げ首を振った。


「ありがとう、大丈夫よ。心配させてごめんね」

「ホントにホント?」

「ホントよ」


 フィエルティアがそう答えると、男の子はやっとホッとしたような顔になり笑った。

 胸に抱き締めていたクマのぬいぐるみを抱え直して立ち上がる。


「あっちにイスあるよ!」


 男の子はフィエルティアの手を取ると歩きだす。握り締められた自分の赤い手を見て一瞬手を離そうと思ったが、一生懸命な様子の男の子の手を振り払うようなことはしたくなくて、フィエルティアはそのまま手を引かれて庭の片隅にあるベンチに腰を下ろした。


「お名前を聞いていい?」

「僕? セスだよ」

「セス……」


 聞き覚えのない名前だった。城に住んでいるような雰囲気だが、王族の中にこんな小さな子供がいただろうか。今日の舞踏会に誰かが連れてきた子供かもしれないが、それにしても一人でこんなところにいるのが不思議だった。


「この子は“ノノ”って言うの」


 そう言うと、セスはクマのぬいぐるみを差し出す。ブラウスとズボンを履いた可愛い茶色のクマは愛らしくてフィエルティアは微笑んだ。


「ノノ、可愛い名前ね」

「そうでしょ? 僕が付けたんだよ」


 セスは足をぶらぶらと揺らしながらうふふと笑う。最初に感じたように本当に天使のように可愛らしい様子に心が癒される。


「お姉ちゃんはなんて名前なの?」

「私はフィエルティアというのよ」

「ふぃえ……、ふぃ……?」

「フィーでいいわ。難しいわよね」


 上手く発音できないセスにフィエルティアは笑って答える。


「フィーの手は真っ赤っかだね。イチゴを食べたの?」


 セスが不思議そうに訊ねて、ハッとしたフィエルティアは思わず手を隠すように背中へ回した。


「そ、そうじゃないわ……」

「あ、髪の毛も赤いね。キレイだね」

「え?」


 セスの言葉に驚きセスを見つめる。セスはにこにこしたままフィエルティアの髪を一房手に取ると、まじまじと見つめる。


「怖く、ないの?」

「ううん、全然。イチゴみたいでキレイ」

「……イチゴ、好きなの?」

「うん! 僕、イチゴが一番好き!」


 無邪気に答えるセスに、フィエルティアは救われた気がした。子供だからまだ何も分からないだけだ。それでも恐怖を覚えず、ただ綺麗だと言われたことが嬉しい。

 身内以外でそんな風に言われたことは一度もなかった。

 それからしばらくの間、セスと取り留めもなく話していると、遠くから「セス様ー!」という呼び声が聞こえてきた。遠目にこちらに気付いた女性が走り寄ってくる。


「セス様、表に来てはいけませんと何度も……」


 メイドの格好をしている中年の優しそうな女性は、セスの隣に座るフィエルティアに気付くと、言葉を止めて挨拶をした。


「失礼致しました。今日の舞踏会にいらっしゃったのでしょうか」

「ええ、そうよ」

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「フィエルティア・アシュリーよ」

「アシュリー伯爵のお嬢様でしたか」


 驚いた女性はそう言うと、セスに顔を向ける。


「セス様、舞踏会にいらっしゃった方をお引き留めしてはいけません。それにもうお休みのお時間ですよ」

「えー! もっとフィーとお話したい!」

「セス様」


 女性が声を低くして名前を呼ぶと、セスはしゅんとしてイスからぴょんと飛び降りた。


「フィエルティア様、わたくしはセス様の乳母のルイーズでございます。セス様のお相手をして下さり感謝致します」

「いいえ。私の方こそ、その子に慰められたわ」


 そう答えると、ルイーズは優しそうな笑顔で頷き、セスと手を繋いだ。


「大変申し訳ありませんが、ここでセス様にお会いしたことはご内密にお願い申し上げます」

「……分かったわ」


 何か事情があるのだろうが、城の中のことだ。首を突っ込んではいけないことなのだと理解し、フィエルティアは静かに頷いた。


「フィー! また遊ぼうね!」

「ええ」


 名残惜しそうに振り返りながらセスが手を振る。それに手を振り返しながら、フィエルティアは笑顔で答える。

 そうして二人の姿が見えなくなると、フィエルティアはゆっくりとイスから立ち上がった。

 気持ちは落ち着いたが、舞踏会の会場に戻る気にはならない。どうしようかと考えながら廊下をとぼとぼと歩いていると、正面から父が暗い顔をして歩いてきた。


「フィエル……」

「お父様……」


 二人して足を止めると、少しの沈黙の後、父が静かに告げた。


「ケヴィンから正式に婚約破棄の申し出があったよ。父親のブライト伯爵も同意見ということだ」

「そうですか……」


 それだけしか答えることができずにいると、父がゆっくりと近付きポンと肩を叩いた。


「家に帰ろう」

「はい……」


 辛い現実に引き戻されて、引っ込んでいた涙が帰ってくる。涙ぐみながら小さく返事をすると、とぼとぼと歩きだした。



◇◇◇



 屋敷に戻り、ぐしゃぐしゃの顔とぼろぼろの姿を見て、メイドのクレアは察したのか何も聞いてくることはなかった。

 クレアの静かな優しさに涙ぐみながら着替えを終わらせると、「温かい物でも食べましょう」と勧めてくれる。その顔を見るとクレアも目に涙を溜めていた。


「ごめんね、クレア……」

「謝ることなど何も……。お嬢様の良さはわたくしが一番分かっています。きっとまた素敵な方が現れますわ」


 クレアは笑顔でそう言うと、湯気の立つココアを差し出す。

 温かなココアを飲んでいる内に、やっとケヴィンのことはもう考えるのをやめようと気持ちの整理がついてくる。ここから未練がましくケヴィンに縋り付いたところで、事態は好転することはないだろう。あんな騒ぎになってしまったのだ、会いたいと言ったところでそれさえ叶うかどうか疑わしい。


(あと何回こんな辛い思いをしなくちゃいけないのかな……)


 何度も何度も男性に振られて、もう慣れていると思っていたけれど、今度こそと思ったケヴィンに拒否されたのはやはりショックだった。

 カップを持つ赤い手に視線を落とし、大きな溜め息を吐く。


(これさえなければ普通に結婚できるんだろうな……)


 自分さえも忌み嫌っているのに、他人にこの異様な姿を受け入れてもらおうなんておこがましい願いなのだろうか。

 ずっと一人で生きていくしかないのだろうか。そんな考えばかりが頭をぐるぐると巡る。

 そうしてしばらくすると、屋敷内が慌ただしくなった。複数の足音が聞こえたと思うと、ドアが開いて兄のジャックとその妻のシンシアが入ってくる。


「おかえりなさい、お兄様、お義姉様」

「ああ、父上は?」

「お部屋にいると思うけど」


 普段通りのジャックとは違い、明らかに不機嫌な様子のシンシアが顰めた顔をこちらに向けた。


「今回こそ上手くいくと思ったのに。どうしてこんなことになったの!?」

「ごめんなさい、お義姉様……」

「大変な恥をかいたわ! もう22歳なのよ? どうするつもりなの!?」

「シンシア、やめないか」

「でも、あなた!」

「シンシア、子供たちの様子を見てきてくれないか」


 怒りをぶつけてくるシンシアにフィエルティアは目を合わせることができない。間に入ってくれたジャックはシンシアを宥めながらそう言うと、シンシアは不満そうな顔をしながらも小さく頷いた。

「子供たちはもう寝たの?」とメイドに訊ねながらシンシアが部屋を出て行くのを待ってジャックが口を開いた。


「フィエル、ケヴィンに確認してきたが、やはり婚約は取りやめてほしいとのことだ」

「そう……」

「あまり気を落とさないことだ」

「分かってるわ……」


 肩にポンと手を置き、慰めるジャックにフィエルティアはどうにか笑みを見せる。


「シンシアを許してやってくれ。あれでもどうにか会場にいる女性たちにあまり噂を広めないでほしいと頭を下げてきてくれたんだ」

「お義姉様が……」

「こんな乱暴なことはあってはならないことだが、ベルツ侯爵の令嬢が関わっているようだし、こちらから抗議するようなことはできそうにない」

「うん……」

「ケヴィンのことはもう忘れろ。いいな?」


 フィエルティアが言葉もなく小さく頷くのを見て、ジャックは優しくフィエルティアの頭を撫でると部屋を出て行った。

 残されたフィエルティアは項垂れたまま目をきつく閉じる。


(また迷惑を掛けてしまったわ……)


 こんな呪われていると噂されている妹のいる伯爵家に嫁いできてくれたシンシアには本当に感謝している。

 シンシアの言いたいことは十分理解している。それでも彼女の言葉は胸に深く突き刺さる。


「お嬢様……」


 クレアが優しく声を掛けてくれる。けれどフィエルティアは長いこと顔を上げることができなかった。

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