第19話 本当の姿
「フィエル様、どうなさいました? お声を出されて」
ノックの音と共にルイーズが入ってきて、固まったままそちらに顔を向けると、ルイーズも目を丸くして固まった。
「まぁ! まぁ!」
「おはよう、ルイーズ」
ルイーズは嬉しそうに声を上げながらベッドに走り寄る。
「まぁ、セス様……。なんと凛々しいお姿に……」
「感動しているところ悪いが、ここはどこだ」
「あらあら、覚えておいでではないのですか?」
「なにをだ?」
ルイーズはセスの言葉に困ったようにフィエルティアに視線を向ける。その視線を受け止めて、フィエルティアは溜め息を吐くとベッドから降りた。
「説明は後にしましょうか。朝はやること、たくさんあるし」
フィエルティアの提案にルイーズは頷き、セスは眉間に皺を寄せ首を傾げた。
セスが着られそうな服をクローゼットで見つけ、ルイーズが着替えを手伝っている間に、フィエルティアは自分で着替えを済ませ部屋を出た。
すでにここに来て3日が経っているので、やることは大体分かっている。桶を持つと裏木戸から外に出て井戸で水を汲む。ここに来て初めて知った事だが、生活するには水を思った以上に使う。
料理にしろ洗濯にしろ掃除にしろ、水が無ければ何もできない。ただお茶を飲むのだってまず水が必要なのだ。水を汲んで大きなカメに溜めておいても、あっという間に無くなってしまう。
フィエルティアは重い桶を引き上げながら、セスの姿を思い出して顔がまた赤くなる。
(いつから大人の姿だったのかしら……。寝る前は子どもだったのに……)
夜の内に大人の姿になっていたのだとしたら、自分は大人のセスとくっついて寝ていたことになる。
夫婦なら当たり前と言われればそれまでだが、夫婦という自覚がまったくないフィエルティアにとっては、ただただ羞恥心でどうにかなってしまいそうだった。
(もしかして、ずっとあのままなのかしら……)
唐突に本当の結婚生活が始まってしまうのかもしれないと思うと、今はそれどころじゃないはずなのに、ドキドキが止まらない。
「変に浮かれてたらおかしいわよね」
間近で見たセスの顔があまりにも素敵で、浮足立っている自分がいる。でもそれを悟られたくなくてフィエルティアは顔を引き締めると、両手に桶を持って家の中に戻った。
テーブルにはすでに着替えたセスが座っていて、ルイーズは食事の準備をしている。なんとなくセスの視線を避けながら水甕に水を移す。
「ありがとうございます、フィエル様」
「よく晴れてるから、後でお洗濯もしちゃうわ」
「そうですわね。後でいたしましょう。さ、お座り下さいな。もう食事もできますから」
「え、ええ……」
ルイーズの言葉にぎこちなく返事をしたフィエルティアは、おずおずとセスの隣に座る。
セスは頬杖をついてこちらをじっと見つめてきている。その目を見つめ返すこともできず下を向いていると、ルイーズがテーブルに食事を並べだした。
フィエルティアは一度席を立って、カトラリーと棚にしまってあったパンを手にしてテーブルに戻った。
「そなたも働いているんだな」
「せっかくですからチーズを温めましたよ。さ、熱い内に食べましょう」
「え? あ、そうね」
セスに話し掛けられたと同時にルイーズが話し掛けてきて、フィエルティアはセスに一瞬向けた視線をルイーズに向けた。
それから流れで食事が始まったのだが、妙に緊張した空気が流れていてパンを食べながらどうしようかとフィエルティアが思っていると、先にセスが口を開いた。
「で、これはどういう状況なんだ」
「まったく何も覚えておいでではないのですか?」
「覚えていないから説明しろと言ってるんだ」
眉を顰めて答えるセスに、ルイーズは少し考えた後、話し出した。
「事の発端は、陛下と王妃様が事故でお亡くなりになったことだとわたくしは思っております。……それは、覚えておいでですか?」
「……ああ……」
低い声で短く答えたセスの顔はあまり変わっていないように感じる。ルイーズはホッとしたような顔で一度頷くと、話を続けた。
夜に襲撃があったこと、アンディのお陰でどうにか城から逃げ出しここまで辿り着いたこと、これからのことをゆっくりと説明すると、すでに食べ終わったセスが憮然とした雰囲気で腕を組んだ。
機嫌の悪そうな雰囲気を感じながら、フィエルティアは席を立ちお茶を入れる。沈黙が気になってちらりと振り返ってみるとセスと目が合った。
「あ、あの、紅茶で大丈夫かしら」
「ああ」
フィエルティアは視線に驚いて咄嗟にごまかすような意味のないことを訊ねると、思った以上に柔らかい返事がきた。
その返事に少し安堵しながら、お茶を持ってテーブルに戻ると、黙って話を聞いていたセスが口を開いた。
「話は分かった。とりあえずアンディが戻るまでは、ここで静かに隠れているしかないということか」
「そうなります。ここに来て3日が経ちましたが、あと数日は待つことになると思います」
「なるほど。それでフィーも働くしかないという状況になったということか」
こちらに視線が来て、やっと話し掛ける勇気が出たフィエルティアはセスの顔をしっかりと見た。
「セス、あなたは誰がこんなことをしたと思う?」
「俺は……、俺が分かるわけないだろう? 記憶さえ定かじゃないのに」
「あなたの記憶ってどんな風になっているの? 子どもの姿の時のことはまったく覚えてないの?」
疑問に思っていたことを質問すると、セスは浅く溜め息を吐いてから紅茶を一口飲みこちらを見た。
「ぼんやりとは覚えているが、全部が曖昧なんだ。ずっとそばにいるそなたたちのことは覚えているが、出来事に関してはあまり覚えていない」
「私のことは? それほど長く一緒にいた訳じゃないわ」
「そうだな。だが、まぁフィーのことは覚えている」
セスの言葉に嬉しく思いながら、お茶を一口飲む。小さなセスは紅茶を苦いと言って飲めなかった。だからこんな風に同じ飲み物を一緒に飲める、ただそれだけのことでも嬉しく思う。
「ルイーズは、グラードがやったと思っているのか」
「わたくしの浅はかな考えではそれくらいしか……。他に政敵がいるのかもしれませんが……」
ルイーズが申し訳ないという様子でそう言うと、セスはふんと鼻を鳴らしただけで返事はしなかった。
セスの記憶の中にどんなグラードがいるのかは分からないが、弟に狙われるなんて悲しいに決まっている。幼い頃の二人を想像して、ふと朝見た夢を思い出した。
「あ、ねぇ、セス、私、夢を見たんだけど……」
「夢?」
フィエルティアが少しぼんやりとしだしている夢の内容を話すと、セスは難しい顔をして顎に手を添えた。
「これって何だと思う?」
「それは……、現実だ」
「現実?」
「たぶん……、呪いを受けた日のことだ」
「呪いを!?」
「ああ……」
セスは苦々しい顔をして眉を歪める。
「じゃあ私が見たのは、あなたの記憶ということ?」
「そうなるな」
「……ねぇ、あなたは誰に呪われたの? 呪いは解けないの?」
セスがすべてを覚えていれば、この呪いや色々な事が解決できるのではないかと期待を込めて聞いてみたが、セスの表情は変わらないまま首を振った。
「そなたが夢に見た内容だけしか覚えていないんだ。だからあの後どうなったのか、誰に掛けられた呪いなのか、まったく分からない」
「グラード様は? あの時、グラード様が一緒にいたでしょう? もしかしてグラード様が覚えているのでは?」
「グラードはあの時5歳だったからな……。覚えていないと思うぞ」
セスの言葉にそれもそうかとフィエルティアはがっかりした。確かに5歳の時の記憶なんてないのが当たり前だ。自分だって覚えているかと聞かれたら困ってしまう。
折角セスが大人になったのに、何の糸口もないのかと肩を落とすと立ち上がる。とりあえず朝食の片付けをしてしまおうと、皿を纏めて水場に持っていく。
「セス様が大人の姿になったのなら、少しは何か進展するかもしれませんわね」
「そうね。そうだといいわね」
フィエルティアはルイーズの言葉に笑顔で頷く。セスが大人になることは、一番に望んでいたことだ。辛い状況ではあるが、それが叶っただけでも嬉しい。
「フィエル様、お皿洗いはわたくしがやっておきますので、どうぞセス様のおそばにいて下さいませ」
「え、でも……」
「たくさんお話したいことがおありでしょう?」
ルイーズの含みのある言葉に、フィエルティアは少しだけ顔を赤くすると、小さく頷き振り返った。
「え……」
そこには5歳の姿のセスが、笑顔でちょこんとイスに座っていて、フィエルティアは目を見開くと大きな溜め息を吐いた。




