第16話 森の隠れ家
空が白み始めても馬車は止まらず進み続けた。城下町を出て街道をしばらく進み、その内整備されていない荒れた道になると、景色はすっかり森の中になった。
フィエルティアはセスを膝の上で寝かせたまま、少しだけ緊張が解けてウトウトとしていると、気付かぬ内に馬車は停止していた。
「奥方様、お起き下さい。到着しました」
アンディの声にハッとして目を開けたフィエルティアは、穏やかな顔のアンディと目が合った。
「着いたの?」
「はい。お降り下さい」
焦りのない落ち着いた声に、差し迫った危険がないことを悟ったフィエルティアは、ホッとして笑みを作った。まだ寝ているセスの肩を揺すり、優しく声を掛ける。
「セス、セス、起きて。朝よ」
「んん……、もう朝なの……?」
寝ぼけた声で言ったセスは、大きなあくびをしながら起き上がる。そのいつもの様子に、昨日のあの大人の姿は幻だったのじゃないかと思えた。
一度見たことのある15歳ほどの少年の姿が、すっかり成熟した大人の男性になっていた。アンディと同じくらい高い身長に、低い声。精悍な顔立ちはグラードに似ているようにも感じたが、その目はグラードよりも強い意思を持っているように思えた。
「殿下、馬車からお降り下さい」
「馬車? あれ、僕いつの間に馬車に乗ったの?」
不思議そうにそう言うセスをアンディが抱き上げ馬車から降ろす。その後ろからフィエルティアも降りると、目の前には小さな小屋があった。
その小屋は鬱蒼とした森の中に溶け込むようにあって、藁ぶき屋根に木でできた壁、どこもかしこも壊れかけ古びた様子は、少し怖いような佇まいだった。
「あの小屋に入るの?」
「はい。どうぞ中に」
「えー!? あの中に入るの? ぼろぼろだよ!?」
「セス様、お寒いでしょう? 中の方がきっと温かいですよ」
ルイーズの言葉にしぶしぶ頷き歩きだしたセスだったが、フィエルティアはここも小屋の中もそれほど気温は変わらないような気がした。
なにせ近付いてみると、壁に使われている木は明らかに隙間がある。あれでは隙間風が入り放題だろう。
古びた木の扉を開け中に入ると、室内は驚くほど綺麗に整えられていた。入ってすぐの土間は台所のようでかまどと調理スペースがある。置かれているテーブルやイスは古びてはいるが、綺麗に手入れされているようで、埃一つ被っていない。
「すぐにかまどに火を入れますので、少々お待ち下さい」
アンディはそう言うとかまどに向かう。セスも興味があるのか、アンディに付いていった。
フィエルティアはルイーズをイスに座らせると、少し部屋を見て回ろうと歩き回った。
扉を隔てて隣の部屋には大きなベッドとソファセットが置かれている。上に置かれた寝具類もかび臭いようなこともない。
腰高ほどの本棚には本がぎっしり並べられていて、誰かがここで暮らしていたのだと十分に窺い知れた。寝室の隣の狭い部屋には食材が棚にたくさんあって、どれも腐ったりしている様子はない。
外観のぼろぼろな様子とは違い、室内は十分に生活ができるようになっていることに安堵しつつ、フィエルティアはアンディの元へ戻った。
「奥方様、どうぞ温まって下さい」
「ありがとう、アンディ」
かまどにはしっかりと火が焚かれ、すでに室内の温度は上昇しつつある。フィエルティアは笑顔で答えると、火に手をかざした。その手にいつもはある手袋がないことに気付いた。
真っ赤に染まった手を見て、思わず手を引っ込める。
「手袋を……、忘れてきてしまったわ……」
よく考えてみれば、今自分は髪も結っておらず、寝巻きのままだ。着の身着のまま飛び出してきてしまったことに今更気付いた。
「お荷物は多少なりと運んでありますので、後でご確認下さい」
「アンディ、ここは何なの?」
「ここは、何かあった時に使えと先代の王と王妃様に言われていた隠れ家です」
「隠れ家? 何かってどういう意味?」
この事態を国王も王妃も予想していたということだろうか。
「元々は先王が作られた隠れ家だったようですが、少し前に私に管理するように言われて、整えておりました」
アンディは火に薪をくべながら坦々と説明する。フィエルティアはルイーズと一度目を合わせると、もう一度質問をした。
「誰が私たちを襲ったの?」
「それはまだ分かりません……。ただ予想はしていたので、対処は上手くできたと思っております」
「予想? どういうこと?」
「先王は常に私に警戒を怠るなと忠告していました。セス様の呪いがある以上、いつか誰かに攻撃されるかもしれないと」
「そんな……」
アンディの言葉に、フィエルティアは愕然とした。セスの存在は確かに疎まれてはいただろうが、殺されてしまうようなものではないと思っていた。
自分のこともそうだ。悪口を言われたり、酷いことをされたりもしたが、命を脅かされることはさすがにないと思っていた。
「夜中に城内で何かが起き、だいぶ兵士が出て、城中蜂の巣をつついたような騒ぎになったのです」
「それは私も気付いたわ。とても騒がしかったから」
「何が起きたのか調べようと動いていたのですが、その騒ぎに紛れて城の奥を目指す者がいたのです。武装して、明らかに殺気立っていた。人数からいって私だけではどうにもならないと判断し、お二人を城から逃がしました」
アンディはそう言うと火に背を向け、こちらに向き直る。直立で立つアンディに、フィエルティアは真っ直ぐ視線を投げると問い掛けた。
「アンディは誰の差し金だと思ってるの?」
「……国王ではないかと」
「グラード様!? そんな……、そんな訳……。陛下はつい先日私たちの生活を保障してくれたばかりよ? セスのことも心配していたし、兄弟を襲う理由なんてないわ」
フィエルティアはあり得ないときっぱり否定するが、アンディの強張った表情は変わらない。同意が欲しくてルイーズを見ると、アンディと同じ表情で驚いた。
「ルイーズ、まさかあなたもそう思っているの?」
「考えたくもないことですが、セス様は陛下の兄君になります。新たに即位して邪魔になったのかもしれません」
「邪魔だなんて……。即位したのだから、セスを脅威に思うことなんてないでしょう?」
これが王位を争うようなものなら、すでに騒動は起きていただろう。今まで何もなく平穏に即位まで来たのだ、何を恐れることがあるだろうか。
「呪いがいつ解けるかは誰も分からないことです。もし殿下が大人になるようなことがあれば、王座が揺らぐと考えたのかもしれません」
「そんな……」
まったく想像もしていなかったことを言われ、フィエルティアは愕然とした。
今までずっとグラードとセスは仲の良い兄弟だと思っていた。それが腹の底ではそんなことを考えていたのだとすれば悲し過ぎる。
「これは私の単なる推測でしかありません。とにかく何が起こっているのか探らなければ」
「とても危険だと思うけど……、お願いできるかしら」
「もちろんです。ここは森の奥で、街道からも相当離れています。市民や兵士は通常来ない場所で、もちろん旅人なども来ないとは思いますが、あまり外には出ないようにお願いします」
「分かったわ」
「一週間ほどで戻るとは思いますが、食料は念のため節約してお使い下さい」
「ええ」
フィエルティアが素直に頷くと、アンディは肩を落として項垂れた。
「このようなところで本当に申し訳ありません。もっと住みよい場所の方が良いとは思うのですが、安全な場所というのが難しく……」
落ち込むアンディにフィエルティアは笑みを浮かべた。手を伸ばして、握られた拳をポンと叩く。
「そんなこと全然気にしていないわ。ここが先王と王妃様が用意して下さった場所なら、きっと必ず安全なのだろうし、アンディは最善を尽くしているわ」
「奥方様……」
「私たちのためにいつもありがとう。必ず無事に戻ってきてね」
「はい、分かりました」
アンディは静かにそう返事をすると小屋を出ていった。閉ざされた扉を数秒見つめた後、視線を戻すと不安そうなルイーズと視線が合う。
「セスったら、また眠ってしまったのね」
ルイーズの隣に座っていたはずのセスは、いつの間にかルイーズの膝に頭を乗せて眠ってしまっている。
それを見てフィエルティアは大きく溜め息を吐いた。
「フィエル様もお疲れでしょう。一度お休みになってはいかがですか?」
ルイーズが優しく提案してくれる。きっと本当はやることがたくさんあるのだろうが、あまりにも色々とあり過ぎて心も身体も疲れ切っていたフィエルティアは、ありがたくその提案を受け入れることにした。




