第15話 襲撃
グラードの訪問を機に二人の幽閉生活は終わりを迎え、城の表へ出る扉で足止めをくらうこともなくなった。とはいえ、城の奥での生活は変わらず、フィエルティアはグラードに迷惑を掛けないように、セスに表へ出ることは極力しないようにと言い聞かせていた。
そうして3日後の夜、異変が起こった。
セスと二人で眠っていると、静かなはずの城の中が、騒がしくなっていることに気付いた。兵士の足音と声が城の中からも外からも聞こえる。
(なにかしら……)
城の奥まで兵士の荒げた声が聞こえるなんて今までなかったことで、フィエルティアは胸がドキドキしはじめる。
こちらには関係ないのだろうが、城の中で何かが起きているような気がする。
様子を確認した方がいいかもしれないと、フィエルティアが起き上がった時、突然扉が開いてアンディが駆け込んできた。
「奥方様!!」
「どうしたの!? アンディ」
「お逃げ下さい!!」
「え!?」
アンディはベッドに走り寄ると、まだ眠ったままのセスを揺り起こす。
「殿下! 殿下!! お起き下さい!!」
「フィエル様!!」
外套を羽織った姿のルイーズが部屋に飛び込んでくる。険しい表情でベッドに駆け寄ると、手にしていた外套を広げた。
「フィエル様! 急ぎこれを!! 着替えている暇はありません!!」
「え!? なんなの!?」
急かされてベッドから下りたフィエルティアの肩に、ルイーズが慌てて外套を掛ける。
起きないセスに焦れたアンディがセスを抱き上げる。
「私に付いてきて下さい!」
「どういうことなの!?」
「逃げなければ、お二人とも殺されてしまうかもしれない!!」
「ええ!?」
「とにかく今は一刻も早く城から脱出を! 行きます!!」
セスを抱いたまま部屋を出て庭に出るアンディに、フィエルティアは慌てて続く。ルイーズも真っ青な顔で後ろを付いてきた。
庭の木々を抜けて駆けるアンディに必死に付いていく。こちらを気にかけているとはいえ、かなりのスピードに、フィエルティアは背後を振り返るとルイーズに手を伸ばした。
「大丈夫!?」
「はい! なんとか……」
喘ぐように呼吸するルイーズの手を握り、フィエルティアも走り続ける。
外は凍えるほど寒かった。手袋も襟巻もしておらず切るような寒さを感じたが、気にしている暇はなかった。
アンディは庭の奥へと向かう。いつもは絶対に入り込まないような木々が鬱蒼としているところにガサガサと入り込んでいくので不思議に思っていると、古い壁にぶつかった。そこに小さな木戸が隠れるようにあって、フィエルティアは驚いた。
「ここは?」
「秘密の通路です。城の外へ繋がっています。お早く!」
扉をくぐると、中は古びた通路だった。それなりに広いが、行く先は真っ暗だ。フィエルティアは暗闇に怯んでしまうが、アンディはルイーズが通路に入ったのを確認すると、また走り出した。
その必死な形相に、フィエルティアが思っている以上に危険が迫っているのだと感じ、覚悟を決めると走り出した。
「フィ……、フィエル様……、わたくし……、もう……」
手を繋いで走るルイーズが息も絶え絶えに訴えてきて、フィエルティアは足を止めた。
「大丈夫? ルイーズ」
「わたくしは……置いて……いって……下さい……」
「そんなことできる訳ないでしょ!? 頑張って!!」
「奥方様、どうなさいました!?」
こちらが足を止めたのに気付いたアンディが引き返してくる。その音と重なるように、背後から激しい足音が近付いてきた。何個もの灯りも見えて、フィエルティアは息を飲んだ。
「こちらに逃げたぞ! 捕まえろ!!」という兵士の声に竦み上がる。
「……奥方様、殿下を」
まだ眠っているセスを受け取ると、アンディが剣を引き抜く。
「アンディ……」
「この先に扉があります。そこを抜ければ城の外です。馬車を用意してあります」
低い声で言われても反応できない。
「行って下さい」
「だめ……、だめよ……。あなたを置いていけない……」
「すぐ追いつきます。お早く」
近付く足音は複数聞こえる。たった一人で戦える数ではない。
動こうとしないフィエルティアに、アンディは優しく笑い掛けた。
「奥方様、殿下をお守り下さい」
その言葉にフィエルティアはハッとした。抱き上げるセスは、この国の王子だ。こんなところで殺されてはいけない人なのだ。
「分かったわ……。セスは私が守る。必ずアンディも無事で」
「はい!」
「ルイーズ、行くわよ!」
フィエルティアは覚悟を決め走りだした。ルイーズも必死に付いてくる。もう兵士の足音はすぐ後ろに聞こえるほどに近い。
恐怖と焦燥に駆られ、足がもつれそうになりながらも、ただ前に進み続ける。そんな中、背後で剣がぶつかるような音が響いた。
戦っている。それが分かってぞっとした。本当に殺されるかもしれない。アンディの言葉を疑ったわけではないけれど、突然殺されると言われて、信じられる人などそれほどいない。
もしかしたらとほんの微かに期待していたけれど、そんな楽観的な考えはもろくも打ち砕かれた。
「女が逃げたぞ!!」
その声にビクッと身体が跳ねた。それが自分のことを指していることくらい嫌でも分かる。
あまりの恐怖に頭が真っ白になった。ただがむしゃらに走ったが、足はもう限界だった。重いセスを抱いたまま長く走れる訳もなく、あっと思った瞬間、前のめりに転んでいた。
一瞬、セスを潰してしまうと焦って身を捻ると、半身の状態で地面に転がった。
「フィエル様!! セス様!!」
ルイーズが驚いて駆け寄るのと、背後から足音が近付くのは同時だった。
「いたぞ!! 女と子供だ!!」
剣を引き抜いた男二人が声を荒げ走り寄る。
もうだめだと思った瞬間、誰かに強く抱き締められた。
「しっかりしろ! フィー!!」
初めて聞く低い声に驚いて顔を上げると、明らかに20代後半、たぶん実年齢に近い姿になったセスと真っ直ぐに目が合った。
「な!? ど、どこから現れた!?」
こちらに剣を向けていた男二人が、突然現れたように見えたセスの姿に動揺した声を発した。
その瞬間を見逃さず、セスはフィエルティアを抱きしめたまま男を蹴り倒す。
「アンディ!!」
セスが声を上げると、もう一人の男は背後から近付いていたアンディに一撃で倒された。
「ま、まさか、殿下!?」
「アンディ! ルイーズを!! 行くぞ!!」
セスは大きな手でフィエルティアの手を握り締めると走りだす。フィエルティアは足手まといにならないように必至に走った。
通路の先に鉄の扉が見えてくると、アンディが先行して鍵を開け外に飛び出して行く。続いて外に出たフィエルティアは周囲を見渡し、そこが城の裏手側だということに気付いた。
賑やかな商店や貴族たちの屋敷が立ち並ぶ表側とは違う、市民たちの小さな住居がひしめき合う地域は、深夜のこの時間、ひっそりと静まり返っている。
そんな中、道の角から馬車が走り寄ってきた。御者台にはアンディが乗っている。
「お乗り下さい!」
「フィー! ルイーズ!」
セスは馬車の扉を開けると、手を差し伸べる。フィエルティアは疲労でふらふらのルイーズを支え馬車に乗せると、自分もセスの手を取り乗り込んだ。
最後にセスが勢い良く乗り込むと同時に馬車は走り出した。アンディは相当の速さで馬を走らせている。こんなに早く走る馬車に乗ったのは初めてで、ガラガラと車輪が回る音や、時折跳ねるように馬車が揺れるのを驚きながらも、これでどうにか安心できると息を吐いた。
「大丈夫? ルイーズ」
「は、はい……、フィエル様……。こんなに走ったのは初めてで……」
「私もよ。人生で初めてこんなに走ったわ」
まだ肩で息をしているルイーズの背中を優しくさする。窓からの景色はもう城下町を抜け、町の端に来ている。
誰かが追い掛けてくる気配は今のところはない。
「フィエル様、セス様が……」
「え?」
ルイーズに言われ、正面に座ったはずのセスに目を向けると、そこにはクマのぬいぐるみを抱きしめてスヤスヤと眠る5歳のセスが横たわっていた。




