第14話 新国王
国王と王妃の突然の訃報が伝えられて一週間、フィエルティアは二人がもうこの世にいないなんてまったく信じられなかった。
あの後、王太子自ら調査に赴き、馬車や同行した者たちを調べたが、怪しい点は見つからず、結局事故と断定されたとアンディが教えてくれた。
国葬が執り行われることになったが、セスもフィエルティアも参列を許されなかった。あまりの酷い仕打ちにアンディもルイーズも手を尽くしてくれたが、結局王太子まで願いが届いたかどうかすら分からず仕舞いで、その日を迎えてしまった。
フィエルティアは喪服を着ると、セスと手を繋いで庭に出た。城の鐘が鳴り響き、フィエルティアは膝を突いた。
「陛下……、王妃様……」
涙がぽろぽろと頬を伝い落ちる。あの日、旅立ちの挨拶が別れの挨拶になるなんて思ってもみなかった。優しく笑った二人の顔が忘れられない。
物悲しい鐘の音が、悲しみを助長させる。隣に立つセスの手に縋るようにギュッと握り締めると、セスは不思議そうにフィエルティアを見た。
「フィー、どうしたの? お腹痛いの?」
「セス……、あなた……」
5歳の姿のセスはただフィエルティアを心配そうに見ている。
記憶がなくなってしまったのか、それとも5歳だから理解していないのかよく分からないが、セスの様子に悲しみは感じ取れない。
その無邪気な様子が余計にフィエルティアに悲しみを溢れさた。
「大丈夫……、大丈夫よ……」
セスを抱きしめてそう言うが、言葉は嗚咽に掻き消された。
それから3ヶ月の間、喪に服す中、どういう事情かは分からないが、フィエルティアとセスは城の奥から絶対に出ないようにと通達が来て、事実上の幽閉となった。
これからどうなるのかまったく分からない不安の中、フィエルティアの支えはルイーズとアンディだけだった。あまりの不安に一度だけ父親に手紙を書いたが、返答は『今はとにかく指示に従い、喪に服しておくように』ということだけだった。
確かに嫁いだ身で、実父に助けを求めたところでどうにもならないだろう。ましてや王家のことだ、父親が手出しできる訳がない。
返信を読んだ後にそれに気付いたフィエルティアは、自分の愚かさに溜め息が出た。それからは、とにかく辛抱強く生きていくしかないと覚悟を決め、毎日を過ごした。
◇◇◇
それから2ヶ月が過ぎ、少しだけこの閉塞された空気にも慣れた。
日々の生活は、単調に過ぎていく。ただ訪問者の誰もいなくなった城の奥は、セスの楽しそうな声だけが空しく響いた。
「フィエル様、冷えますのでお部屋にお戻りになりませんか?」
「大丈夫よ、ルイーズ。セスとアンディの様子を見ていたいの」
アンディは今まで以上に忙しいだろうに、合間を縫ってセスの相手もしてくれている。
沈みがちなフィエルティアに代わり、セスと遊んでくれるのは本当にありがたかった。
「セス様は、ずっとあのお姿ですわね」
「そうね……。アンディと遊んでいる時は、少しだけ大きくなっていたりしたけど、この頃はもう5歳のままね」
見つめる先で5歳の姿のセスがアンディと走り回っている。以前は剣の稽古のようなことをしていると、自然に10歳程度になったりしていた。勉強などをしていると、それより大きくなったりすることもあったのに、それがパタリとなくなった。
なぜそうなのかは分からないが、セスの中で何かが変わったのは確かだ。とすれば、二人の死をやはりセスは理解しているのかもしれない。
「殿下、そろそろおやつの時間では? ルイーズが呼びに来ておりますよ」
足を止めたアンディがこちらに顔を向け言うと、セスはパッと振り返ってこちらに走り寄った。
「ルイーズ! 今日のおやつはなに!?」
「今日はセス様のお好きなマシュマロパイですよ」
「やったー!」
セスは嬉しそうな声を上げて部屋に走って行く。その後を追ってルイーズも去ると、アンディが近付いてきた。
「奥方様」
「アンディ、忙しいのにありがとう。セスも喜んでいるわ」
「いえ……。奥方様は大丈夫ですか?」
「もう平気。随分心配かけたわね。ごめんなさい」
一時は本当に落ち込みが酷くて、セスの相手もできない時があった。狭い部屋の中でじっとさせられているせいか、セスの癇癪が爆発する時があったが、アンディは我慢強く相手をしてくれた。
「そんな……、謝らないで下さい。当然のことです」
アンディを見上げて微笑むと、笑い返される。優しそうな緑の瞳と、黒髪、上背は高く隣に並ぶといつも見上げた。平凡な顔立ちだが、いつも穏やかでセスを見て目を細めるように笑う姿は、とても好感が持てた。
以前はただセスの護衛としか見ていなかったが、今ではルイーズと共に本当にいてくれて良かったと思える心の支えだ。
「奥方様、あと1ヶ月で喪が明けます。その後、すぐにグラード様の即位の式典があるようです」
「そう……。やはりそうなのね……」
分かり切っていたこととはいえ、新たな時代がまもなく始まる。自分たちは蚊帳の外に置かれたまま。
「私たちはもうこのままなのかしら……」
「申し訳ありません。上に掛け合ってはいるのですが、グラード様に直接お話ができずどうにも……」
「分かってるわ。難しい役割をいつも引き受けてくれてありがとう」
「グラード様も国の内外との調整で、かなりお忙しい様子です。執務室に籠り切りのことも多いようで……」
「そう……」
もはや自分たちのことは新国王になるであろうグラードに決定権が移っている。どうして幽閉のような状態なのか聞きたいのだが、それは未だに叶わずにいる。
この状態が故意的になのか、忙しくこちらにまで気が回らないからなのか、それだけでも知りたいのに、どうにもできず歯痒い思いばかりが募る。
「アンディもお茶を飲んでいって」
「私は大丈夫です。また外で情報を集めて参りますので」
「無茶しなくていいからね。私たちは大丈夫だから」
気遣ってそう言うと、アンディは嬉しそうに頷いてから庭を去って行った。
◇◇◇
静かな年を越し、冬も極まった頃、国王と王妃の喪は明けた。そこから国中は一気にお祝いのムードへと変わった。
新国王の即位は晴天の抜けるような空の元、盛大に行われた。
アンディからの情報では、隣国から客人を招き、7日間お祝いが続くらしい。空には花火が上がり、遠く街の喧騒が城の奥まで届いてくる。
予想通りセスもフィエルティアも即位の式典には呼ばれなかった。祝いの席に呪いを持ち込むなどあり得ないことだと分かっていながらも、心の奥底ではもしかしたらという期待があった。
「花火が綺麗ね、セス」
「よく見えないよ」
庭から見える花火は端だけが少し見えるくらいで、セスはさきほどから口を尖らせるばかりだ。そんなセスを優しく撫でながら抱き寄せる。
「あなたの弟のグラード様が、今日国王になったのよ。皆がそれをお祝いしているの」
「国王? 国王は父上でしょう?」
「……そう、そうだったわね。でも、今日からグラード様が国王なの。だから、今度グラード様に会ったら、“陛下”とお呼びしなくてはいけないわ」
「フィー?」
堪え切れなくて語尾が涙に震えた。グラードが悪い訳じゃない。でも悲しみが消えないまま、新しい国王を祝うことなどできない。
せめてお別れがしたかった。そうすればもう少し気持ちが整理できた気がする。
「お祝いなら、美味しいもの食べられるかなぁ?」
「そうね……、きっと……」
可愛らしく首を傾げるセスを抱きしめ、フィエルティアは涙を拭う。笑顔で頷いてみせると、セスはホッとしたように笑みを返した。
◇◇◇
7日間の祝いが終わると、やっと城の中は静けさを取り戻した。
すべてが雲の上の出来事のように、フィエルティアとセスには触れることもできずに終わったが、それでもどこか城の様子が変わったことは感じ取れた。今までとは違い、どこか活気づいたような雰囲気が城の中に広がっている。
若く活力に満ちた国王の即位に伴い、政治も活気づいているのかもしれない。
「奥方様!」
セスと庭で雪だるまを作っていると、アンディが姿を現した。いつもは見ない険しい顔に気付き、フィエルティアは手を止める。
「どうしたの、アンディ」
「急ぎお耳に入れたいことが」
「セス、ルイーズが部屋にいるから行ってあげて。きっと寂しがっているわ」
「はーい」
柔らかく背中を押すと、セスは素直に返事をして歩きだす。その背中を二人で見送り、部屋に入るのを見届けると視線を合わせた。
「本日、日が暮れてからだとは思いますが、陛下がこちらにいらっしゃいます」
「陛下が!?」
「はい」
ずっと話がしたいと思っていたが、いざその時になるとだいぶ動揺してしまった。
自分は上手く話せるだろうか。グラードと直接話せるのは、自分しかいない。今のこの状況を少しでも改善するために頑張らなくては。
「奥方様、お気を付けください」
「どういう意味?」
「言葉の通りです。警戒を怠りませんように」
「陛下に対して警戒しろと言っているの?」
言葉の意味を捉え兼ねて訊ねると、アンディは深刻な顔で頷く。
「まだはっきりと言えることはありません。ただ嫌な予感がするのです」
「アンディ……、分かったわ。あなたがそう言うなら、気を付けるわ」
何をどう警戒したらいいのかは分からなかったけれど、フィエルティアはしっかり胸に留め夜を待った。
グラードが部屋を訪れたのは、夜10時を過ぎてからだった。すでにセスは眠っていたため、フィエルティアのみが出迎えた。
疲れた顔を見せたグラードにフィエルティアは膝を突く。
「陛下、御即位おめでとうございます。祝辞が遅くなり申し訳ありません」
「いや、こちらこそ、長いこと顔を出さずすまなかった。あまりにも忙しく、どうしても手が回らなかった」
「そうですか……。中へどうぞ。お茶を用意させております」
ソファに座りルイーズがお茶を出すと、グラードは飲み干す勢いでカップを傾けた。
「お食事がまだなら、何か食べる物をご用意しましょうか?」
「ああ、いや、いい。食べる時間もなくてね」
疲れは見えるが穏やかな様子のグラードに、フィエルティアは内心安堵した。昼にアンディから警告されていたが、この様子ならたぶん大丈夫だろう。
「長いこと謹慎のようなことになってすまない。父上と母上が突然亡くなってしまい、君たちの処遇にとても迷ってしまって……」
「そういうことでしたの……」
「兄上のことを知る貴族たちにかなりきつく言われてしまってね。私も心苦しかったがどうしようもなかった。すまなかった」
「謝らないで下さい。難しい判断だったというのは私も分かりますから」
優しい言葉にフィエルティアは笑みを作った。悪意があってこの状況になっていた訳ではないのだと分かっただけで、もうこの3ヶ月は許せる気がした。
「兄上の様子はどうだい?」
「いつもと変わりはありません。両親が亡くなったことも理解しているのかどうか……」
「そうか……。フィエルティアは父上たちから呪いのことで何か聞いているかい?」
「いいえ……。私も何度か聞いてみたりはしたのですが、あまり詳しくは話して下さらなくて……」
フィエルティアの言葉にグラードは深い溜め息を吐くと、視線を落とした。
「呪いは解けないのか……」
「陛下……」
低く呟いた声に、これまで両親が抱えてきた悩みをそのまま引き継ぐ形になったグラードに申し訳なく思った。
やはり自分は、自分たちは迷惑しか掛けられないのだろうか。
「ああ、いや、責めている訳じゃないんだ。二人のことは私なりに納得しているから」
「はい……」
「今日はこれからのことを話そうと思って来たんだ」
「これから?」
「ああ。二人の生活のことなんだが」
絶対に聞こうと思っていたことをグラードの方から切り出してきて、フィエルティアは本当にグラードは自分たちのことを考えてくれていたのだと嬉しく思った。
「父上と母上がそうしたように、私も二人がここに住むことに異議はない。生活の保障はするので、これからも安心してほしい」
「ありがとうございます、陛下」
「いや……。国葬にも即位式典にも呼べず申し訳なかった。若輩ゆえまだまだ老獪な貴族たちの意見を退けることができなくてね」
「お気持ちだけで十分です。お忙しい中、来て頂き本当にありがとうございました」
フィエルティアの感謝の言葉に、グラードは穏やかに微笑み小さく頷いた。




