第13話 別れ
護衛のアンディと剣の稽古の真似事をしている10歳ほどのセスを、庭のベンチに座りながら見ていたフィエルティアは、先日のことを思い出していた。
かくれんぼの途中で姿が見えなくなったセスを探して城の表側に来てしまった時、ばったりラウラに出会った。ケヴィンとも久しぶりに会ってとても心が痛かったけれど、その後のセスの姿にあまりにも驚き、その痛みも吹き飛んでしまった。
(なんだかとっても素敵だったな……)
15歳ほどの少年の姿を間近で見たのは初めてだった。間近で見たセスはとても素敵だった。可愛らしい大きな瞳が、涼やかな目元に変わり、身長も高くなっていて目線が上になるのはなんだかとても新鮮だった。
すんなり伸びた手足に、低い声。手を握られた時は、その手の大きさにドキッとした。
(なんであの時、突然大きくなっていたのかしら……)
セスと暮らすようになって何となく分かったことがある。それはある条件でセスの年齢は変化するということだ。常には5歳程度だが、アンディと剣の稽古のようなことをしている時は10歳ほどに必ずなる。
本を読んでいる時も、少し考えさせられるような深い内容のものだと、それが絵本だとしてもセスの姿は変化した。それでも15歳まで変化することは滅多にないし、持続することは絶対にない。
それらのことを総合すると、たぶんセスは外的な要因に左右されて姿を変化させているということだ。
ということは、あの日、セスを少年にまで成長させる何かがあったということだと、フィエルティアは分析した。
(だからといってそれが何かは未だに分からないんだけどね……)
まだまだセスのことは分からないことだらけだわと溜め息を吐く。
そうして昨日のことを続けて思い出した。突然ラウラが訪問するとルイーズに聞かされて、とても動揺した。
なぜと思う矢先で、少年の姿を見たラウラがここに来る目的を薄々感じた。そうして危機感を覚えた。またラウラに取られてしまうかもしれない。また幸せを壊されてしまうかもしれないと。
ラウラとセスの面会があまり上手くいかなかったことは、セスの様子を見てすぐ分かった。そのことに酷く安堵した。抱きついてくるセスを見て、不安な気持ちが消え、自分を選んでくれた嬉しさで心が温かくなった。
(この気持ちってなにかしら……)
まるでケヴィンの時と同じだった。ラウラに奪われたくない。セスのそばにいたいと強く思った。
セスのことは家族のように考えていた。可愛い弟だと思っていたはずだった。
それなのにこの独占欲のような感情はなんだろう。
「フィー! 皆でおにごっこしようよ!」
ふとセスの声がして顔を上げると、5歳の姿のセスがこちらに手を振っている。フィエルティアは笑顔で手を振り返すと、ゆっくりと立ち上がった。
「誰が鬼をやるの?」
「アンディ!」
フィエルティアは元気なセスの声に微笑みながらそばに寄ると、セスの頭を撫でる。
「アンディが鬼じゃ大変ね」
「僕は捕まらないから大丈夫だよ!」
「あら、私だって捕まらないわ」
アンディが数を数え始めると、セスがキャーッと楽しそうに叫びながら走って行く。その溌剌とした姿に今は悩みは置いておこうと、フィエルティアもドレスの裾を持ち上げて走り出した。
◇◇◇
それから1ヶ月、フィエルティアの心配をよそに何事もなく日々は過ぎていった。
そうして、国王と王妃が部屋を訪れたのは、外交の旅に出る前日だった。
「2週間ほど留守にするから、良い子にしているのよ、セス」
「二人とも行っちゃうの?」
「諸外国の王が集まる会議があるんだよ。寂しいだろうが、我慢するんだぞ」
国王がしょんぼりとするセスの頭を大きな手で撫でる。セスは何か言いたそうだったが、それきり何も話さなかった。
「フィエル、セスをお願いね」
「はい、もちろん。峠ではもう雪が降ったと聞きましたが、大丈夫なのですか?」
「例年よりはだいぶ早く降ったようね。でも大丈夫よ。慣れた道だし」
「そうですか。道中の安全をお祈りしております」
「戻ったら少し時間ができる。皆で離宮にでも行ってゆっくりしよう」
「はい、陛下。さ、セス。ちゃんとご挨拶をしなくては」
フィエルティアの腰に抱きついて顔を伏せていたセスに、フィエルティアは優しく頷く。
セスはおずおずと顔を上げると、への字に曲げた口を開いた。
「早く帰ってきてね、父上、母上」
「もちろんだ。お土産をたくさん持って帰ってくるからな」
「ホント!?」
国王の言葉にパッと表情を変え笑顔になったセスに、国王と王妃は目を合わせて笑った。
「行ってらっしゃいませ、陛下、王妃様」
「ああ、行ってくるよ」
「二人とも、仲良くね」
二人はこうして外交の旅へ出立した。
主のいなくなった城はどこか寂しく、少し気の抜けたような気配に包まれた。国政は国王の代理である王太子のグラードが采配を振るい、滞りなく進んでいる。
セスとフィエルティアの住む城の奥には訪問者がいなくなり、変化のない坦々とした時間が続いた。
◇◇◇
――それから数日後。
庭で元気に動き回るセスと一緒に身体を動かしていると、酷く慌てた様子でアンディが走り込んできた。
肩で息をしているアンディにセスが走り寄る。
「どうしたの? アンディ」
「殿下……、奥方様……」
明らかに様子のおかしいアンディに気付き、フィエルティアの胸に嫌な予感が広がる。
「今、連絡が……。陛下と王妃様を乗せた馬車が……、崖から落ちたと……」
「え……?」
フィエルティアはアンディの顔を見つめたまま、微動だにできなかった。上手く息ができず、言葉が出てこない。
「崖からって……、どういうことだ」
「殿下……」
気付けば目の前にいるセスの身長が伸びていた。12歳ほどの姿のセスが、険しい表情でアンディを睨み付けている。
「まだ詳しい事情は分からないのです。ただ早駆けの言うことには、峠を越えた後、雪が深く馬車が制御できなくなったようだと……」
「無事……、陛下は……、王妃様は……、無事、なのよね?」
フィエルティアが震える声でどうにか訊ねると、アンディは酷く苦しそうな顔をしてこちらを見た。
「残念ながら……」
「嘘……」
低く吐き出した声に、フィエルティアは力が抜けその場に座り込む。
身体が震えて、涙が溢れた。
「そんな馬鹿な……」
「殿下……」
「父上……、母上……」
見上げる先で、セスの握り締めた拳がぶるぶる震えている。俯いた顔はよく見えない。
フィエルティアは上手く動かせない手をどうにか上げると、その手に触れた。
「セス……」
「フィー……」
セスが呟くように名前を呼ぶと、ガクッと膝が崩れた。ぼたぼたと膝の上に涙が落ちる。
フィエルティアは泣きじゃくりながらセスの身体を抱きしめた。
――その日、王太子の命令で直ちに兵士が峠へと救助に向かったが、すでに連絡された通り、そこには崖から引き上げられた国王と王妃の亡骸が横たえられていた。




