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第1話 婚約破棄

「お嬢様、そんな暗い顔はおやめ下さい。今日は婚約発表ではありませんか」


 メイドのクレアの声に、フィエルティアはハッとして伏せていた目を開いた。

 正面の鏡から、心配そうに見つめているクレアに笑顔を向ける。


「ちょっと緊張してるだけよ、大丈夫」

「お城での舞踏会で発表できるなんて、素敵じゃありませんか。今日はとびっきり綺麗にして行きましょうね」


 いつもは選ぶことのない明るい色のドレスを見下ろして口の端を上げる。クレアは櫛を手に取ると髪を梳かし始める。その髪を見つめて、フィエルティアの顔から笑みが消えた。

 フィエルティアの髪は不思議な色をしている。頭皮からしばらくは金色だが、毛先に向かうと燃えるような赤に変色する。それと同じように手足もまた、白い肌は先端に行くほど赤に染まっている。生まれつきのもので痛みなどはないが、その異様な姿は未だに受け入れられない。

 フィエルティアは溜め息を吐いて首を弱く振る。


「できるだけ毛先が隠れるように纏めてね」

「分かっています」


 この容姿のせいでフィエルティアの婚期は遅れに遅れた。伯爵令嬢でありながら、22歳になるまで結婚に中々行きつくことができなかった。誰もがこの赤い色を気味悪がったせいだ。

 それでもやっとそんなフィエルティアを愛してくれる人を見つけた。伯爵家の三男のケヴィン・ブライトは、とても優しくて穏やかな人だった。気弱な所もあるけれど、フィエルティアの容姿を気味悪がることはなかった。


「お化粧も今日は華やかにしましょう。折角ですもの」

「そうした方がいいかな」

「今日は壁の花じゃないのですよ。目立たぬようにしなくてよいのです」


 クレアの優しい声にフィエルティアは笑みを見せて小さく頷く。地味な顔立ちだが、いつも上手に化粧をしてくれて、どうにか見栄え良く整えてくれるクレアには本当に感謝している。

 幼い頃から呪われた子だと陰口を言われてきた。社交界にデビューしてからも、誰にも相手にされずいつも壁に背を預け、柱の陰に隠れていた。遠目にクスクスと笑われたり、明らかな意地悪をされるのが嫌で、いつしか出席もしなくなっていった。

 だから初めて、本当に人生で初めて、明るい場所に立つ気分なのだ。


「さぁ、支度ができました。舞踏会に向かいましょう!」


 クレアの嬉しげな声にフィエルティアは椅子から立ち上がると、今までで一番胸を高鳴らせ城で行われる舞踏会へと向かった。



◇◇◇



 社交界シーズンの始めは城で王妃主催の舞踏会が開かれる。その舞踏会でフィエルティアとケヴィンは婚約を正式に発表する予定だ。

 イグロス王国の主城は華やかな装飾をされ、招かれたたくさんの貴族の者たちで広間は溢れ返っていた。


「フィエル、ケヴィンと一緒にいなさい。折を見て私が皆に発表する」


 隣を歩く父はどこか嬉しそうな顔をしてそう言うと、広間にいる知り合いの方へ歩いて行く。その後ろ姿を見送ってから、フィエルティアは人混みに視線を移した。

 華やかに着飾った女性たちがこちらをちらちら見てクスクス笑っている。いつもだったらその視線に気圧されて、すぐに物陰に隠れていた。けれど今日は胸を張って歩くことができる。

 まだダンスは始まっておらず、皆まちまちに集まっておしゃべりに花を咲かせている。ケヴィンを探して人垣を掻き分けて歩く。これからこの人たちに自分たちのことを発表するかと思うと、いつもとは違う緊張と高揚を感じて胸のドキドキが収まらない。


(ケヴィン……、どこにいるのかしら……)


 生真面目な性格で遅刻などしないケヴィンのことだから、すでに広間のどこかにはいるはずだ。ケヴィンの友人たちの姿があったが、そこにケヴィンの姿はない。

 もしかしたら緊張してどこか隅の方で心を落ち着かせているのかもしれないと、フィエルティアは壁沿いに移動する。

 立ち並ぶ円柱のそばには足を休めるために長椅子が多く設置されている。すでに椅子に空きはなく、恋人同士なのだろう男女が顔を近付けて楽しげに話をしている。

 こんな風に舞踏会で自然に仲が良くなり男女の仲が深まったりもするが、結局フィエルティアはそんなこと一度もすることはなかった。ケヴィンとは父からの紹介だし、会うのはいつもお互いの家ばかりだった。

 色々とつい考えながら歩いていると、やっと柱の陰に立つ見知った後ろ姿を見つけた。


「ケヴィン、お待たせ、」


 明るい声で名前を呼んだフィエルティアは、笑顔を凍り付かせ言葉を途切らせた。

 ケヴィンの前に立っていた女性がその肩に手を触れたと思ったら、顔を近付けてキスをしたのだ。

 あまりのことに声も出せずその場で立ち尽くしていると、こちらに気付いた女性と目が合った。


「あら、フィエルティアじゃない」


 楽しげな声で言ったのは、侯爵令嬢のラウラ・ベルツだった。華やかなサラサラの金髪に空のような水色の瞳を持つラウラは、人形のような美しい顔立ちをしている。自分よりも4つ年下で交流はないが、舞踏会で会うといつもフィエルティアを見下す発言をぶつけてくる。高い声で嫌味を言って鼻で笑うその態度が本当に嫌いで、目さえ合わせたくなかったけれど、今日はそれはできなかった。


「ラウラ……、あなた……、どうして……」

「フィエル! 君……」


 ラウラの声に弾かれるように振り返ったケヴィンは、フィエルティアと目が合うと、怯えたような戸惑いの表情を浮かべた。


「ケヴィン……、どういう……、こと?」

「どういうって、見れば分かるじゃない。ケヴィンと私は恋人同士なのよ」

「嘘よ!」


 ケヴィンが答える代わりにラウラが笑って答える。フィエルティアが激しく否定すると、一瞬周囲のざわめきが静まる。

 動揺するフィエルティアとは違い、余裕の笑みを浮かべたままラウラはケヴィンの腕に自身の腕を絡めた。


「嘘じゃないわ。あなたこそどういうつもり?」

「嘘……、嘘よ……。だって私たち……、今日婚約を発表……」


 震える声でケヴィンを強く見つめ訴えるが、ケヴィンは視線を外したまま目を合わせようとしない。


「婚約? そんな訳ないじゃない。ケヴィンは私と婚約するのよ。呪われているあなたが婚約できる訳ないでしょ」

「わ、私……、呪われてなんていない……。ケヴィン、約束したじゃない。今日、婚約発表するって……」

「呪われていないですって? よくそんな嘘が言えたものね」


 そう言うが早いか、ラウラはこちらに手を伸ばして肘までを隠した長手袋を掴んだ。


「やめて!!」


 今まで手を出されたことなんてなかったから、咄嗟に反応できなかった。声を上げただけで硬直していたフィエルティアの腕から、あっという間に長手袋が脱がされてしまう。

 露わになった赤い手を見て周囲が明らかにざわめく。衆目を集めていることに羞恥と恐怖を感じ、ラウラに対する怒りよりもここから逃げ出したい気持ちが膨れ上がる。


「か、返して……」


 フィエルティアが弱く訴えるが、ラウラは楽しげに長手袋を握り締めたまま笑うだけだ。


「ラウラ、返してあげなよ」

「ケヴィン、あなた知ってる? フィエルティアは足の先まで真っ赤なのよ。髪だって上手く隠しているけど、ほら!」


 ラウラはそう言うと、手を隠すことばかりに頭がいっていたフィエルティアの隙をついて、髪を掴んだ。

 綺麗に纏められていた髪が引っ張られて、崩れた髪から毛先が見えてしまう。

 あまりのことに立ち尽くすフィエルティアに、ラウラはクスクスと笑いながら長手袋を放り投げた。


「あなたのその異様な姿が呪いじゃなくてなんだっていうの? そんなあなたが結婚すればケヴィンの立場が悪くなるのよ。ブライト伯爵家だって呪われた血を受け入れる訳ないわ」

「それは……、だって……」


 ケヴィンも伯爵家もそれは納得してくれていたはずだ。だから婚約発表まで来たのだから。

 けれどラウラに言われてしまうと、自信を持って言えない自分がいる。本当は心の底でずっと思っていた。こんな自分が嫁いだら、ケヴィンに迷惑が掛かるんじゃないかと。


「フィエル……、ごめん……」

「ケヴィン……」


 顔を背けたまま弱い声で呟くように言ったケヴィンの横顔を見つめ、フィエルティアはそれ以上何も言えなかった。

 周囲がひそひそと何かを話している。小さな笑い声も聞こえてフィエルティアはもうその場にいられなかった。髪もぼろぼろのまま、長手袋を拾うこともできず踵を返して走り出す。

 人垣を掻き分けるように走ると、父が驚いた顔をして声を掛けてきたが、足を止めることはできず大広間を飛び出した。

 涙で滲む視界の中、ただ闇雲に走り続ける。城には何度かしか来たことがないため、どちらに向かっているのかも分からない。ただただ人がいない場所を探して進むと、大広間からだいぶ離れた頃に小さな庭を見つけた。

 ひっそりと静まり返る庭にはランプの灯りは点されているが、人の気配はない。

 フィエルティアは荒い呼吸を整えながら庭に入ると、木の陰に座り込んだ。


「どうしてこんなことに……」


 ほんの少し前まで、自分は幸せを掴めると信じていた。このまま幸せになれると思っていた。それなのに今自分は、ぼろぼろの姿で絶望を胸に抱えて座り込んでいる。

 涙が溢れて両手で顔を覆う。


「ケヴィン……」


 こんな風に裏切られるなんて思わなかった。優しいケヴィンとなら静かな暮らしが送れると思っていた。華やかな貴族の暮らしなんて望まない。ただひっそりと互いを愛して思いやって暮らしていければそれで良かったのに。

 後から後から涙が溢れる。呪われていると言われ続けて、それでもいつかは幸せになれると信じていた。

 それから長い時間泣き続けていると、背後から足音が聞こえた。父が探しに来たのかもとゆっくりと顔を上げると、突然小さな男の子が顔を覗き込んできた。


「お姉ちゃん、泣いてるの?」


 大きな目を見開いた5歳ほどの男の子は、愛らしい顔で首を傾げる。ふわふわの茶色の髪と青い瞳が天使のようでフィエルティアはぼんやりと男の子を見つめた。

新連載です。よろしくお願いします!

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