夏の始まり
ゴールデンウィークも後半に差し掛かった5月4日、その日烏丸周は右手に飯縄、左手にキャリーバックを引いて鳥居の前に立っていた。
ここは文京区に在る白山神社、高校の友達、白山菊理の正体である菊理姫命を祀る白山神社の分社の1つ。
今日周は、人生初の「友達の家にお泊まり」をするために、高尾の山から降りて来た。
鳥居の前で立ち尽くしてるのは緊張を沈めるために深呼吸を繰り返していたからだ。
「すぅー...はぁ...すぅー...はぁ...」
「あっちゃん、行かないの?」
何度も深呼吸を繰り返す周に、とうとう飯縄が痺れを切らして見上げた。
「う、うん、い、い、行こうか」
自分でも何に対してテンパってるのか分からない周がキャリーバックと飯縄の手を引いて歩き出した。
境内は、鳥居から本殿に向かって真っ直ぐ参道が延びており、その両脇を外部から隠す様に背の高い木が並んでいる。
周辺は昔ながらの住宅街でそれ程高い建物も建っておらず、近所に在る大学のビル以外林の上の空は広かった。
地元の高尾神社の賑わいに慣れている周には、参拝者の少なく見える白山神社の景色が逆に新鮮に見えると共に、厳かな雰囲気も漂っていた。
パンッ!!パンッ!
ペチッ!ペチッ!
本殿の前に並んだ2人が合わせて柏手を打つ。
菊理が生活している庫裏に直接行っても問題無いと思うが、人の家に勝手に入るみたいでちょっと気が引けた。
「なむなむ...」
「くーくーりーちゃーん、あーそーぼー!!」
一生懸命拝んでいる飯縄の横で、周が大声を上げて呼ばわる。
「はぁーい」
反応は思いの外早く、本殿の襖の裏から菊理がひょっこり顔を出した。
「おはよ」
片手を上げて笑顔を見せる周に菊理も笑顔で頷く。
「おはよう、いらっしゃい。さぁ上がって?」
短い散弾の階段の上から菊理が手招きをする。
「こ、ここから上がって良い物なの?」
賽銭箱の脇を通って上がってこいと言う菊理に、周が尋ねる。
「ん?何か変かな?」
何を訊かれたのか分からない菊理は首を傾げた。
「ここは神様の通り道だろ?私達が通るとバチが当たりそうじゃん?」
「あぁ、そういうの気にします?別にバチなんて当てないけど...じゃあちょっと面倒だけど裏に回って?今鍵開けるから」
そう言うと菊理は襖の裏に引っ込んで、足音と共に建物の奥に消えていった。
菊理に言われた通り社殿の裏へまわり、住宅の玄関へ辿り着くと、彼女と座敷童の幸が出迎えてくれた。
「あ!幸ちゃーん」
飯縄は手を振りながら走り出そうとするのを周が繋いだ手を引っ張って止める。
少し日陰になった玄関で再び挨拶を交わす。
「飯縄ちゃんは今日も元気だね」
「うん!」
「飯縄も一緒にお泊まりして大丈夫?」
「もちろん!それに、置いて来たら大変でしょ?」
「まぁね」
少し照れ臭そうに周が答える。
「こんな所で立ち話もなんだから上がって」
「うん、お邪魔します」
「おじゃましまーす」
「はい、どうぞ」
「どうぞぉ」
玄関をくぐった周と飯縄を先に框に上がった菊理と幸が迎え、居間へ案内した。
「お茶淹れて来るから適当に座っててね」
「うん、ありがとう」
菊理に借りた雑巾でキャリーバックのキャスターを拭きながら周が答えると、幸の服に気が付いた。
「あ、それ着てくれてるんだ?似合うよ」
数日前にあげた服を着てくれてるのが嬉しかったし、本当に似合っていた。
「うん、えへへ」
あまり口数が多くない幸が照れ笑いを浮かべてモジモジしている。
「今日も持って来たよ」
「ホントに!?」
テーブルを飛び越えそうな勢いで手をついて瞳を輝かせて幸が言う。
「何の話ぃ?」
人数分のグラスと麦茶のポットをお盆に載せて菊理が今に入って来て尋ねる。
「幸の服。沢山持って来たよって」
周は親指でキャリーバックを指した。
「ありがとう、助かるよ」
グラスに麦茶を注ぎながら菊理が礼を言うと、続いて幸もペコりと頭を下げた。
それから小一時間ほど幸にあげる服を出して小さなファッションショーをしたり、何でもない様なお喋りをしてそしていると菊理が時計に目をやった。
「もうすぐお昼だね」
「ん?あぁ」
「食べてから出掛ける?」
今日菊理の家に遊び来たのは、単にお泊まり会やお下がりを渡すためでは無く、これから出かけるためだった。
「あぁ、遊園地って色々割高なイメージだし、食べてから行こうよ」
そう、周たちは菊理の家から程近い所に在る「東京ドームシティアトラクションズ」に遊びに行く予定でいた。
「へぇ、そうなんだ?リゾート価格ってやつ?」
この神格は何処でそんな俗っぽい言葉を憶えて来たのか腰に手を当てながら首を傾げた。
「まぁ、そんなとこ。そうと決まったら準備しちゃお?手伝うよ」
「うん」
そう言って2人で席を立った。
台所へ向かいながら今日は暑いから麺類にしようとかいう話が尽きない。
少し早めのお昼を済ませた4人が括りの家を出たのは正午を回る頃だった。
昼食時に見ていたワイドショーでは北海道で35度を越える記録的な暑さだと言っていたが、東京は例年通り初夏らしい夏日となっていた。
「ねぇねぇ」
「なぁに?」
「歩くパワースッポトと遊園地なうってTwitter上げていい?」
ネットリテラシーが有るのか無いのかいまいち掴みにくい質問に菊理は、
「私を歩くパワースッポトって呼ばないで...」
と、少し寂しそうに返した。
「じょ、冗談だよ。ちゃんと友達とって書くに決まってんじゃん」
周の少し慌てた感じがより一層分かり辛くさせる。
「うn、それなら...」
そう言うとインカメをインカメを向けて自撮りしようとする周の隣に並んで小さくピースをした。
「はいじゃあ次は飯縄と幸ね」
自撮りを終えた周が、今度はアウトカメラで寄り添う2人をを撮る。
「あっちゃん、みしてぇ?」
飯縄は自分が撮られると必ずその内容を確認したがる。
「ちゃんと可愛く撮れてるから大丈夫だよ。ちょっと待ってて」
周はいつもの事と言った様子で適当にあしらってTwitterへの投稿を済ませてからスマホを飯縄に渡した。
「それより周ちゃん...本当にこれ乗るの?」
腰が引けたように言う菊理が見上げた所には丁度最高高度から落下してくるジェットコースターが黄色い悲鳴を乗せて走り去って行った。
「ん?何?アンタビビってんの?」
「そ、そりゃ怖いよ!」
「神格が高所恐怖症とかマジ草」
「た、高さじゃないよっ!速さだよっ!」
「いや自慢する所じゃねぇし」
周は少し呆れた様子で言った。
「高天原は基本的にゆっくりに出来てるから、あんまり速いのはまだ...」
「慣れだよ慣れ。私が抱えて飛んだのと大して変わらないって」
適当な周の基準に菊理は溜息を吐いた。
「それに今更でしょ?次の次位に順番来るよ?」
「あぁ...うん...」
「くーちゃんファイト!」
「んっファイト」
身長制限で乗れない飯縄と幸も拳を握ってエールを送った。
「はぁ...ガンバるよ」
菊理が溜息混じりで返した。
「う、うーん...」
「大丈夫か?」
日陰になったベンチに座る菊理を入口で配っていた紙の団扇で扇ぎながら周が声を掛ける。
「うーん...もうちょっと休ませてぇ...」
ジェットコースターを降りて10分、降車口近くのベンチに崩れ落ちた菊理が唸る様に返した。
「何か冷たい物でも買ってくるから待ってて?二人共菊理の事宜しくね?」
当たりを見回してから目線を落として飯縄と幸に菊理を任せると周はその場を離れた。
「くーちゃんだいじょうぶ?」
「ん」
飯縄と幸は、周がしていた様に団扇で扇ぎながら尋ねた。
「うん、少し休めば大丈夫だよぉ。ちょっとビックリしただけだから」
心配そうな顔をする2人に向かって笑顔を見せると握っていたハンカチで額を拭った。
その場を離れた周を探すように周囲を見廻すと少し離れた場所に有る自販機でジュースを買って来たのか、手に4本のペットボトルを持って戻って来るのが見えた。
「アクエリとコーラとお茶、どれが良い?」
手に持ったペットボトルを見せながら周が尋ねる。
「ありがとう。アクエリ貰っていい?」
「うん。飯縄と幸は?」
幸はお茶、飯縄はコーラをそれぞれ取って周も残ったコーラのキャップを捻った。
「あっ!お金...いくらだった?」
「え?いいよ別に」
「でも...」
「ん?借りは作りたくないってか?」
からかう様に周が笑いながら言う。
「いや、そうじゃなくてそうじゃなくて...普通より高いから...」
「あぁ、リゾート価格ってやつ?」
「うん...」
「いいっていいって。そんなトコでケチケチすんなよ。一応お役目って言うバイトもやってるしジュース代位じゃ困らないよ」
周は顔の前で手を振りながら言った。
「それよりさ!次何乗る?4人で乗れるのが良いよね?」
「そうだね。アッチの方にも色々有るみたいだよ?」
水分補給して少し元気になった菊理が遊園地の奥の方を指差す。
「もう動けそう?」
青白い顔をしている菊理を見下ろして周が尋ねると、
「うん、もう大丈夫」
と、菊理が答えた。
4人を乗せたゴンドラが丁度天辺に差し掛かったのは日が大分西に傾いた夕方の6時すぎ。
見渡す限りの街並みはイルミネーションの様にキラキラ光輝いていた。
「私、この景色が好きなんだぁ」
周が呟く様に窓の外を見ながら言った。
「綺麗だね」
向かい側に座る菊理も同じ方向を見て返す。
「ウチの山からも遠くに新宿のビル群が見えるんだけど、近くで見るとやっぱり違うね」
「そうなの?気付かなかった」
「この前はまだ早かったからね。この位の時間になると綺麗に見えるんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
菊理が少し驚いた様に言った。
「今度はアンタ達が泊まりにおいでよ」
窓から目線を戻して周が笑う。
菊理もそれに笑顔で頷いた。
連休が明けた5月8日、珍しく朝の通学路で周は菊理を見掛けなかった。
自分が遅刻したのかと思って昇降口で1度スマホを見て時間を確認した。
いつも菊理と登校するより10分も早く到着している。
「あれ?どっかで追い抜いちゃったかな?」
あんな綺麗な葦毛を見落とす筈無いんだけどなと、首を傾げながら教室に向かった。
「おはよー周。...アレ?今日は一人?」
自分の前の席に座る日和に不思議そうな顔をされる。
それ位に周と菊理は一緒に居る事が当たり前になっていた。
「オハヨ。うん、どっかで追い越しちゃったのかも」
「あんな葦毛見逃す?」
「だよね」
2人が首を捻っていると、話題の菊理が少し遅れて教室に入って来て、それに続く様にすぐ担任も入ってくる。
周達が菊理に声を掛ける間も無くHRが始まった。
周が菊理に声を掛けたのは1時間目が終わった小休憩の時間だった。
「アンタがコンビニで買い物なんて珍しいじゃん」
「う、うん...朝ちょっとバタバタしちゃって...」
ベーコンレタスサンドを齧りながら申し訳なさそうに菊理が言った。
「寝坊って訳じゃ無いよね?何か有った?」
スマホの画面を見ながら周が尋ねる。
周が見ているのはLINEのトーク画面。
今朝もいつも通り菊理から今日の占いが4時半頃受信していた。
「あー、うん...ちょ、ちょっとね...」
菊理が煮え切らない返事をした所で始業のチャイム鳴った。
「まぁ良いけど、何か有ったら言ってよね?」
そう言って周は自席へ戻って行った。
2日に1回位のペースで、朝菊理を見掛けない日々が続いた5月の中旬。
生徒たちの話題は目前に迫った中間試験に集中していた。
試験勉強の進みはどうだ、先輩情報の問題のヤマがどうだと、クラスを見廻しても誰も彼もそんな話をしている中、菊理は1人静かに肩を落としていた。
「何て声掛けたら良いと思う?」
周が日和に相談を持ち掛けたのはそんな内容だった。
「あの子が何で最近元気無いのか周も聞いてないの?」
「だってその話するとすぐ誤魔化そうとするんだもん」
「あんなに分かり易いのに言わないって何?」
「分からないから困ってる」
「ははーん、さては恋したね」
日和が何かを企む様な顔をして菊理を見てニヤリと笑った。
「恋!?菊理が!?まさかぁ」
「別に変な事じゃないでしょ?菊理だってお年頃よ?恋位するわよ」
「うーん...恋ねぇ?」
日和の考えにいまいちピンと来ない。
そもそも神格のお年頃とはいくつの事を言うのか周は首を捻った。
「きっとその相手はコンビニの店員さんなんじゃない?最近急にコンビニで買い物してくる事が増えたじゃない?」
「あー」
言われてみればと言う風に周はポンッと手を打った。
「周達の通学路にコンビニって在る?」
「うん、早稲田通り曲がるトコにセブンが在る」
「きっとそこね。朝のシフトに菊理の想い人が居るのよ。明日の朝にでも見て来てよ」
日和は面白半分で周にたのんだ。
「分かった...」
周も渋々引き受けてその日はその話題は上がらなかった。
結果的に日和の読みは外れたと言って良いだろう。
翌朝立ち寄ったコンビニのレジには初老の男性店員さんと30代位の女性店員さんしか居なかった。
唯一の収穫としてはレジで会計を済ました菊理を見付けた位だ。
「よ!オハヨ」
「あ、おはよう」
今日も順調に落ち込んでいる風の菊理は苦笑いを浮かべて答えた。
「ねぇ、アンタ最近変だよ?」
何て声を掛けるか迷いに迷った結果出たのはそんなストレートな一言だった。
「えっ...あっ...うん...ゴメン」
菊理自身も自覚が有るのか言葉に詰まり、つい謝ってしまった。
「私には言えない事?」
2人で店を出て早稲田通りから曲がった所で周が尋ねる。
「あ、うーん...そういう訳じゃ無いの...」
いちいち言葉に詰まって全然話にならない。
「だったら何よ!」
イラついた周はつい怒鳴ってしまった。
その声に菊理が肩をビクッとさせたのに気付くと周は怒らせた肩を下ろした。
「心配してんだよ...」
「ゴメンね?本当に大した事じゃ無いの」
「なら、尚更話してよ」
「うーん...うん。じゃあ放課後時間貰っても良い?」
菊理が申し訳無さそうに上目遣いで言う。
「それは私だけ?日和達も?」
「周ちゃんだけでお願いします...」
「分かった」
周は頷いて自分にしか話せない話の秘密を理解した。
人の居なくなった放課後、天音は菊理の1つ後ろの席へ腰掛けた。
「それで?悩みって?」
一応周囲を気にしているらしく小声で問い掛ける。
菊理はガバッと身体ごと振り向いて、両目にはうっすら涙を浮かべていた。
それを見た周は相当な事が有るのだろうと少し身構えた。
「誰か平日の昼間、幸ちゃん見ててくれる人いないかなぁ」
育児に疲れた母親の様に机に突っ伏す菊理を見て周は、2年前の事を思い出した。
「あぁね」
溜息と笑い半々と言った返事をすると、
「誰か居ない?居たら紹介して?」
と、本気で泣きが入った様子で訴えてきた。
さっきはつい笑ってしまったけど、結構切実な悩みだと言う事は周も理解している。
事実、自分も隠れ家で飯縄を育てようとして大惨事になっていた事を思い出すと、とても他人事とは思えない。
そんな友達の相談に、
「任せろ!」
と、胸を張って返事した事に頭を悩ませながら人の少ない登りのケーブルカーに乗ると、いつもの親子狐が目に留まった。
ここ数日、何か言いたげに目が合うものの、お互い出方を伺っている状態だったが、今日は最後尾のドアから乗車したが、敢えて先頭に座る親狐の隣に座ってじっと横顔を見つめた。
「あ、あの...何か?」
当然困った顔をする親狐に周は、
「最近ヤケに目が合うじゃない?何か有りなのはソッチの方なんじゃないの?」
何処ぞのヤンキーの様な絡み方をして来る周に親狐は慌ててケーブルカーから降りようとするが丁度発車のベルが鳴り終わりドアが閉まってしまった。
どの道子狐を置いて下車する事も出来なかったのだろう。
登り始める車窓に映る自分の姿を見て溜息を1つ吐くと周の隣に座り直した。
「高尾の天狗様ですよね?」
「そうだけど」
すれ違う下りの電車を追い掛けて子狐が最後尾に走って行くのを目で追ってから周に向かって深く頭を下げた。
「不躾なお願いでは有りますがどなたか使いをお探しの方はいらっしゃらないでしょうか。」
「へ?」
「ご覧の通り私達親子は行く宛も無く毎日ケーブルカーを登り降りしているだけで...それでも息子には広い世界を見せてやりたいと思うのが親の常でございます。そこへ春頃から街の匂いを纏って帰られるあなた様を知り今日こそはと毎日伺っておりました」
「あぁ、そうなんだ」
「街には人の生活に紛れた御子神様も多く在られると聞いております」
「あーね、そんで知ってたら紹介して欲しいって訳か」
「はい...」
周の頭にはずっと菊理の顔が浮かんでいた。
育児ノイローゼ気味で死にそうな顔を思い出すと少し吹き出してしまいそうになる。
「良いよ。丁度そんなん探してる奴知ってるから紹介してあげる」
天狗は見栄っ張りだが嘘は吐かない。
困り事を頼られるのが好きで、世話好きが多い。
それを昔は悪く取られ、子供攫いなどと言われた歴史も有るが、その実夜泣きや迷子を放って置けなかったと言う説が有る。
「それは本当ですか!?」
「おう!天狗は嘘吐かない」
「ありがとうございます」
親狐は1度顔を上げてから更に深く深く頭を下げた。
「まぁでも、いきなりってのもアレだから、ウチで2~3日何が出来るか見てからでも良い?」
「はい。でも...」
親狐は顔を上げて子狐に目をやった。
「行く宛も無いんでしょ?」
「はい...」
「じゃあ決まりね。ウチで少し勉強して行けば良いよ」
「はい。お世話になります」
申し訳なさそうに首を竦める親狐を横目に天音はスマホを取り出した。
「あ、ママ?狐の親子連れて帰っても良い?」
電話の向こうで「はぁ?」だの「何で?」だの言われたのだろう、苦笑いを浮かべた周は、
「菊理に紹介しようと思って、ウチで何が出来るか見たいんだよねぇ」
と、答えていた。
「はーい、今駅だから」
周が電話を切った所でケーブルカーは停止してドアが開いた。
「んじゃ、行こうか」
周は笑顔でホームに降りて行った。
周が親子狐を連れ帰ってから3日後の最初の週末。
周はケーブルカーの駅で人を待っていた。
高尾山口まで迎えに行くと行くと言ったのだが、もうケーブルカーに乗るところだと言われ、こうして山頂駅で到着を待っていた。
「おはよう、周ちゃん」
「おう、オハヨ、菊理」
「ゴメンね?待たせちゃった?」
「いや、全然。むしろ少し早い位」
挨拶を交わし合う。
すぐ隣では飯縄と幸もじゃれあっていた。
「なんか緊張してきたぁ」
「何で?」
「だって、使役する人と会うんだよ?一緒に暮らす人を選ぶんだよ?」
「あーね」
言われてみればと言う感じで周は頷いた。
「でも、大丈夫。良い奴等だよ」
「ん?何人も居るの?」
「あれ?言ってなかったっけ?親子狐だよ?」
「そうなんだぁ」
初めて聞いたとばかりに目を大きくして驚いた。
いや、実際初めて聞かされたので仕方がない。
「でも、小さい子居て大丈夫?」
「あぁ、心配無い。飯縄の子守りが出来る位しっかりした子だから。なぁ?」
飯縄の頭を撫でながら言うと、
「たっくん?」
と、周を見上げて飯縄が笑った。
「そ、たっくんはお兄ちゃんだもんな」
「うん!」
飯縄が嬉しそうに頷いた。
「たっくんって言うの?」
「太一」
「太一君かぁ」
「母親は御代だよ」
「御代さんと太一君ね」
しっかり忘れない様に掌に何度も書いて繰り返し呟き続ける菊理と幸を飯縄の背に乗せて歩き出し、30分程で里の入口に着いた。
週末で神社への参拝者は多いけど参道を外れ、里まで来ると大分静かになる。
急に辺りが静かになった事で菊理がまたソワソワして来た。
「少しは落ち着きなさいよ」
「うーん、やっぱり緊張するよぉ」
「アンタが緊張してたらアイツらも緊張しちゃうよ」
「そ、そっかぁ...うん、そうだね」
そう言って菊理は胸に手を当てて大きく深呼吸を2回した。
「さ。着いたよ。足元気を付けて降りてね」
烏丸宅の前で足を止めた周が飯縄の背の2人に言う。
「うん。飯縄ちゃん、ありがとう」
「ありがとう」
2人が降りると飯縄は子供の姿に戻って笑顔を見せた。
「ただいまー、連れて来たよー」
玄関を潜り家の中へ声を掛ける。
ふつうなら御代なり母親なりが出迎えてくれる筈なのになんの反応も無い。
「あれぇ?聞こえなかったかな?」
そこまで広い家と言う訳では無いので、周の声が聞こえなかったと言うのは考えにくい。
気配は有るので反応が無い事に首を傾げつつも、
「まぁ良いや。上がって上がってぇ」
人数分のスリッパを出して出して菊理達を招き入れた。
「お邪魔します」
「おじゃましまーす」
出されたスリッパを履いて周に続く。
周を先頭に4人で廊下を進み、リビングに入った所で、
「ウォッ!」
と、周は驚きの声を上げた。
「どうしたの?」
周の背中からひょっこり顔を出した菊理が尋ねて、周の視線を追った。
そこには2人の親子がきちんと正座をして、三つ指を着いて頭を下げているのが見えた。
「お帰りなさいませ」
「居るなら返事位してよ。ビックリしたじゃん」
「失礼致しました。どの様にお迎えするべきか悩んだ挙句この様な姿勢に落ち着きまして」
「ママは?」
「奥様でしたら会合が有るとの事で、少し前にお出掛けになりました」
「ふーん」
菊理が来ると聞いて喜んでいたのに出掛けてしまったのかと部屋の中を見廻した。
「あなたが御代さんですか?」
周の背後から出て来た菊理が頭を下げたままの御代に声を掛けた。
「はい」
御代は畏まったまま短く返事をする。
この間太一の方は一言も口を開かず平伏している。
「あのぉ」
菊理は御代達の前に両膝を着いた。
「そんなに畏まるの辞めませんか?
「え?」
「堅苦しいと息が詰まっちゃいますよ」
「しかし...」
「これから一緒に暮らすんです。少し肩の力抜いて行きましょう?じゃないと私も頼み事頼み事する時に気を使ってしまいます」
顔を上げた親子に菊理は微笑み掛けた。
どうやらファーストコンタクトは上々に終わったようだ。
「宜しくお願いしますね?」
菊理が握手を求めて右手を出すと、
「はい!不束者ですが、末永く宜しくお願いします」
と、両手で包んで頭を下げた。
夕方菊理が2人を連れ帰るまで色々な約束事や決め事を話し合っていた。
特に時間が掛かったのが、お互いの呼び方だった。
「菊理姫命様とお呼びしようと思いますが」
「長くないですか?」
「御子神様の御名を略すなどバチが当たります」
「そんな事でバチなんて与えませんよ...」
こんなやり取りが何度か続いて最終的には「姫神様」で落ち着いた。
この呼び方でも本人は、
「何か照れ臭いなぁ」
と、少し頬を染めている。
「サクヤちゃんと言い、アンタと言い、神格ってのは神様って呼ばれるのを何で嫌がるんだろうね?」
「木花咲耶姫様は分からないけど、私は、私自身何もしてない気がして、申し訳なくて...」
「その呼び方怒られるよ?」
「えぇ!!で、でもお会いした事も無いのに無理だよぉ」
同じ霊峰を御神体に持つ神同士やはり上下関係が有るらしく、菊理が涙目で訴えてくる。
「そのうち会わせてやるって」
そんな菊理の反応を面白がって周が言う。
「あー...う、うん。そのうちね?」
さすがに無理とも嫌とも言わなかった。
「んで、御代は何て呼ばれたいの?」
「私は御代でも狐でもお好きに呼んで頂ければ」
御代が申し訳なさそうに肩をすぼませて言う。
「じゃあみっちゃんで」
「はい?」
「御代さんは今からみっちゃんと呼ぶ事に決めました。太一君はたっくんって呼ぶね?」
菊理が満足そうに笑っている。
「畏まりました」
「後、その堅苦しい言葉遣いもダメですからね?」
「は、はい...」
「たっくんも宜しくね」
菊理が声を掛けると少し緊張した様子は有ったものの笑顔を見せた。
大丈夫、上手くやって行けるだろうと周は思って見ていた。
「じゃあ2人共元気でね」
山頂駅の改札で見送りながら手を振った。
「誠にお世話になりました。何とお礼をお礼を申し上げれば良いか」
「良いって良いって。たまには顔見に行くからね」
「はい。お待ちしております」
今生の別れでは無いと分かっていても、少しの間一緒に暮らして来た情で胸が熱くなる。
「あ、電車来たみたい」
改札の中を覗いていた菊理が言うと、
「おう、じゃあ気を付けてな」
「うん、周ちゃん、ありがとう。また明日ね」
「うん」
手を振りあってケーブルカーが下がって行くのを見送った。
「たっくんバイバイ?」
飯縄が少し寂しそうに周を見上げた。
「うん」
「じゃあ明日からアタシもガッコ?」
「そうだよ。嫌?」
「ううん。あっちゃんと一緒が良い」
「うん。私もだよ」
飯縄を抱き上げて頬擦りした。
「そう言えばまた可笑しな噂を聞いたよ」
日和がそう言って来たのは中間試験の最終日の放課後だった。
「可笑しな噂?」
「ちょっと前の橋の霧とは別のヤツ」
「へ、へぇ...」
「あれ?興味無し?」
「いや、そういう訳じゃ無いけど」
橋の上の霧の正体、結界に引っ掛かった座敷童の幸を思い出して目線で菊理の姿を探していた。
「今度も新館なんだけど、理科室の前で制服を着た女子を見たんだって」
「女子?...それだけ?」
「それだけって、そんな訳ないじゃない。女子なんて何処にでも居るわよ」
「う、うん...まぁね」
「んで、その女子に声を掛けた先輩が居たらしいんだけど、振り向いたら鬼みたいな顔して泣いてたんだって」
「何それ?新手のイジメか何か?」
「ううん、違うの。何て言うんだっけ?は、般若?」
「あぁ、あの能面の。それが泣いてたと」
「そうそう」
「へぇ...」
物凄く面倒臭そうな感じがして周は溜息を吐いた。
「周って天狗じゃない?」
「うん」
「そう言うのに会った事有るの?」
「そう言うのって妖って事?」
「うん」
なんて答えて良いか少し考えてから、
「有るよ」
と、簡単に答えた。
「やっぱり妖怪って悪さしたりするの?」
「それは、私に喧嘩売ってるの?」
「いやいやいや」
日和が慌てて顔の前で手を振って否定する。
「はぁ...人間と一緒よ。良い奴も居れば悪い奴も居るよ。日和は妖が嫌い?」
周は、少し寂しそうな顔をして日和に尋ねた。
「そっかぁ。そうだよね。周は良い奴だもんね。私は、その般若さんが泣いてるって所が引っ掛かってたの。何か困ってるんじゃ無いかなって」
日和の言葉に周は照れてしまった。
面と向かって良い奴と言われたのは初めてだった。
「日和も良い奴だよ...」
「え?何て?」
「日和は、その般若を助けたいんだね?」
「うん。大したことは出来なけど、困ってるなら助けたい」
「分かった。じゃあ行ってみよう」
周が立ち上がると教室の入口に菊理の姿が見えた。
日直の仕事が終わったらしく、立ち上がった周に真っ直ぐ近寄って来た。
「どうしたの周ちゃん?」
「よし、アンタも一緒に来てよ」
周が日和と菊理の腕を引いて歩き出した。
「まずは日和が話を聞いた先輩の所に行ってみよう。もっとちゃんと話を聞きたい」
「周ちゃん周ちゃん...私全然話に着いて行けてないよ」
腕を引かれながら菊理が訴えてくる。
「ん?まぁそのうち分かるって」
説明するのを面倒臭がって笑って誤魔化した。
先輩から話を聞き終わって戻った教室には数える位の生徒しか居なかった。
その中に隣のクラスの筈の香菜と真衣子の姿も有った。
周と日和の席に座って日和の帰りを待っていたらしい。
「あ、帰って来た。何処行ってたの?」
周達に先に気付いた香菜が声を掛けて来た。
「新館の話聞きに先輩んトコ」
「あぁ、鬼の女の子のヤツ?」
「うん」
「日和もそう言う噂好きだよねぇ」
今度は真依子が呆れた様子で言った。
「好きって言うか...気になるじゃん?」
「何がよ?」
「だ、誰かが困ってるかも知れないって」
「「出た」」
日和の言葉に、香菜と真依子声を揃えた。
「日和は、昔っからそうだよね。誰か困ってると直ぐ首突っ込もうとする」
「う...」
「そのクセ解決出来なくて最後には泣くんだ。毎度毎度振り回される私達の見にもなって欲しいよ」
少し厳しい真依子の言葉に日和は黙って俯いてしまう。
「でも、それが日和の良い所なんだよね。困ってる人を見過ごせない優しさ。私達はそんな日和が好きでずっと一緒に居るんだからね」
香菜が日和の肩にそっと手を置いて笑顔で言った。
「それで先輩は何て?」
「あ、うん。何か詳しくは分からないって」
「何で?」
「顔を見たらその子が走って逃げちゃったんだって。あ、でも、1年生じゃないかって」
日和が苦笑いを浮かべて答えた。
どうやら手を出そうとして日和自身も困っている様子なのが香菜と真依子には分かった。
「ふーん。んで、アンタはその子を探してどうしたいの?」
周にも似たような事を訊かれた。
「困ってるなら...助けたい」
少し言葉に詰まりながら答える日和を周は黙って頷いて見ていた。
「そんな都合良くいつも居るもんかねぇ?」
周達が5人で新館へ向かう途中で真依子が尋ねて来る。
「見付かるまで私は毎日でも通うよ?」
「マジか...」
「でも、こんな大勢で行ったらその子もビックリして逃げちゃうんじゃない?」
「え...あぁ...考えてなかった」
日和は思った事を思ったままやってしまう性格なので相手の気持ちを考えるのが少し苦手だった。
「先に言っておくけど、もし般若だとしたら見付けるのは大変だと思うよ?」
「ん?何で?」
周の言葉に苦笑いをしていた日和が反応した。
「般若ってのは、生霊って言って人の人の怨念だったりが表面化した者なの。もしその子が誰を恨んだりして生霊になってたらもう学校には居ないかも知れない...」
「ん?」
「生霊って、そんなに長い事存在して居られないの。そもそも、あんまり長い事生霊になっていると学校に入って来れなくなっちゃうんだ」
「どうして?」
「学校って一種の結界になってて、邪な者を寄せ付けない作用が有るの」
「邪な者って妖怪とかって事?」
何故か日和が申し訳なさそうに上目遣いで周を見上げた。
「あぁ?言いたい事が有るなら聞こうじゃないか」
日和の視線に周はファイティングポーズで応えながら続ける。
「邪な者ってのは、いわゆる悪魔とか悪霊って言われる闇に傾いたヤツらの事で、私みたいに心が綺麗な妖は結界に弾かれないの」
「自分で綺麗とか行っちゃう所が周だよね」
香菜がゆったりした口調でツッコんで来る。
「良いだろ。自分で言うだけならタダだし。それより問題はその生霊だよ。まだ学校に居られてるのかな?」
「先輩が見たのが連休明けって言ってたよね?」
「うん。2週間前。ギリギリってトコか」
「ギリギリ?」
「生霊になると段々心が邪な方向に引っ張られて行くんだけど、今は丁度その境目位なんじゃないかな?」
「邪な方に傾くと学校に入れなくなっちゃうんだよね?」
「絶対じゃ無いけど入りにくくはなるよ」
周の回答を聞いて日和は「うーん」と顎に手を当てて唸った。
5人が新館に着くと、今日1日授業で使われ無かった建物は人の気配を孕まずにひっそりと佇んでいた。
まだお昼時だと言うのに電気が消えた廊下は、薄暗くてひんやりとした空気が漂っている。
新館に近付く頃から皆の口数が減り、入口の差し掛かる頃には5人の足音だけが静まり返った廊下に響いていた。
5人は黙々と廊下を進み、理科室の在る2階へ昇るべく階段を上がって行く。
階段を上り切り最初に廊下へ出たのは日和だった。
迷うこと無く理科室の在る右方向を向いた。
「居た!」
日和は目的の人物を見付けた喜びと、言い様の無い不安を器用に1つの表情に表して声を上げた。
日和に続いて廊下に出た周も同じ方向を見る。
相手によってはここに居る4人を守る覚悟で居たので正直少し肩透かしを喰らった気持ちで居た。
「なぁんだ生霊じゃ無いじゃん」
「え?」
日和の声に笑顔だけで答えて周は、1人で廊下の壁に背中を預けている少女の方へ歩き出した。
「ねぇ?」
周は歩きながら少女に声を掛けるが反応が無い。
近付くまで気付かなかったがよく見ると無線式のイヤフォンをしているのが見えた。
音楽でも聴いているのか周の声が聞こえていないらしい。
俯いていて髪で少女の表情が見えないが、見た感じ今の所泣いてはいないみたいだ。
周が目の前に立つと初めて俯いた少女はビクッと肩を震わせて周の存在に気付いた。
顔を上げた少女は驚いた顔をしてイヤフォンをしたまま、
「な、何ですか?」
と、怪訝な顔をして言った。
目の前の見知らぬ生徒は耳を指差して微笑んでるだけで何も言わない。
その状況に更に不審に思った少女は少し身構えて周の顔をキッと睨みつけた。
「ちょっとゴメンね?」
聞こえてるか聞こえてないか分からないけど一言断りを入れて少女の片耳に手を伸ばしてイヤフォンを外した。
もちろん少女はビクッと肩を震わせて身体を逸らそうとしたが、背にした壁と右側に立つロッカーに阻まれて周の手から逃げられなかった。
「これで聞こえる?」
イヤフォンを外した手は、それ以上少女に触れること無く下へ降ろされている。
「え?あ、はい...」
少女は自分がイヤフォンをしていた事を忘れていたと言う様に申し訳無さそうに俯いた。
「アンタ、こんなトコで何してんの?」
「え?」
「毎日ここに居るんでしょ?」
「は、はい...」
「変な噂になってるよ?」
周はまだ階段の所で待機している待機している4人に向かって待つ様に手を突き出した。
「変な噂ですか?」
「うん。新館に新しい幽霊が出るって」
「それって私の事なんですか?」
少女はジトっとした目で周を見た。
自分が幽霊扱いされているとは思ってもみなかったらしい。
俯いたまま目だけで見上げる少女の顔は睨んでる様に見えた。
「そうね、最近はアンタの噂が多いらしいよ?」
睨み上げる様な少女の表情にも臆する事無く周は言った。
その周の言葉に少女はハッと顔を上げて問い掛けた。
「最近って事は、その前にも噂は有ったんですよね?」
「え?うん、有ったよ?」
「私は、それを探してるんです」
「...え?」
「着物を着た女の子の霊だと聞いてます」
「あ、あぁ、そうだね」
「それって座敷童だと思うんです」
少女は、口に手を添えて小声で続けた。
「私...幸せになりたいんです」
その時少女が見せた顔は、涙を浮かべた鬼その物だった。
「アンタ...妖だよね?」
周の問い掛けに少女はビクッと肩を震わせると、周を押し退けて逃げ出そうとした。
「待って!私もだから!」
周は押された手を掴むと慌てて自分も妖だという事を告げた。
「あなたも?」
「うん。私は天狗なの。アンタは?」
「私は...鬼娘」
鬼娘と言った少女は少し顔を紅くした。
「幸せになりたいってどういう事?」
「私、鬼だから上手く友達が出来なくて...座敷童が居れば幸せに慣れるって昔聞いた事が有って...」
「鬼だと友達が出来ないの?」
少女の言葉に周が尋ねる。
天狗の自分にも友達が出来ないと言われてる気がした。
「人との接し方が分からないと言うか...」
「何?」
「私の怪力で人に怪我をさせたら嫌だなって思って」
「はぁ?」
周はそんな事かと呆れた。
周もおさないころに同じ様な悩みを持っていた事が有ったが、今の所自分の意思で保と普賢をボコボコにした以外人に怪我をさせた憶えは無い。
「残念だけど座敷童が見付かっても、その悩みは解決しないし、アンタが幸せにもならない。座敷童って言っても私達と同じ妖なの妖なの、出会った所で有るのはせいぜい芸能人に会った位のラッキーだけよ」
少し怯んだ少女に周は畳み掛ける畳み掛ける様に言った。
「そ、そんな...じゃあ私はどうしたら...」
「アンタは何をどうしたのよ」
「え?」
「幸せになりたいって漠然とした願いだけ有って、何がどうなったら幸せかアンタ自身分かってないんじゃない?」
「...」
「アンタの幸せって何よ」
「私は...」
少女は言葉に詰まってまた俯いてしまったが、直ぐ顔を上げて周を見た。
「私は友達を作って毎日楽しく過ごしたいだけ。それが私の今の願い」
決して長くない言葉だが少女は自分の気持ちを吐き出した。
「なんだ、そんな事かよ」
周は少女に微笑んでから4人を手招きして呼んだ。
今迄の話を日和達に話すと真っ先に動き出したのはやっぱり日和だった。
「私は小川日和。よろしく」
周の時に見せた急な距離の詰め方に少女が軽く引いてるいる。
「ゴメンねぇ、この子人との距離の詰め方にクセが有るんだけど悪い奴じゃ無いから良かったら友達になってやってよ」
日和の横から真依子がフォローする。
これも周の時と同じだった。
多分新しい友達が出来る度にこのやり取りをしているのだろう。
「え?あ...は、はい。私は鬼塚桃花です。よろしく」
桃花が自己紹介すると日和が嬉しそうに桃花の右手を取って握手をした。
急な事で驚いた桃花が手を引っ込めようとするが、思いの外しっかりと握られた手は外れる事無く日和ごと引っ張って胸で受け止めた。
着痩せするタイプの桃花の胸で日和が埋もれてる横で菊理だけが何処か冷や汗をかいていた。
「どうしたの菊理」
気付いた周が声を掛けた。
「う、ううん。どうもしないよ?だ、大丈夫」
苦笑いを浮かべて首を降っている
明らかに大丈夫では無さそうだった。
話をして行くと桃花の事が少しづつ分かって来た。
彼女はやはり周達と同じ1年生で、クラスはA組。
周や菊理の居るE組から1番遠い廊下の奥のクラスだった。
入試の成績順でクラス別けがされている訳では無いのに、何故かA組と言う響きだけで頭が良さそうに思えてしまう。
そんな話をする頃には桃花を含めた6人は教室に戻って来ていて、今は周の席を中心に周りの椅子に座って何でもない会話に花を咲かせていた。
教室に戻ってからずっと元気が無かった菊理に、周がツッコんだのはその日の帰り道だった。
校門までは6人で来たが、下落合に住むと言う桃花は西武新宿線を利用する為、日和達と野方駅方向へ帰って行った。
「アンタさっきから何か変だよ?」
「え?そ、そうかな?」
さっきといい、今といい、何かを誤魔化す様に苦笑いを浮かべる菊理。
嘘を付く事が苦手な彼女はやっぱり顔に出てしまう。
「誤魔化すなよ。何か有った?」
日和達と別れた今、何も隠し立てする事も無いと、周は更にツッコんだ。
「...」
菊理は聞こえないフリをして前を真っ直ぐ見つめている。
「ねぇ菊理ってば!」
周が菊理の肩をガッと掴むと菊理は苦笑いではなく困った顔を周に向けた。
「ん?」
「私が...」
「何?」
「私が幸ちゃんを連れて行っちゃたの知ったら、桃花ちゃん怒るんじゃないかな?」
「何で?」
「だって...桃花ちゃんは幸ちゃんを見付けなければ幸せになれないと思ってるんでしょ?でも、もう、学校には幸ちゃんは居ないじゃない...私のせいで」
菊理は自分が幸を引き取った事で桃花の幸せを邪魔してしまった気になって落ち込んでいた。
「なんだ、そんな事かよ」
相手は違うとは言え、同じ返しを1日に2回もするとは周も思っていなかった。
「そんな事?」
そんな事扱いされて菊理は怪訝な顔を天音に向けた。
向けられた周はフンッと鼻で笑った。
「あの子の望みは、幸を見付けることじゃなくて、友達が欲しかっただけだよ」
「う、うん。それは、分かってるんだけど」
「本当に分かってるならそんな事で悩まないと思うけど?」
「分かってるは分かってるんだけど、そんな単純で良いのかな?」
「どういう事?」
「うーん、何て言うのかな...友達が出来ただけじゃ根本的な解決にはならない気がするの」
「根本的な解決?」
「うん、桃花ちゃんの悩みって、気を付ければどうにかなる物じゃなかったから今迄悩んで来たんだと思うの。だから友達が出来た今尚更悩みが深くなったんじゃないかなって」
「鬼の力って事?」
「うん」
周は桃花との会話を思い出した。
『私の怪力で人に怪我させたら嫌だなって思って』
周はその言葉をその言葉を自分と同じ種類の物だと勝手に思い込んでいた。
考えてみたら天狗と鬼では力の種類が違う。
天狗の周が少し気を付ければ力を抑える事が出来たとしても、鬼である桃花は力その物が妖としての象徴で、気を付けて抑えられる代物では無いのだ。
「何も無いと良いんだけど」
菊理が縁起でも無いことを言う。
「ちょっと辞めろよ。大丈夫だよ...大丈夫」
周は自分に言い聞かせる様に呟いた。
菊理の様相は見事に的中した。
次の日登校すると、教室には三角巾で左腕を吊った日和が席に座っていた。
「ど、どうしたのそれ!?」
周が恐る恐る尋ねると日和は少し困った顔をして、
「昨日、ちょっとね...」
とだけ言って苦笑いを浮かべた。
周と菊理が事の真相を知ったのは、2時間目が終わった休み時間だった。
授業が終わると直ぐに教室の後方のドアが勢い良くバンッと開いて、血相を変えた桃花が教室に入って来た。
そして、
「本っ当にゴメンなさい!!」
日和の所まで来て深々と頭を下げた。
謝罪に慣れているのか腰から綺麗に90度に曲げた完璧なお辞儀に日和を初め、周りに居た周達も言葉を失った。
何の反応も無い事に不安を憶えた桃花はチラッと顔を上げて日和の様子を伺う。
急な事に驚いた日和は、反応出来ずに呆然としている。
その表情に桃花はどう受け取ったのか、怒っていると思い、綺麗に曲げた腰を1度真っ直ぐに伸ばし、両手を天井に向かって伸ばし、勢い良く両膝を床に着いて上半身を曲げようとした所で日和の右腕に止められた。
「待って!大丈夫だから大丈夫だから!昨日のアレは運の悪い事故だから!いや、むしろ救われたのは私の方だから」
「どゆ事?」
話が見えない周が日和に尋ねる。
日和が語った昨日の出来事はこうだ。
周達と別れた後、4人で野方駅方向へ歩いて行くと、バス通りにバス通りに差し掛かった所で、新しい友達にテンションが上がった日和は、通りに飛び出してしまったらしい。
運が悪かったと言うのは、丁度飛び出した所に野方駅のロータリーに向かうバスが迫って来ていて日和が轢かれそうになり、桃花が慌てて日和の手を引いた。
日和が助かったのは、桃花が日和の手を引いて抱き寄せたからだと言う。
ここまで聞いただけでは何故日和が怪我をしたのかが見えて来ない。
「んで、その怪我は?」
「そ、それは、私が日和さんの腕を引いた時に力を入れ過ぎて、握り潰してしまったんです...私の力が強すぎるばかりに日和さんに怪我をさせてしまいました」
「いや違うよ!桃花が助けてくれなかったら今頃私は死んでたかも知れないんだから」
「私が力の加減を出来ればそんな怪我は...本当にすみませんでした」
桃花は遂に土下座をした。
「や、辞めてよ、恥ずかしいから。わ、分かったから、もう良いから頭を上げてよ、ね?」
謝られた方が申し訳無くなってしまう見事な土下座に日和は慌てて桃花を起こして空いてる席に座らせた。
「周ちゃん、やっぱり...」
「ん?うん...」
菊理が言いたい事が分かった周は、言葉の途中で相槌を打った。
菊理の予想が当たった事に2人は、背中に冷たい物が通るのを感じた。
「ね、ねぇ桃花?アンタ今迄どうやって生活して来たの?」
周の質問に取り敢えず空いてる席に座らせられた桃花は不思議そうな顔をした。
「あー、中学とかで友達居なかったの?」
「周ちゃん!?」
周の余りにもストレート過ぎる言葉に菊理は思わず声を上げる。
しかし、尋ねられた本人はようやく質問の意味が分かったらしく、表情が明るくなった。
「はい、今までは鬼だって言うとあまり人が寄り付いて来なかったので、コレと言って大きな事故は少なかったです。」
「少なかったって事は多少は有ったのね?」
「えぇ。小学生の頃はよく人に怪我をさせてしまって...」
言葉の途中で桃花は、昔の事を思い出したのか表情が暗くなり、尻すぼみになった声と共に肩を落とした。
「私が鬼じゃなきゃ人に迷惑を掛けずに済んだのにって思う事が有り過ぎて昔の事を思い出すとかなり落ち込んじゃうんです...すみません...」
「あー、うん。分かるよ?うん、分かる!わ、私も思い出したく無い事の1つや2つ有るし、今でも悔やんでる事有るけど。ほら!今は私達友達になれたんだし、元気出しなって。ね?」
沈んだ空気を掻き乱す様に周が元気付けると、
「本当に友達になってくれますか?」
桃花が涙目で言ってくる。
「アンタが嫌じゃなきゃ私達はもう友達だと思ってるんだけど?ね、日和」
「もち!!」
周の問に日和は一瞬も迷い無く即答した。
「う、うわぁぁぁぁ」
そのやり取りを見ていた桃花は、声を上げて泣き出した。
「こ、こんなトコで泣かないでぇ、恥ずかしいから」
急に泣き出した桃花を宥める様に日和が頭を撫でながら言う。
「取り敢えず続きは昼休みにしよ。ね?」
「は、はい...グスッ...」
桃花が鼻を啜った所でチャイムが鳴り解散になった。
昼休みになると香菜と真依子に少し遅れて桃花もお弁当を持って現れた。
小休憩が終わる時に、周がお弁当を持って来る様に言わなかったら持って来なかったかも知れないと思う程教室に入って来る桃花はオドオドとしている。
授業中ももしかしたらずっと鼻をグズグズ言わせていたのかも知れない。
近付いて来た桃花の目元と鼻の頭が赤くなっているのが分かる。
「何?アンタずっと泣いてた訳?」
周がからかう様に声を掛けると、桃花は申し訳無さそうに俯いて頷く。
それでも初めて桃花に会った時に見せた般若の顔にはなっていない。
「ふーん、泣いてた割には鬼の姿に戻ってないんだね?」
周の言葉に桃花は思い出した様にスカートのポケットからスマホを取り出して自分の顔を確認した。
「あ...本当ですね...」
自分の顔が人の女の子の顔のままな事に安心した桃花がホッと胸を撫で下ろしながら言った。
「アレじゃ無い?雪女の涙と同じ」
そう言ったのは自分のお弁当を広げた日和だった。
「雪女の涙?」
日和の言葉の意味が掴めない皆を代表して周が尋ねた。
「うん。前にテレビで見たんだけど、雪女の人って悲しいとか辛い時なんかの負の感情の時に流れる涙って凍るけど、嬉しいとか感動とかの時の良い感情の涙は凍らないらしいよ」
「それが桃花とどう関係してるの?」
「ん?だから、今迄は悲しい涙でさっきのは良い涙だったんじゃないかな?良い涙の時は、桃花も鬼に戻らないとか」
そう言うと日和は桃花に微笑んで見せた。
「そう言う物なんですかね?」
「自分の事なのにアンタ分からないの?」
「え、えぇ。あまり経験がないもので。すみません...」
周の言葉に桃花はまた俯いてしまう。
「まぁいいや。んで、私達は友達になった訳なんだけど、アンタの望みはこれで全部叶ったって訳じゃないんでしょ?」
自分のお弁当を箸で突きながら周が尋ねる。
「そ、そうですね。大方叶いはしたんですが、新しい悩みが出来たと言いますか...」
周と菊理が何となく予想していた流れになって来た
「新しい悩みって?」
特に何も予想して無かった日和が尋ねる。
「はい...何て言いますか...自分の力を封印したいと言えば良いのか...」
「封印?」
「はい、咄嗟の時に力が入り過ぎて昨日みたいな事が無い様になりたいなって」
「だから昨日のは事故なんだから気にしなくて良いよ?」
「いえ!そういう事じゃなくて...」
だんだんと勢いが無くなる桃花に、何か言いたい事が有るのを言えずにいる事に気付いた周は、
「簡単に言えばアンタは人間になりたいんだろ?」
少し不機嫌気味に言い放った。
「は、はい...」
「そうなの!?」
ストレートに突かれて肩を落とす桃花と意外と言う驚きを見せる日和
「でも、その願いは叶わないって事は分かってるよね?」
「はい...」
「それは座敷童を見付けても」
「...はい...でも」
「でも?」
桃花の反論に周は首を傾げる。
「でも、出会えたら私、少しは前向きになれる気がするんです」
前向きに。
確かに今の桃花は何事に対してもネガティブで、落ち込み易い性格をしている。
それが改善されるかも知れないと自分で言い出すのは、自分を変えようとしている良い兆候なのかも知れない。
そう思った周は菊理に目で合図して頷いた。
菊理も周の考えている事が分かり頷き返す。
「桃花ちゃんは前向きになったらどう変わると思う?」
菊理が優しい口調で問い掛ける。
「そうですね...自分の力と共存する方法を探すと思います」
「それは今とどう違うの?」
「今の私は、自分を許せなくて、力を捨てたいと思っていますが、前向きになれれば力を抑える方法が見つかる気がします」
「そうなんだぁ」
その後も桃花の夢や、これからしたい事等の話をしながら昼休みは過ぎていった。
「んで、どうするよ?」
周が菊理に尋ねたのは、校門を出て2人きりになってからだった。
「どうするって?」
急に話を振られて何の事か分からないと言う風に菊理が聞き返す。
「桃花の事。幸に会わせるの?」
「あぁ、それの事ね...うん、週末にウチに来てもらおうと思う」
少し不安げに菊理が言う。
桃花は優しい子だと言う事は分かっていても、彼女の望みが自分のせいで断たれた事を知った時に怒るんじゃないかと思うと、胸に不安が込み上げてくる。
怒られるのが怖いのでは無く、怒らせてしまう事に申し訳無い気持ちになっている。
「私も付き合おうか?」
菊理の気持ちを察して周が言う。
「本当に!?」
嬉しそうな笑顔で周を見上げて来る。
余程1人で会うのが不安だったのが手に取るように分かる。
「幸を連れて行ったのは、私も共犯だしね」
「じゃあ今度の日曜日、お願いしても良い?」
「OK!あ、どうせなら土曜の学校終わりにそのまま泊まりに行くよ」
「うん、分かった。みっちゃん達にも伝えておくね」
「うん、よろしく。んじゃ、また明日ね」
中野駅で2人は手を振って別れた。
「鬼である事を辞めるなんて出来ないよなぁ」
周は流れる車窓の風景を眺めながら心の中で独り思った。
特に何が有った訳でも無いが、いつもより早い時間に菊理と別れた今日は、車窓を流れる風景も良く見えた。
そんなイレギュラーな帰り道だったからなのか、八王子駅で意外な人物を出逢った。
「やぁ周、こんな時間に珍しいね?」
開いたドアから乗って来たのは、高校の制服を着た幼馴染みの横田保だった。
「オッス、保っちゃんも今帰り?」
見慣れた顔に周は、片手を上げて笑顔で返した。
「何か悩みでも有るのかい?随分険しい顔してたけど」
保に言われて窓に映る自分の顔を見た。
そんなに深く考え込んでいたのだろうか。
「ちょっと友達の事でね」
「あの神格の子?菊理ちゃんだっけ?」
「いや、アレとは違う。今度は鬼娘なんだ」
「鬼娘!?君の学校は面白いのが集まんだね?」
保が興味津々と言った感じで食い付いてくる。
保の学校には妖も神格も居ないと前に聞いている。
余りの食い付きっぷりに多少引いた周だったが、思い直して保に相談してみようと思った。
「ねぇ保っちゃん。鬼の力を封印する方法とか知らない?」
「はぁ?その友達の鬼娘ちゃんを使役でもするつもり?」
「し、使役って...違うわよ!その子が力の封印を望んでるの」
「自分の力を封印したいって?」
「そうよ!悪い!?」
何だか責められてる様な気になった周はフイっと顔を背けた。
「いや、悪い事は無いんだけど、珍しい子が居たもんだと思ってね」
「それで?知ってるの?知らないの?」
「あぁね?うん、知ってるよ」
「本当に!?」
「知ってるも何も、そもそもは天狗の術の筈だよ?」
「私達の?」
「そう、君達の。どうだい?時間が有るなら帰りにウチに寄ってかない?」
「教えてくれるの?」
「んー、教えるって言い方が合ってるのか微妙だけど...でもそうだね、教えてあげるよ」
保がそう言った所で電車は高尾駅に到着した。
駅を出て国道20号沿いに歩く事5分、相変わらず厳めしい門構えの豪邸の前に着く。
今更その大きさに驚く事も無い周は、保の後に着いて平屋建ての母屋の脇を通って彼の自室代わりに使っている離れに向かう。
「今日はふぅは来ないの?」
周はもう1人の幼馴染みで、同じ天狗の高尾普賢の事を尋ねた。
「アイツももう暇な身分じゃないからね。流石に毎日は来てないよ」
中学の頃は、それはもう毎日、この部屋に入り浸っていた印象が有るがお互いに少し成長したんだと、こんな事で保自身実感した。
「御役目か。そんなに忙しいのかね?相変わらず私が帰るのを毎日の様に駅で待ち伏せしてるけど」
「ストーカー予備軍だね...」
「マジでそんな感じだよ。今の所はまだ忠犬程度だから許してるけどね」
「今度会ったら辞めるように言っとくよ」
「ん?まぁケンカにならない程度にね?...って、それよりさ!」
「まぁ座りなよ」
保は向かい合ったソファーに腰を下ろすと周にも座るように促す。
2人がソファーに座ると、部屋の奥からトレーに2人分のコーヒーを載せた小鬼が、静かに運んで来て2人の前のテーブルに置くと、何も言わずに去って行った。
今コーヒーを運んで来たのは、保が使役している式神の1体で、保自身は他に3体の式神を使役している。
小鬼が運んで来たコーヒーを啜っていると、今度は違う式神が古そうな本を持って近付いてきて、保に渡すと直ぐに居なくなった。
「それは?」
周は保の手に置かれた本を見つめて尋ねる。
「これは高尾の烏天狗に伝わる秘術の古文書だよ」
「あーっ!それ知ってる!昔里で1冊無くなって大騒ぎになったヤツだ!何でアンタがそんなモン持ってんだよ!」
「そうらしいね?これは、昔、ふぅが親父さんとケンカした時に盗んで来たのを僕が預かったんだよ」
「いや、そん時直ぐ返せし」
「ん?ふぅが返すって言い出すまで待とうと思ってね」
「んなの何年前の話だよ。今じゃ誰もその本の事覚えてねぇよ」
「いや、案外ふぅ自身は今も気にしてるらしいよ?たまに本棚から出してこれを見つめてる時が有るからね。今でも返すタイミングを探してるのかも」
「まぁ今更どーでも良いんだけど、その本にさっきの術が載ってるの?」
「そ、ここにね」
そう言うと保は手の中の本をパラパラと捲っていき、目的のページを開いて周に見せた。
「鬼縛り...?」
「そう、鬼縛り。古くは修験者が山での修行の際に調伏した鬼を一時的に使役するのに使っていた術らしい。今では鬼以外にも里で罪を犯した者なんかに掛けるみたいだけど知ってる?」
「あぁ、アレか...」
周は何かを思い出した様に自分の手首を擦りながら言った。
「掛けられた憶えあり?」
「うん、アンタ達ボコった日にパパに掛けられた。何かブレスレットみたいなの着けられた気がするんだけどあれだよねえ?」
周は昔を思い出しながら首を傾げた。
「そうだね、古文書には封冠って書いてあるけど、その応用で腕に着けたんだろうね」
「アレは確かに効くわ...人間の女の子ってこんなに非力なのかって思ったもん」
掛けられた本人だから分かる術の実力に、周は成功を確信した。
「これを私が憶えて掛けてあげれば、あの子の願いは叶うのか」
「まぁ、無理に憶えなくても周が着けられた封環をそのまま着けてあげれば良いんじゃない?」
「あぁ、そっか」
周は納得した様に手をポンッと打って笑った。
「良し!マジ完璧」
「周なら簡単に出来るだろうね。なんたって里始まって以来の天才って言われてる位だし」
「や、辞めろよ。照れるだろ」
保の冷やかしに割と本気で照れる周は頬を紅くして手を振った。
「どうなったか今度話聞かせてね」
「分かった。んじゃありがとう」
そう言って保の部屋を出ようとした時に思い出して振り返る。
「って、その本!早く返すようにふぅに言っておいてね?」
「あぁ、分かった」
その返事を聞いてスッキリしたのか周は笑顔で部屋を出た。
外に出るとすっかり辺りは暗くなっていて、保の部屋に長居していたんだと気付く。
桃花が訪ねて来たのはその週の日曜の午前10時を過ぎた頃だった。
元々午前中と言う約束をしていたので時間の指定は無かったのだが玄関先の桃花は、少し困った様な苦笑いを浮かべながら、
「おはようございます、早すぎましたか?」
と、申し訳無さそうに言った。
「ううん、大丈夫だよ。待ってたよぉ、さぁ上がって」
そんな桃花を優しく迎え入れて菊理は居間へと案内した。
「よ!おはよー」
居間に入ると、まだ寝起きの顔をした周がテーブルに向かって座っていた。
「あ、周さん。おはようございます」
居間の入口で深々とお辞儀をする桃花に菊理は座るように促した。
友達の家がよっぽど珍しいのか桃花は終始キョロキョロして落ち着きが無くなっていた。
「さて今日は、アンタの願いを叶えてあげるって事で呼んだんだけど、何から叶えてあげようかねぇ?」
「何から?」
桃花には願いを叶えて上げるから日曜日に菊理の家に来て欲しいとしか伝えておらず、詳しい内容は教えていなかった。
今2人が叶えて上げられ願いは2つ、どちらから始めるか周は考えていた。
「まずは確認なんだけど、アンタの中で叶えたい望みの優先度が高いのは何?」
「優先度ですか...」
「うん、これは絶対ってやつ」
「そうですねぇ、どれが一番って言うのは分かりませんが、今強く思っているのは力の封印したいって事ですかね?」
桃花は自分の手を見ながら言った。
「そっか、分かった」
桃花の答えを聞いた周は自分の膝をパンッと叩いて立ち上がると居間を出て行った。
「え?」
「大丈夫だから」
突然の周の行動に驚いている桃花を菊理が宥める。
しかし、大丈夫と言われただけでは状況が飲み込めない桃花は、ソワソワと落ち着かなかった。
周が部屋を出て行って軽く15分位経っている。
その間2人の間に会話らしい会話は無く、桃花は1人気まずい雰囲気を感じているが、菊理の方はずっとニコニコしたまま黙ってこっちを見ていた。
「あ、あのぉ」
「ん?なぁに?」
「わ、私は、今何を待っているんでしょうか?」
「あれ?もうそんなに時間経った?」
桃花の問に菊理は、初めて時計を見た。
現在午前10時半過ぎ、桃花はここに来てから何だか分からない時間を30分以上も過ごしていた。
「あぁ、着付けに時間が掛かってるのかもねぇ」
相変わらずニコニコしながら菊理が言う。
「着付け?」
「うん、マンガでも読んで待っててね」
そう言って立ち上がり、押し入れの襖を開けると、中にはキッチリと整頓された本棚にビッシリとマンガや小説が並んでいる。
「桃花ちゃんは、マンガやアニメは好き?」
菊理が顔だけ振り向いて尋ねた。
「え、あ、はい。今迄友達も居なかったので、マンガやアニメばかり見てました」
桃花が申し訳無さそうに肩をすぼめて答えると、
「本当に!?」
と、菊理が今迄見せた事の無い早さで桃花に詰め寄って、その手を握った。
急な事に驚いた桃花は握られた手を見てから菊理の顔を見た。
その顔は今迄見てきた以上にキラキラした瞳で自分を見ている事に気付く。
この時桃花は、菊理の眼差し神々しさを感じ、菊理の後ろに後光が光輝いている様に感じた。
「あ、あのぉ...」
菊理の勢いに軽く引きながらも声を掛ける。
今の状況を周に見られたら要らぬ誤解を招きかねないと思った。
「あ、うん。急にゴメンね?アニメ好きな人が見付かって嬉しくてつい...」
慌てて手を離した菊理が恥ずかしそうに上目遣いで言う。
「ちょっとビックリしただけで...大丈夫です」
それに対して何故か桃花も姿勢を正して恥ずかしそうに返した。
「桃花ちゃんは何系が好き?」
少し落ち着いた菊理はまた立ち上がって押し入れの本棚と向き合った。
「わ、私は、学園モノが好き...です。」
「本当に!?私も好き!憧れちゃうよねぇ」
「はい...あんな青春を送ってみたいです」
「桃花ちゃんのオススメは?」
「え?オススメですか?...ちょっと古いんですが、アオハライドとか何回も読み返してます」
「あー、良いねぇ。アニメは見てた?CHICOさんの歌も良かったよねぇ」
「サブスクで何回も見ましたよ!世界は君に恋してる、私も好きです」
菊理の話を嬉しそうに相槌を打っているうちに桃花は時間の事などすっかり忘れていた。
暫く2人でアニメの話で盛り上がっていると、
「お待たせぇ」
と、廊下の襖が開かれて、周と赤い着物を着た幼女が立っていた。
「お疲れ様。着付け大変だった?」
菊理が周を労った。
「んー、まぁちょっとね」
そう言って周はこめかみ辺りをポリポリと掻いた。
「桃花、待たせて悪かったね。この子の本当の姿で会わせたくてさ」
「その子に...ですか?」
何の事を言ってるのか分からない桃花は首を傾げた。
「そっ!コイツが私達が叶えてあげられる願い、その1だ」
「ん?」
「コイツに会いたかったんだろ?」
周は幸の背中をポンっと軽く押して前に出した。
「え!?その子って...まさか!」
「そう、そのまさかだよ。座敷童だ」
「え!でも何でここに?」
尚も状況が分からない桃花は更にテンパる。
「あー、あのね、桃花ちゃん?」
「は、はい」
背後から急に呼ばれて、勢い良く背筋を伸ばす。
「簡単に言うと、結界に引っ掛かったその子を助けて、ウチで保護する事にしたの」
「うわ、...アンタ、凄い要約したね」
「えっと...保護?」
周の呆れた顔と桃花の不思議そうな顔が菊理を見つめていた。
「いや、ほら、話すと色々長くなじゃん?」
「まぁ良いけどさ」
菊理は極力神格である事を隠しておきたいから敢えて要約したのを、周も了承しているので深くは突っ込まないでいた。
「あ、あの、保護っていうのは?」
「あ、あぁ、それはね?」
菊理は自分が神格である事を隠しながら、家の神社が運気アップの神様だからだとか色々と理由を付けて説明している。
桃花は菊理の説明を聞きながら座敷童を撫でて良いものなのかを悩みながら手を伸ばしたり縮めたりを繰り返していると、
「ペットじゃ無いんだから自分で聞いてみなよ」
と、周に促された。
急に声を掛けられた事に驚いたのか、少しビクッと肩を震わせて頷いた。
「あ、えっと...お名前って有るんですか?」
「幸ちゃんだよ」
菊理が笑顔で答える。
「ゆ、幸ちゃん、頭撫でて良いですか?」
恐る恐る尋ねる桃花に幸は、
「うん!!」
と、元気良く笑顔で頷いた。
その返事を聞いた桃花は、ゆっくりと手を伸ばして壊れ易い物に触る様にそっと幸の頭に手を置いてその柔らかい髪を撫でた。
「えへへへ」
撫で方がくすぐったかったいのか幸は、撫でられながら身体をクネクネさせて笑っている。
「おねぇちゃんは、くーちゃんのお友達?」
幸は頭を撫でられながら器用に首を傾げて尋ねた。
「え、あ、うん...お友...達?」
何故か最後は疑問形になりながら菊理と周を見た。
「そうだよ。私と周ちゃんのお友達の桃花ちゃん。ずっと幸ちゃんに会いたかったんだって」
「へぇー何で?」
「な、何でですか?...幸せになりたかったから...」
「ふーん、幸せって何?」
「え!?難しい質問ですね...」
幼い幸が難しい質問をしたのでは無く、受け取った桃花が難しく考えたのだ。
「幸せって言うのは、嬉しいとか楽しいって事だよ」
菊理が優しく幸に諭している。
「ふーん。じゃあアタシ今幸せだよ!!」
幸が桃花を見上げて笑った。
桃花が満足するまで撫で続けられてホクホクになった幸を飯縄と遊んでおいでと部屋から出した周は、1度深呼吸をして仕切り直した。
「さて、じゃあもう1つの願いを叶えようかね」
妙に年寄り臭い言い方になった事を少し自分で照れながら周は立ち上がった。
幸が出て行った襖の方を名残惜しそうに眺めていた桃花が周を見上げて首を傾げる。
「もう1つ、ですか?」
「そっ!まぁ、こっちがメインだね」
そう言って周は自分の荷物をゴソゴソと掻き回していた。
「メイン...?」
「アンタが今1番叶えたい願いを叶えてあげるって事」
相変わらず何かを探しながら言う周の言葉が半信半疑の桃花は、
「そんな事、出来るんでしょうか?」
と、本音を零した。
「あぁ?出来るから呼んだんだっつうの。私を誰だと思ってんだ?」
「あ、周さん...ですよね?」
「そう!天狗の周さんだぞ」
そう答えると周は荷物の中から2本の輪を取り出した。
それをテーブルに置くと周が説明を始めた。
「良いか?今から始めるのは、私達天狗に伝わる『鬼縛り』って言う封印の術だよ。最近では子供の説教や、暴れてる奴を取り押さえる時にしか使わないんだけど、本来はアンタ達鬼の力を封じて使役するのに使ってたらしい」
「そうすると、私は周さんに使役される事になるんでしょうか?」
使役と言う言葉に桃花が少し怯えている。
「しないしない」
周は顔の前で手を振って否定した。
「元々はそういう類の術だよってだけ。今から私が掛けるのは悪戯防止の発展系で封環を使って力を抑えるだけ」
「ふう、かん?」
「そ、これね?」
さっき取り出した2本の輪を桃花に手渡した。
「これですか」
手に取って見ると2本の輪には、細かい細工がされていて、良く見るとそれが何かの文字だということが分かった。
「それは私が掛けられた時のお下がり。物としてはまだまだ使えるから持って来た」
「周さんも掛けられた事が有るんですね?どんな感じでしたか?」
掛けられた本人の意見が聞けるとあって、桃花は興味津々だった。
「あぁ...忘れもしないよ。最初は箸を持つのもシンドかった...」
周は昔の事を思い出したのか少し項垂れた様に答えた。
「なら効果は期待出来ますね!」
それに対して桃花はワクワクした感じだ。
「ま、まぁ。でも、デメリットも有るからね?」
「はい、何でしょうか」
「多分だけど、その封環は子供用に作って有るから、アンタが本気出したら壊れると思うの。そう簡単に日常生活を送ってる分には大丈夫だけど、例えばブチ切れした時とかはそんなに長く持ち堪えられないと思ってね?」
「は、はい...多分大丈夫です。私今迄切れた事とか有りませんから」
「菊理もそうだけどアンタも底が知れなくて怖いよ...」
「えぇぇぇぇぇ!!」
まさか急にディスられると思って無かった菊理が驚きの声を上げた。
「じゃあそれを踏まえた上で術を掛けるね?準備は良い?」
周が尋ねると、桃花は居住まいを正して、はいと頷いた。
「私は何をすれば良いですか?」
「大丈夫。術はもう組んであるから力を抜いて両手をこっちに預けて」
そう言うと周は桃花の両手首に封環を通して短く呪文を唱えた。
「封!!」
周の声と同時に桃花の両手首に通された封環が淡く光を放ち、みるみる彼女の手首のサイズに縮んで行き、抜けない大きさになると、音も無く光が消えて、何事も無かったかのように桃花の手首にブレスレットが収まっていた。
「終わったの?」
菊理が周に尋ねる。
「うん」
「成功...ですか?」
「私失敗しないから」
桃花の疑問を睨む様に一蹴する。
「桃花ちゃん、どんな感じ?」
菊理の質問に桃花は自分の手を確かめるように動かしながら、
「特に変わった様子は無いんですが...?」
言いながら手にした湯呑みを持ち上げようとした瞬間に変化が起きた。
「重っ!!」
掴んだ湯呑みを持ち上げるのも一苦労と言った様子だ。
「バッチリだね。私に出来る最大限の封印を掛けたから今のアンタはこれまでの小指程度の力しか出せない筈よ?」
「す、凄いです!!これで私も普通の女の子として暮らして行けるんですね!」
桃花は両手で持った湯呑みを見つめてワナワナと震えながら喜んだ。
「まぁ、日常はね?...でもさっきの話は忘れないでよ?切れたら解けるって思ってて」
「分かりました。気を付けます」
「それにしてもビックリです。自分が休日に友達に会っているなんて」
手に持った湯呑みを大事そうに置いて桃花が言った。
「アンタ部活とかやんないの?」
煎餅を齧りながら周が尋ねる。
「私今迄あんなだったじゃないですか...運動部とか絶対迷惑掛けそうだし、手先もあんまり器用じゃ無いので文化部もちょっと...」
桃花はモジモジと申し訳無さそうに答えながら指先をクルクル弄んでいた。
「でも、今なら出来るんじゃない?力を封印して貰ったんだし、やりたい事無いの?」
励ます様に尋ねてくる菊理に桃花は、
「バドミントンやってみたいです...」
恥ずかしそうに俯きながら答えた。
「バドかぁ。良いじゃんやってみなよ?何なら今から皆で試しにやってみる?」
周は菊理に持っているかと言う視線を投げ掛けた。
「あぁ...ウチには無いかなぁ。でも、近くで売ってるのは見た事有るよ」
と、小首を傾げて言った。
「よし、じゃぁ買いに行こう!」
早速行こうと周が立ち上がる。
「え、あ、あぁ...」
自分を置いてどんどん進む話に、桃花はオロオロしながら周達の後を追って行く。
3人がやって来たのは、白山駅前商店街に在る、昔ながらのおもちゃ屋さんだった。
道路側の窓から見える店内は、今も昔も子供達のパラダイスになっていて、高校生になった周達もまた例外無くウキウキしながら店のドアを開けた。
「有ったよォ」
お目当てのバドミントンセットは案外あっさり菊理が見付けて来た。
「おーしじゃあ買って戻るか」
周は手にしたプリキュア変身セットを棚に戻して菊理の下へ向かった。
2人でレジに並んでいると、
「あれ?桃花は?」
桃花の姿が見えずにキョロキョロと辺りを見廻した。
「桃花ぁ?」
「... ... ...」
それ程広く無い店内、少し大きな声で呼べば聞こえる筈なのに返事が無い。
おかしいと思った2人は、会計を済ませると再び店内を見て廻った。
今度の目標は桃花だ。
結局桃花が見付かったのは壁一面に積み上げられたガンプラ売り場だった。
「どしたん?」
「桃花ちゃんガンプラ好きなの?」
2人がそれぞれ問い掛ける。
「え?あ、す、すみません...」
急に声を掛けられて我に返った桃花が謝る。
「プラモ欲しいの?」
再び周が尋ねる。
「あ、いや...弟が居るんですが...」
「ん?」
「弟もやっぱり鬼なので、こう言うのを欲しがって買ってやっても作る時点で壊してしまうんです」
「あぁね」
「でも、今の桃花ちゃんなら作って上げられるんじゃない?」
菊理が微笑みかけて言った。
「はい、そうだと思います...」
その微笑みに桃花は浮かない返事をした。
「ん?何かあんの?」
「いえ、何かって程じゃ無いんですが...」
「何だよ。ハッキリしないなぁ」
グジグジ言ってる桃花に周が声を荒らげた。
「ご、ゴメンなさい。あの、今、弟とケンカをしてて...何て言うか...ねぇ?」
2人に同意を求める様に顔を見たが、2人揃ってさぁ?と、言うような顔をしている。
「ねぇ?と言われても私達ケンカする兄弟が居ないから」
「え!?飯縄ちゃんは?」
「あれは娘だよ」
「あぁ、へぇ」
桃花としては突っ込みたいトコが有ったが、黙って2人のやり取りを聞いていた。
「まぁ居ないから確かな事は言えないけどさぁ、ケンカしたまんまってのもダメでしょ?」
「そう、ですね...」
弟の事を思い出して桃花は力無く答えた。
「じゃあさ、ガンプラプレゼントして仲直りしたら良いんじゃない?」
菊理が積み上げられた箱を選びながら顔だけこちらを向いて笑った。
「そうですね!」
そう言って桃花は箱を1つ抜き出した。
「それもガンダム?」
違いの分からない周が見ても明らかに形が違うロボットの絵につい尋ねてしまった。
「いえ、これはジオングです。ガンダム側の連邦軍に敵対するジオン軍のモビルスーツです」
「って事は、敵役の方?」
周のこの一言がいけなかった。
この後延々とジオンとは何か、ジオン軍の美学やシャアの名言などを聞かされる羽目になった。
周がジオンの話から解放されたのは太陽が西へ傾き始めた午後3時頃だった。
境内で買って来たバドミントンを3人でやっていると、庫裏から御代が3人を呼びに来た。
「姫神様、お茶の準備が出来ました」
「姫神様?」
耳ざとく聞いた訳では無いが、1番近くで御代の声を聞いていたので良く聞こえた。
「菊理さんってお手伝いさんに姫神様って呼ばれてるんですか?」
「あぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ」
菊理の絶叫が境内に響き渡る。
絶叫を上げた菊理は、その後その場で小さく蹲りプルプルと震えて何かをブツブツ呟いていた。
「菊理さん?」
明らかに尋常では無い菊理と、何かを間違えたかと不安そうな顔をした御代を交互に見ながら桃花は首を傾げた。
「姫神様、どうかされましたか?」
また御代が菊理を呼んだ。
「い、いやぁぁぁぁぁぁ!!」
菊理がまた絶叫を上げながら立ち上がると、見た事も無い早さで走って御代の腕を掴むと、
「みっちゃん、ちょっと」
と、言いながら物凄い勢いで御代を引っ張って庫裏の方に消えて行った。
「く、菊理さん、どうしたんでしょうか?」
菊理達が走り去った方を見つめて桃花がまた首を傾げた。
「まぁ、アイツも色々拗らせててね」
周はそう言うまでに留めて肩を竦めながら呆れた顔をした。
「色々...ですか」
「そ、もうちょい人に話せる勇気が有りゃ、アイツも楽になれるんだろうけどねぇ...まぁ、悪い事してる訳じゃ無いから今迄通りに接してやってよ」
「...えぇ、まぁ」
着地点の無い会話が途切れると2人揃って菊理が消えた方向を眺めていた。
紅い顔をした菊理が帰って来たのは、それから10分位してからだった。
戻って来た菊理は何事も無かったかの様に2人に、
「おやつにしない?」
と、笑い掛けると、くるりと後ろを向いていつも通りの早さで歩き出した。
「菊理さん大丈夫ですか?」
悪気なんて一切無く心から心配しているのが分かる分触れられたくない所を触れられる痛みはひとしおだった。
「な、な、何が?だ、だ、大丈夫だよ?うふふ」
変な笑い方をする菊理が大丈夫と言う以上桃花も突っ込んで聞くことはしなかった。
まぁ周から見たら大丈夫じゃ無いんだろうなって事は直ぐに分かった。
居間に戻ると普段着に着替えた幸と飯縄と太一が待っていた。
「あ、あれ?増えてる!」
子供3人を見て桃花が驚いた。
「増えてはいないよ。別室に居たから気付かなかっただけ。」
「そ。こっちの1番小さいのが飯縄。私の娘で、そっちの男の子が太一。お手伝いさんの息子」
周がサラッと説明した。
「む、娘!?さっきも言ってましたが本当なんですか?」
そのサラッとを聞き流せずに桃花が一々反応する。
「うん、昔ウチの山で親とハグれたこの子を拾って育ててるの。ちなみに飯縄は鎌鼬だよ」
と、周が桃花に飯縄の事を説明していると、
「ねぇねぇ、あっちゃん、まーだ?」
と、飯縄が強請るように声を上げた。
「はいはい、分かったよ。はい、桃花も座って」
周に促されて桃花もテーブルに着いた。
「はーい、皆座ったね?じゃあいただきます」
「「いただきます」」
菊理の声に合わせ皆の声が揃った。
「そう言えば、私、幸ちゃんを学校で探してる時、他の野良妖怪に会ったんですよねぇ」
「はぁ?」
「他の...?」
周と菊理が合わせて首を傾げる。
「はい、何か箱の様な物を持った小さな人影でした」
「なんだよそれ」
「分かりません。後を追い掛けたんですが...」
見失ったと言う代わりに首を振った。
「まだ他にも居んのかよ...どうなってんだろあの学校」
周はお茶を啜りながら独りごちた。