混線する記憶
『おかあさま、クラウディアの髪はなぜ黒いの? クラウディアもおかあさまやテレンスにいさまのような、きらきらした色がいい』
『クラウディア、黒髪はお祖母様の色なのよ。お母さまこそ、クラウディアの美しい黒髪が羨ましいわ』
母は私を産んでから何年も体調が戻らず、ずっとベッドの上で過ごしていた。負担にならないよう、私と会う時間も限られていた。
『おいでクラウディア、お母様はお薬の時間だよ』
『テレンスにいさま』
『僕とお外で遊ぼう。昨日の蕾が咲いたそうだよ』
『ほんと?!』
『…テレンス、クラウディアをよろしくね』
『はい、お母様』
テレンス兄様は自分も甘えたい盛りの年頃だったにも拘らず、メイドに任せることなく自ら私の世話をしてくれた。まとわりつく私を厭わず、いつでも真っ直ぐに向き合ってくれた。
私には、いつだって兄様が……
(………夢………いいえ、過去の記憶だわ……)
ベッドから身を起こす。
今のは、クラウディアの子供の頃の記憶だろうか。
いつもは全く実感のわかない「クラウディア」の記憶が、まるで「私」が自分で体験した思い出のように感じた。
肖像画でしか見たことがない筈の母の笑顔も眼差しも、髪を撫でる指先の感覚までもが詳細に思い出せる。
娘に気を使って元気に振舞っていたのだろう。思い出すのは、生気のない真っ白な顔色。母は私を産んだ時に大量に出血し、虚血状態になってから復調することなく、ずっと寝たきりだった。
テレンス兄様は母の体調を伺いながら、私を迎えに来ていたようだ。自分も母との交流の時間が欲しかったのだろうに、母の調子が多少上向いた時は、必ず私と母だけの時間にしてくれていた。
私がそれに気付いたのは母の葬儀の後。家族の肖像画で微笑む母を見上げていて、テレンス兄様とそっくりのその笑顔が、実際にふたつ並んでいるシーンは見たことがないと気付いたのだ。
(……いいえ。……いいえ、違う。気付いたのは「私」ではなく「クラウディア」だわ。兄様から、大切な母との時間を奪ってしまったのが、私の負い目で……。いいえ、いいえ。そう思ったのは「クラウディア」だった……)
私は頭を振って考えを散らした。
できるだけ兄との関係を希薄なものにするとはいえ、家族である以上、全くの無視を決め込むわけにもいかない。
私は部屋に朝食を運ぶか確認に来たメイドに「ダイニングに行きます」と答えた。
食堂に降りると、テレンス兄様が既に着席していた。一番上座にナプキンがないので、父は昨夜も仕事で王宮詰めだったようだ。
「おはよう、クラウディア」
いつものように、テレンス兄様が穏やかな笑顔で声をかけてくる。その表情に隠しきれない寝不足の陰が見えて、私は俯きながら「おはようございます」と返事をした。
今朝の夢を思い出し、私は小さく息を吐く。「クラウディア」らしく、距離をとらねば。
「…テレンス兄様。昨日は言い過ぎました。御免なさい」
「クラウディア…」
「…言葉にするのは、とても難しいのだけれど…。私は今、ひとりきりでじっくり考えなければならないことがあるの。少しの間でいいから、私を放って置いてほしいのよ」
「それは、私にも相談できない事?」
「兄様にも、誰にも」
「…………わかった」
先に朝食を終えた兄様が立ち上がり、私の元へ歩み寄る。
「では、今日は私ひとりで先に出よう。…忘れないで、クラウディア。私は君の味方だ」
私の頭にキスをして、兄様はダイニングを出て行った。