始まる
スッと視界が開けた。
明るくなると同時に、ざわざわと人々の騒めきに包まれる。
自分が誰なのかすら分からなかったのは一瞬。「また何処かにループした」という慣れた感覚に眉をひそめ、状況を把握する為に周囲を見回した。
(何故?…全てのエンディングは終えたはずなのに…)
いつものループと異なり、今の私は攻略対象キャラに対峙していない。
ここは…学院の前庭。門と講堂を繋ぐ、美しい白い石畳の通り。
私は鞄を片手に、噴水を過ぎたところで立ち止まっていた。何人もの制服姿の男女が私を追い抜いて行く。
「クラウディアさま、御機嫌よう。どうかされまして?」
背後から聞き馴染みのある声に呼ばれて振り返ると、友人であるアナベル・モントレオール伯爵令嬢がにこやかに近付いてきた。
「アナベルさま」
「このようなところで、どうかなさいましたの?」
「……いえ…なにか……忘れ物をした気がしたのだけれど、気のせいでしたわ」
「まぁ、ふふ、珍しいこと。ねぇクラウディアさま。私、先ほど面白い噂を耳にしましてよ」
「噂?」
「なんでも、トロイゼル男爵家が突然、市井から養女をとられたとか。私たちと同じ年頃なんですって」
トロイゼル男爵…間違いなく『逆転シンデレラ』の主人公であるリリィ・トロイゼルだ。
有能な看護師だった母親が病で亡くなり、彼女に命を救われた過去を持つトロイゼル男爵が、遺された恩人の娘を引き取った事で、庶民だったリリィは突然貴族となり、国の定めに則って王立学院に通う事になる…ゲームのオープニング部分だ。
すると今は、リリィが学院に編入する前…いつもループするエンディングより、3ヶ月も前に戻ってしまったわけだ。
(どういうこと?)
この頃については、私は知ってはいるが「経験」したことがない。いつもエンディングで記憶が繋がって、初めて「私」になっていたから。
この頃を、ここがゲームの世界だと知っている「私」が過ごしたことは、今まで25回ループした中で一度もないのだ。
(どうしよう…このあたりの流れははっきり覚えてないから「正解の行動」がわからないけれど…クラウディアらしく振舞って乗り切ればいいのかしら)
「同じ年頃であれば、いずれこの学院にいらっしゃるのでしょうね。途中から編入されるとなると、環境も変わる事ですし、大変でしょうね」
「そうですわね、貴族子女は全て学院で過ごさねばならないのですもの。でも学院に通う年齢で貴族社会に飛び込めるのは幸運ですよ。もっとも大切な社交デビューを、学院内で追体験できるのだから」
「クラウディア!」
アナベルと連れ立って廊下を歩いていると、男性の声に呼び止められた。
「……殿下」
陽射しの眩しい廊下で、キラキラと金髪を輝かせているのは、ハインリヒ王子だ。
私の「記憶」では、つい先ほど…広場で私がギロチンにかかる直前に、特設の物見席から忌々しげに見下ろしてきた姿以来。今さっきぶりの再登場である。
咄嗟にどういう顔をして良いかわからず、私は貴族らしい作り笑顔でほんの少し腰を落とし、スカートを摘んだ。
…学院内でのカーテシーは悪目立ちするので、ほんのりと済ませるのがお約束。
ハインリヒは自分から声をかけておきながら、戸惑ったように「ああ、いい、朝だな」と呟きながら俯いた。
主人公が編入してくる前だから、「私」が一度も接した事がない「クラウディアと親しい彼ら」の頃の筈である。
…正直、「疎まれ」慣れしてる私の立場としては、距離感が難しい。
(それにしては、ギクシャクしているわね…)
まぁ、数日以内に手のひら返されるのだから、無理に親しくする必要もないだろう…と、思い直す。
自分の置かれた状況がまだわからないのだから、不敬にならない程度に接しておこう。
私はにっこりと笑顔を貼り付け、「えぇ本当に。遅れてしまうので、ご挨拶だけで失礼いたします」と壁に寄るようにハインリヒの横を通り抜けた。
…それにしても、これはループから外れた事になるのだろうか。
全てのエンディングを越えればループは終わる、というのはそもそも私が勝手に予想していただけだけれど、まさかもっと前の時間に戻されるとは。
今度はゲームの記憶がある「私」が、ゲーム内のライバル令嬢として過ごす事に何か意味でもあるのだろうか。いっそ、ライバル令嬢らしからぬ行動をとってみれば、隠しルートにでも突入するのだろうか。
…いや、もともとクラウディアは主人公リリィをいじめていたわけでも、妨害しようとしたわけでもないのだ。攻略対象の好意が主人公ただ1人にあると強調するためだけに存在する、徹頭徹尾の当て馬キャラなのだから。
クラウディアの行動ではなく、主人公の行動によってエンディングが決まるシステムは変わらないのだろう。
それを変えるにはどうすれば良いのか。
幼馴染み達との優しい思い出を捨てきれず、空気を読まずに心変わりした彼らに縋り付いてしまうのが、クラウディアの「ライバル令嬢」として唯一ともいえるアイデンティティだった。
…なら、そんな思い出など他人事のようにしか思えない今の「私」が、クラウディアに代わってそれを捨ててしまえばいい。
ゲーム本編のクラウディアのように彼らとの関係をなんとか繋ごうとするのではなく、さっさとリリィにバトンタッチするつもりで手放してしまえばいいのだ。
具体的には。
ハインリヒとの間に上がっている婚約話を早急に正当な手続きでお断りし。
なにかと護衛を自称して付き添おうとするエルネストの護衛申し出は今後一切を拒否し。
休みに町歩きを誘ってくるファリオには必要最低限の会話以外には口を利かずに避け。
あまり外出できないアンリエーレはこちらから構いに行かずに関係をフェードアウトし。
テレンス兄様とは家であまり時間をあわせないよう家令やメイドに協力してもらおう。
私はアナベルのおしゃべりに曖昧に相槌を返しながら、とりあえず今後とるべき手立てを頭の中でまとめる。
ゲームの時間軸と大きく外れているわけではないので、今日明日にでも主人公リリィが登場するだろう。
私は彼女には一切関わらず、また彼女と関わろうとする攻略対象たちとは明確に距離をとる。
クラウディアが当て馬ポジションから外れた場合、リリィの行動でエンディングがどうなるかわからないが…通常エンディングは全て体験したのだから、どこかのルートに入ってるならそれはそのときと思うしかない。
…願わくば、もう二度と、ファリオのトゥルーエンドだけは避けたいところだ。