新たな問題
「突き放す方針を固めた翌日に、一層懐かれる」という致命的なミスを犯した私は、再びエルネストから丁寧なエスコートを受けて教室へと戻った。
まだ期間があると思ってた今朝の私め!
戻る際、校舎の窓からこちらを見下ろしているテレンス兄様に気付いたが、あちらは目が合うとニコリと微笑んできただけだった。普段なら、私を見つけた途端に直接乗り込んでくるか、さもなくば声だけでもかけてくる。
(いや普段て。これも「クラウディア」の記憶だな…)
今朝の約束通り、過干渉を控え、見守りの姿勢でいてくれるようだ。
「今日はありがとう」
「いいえ」
別れ際、手を離す前に再び口元に持って行かれそうな気配を察してスッと引っこ抜いたが、エルネストは全く気にしない様子でニコニコしている。
「じゃあまた」
「ええ」
私が背を向けると、教室にいたリリィが入れ違いに「エルネスト様!」と声をかけた。
(ヤバ…見られた)
親しい男性にエスコートされて学舎内を移動するのは公爵令嬢であるクラウディアとしては当然の行動だが、主人公の前では攻略対象と接触しないという今後の方針まで失敗してしまった。
恐る恐るリリィの様子を窺うが、何やら熱心にエルネストに話しかけているらしいストロベリーブロンドの後頭部がみえるだけで、表情はわからない。
話しかけられているエルネストがにこやかに応じているので、特に問題はなさそうだが。
「まぁ、あの方もうエルネスト様ともお知り合いになられたのね」
アナベルが腕を組み、私の席へ来る。
「今朝はテレンス様に声をかけていらしたわ。『昨日転校したばかりで迷ってしまって』~と仰ってたから、思わず私が横から『一緒に行きましょう』とお声掛けしてしまいましたの」
「まぁ、そうだったの」
「どう迷えば生徒会執務室に辿り着くのかしら。私が教職員室に用事があって通り掛かったから良かったものの、常にお忙しくしていらっしゃるテレンス様に、道案内だなどと無粋なお願いをされるなんて…」
リリィの行動が気に入らない様子のアナベルを、「まだ学院に慣れてないのだから、仕方がないのでしょう」とたしなめた。アナベルをはじめとする他の令嬢がリリィを傷付けても、最終的に犯人は私になる仕組みなのだから、自重してもらいたい。
「案内を買って出た私への態度と、テレンス様への態度が全く違うのですから、腹も立ちますわ」
「あら、アナベル様だって、テレンス兄様と私相手では言動も異なるでしょう?」
「それはそうですけど…」
トーンダウンしたアナベルの様子にホッと胸を撫で下ろし、私は机に午後の授業で使用する刺繍具を取り出す。
アナベルも自分の席に戻って行った。
トンと机にほっそりした指先が置かれ、顔を上げると、入口から戻ってきたリリィが人懐こい笑顔を浮かべて立っていた。
「……何か?」
心臓が跳ね上がるのを気取られないように、貴族の微笑みを顔に貼り付ける。
「クラウディア様って、ホント『勝ち組』ですよね!」
「はい?」
(……聞き間違いでなければ、日本語で『勝ち組』と言われた?)
『逆転シンデレラ』の世界は、一応独自の言語文化を持っている。私はこの世界で生まれ育った「クラウディア」としてここにいるので違和感なく言語を使いこなしているが、それでも日本語とは違うということは理解している。
(この女…)
「今、なんて仰ったの?」
コテリと首を傾けると、リリィの眉が僅かに上がる。
「クラウディア様はお家柄といい美貌といい、神様に愛されてますよねって意味です」
「あら、褒めてくださったのね。ありがとう」
照れる素ぶりで頬に手をあてはにかんで見せる。リリィは鼻白んだように「急に失礼しました」と言い残し、席へ戻って行った。
(他人からの『勝ち組』呼ばわりっていうのは、絶対嫌味でしょう!)
モヤモヤしつつも、それよりリリィが日本語を話していたことの方が重要だと思い直す。
初日から感じていた違和感はここに繋がるのだろう。
考えられるのは…私と同じように主人公リリィとしてループしている人間か、または今回初めてこの世界へ参加している人間。
どちらにしろ本来は日本人で、多分『逆転シンデレラ』を知っている人物だ。
となると、今回のループでモブに擬態する作戦は不可能になる。非常に困った事態だ。
敵意がないと示すにも、どうやらゲームの攻略に乗り気な様子の彼女にとって、私が邪魔であることに変わりはないだろう。
(リリィに逃げ道を塞がれないためには、どうすればいいのかしら)
今後、主人公リリィの好感度が上がるに従って掌を返すであろう攻略対象キャラの5人と距離を置きつつ、主人公リリィに一切関わらずに過ごす方法。
(何も考えず、こっそり家出してしまうのが一番良いのかもしれない…)
だとしても、王家に次ぐ身分である「公爵令嬢」がひとりきりになる機会など全くない点が問題になる。屋敷では、私室ですら常に使用人と護衛役がすぐ外に控えてるし、学院内のセキュリティは王宮レベル。
頭の痛い差し迫った事態に、刺繍を刺す針が思わず指先に当たり、私は地味に痛い思いを追加するのだった。




