求婚から…
あまりにも唐突な求婚。猫の僕だって、好きな子ができたら、もうちょっと熱っぽくすると思うよ?
「あの、その、もう少し考えたほうが……」
アイナは動揺して、無意味に手をばたつかせた。
「いや、ずっと考えていた。何年もだ」
ヘクトル王子はちょっとズレてる気がする。
何年も花嫁候補を探していた、っていうのは周知のことだ。
でも、アイナに会ったのも、話したのもごく最近で……。
「結婚したい相手を、頭で考えるからだめなのだとリーフに言われた。
だが、王族が慎重に相手を選ぶのは当然だ」
軟派男なリーフ王子の言うことに、説得力は全くないな。
両手の行き場をなくしているアイナを、ヘクトル王子はまっすぐに見る。
「私は国にとって理想的な人間であろうとした……だが、妻となる人にまでそれを求めなくてもよいのではと……初めて思ったのだ」
アイナは両手をひざに置いて、視線もそちらに向けた。
ヘクトル王子は真剣だ。
でも、アイナがここに来た理由は……。
「フィーネ……あなたの出自を、調べてすらいない」
見透かされたようで、アイナの肩がびくりと少し上がる。
「あなたが何者でもかまわないのだ」
おそるおそる見上げると、ヘクトル王子の顔は少し上気していた。
いつも、感情をどこかに忘れ物してきたみたいな表情だったのに……。
「返事は、くれないのだろうか」
実は王子様と結婚する気なんて全くなくって、魔物の正体を調べるために来たんですよなんて……とても言い出せる雰囲気じゃない。
なのに。
「申し訳ありません。結婚は、できません」
そうだった。アイナもアイナで、バカがつく正直なのだった。
ヘクトル王子は、ひっぱたかれたような表情になる。
前のめりになって、アイナに訊く。
「それは……なぜだ」
きっと国一番の美男子は、女性に拒絶されることに免疫がないのではないか。
「王子が心のままに相手を選ぶとおっしゃるなら……私もそうします」
「想い人がいるというのか」
「……はい」
正直に話すと決めたアイナは、もう下を向いていない。
「何も偽らずに、私が自分のままでいられる人です」
うん、僕のことだな。
「王子がいま見ていらっしゃる私は、私じゃありません」
「そう……か」
ヘクトル王子は、前のめりになっていた体を戻し、そして少しだけ笑った。
「わかった」
アイナはまた、目線を下のほうに向ける。
肝心なことを聞かなくちゃいけない。
結婚をお断りする前に聞いておいたほうが、良かったんじゃないかなって僕は思うのだけど……。
アイナは無駄に誠実だからな。
「不躾ながら、お聞きしたいことがあります」
「なんだ?」
ヘクトル王子の問いは、アイナに向けられたものじゃなかった。
直後、派手な音を立てて部屋の扉が開かれる。
「王子! 魔物が……うわぁああっ!」
扉を開いた兵士をなぎ倒すようにして、黒い魔物の群れが部屋になだれ込んでくる。
さっきと同じ。
魔物の気配は、アズール王子のものだ。
魔物はアイナの横で左右に広がり、ヘクトル王子に襲いかかろうとする。
「だめ!」
魔物が襲いかかるよりも早く、アイナはソファに押し付けるようにして、ヘクトル王子におおいかぶさった。
アイナの上着のすそが、テーブルの上の茶器を引きずり落とす。磁器の割れる音がした。
黒いやつらは、アイナの手前で動きを止めた。
「フィーネ……」
アイナは体を起こして、ヘクトル王子を背にかばう。でも、ヘクトル王子はアイナの肩をつかんで前に出ようとする。
「私をかばう必要はない……見ていろ」
その刹那、魔物とは別の黒い何かが横切った。
魔物たちはちりぢりになり、開いた扉の前に集まり始めていた兵士たちが、ワッと後ずさる。
ヘクトル王子のかたわらで、アイナはそれを見ていた。
「ドラゴン……?」
大きな翼、長く太い尻尾、鋭いかぎ爪。
頭には長い角が生えて、全身が真っ黒なのに、瞳だけは濃い緑色だ。
アイナが文字の勉強をするために読んでいた、子供向けのおとぎ話に出てくる『ドラゴン』と呼ばれるものに、そっくりの形だ。
でも、質感、存在感は、何度も見ている黒い魔物と同じ。
背丈はヘクトル王子と同じくらいだけれど、おっかない雰囲気は充分だ。
「おお……」
「ヘクトル王子の魔法か!」
兵士たちがどよめいた。
ヘクトル王子はアイナの肩を押すようにしてその場に押し留め、自分は魔物のほうへ数歩進んだ。
「アズール、聞こえているのか」
アズール王子は、ヘクトル王子の問いには答えない。
さっきは、アイナに話しかけてきたけれど……。
「魔法とはこう使うものだ。お前の魔物は、いつまでも子供の落書きのようだな」
ドラゴンは、ゆっくりと体をもたげた。
一方で、黒い魔物たちはチリチリと羽をばたつかせながら、また集まり始める。
そして兵士たちは、動揺を鎮めて、剣や槍を手にじわりじわりと距離を詰めてくる。
いったいぜんたい、どういう状況なんだ?
「ヘクトル王子……?」
ヘクトル王子の背中に、アイナは声をかける。
「すまない、兄弟げんかに巻き込んでしまったようだ」
「兄弟?」
「魔物を生んだのは、私の弟、アズールの魔法だ」
すでに、本人に聞いて知っていることだ。
でも、アズール王子は最初だけって言っていた。
「弟の魔法をさらに高度に模倣することなど容易い」
「魔物をまねて、ドラゴンを作ったと?」
「理解が早いな」
「王都に発生している魔物も、アズール王子が……?」
少し、間があった。
「……そうだ」
このやり取りの間に、アズール王子の魔物はその姿を大きく膨らませていた。
ドラゴンと兵士たちに囲まれて、もう一度、ヘクトル王子を襲うのか?
「アズール……王都に引きこもって、私を斃そうなどぬるいぞ」
この言葉に、魔物を通してアズール王子からの声が返ってきた。
『女性を利用しておいて、よくもそのような』
「ようやく応えたと思ったら……言葉が悪いぞ」
ヘクトル王子はまっすぐに立って、右手をはらうように広げた。
同じようにドラゴンも、翼を広げる。
「祖国のために力を借りている」
『ぬけぬけと……』
うなるような、アズール王子の声。でも、魔物は、動かない。
勝ち目がないのは、僕にも感じられた。ヘクトル王子のドラゴンは、凄まじい魔力を持っていたから。
女性を利用、って言ったな。それって……。
「ヘクトル王子」
アイナが手を伸ばして、ヘクトル王子は少し振り返る。
というより、アイナが背中の服をつかんだまま腰を落としたので、引っ張られた形だ。
「どういうことですか……」
「少し、魔力を借りすぎたか」
「え?」
ヘクトル王子は床に崩れ落ちる前にアイナをつかまえ、ソファに座らせた。
「弟の手前、虚勢を張りすぎた。ドラゴンを形づくるのに相当の魔力を使った。あなたの器であれば、すぐに回復するだろう」
おいおい、勝手にアイナの魔力を使ったのか?
立っていられなくなるなんて、相当だ。
「愚弟は帰らせよう」
ドラゴンが動いた。威圧するように、さらに大きく翼を広げる。
「侵入した魔物を駆除せよ!」
武器をかまえていた兵士たちが、アズール王子の魔物に向かう。
魔物と戦ったことはないはずなのに、兵士たちはよく訓練されていた。
王都の騎士たちより、よっぽど強い。
最初こそ初めて戦う敵に戸惑っていた者もいたけれど、徐々に連携を取り始め、次々と黒い魔物を倒していく。
兵士たちが取り逃がしたものは、ドラゴンの爪が捕まえて消し去った。
アイナは座ったまま、その様子をじっと見ていた。
アズール王子の魔物が消されていく。
そいつらは、ヘクトル王子の兵士たちに反撃することはなかった。
どうやら、狙いはヘクトル王子だけのようなのだ。
「王子! これで全てかと!」
「屋敷内を捜索しろ。客人の庭園に結界の穴があるはずだ」
「はっ」
「あと、ここの見張りは不要だ」
伝令の兵士はこわごわとドラゴンを見て、もう一度返礼をすると立ち去った。
部屋には、アイナだけが残った。
「今夜は徹夜だ」
ヘクトル王子が、ぱん、と両手を叩くとドラゴンは消えた。
そいつがいなくなると、妙に部屋が大きく見えた。
騒ぎで調度品がいくつか倒れ、茶器は割れ、さっきヘクトル王子が書きつけていた書類もあちこちに散っている。
ヘクトル王子はアイナを見る。
「あなたは隣の寝室で休むといい。ずいぶんと驚かせてしまった」
「いいえ、ヘクトル王子」
アイナの口調は強い。
「詳しくお聞きしなくては眠れません」
「無理はしないほうがいい」
「いいえ」
アイナはもう一度断ると、すっ……と立ち上がった。
「気分は大丈夫か」
「とても悪いですね」
強い目が、ヘクトル王子を見上げる。
「フィーネ……」
「その名前も偽りです」
「そうか」
ヘクトル王子は、驚いた様子もない。
「リーフにもだまされたのか、私は。つくづく弟に恵まれない」
「うそをついたことは謝ります。でも、そうする理由がありました」
「ああ……それで、本当の名前は?」
「アイナ」
答えたアイナの声は、だいぶかすれている。
怒っている、感じがした。
「アイナ……そうか、どうりで。王都を出たと聞いていたが……。確かに、王族の魔力と相性がよいのもわかる」
「話してくださいますか? 魔物のことを、詳しく」
相変わらず、ヘクトル王子は動じることがない。
テーブルの上で倒れたカップを見て、ふっと息を吐いた。
「全て話そう。ただ……珈琲を用意させてもよいか」
「……はい」
飲み物は、アイナにも必要そうだ。




