悪い趣味
人前で、あまり表情を大きく変えないアイナ。僕とふたりきりでいるときは、もちろん別だ。
そのアイナが、初めて会う人の前で顔をぐしゃぐしゃにして泣き出したものだから、僕はかなりびっくりした。一緒にいたロウじいさんも、困ってしまった。
僕は、そばに行ってなぐさめてやりたかった。でも、もう僕は植物のいい匂いがするカゴのなかにいたのだ。カゴは、リーフ王子の使いだという男が持ってきたもの。なぜ男を寄越したのかと、文句も言いたくなるけれど、そのあたり僕の願いがかなったためしがない。
仕方がないなと入ってやったら、ふわふわの布が予想外に心地よい。いい具合にうずもれて、気を抜いてしまった。
こういうとき、残念なことに僕は猫なのだなと思う。
アイナと離ればなれになるなんて、とんでもなく悲しいことだ。でも、泣いてもわめいてもなんともならない。
ロウじいさんがアイナに上着をかけている。「すみません……」と小さく謝って、少し落ち着いたようだ。
リーフ王子の使いが、僕の入ったカゴを持ち上げる。アイナから離れていく。たぶん、これは僕だけの魔法。距離が離れても、アイナと離れる感覚がしない。
まるで、いつもみたいに影の中から見ているようだ。
僕のカゴは馬車に載せられたらしい。体が揺らされて、アイナとの距離がさらに開く。ここにきてやっと、別離を実感する。あ、いやだな、って。
「ォオオーーーン!」
低く太い叫び声が出てしまった。それを聞いたアイナがまた泣き出したので、しまったな、と思う。
悲しまないでよ、アイナ。僕はちゃんと見ているからさ。この気持ちを、ちゃんと人間の言葉で伝えられたらいいのにな。
そう考えて、僕は黙る。
「私たちも参りましょう」
ロウじいさんが、アイナをうながす。ほら、眠っていても、ちゃんと見えているよ。
「はい、みっともなかったですね」
「いいえ……早く片付けて、迎えにまいりましょう」
馬車ではミディが待っていた。
「ひどい顔だな」
「もともとひどいわよ、ごめんなさいね」
気を遣っているのか、いないのか。ミディの無神経な言葉に言い返せる程度には、アイナも気力があるようだ。
「リーフ様の書簡を預かりました。アイナ殿の偽名は『フィーネ』とのことです」
「趣味が悪いな」
ミディはそれを聞いて、大げさにいやそうな顔をしてみせる。
「そうなの?」
「リーフ兄上の奥方の名前ですよ」
アイナも、泣き顔をさらにゆがませる。
浮気者の軟派男は、アイナに自分の妻の名前をつけたっていうんだ。
「聞かなきゃよかった」
「仕方がない、慣れてくださいよ、フィーネさん」
「慣れるかな……」
「出立します。よろしいですね」
リーフ領の王都側から、ヘクトル領まで、足の速い馬車でも二日ほどかかるという。王城の裏にそびえる山を越えればすぐお隣だ。でも、いまのところ、人が山を越えたことはないらしい。
なので、東側のリーフ領を通って、ぐるりと回り込むようにして行かなくちゃならない。空を飛ぶ魔法があればいいのにね。
「うん……? もしヘクトルとアイナが結婚したら……俺の義姉になるのか」
揺れる馬車のなかで、不意にミディが言う。
「結婚するつもりなんてないけど……」
リーフ王子も似たようなことを言ってたっけ。
「そんなの、会ってみないとわからないだろ?」
「そもそも、そんなつもりじゃないって」
アイナは、泣きすぎて乾いてしまった顔をこする。
「貴族のご令嬢も断られているんでしょう。私がお眼鏡にかなうと思えない」
「ヘクトルの目的が魔力の強さっていうんなら、可能性は大いにあるさ」
それから、ぽつりと言う。
「まーた、隊長に不義理なことをしてるな、俺……」
隊長、という言葉がアイナの胸をずきりと刺した。「どうしてるかな」とつぶやく。
「魔物が極端に増えたって話も聞かないし……いつもどおり、じゃない?」
王都の様子は、さっぱり耳に入ってこない。もちろん、王都から逃げている身なのでやむないのだけど。
僕がリーフ王子のところにいたら、何か役に立つことが聞けるかな? でも、それをアイナに伝える手段がないんだよなあ。
「ああ、魔物がいなくなったら、隊長も俺も職がなくなるじゃないか。リーフに借りを作っておいて正解だな」
ミディはアイナの気をまぎらわせようとしてるのか、ただふざけているのか、イマイチつかめない。
「私がヘクトル王子と結婚したら、雇ってあげる」
「おっ、いいね」
アイナは口をとがらせる。ミディは、いつでも調子を崩さないな。
「そのくらいの気持ちで臨まないとな? ヘタな演技はバレますよ、フィーネさん」




