恋人とは違う
雨は降り続いている。
立て付けの悪い討伐本部の建物は、雨漏りがしないか心配だ。歩くたび、扉を開け締めするたび、どこもかしこも大げさな音を立てる。
わあーって叫べない、今の気持ち。
絞り出すような、なんとも言えない気持ちを、きしむ音が代弁してくれているみたいだ。
お城の馬車に送られて戻ってきたアイナと隊長。隊長の部屋で、難しい顔をしている。自分の席に座っている隊長と、少し離れて長椅子に座っているアイナ。
そういや前も、こんなことがあったな。そのときは、ミディも一緒だったんだっけ。
「隊長は……どう思っているんですか」
長い沈黙を破ったのはアイナのほうだった。
「ミディが魔物を使っているなんて、思えないです」
「俺もそう思う」
隊長はすんなりと同意した。
「あいつが、そんな面倒なことをするものか」
確かに。僕も同意見なんだよ。ミディ先輩は、とにかく「めんどくさくない」生き方を選んでいたからね。
でも、それが演技だったら……? うーん、わからない。
「おおかた、王族の誰かしらに利用されただけだろう。魔力の残りかすの偽装くらい、ある程度の使い手ならできる」
「陛下やアズール王子は、そうお考えではないんでしょうか?」
「さあて……」
アイナの心臓がぎゅっとなるのを感じた。鈍い痛みに、のどの奥が苦しくなる。
「アズール王子は……襲われました……でも」
ふたりは声をおさえがちに話しているけれど、そうしなくても雨音が声をかき消そうとする。
「襲われてみせたのかもしれない」
隊長はそう言ってから、頭をおさえた。
「人を疑うっていうのは、いやなものだな」
アイナはうなずく。アイナは、人を疑うのが苦手だ。そのせいで、もといた世界ではいやな目に遭ったこともたびたびあった。
僕はまず、初対面の人間は疑ってかかるからな。特に相手が男なら!
「アイナ、お前はもういい」
「どういうことですか?」
「この国の問題に、お前を巻き込むのは理不尽すぎる……いまさらだが……」
目の前の魔物をやっつけるのならおまかせあれだけど。確かに、王族の皆さんのよくわからない事情で、探偵ごっこをさせられるのはごめんこうむりたい。
だけど、珍しくアイナは反論したんだ。
「隊長は……どうして私を遠ざけようとするんですか」
僕が珍しい、って思ったように、隊長も驚いたようだ。
「最初、私に戦ってほしいって言ったじゃないですか。だから戦えるようになったのに! なんでやらせてくれないんですか!」
「おい……」
アイナの目には涙がいっぱいたまっている。アイナを泣かすなんて、悪いやつだな、隊長。
「……お前は人を討てるのか」
隊長が聞く。
「やれ……ます……」
「泣くくらいならやめろ……」
隊長は立ち上がってアイナの横に来ると、手で涙をすくった。アイナはびっくりして身をよじる。
「だ、大丈夫ですから!」
「いいんだ」
「えっ?」
アイナがまた驚いたのは、隊長が傍らに片ひざをついたからだ。
「ミディにも過保護だと笑われた。自分勝手だよな……俺は……」
「どうしたんですか……」
隊長は視線を落としたまま、話し続ける。
「異世界から戦士を召喚すると聞いた時は、憎いあいつらをついにせん滅できるのだと思った……でも……本当は、お前が妬ましかった」
僕も覚えた、嫉妬という気持ち。隊長がアイナを妬ましいって?
「力を付けていくお前が、憎らしいとすら思ったかもしれない」
「え……」
「ガキっぽいな、俺は」
「そんな……ことは」
「俺は……いや、なんでもない」
何かを言いかけて、黙る。アイナは何も聞けないでいる。
雨がいやで、影の中に入りっぱなしだった僕。外に出てアイナを安心させようと思ったけれど、その前にアイナの手が伸びた。
僕をなでるときのように、アイナは隊長の髪に触れた。
「私、戦えます。相手が魔物でも、人でも」
「すまない……」
「私に、謝りすぎだって言ったのは隊長ですよ」
「そうだったな」
隊長は少し笑った。
ひざまずいた隊長と、手を伸ばすアイナ。どっちが上司でどっちが部下なのやら。僕には女神様とその下僕に見えてしまうよ?
「もうだいぶ、強くなったんですよ」
「生意気だな? まだ俺のほうが強いぞ」
「あら、お手合わせいただけるのですか?」
「……やめておく」
隊長は髪に触れていたアイナの手を取って立ち上がる。それから片方の手で、アイナを抱き寄せた。
アイナがものすごく驚いたのが、僕に伝わる。でも、押し返したりせずにされるままだ。
今じゃなかったら、すぐに飛び出して爪を立ててやるのだけど。
「もう、傷だらけになるのは勘弁してくれ……あのときは、息が止まるかと……」
「は、はい……」
激しい動揺が、影の中の僕も揺らす。アイナの片手はちょっと迷ってから、そっと隊長の背に触れた。
隊長がアイナを包んで、ふたりは抱き合っている形になっていたけれど、恋人同士のそれとは、たぶん違う。隊長を、アイナが支えているふうに見えた。
何かを言いかけて、言わなかった隊長。聞いていたら、何かが変わったんだろうか。
僕はだいぶあとになって、この日のことを思い出す。




