初めての休日
「傷が癒えるまでは出てくるな。わかったな?」
「はい……」
アズール王子の部屋を魔物が襲った騒動の翌朝。隊長に送られて、僕らは部屋に戻ってきた。
リリーは帰らない主を、寝ずに待っていてくれたようだ。包帯だらけのアイナを見て、口元をおさえる。
「こいつが無茶をしないように見てやってほしい。使いを出すまでは待機だ」
「かっ、かしこまりました!」
隊長も寝てないはずだけど、これから本部に戻って仕事なんだろう。いやはや、頭が下がるね。
リリーは大きく頭を下げて、隊長を見送る。
「おけがはひどいのでしょうか……?」
「見た目だけは大げさよね。浅い傷しかないから大丈夫」
小柄な体いっぱいで不安を表現するリリー。何があったのかを聞かないし、言うこともできない。アイナは笑ってみせた。
「でも、大丈夫って言ったら隊長に怒られちゃった。ちゃんと休みます」
「ええ! そうなさってください……!」
おそろしいことなんだけれど、この国の人たちには「休日」という概念がない。
アイナのお世話をするのが仕事のリリーが、いてくれなかったことがないんだ。
元の世界では働き詰めだったアイナは「それでも会社員よりはだいぶいい」なんて言ってたけど。
お日さまが昇って、沈む頃には仕事はおしまいだからなあ。魔物は夜、見つけづらいっていうのもある。
だけど、昨夜みたいに遅い時間でも魔物が湧くのはまいるな。
魔物退治に行って、アズール王子に会いに行って。しばらく忙しくしていたせいで、だいぶ疲れているのだろう。
心配性で、寝るのがあまり得意じゃないアイナも、かなり長い時間眠り続けた。僕は顔のすぐそばで丸くなる。
何かあれば僕が先に気付くし、心配はいらないよ。
でも、あまりにアイナが目を覚まさないので、さすがの僕も退屈をもてあまし始めた。こちらの世界に来て、退屈したのなんて初めてかもしれないね?
様子を見に来たリリーに甘える。リリーの服のリボンを追いかけて遊ぶなんていう、猫らしいことをして過ごしたよ。
魔法の力で、心はだいぶ「猫じゃない」感じになってきた僕だけれど。
いつか、心だけじゃなくて体も「猫じゃない」になっていくのだろうか? もし人になれたなら、アイナのことをもっと支えてあげられるんだろうか?
リリーは、僕がお尻のあたりをくすぐられるのが好き、って気付いたらしい。思わずノドをゴロゴロ鳴らしてしまって、いや、猫のままのほうがいいなって考えるのをやめたんだ。
「やだ……もう暗いじゃない……」
「アイナ様! よくお休みでしたね」
そのうちアイナが起き出してきた。
「包帯を変えましょう。お傷を見せてくださいませ」
「うん……」
リリーは慎重にアイナの腕から包帯をほどいていく。アイナは、あれっ、と口にした。
「ねえリリー……だいぶ治ってるんだけれど」
「そうですね、もう傷がふさがって」
アイナの不思議な力なんだろうか。それとも、アズール王子のおかげなのか。
「でもアイナ様? 浅い傷だけっておっしゃいましたよね」
「あ……そ、そうね」
リリーはむくれて見せた。体のあちこちにある傷のなかには、浅くない、ものもあったみたいだ。まったく、アイナらしいというか。
薬を塗って、清潔な布を当てる。使う包帯もそんなに多くはなくて、見た目は大げさ、ではなくなった。でも。
「いいですかアイナ様、お使いが来られるまではお休みくださいね?」
「わかってます。もう隊長に叱られたくはないもの」
今までのアイナだったら、翌朝からは出動します! って言いかねなかったからね。
隊長のお叱りがだいぶ効いたようで、次の日はまる一日、部屋でぼんやりと過ごしたんだ。何もせずに過ごすなんて、僕がアイナの子になってから初めてかもしれない。
とはいえ、二日目ともなると落ち着かなくなってきたようだ。アイナはふらりと、部屋の外に出る。僕らの部屋は建物の二階にあって、下の階にはリリーの部屋や、今は護衛の兵士が使っている部屋がある。
兵士の部屋は扉が開けてあったので、僕が先に立って覗いてみる。そこには見知った顔があった。
「おや、猫殿」
「ァオン」
遅れて、アイナが来た。
「ミディ……どうしたの?」
「どうしたって、当番です」
ミディがアイナの護衛の当番とな。のんびりとお茶をすすっている様子は、とてもお仕事中に見えないけれど。
「えっと……そちらは、どう?」
王宮に魔物が出たことは、討伐隊のなかでも秘匿事項だ。アイナがあいまいな尋ねかたをしたので、ミディは頭をかいた。
「特にこれといって。ただ……」
「何かあったの?」
「うーん」
ミディは立ち上がって、廊下に誰もいないのを確かめて扉を閉めた。
「森の魔物が増えてる……かな」
初心者の入門編。ちっちゃくて力のない魔物が潜んでいる、城を取り囲む森だ。
「昨日、かなり片付けたのに、今朝も相当出ているみたいで」
「どうして……」
「さあ?」
考えてもわからないことは考えない主義の、ミディ先輩。
「だからってやめてくださいよ、飛び出していかないように見張ってろって隊長に言われてるんで」
「また、それ? リリーにも言っていたのよ」
「隊長らしいなぁ……まあ、わからないでもないけど」
「無茶するなって、言うほど無茶をしてるかな」
「そうですね……」
ミディの目がちょっと伏せられた。僕の耳も、後ろにひゅっとそり返る。
「隊長の心配性は無自覚だから、腹が立つんですよね」
「え?」
ミディでも腹を立てることもあるんだな。そりゃそうか。
「気が付いてないんですか?」
「心配されすぎってことに?」
「そうじゃなくて」
ふだんはすねたような表情をしているミディ先輩が、おもしろそうに笑った。
「隊長、アイナが好きなんですよ」
「……っ、それは」
アイナの心臓がばくん、って言うのを感じた。僕の耳はひっくり返ったままだ。
それは割と、最初の頃から感じていたことだ。でも僕、考えないようにしていたんだよ。腹が立つ……からかな?
なのにさすがはミディ先輩。容赦がない。
「もといた国と、価値観が違うとかおっしゃる?」
「そういうのじゃ……ない……」
アイナは自分の手を握ったり閉じたりと、落ち着かなくなった。
「仕事に自分の気持ちを持ち込むような人だって、思いたくないのよ……」
「それは隊長自身もでしょうね」
うろたえるアイナを見て、ミディはすっかり楽しんでいるふうだ。あれ、魔物が出没中の、緊急事態なんじゃなかったのかなあ?
なんだか空気が酸っぱくて、むずがゆい。
「俺はいいと思うんですけど」
「もう、やめてよ!」
「隊長が人を好きになるなんて、ないと思ってたからさ」
「私はそういうの、考えられない……」
「ふぅん? 隊長は、話していないかもしれないけれど……」
「何?」
ミディが小声で何かを言おうとしたので、アイナはそちらに耳を向ける形で近づいた。
僕の耳が、ピンと立った。
「失礼します!」
声より前に扉が開いて、兵士が入ってきた。
にやにやするミディと、胸元で手をいじり、頬を赤らめているアイナ。ふたりの距離は近い。
兵士は、あっ、となった。
「さてお姫様、お部屋でおとなしくしていてくださいね」
ミディは立ち上がる。後ろから両手でアイナの肩を支えて、兵士の横を抜けた。
直立した兵士は見たい……見てはいけない……と問答しているようだった。
「ふざけるのが好きね」
アイナはミディに、怒った顔をしてみせる。
「ご存知なかった?」
兵士に妙な誤解をさせて、楽しんでいるのだ。
「隊長のことはともかく……ちゃんと体を治してくださいよ。これは俺の本心です」
耳元でひっそりとささやく。
「わかったから、離れてくださる……?」
「いやいや、部屋までお送りします」
控えの部屋から顔だけのぞかせて、兵士が凝視しているのを僕は見てた。




