異世界の女剣士
アズール王子さまさま。アイナも、そして僕も、魔物を倒す力がびっくりするほど強くなったんだ。
この日も、ほかの兵士たちと馬を走らせて魔物退治。移動中の商人の馬車が魔物とうっかり遭遇してしまったらしい。馬車に乗っていた人たちは慌てて逃げ出し、知らせを受けた巡回中の兵士が駆けつけた。
でも、馬車に小さい女の子が取り残されてしまったそうだ。まったく、子供を置いて逃げるなんて、あきれた大人たちだ。
馬車にくっついたまま、動かなくなってしまった数匹の魔物。中の女の子は出られず、外の兵士も手を出せず、ただにらみ合ったまま時間が流れていた。
そこへさっそうと駆けつける、アイナと僕。
馬を兵士に預けると、アイナは女の子のいる馬車に向かって走った。ひと足早く、僕が跳ぶ。
こいつらは知性がない。僕のカンがそう言っていた。ただ、魔力の流れは感じていて、僕とアイナに引き寄せられるように動き出した。
僕が馬車の扉にへばりついた魔物をはたき落とす。ほかのやつらも僕に集まってきたので、そのスキにアイナが扉を開けて女の子を引っ張り出した。
「わぁあああん!」
泣き出す女の子。
「もう大丈夫」
アイナは優しい声をかけると、あらま、女の子をえいやと左側の肩にかついでしまった。右手に剣を持ち、僕が取り逃がした魔物を切りながら走る。
「頼みます!」
アイナが叫び、同時に兵士たちが剣や槍を手に魔物へ突進した。僕も引き上げるとしよう。
遠巻きに見ていた大人たちに女の子を預けると、アイナはすぐにとって返す。馬を預けた兵士に「すみません、先に戻ります」と声をかけて、お先に失敬だ。
ご多忙なアズール王子を待たせられないからね。仕事を終えたらすぐ、帰投です。
魔物を倒しに行き、何もない日は訓練をし、王子のもとへ通う日々。まったくもって忙しい。
そうそう、懐かしの初陣の地。森の当番もしっかりこなしてる。あまりにたくさん狩りすぎて、次の当番が何も成果をあげられなかったとぼやく始末だ。
勤勉なアイナのお仕事ぶりは、色んな人が知るところになったらしい。
久しぶりにまともに休憩がとれた日、食堂の看板娘、エマが食事をしているアイナに話しかけてきた。
「アイナさん、小さい女の子を助けたの、有名になってますよ。どうやらいいところのお嬢さんだったみたい……」
「ふぅん……」
僕は食堂にいても、猫だからって首根っこつかまれてほっぽり出されたりはしない。専用の器にお水をもらって、おいしくいただく。
「お礼をしたいのに、受け付けてもらえないって!」
「隊長が断ってるのよ……」
「ええー、なんだかもったいない」
国から支払われる報酬以外は受け付けない、それが討伐隊のきまりなのだ。そうしないと、優先して「助けて」とか「守って」って言ってくるやつがいる。そういうのは、傭兵を稼業にしている人に頼んでくださいな。
「異世界の女剣士、なんて言われてるのよ。素敵ね、アイナ。男だったら、好きになっちゃう」
食事をしながら、アイナは苦笑した。エマはミディを狙ってるんじゃなかったっけ?
「エマ。私は仕事を真面目にやらない人は好きじゃない」
「けち!」
エマは厨房のほうへ戻っていく。やれやれ、僕はもうちょっとエマとの会話を楽しみたかったんだけどね。
この日は、お城でパーティーがあるらしく、アズール王子に指定された時間はかなり遅かったんだ。
それでも、王子はお務めが終わったばかりらしく、僕らより遅れてやってきた。いつもとは違って首元の詰まった、飾りのたくさんついた衣装のままだった。
「今日は賑やかだったんですね?」
アイナが尋ねると、王子は首元をゆるめながら困ったように首をかしげた。
「私の誕生日だったんです。集まりは苦手なんだけれど、さすがに主賓が欠席とはいかなくてね」
「誕生日だったんですか! 何も言ってくださらないから……おめでとうございます」
「ありがとう、アイナ。遅い時間に来てくれただけでうれしいですよ」
毎日顔を合わせて、手を握るだけの時間を過ごしてきたアイナと王子は、だいぶ打ち解けている。王子の言葉遣いも、最初の頃よりちょっとくだけた調子だ。あと、僕のことも上手にかわいがれるようになったよ。僕の毛並みを、上等なビロードよりもずっときれいだと褒めてくれる。
片手はアイナの手を握り、片手はひざに乗せた僕をなでながら王子は言う。
「来年は、かなり憂うつだ」
「成人……されるのですよね?」
「叔父の跡を継いで南の領土をまかされる……逃げてしまいたいよ……なんて、言ってはいけないね」
「ここでだけは、いいですよ」
「そうだね」
王子は少し疲れているようで、アイナの胸に頭を預けた。アイナはちょっとためらって、そっと王子の髪をなでる。王子は満足げに目を閉じた。
「ミディールがうらやましい」
「あら、言ってしまいましたね」
「ほんとうはね……ミディールのほうが、賢いし、勇敢なんだ……。人とのかかわりもうまい」
それはミディ先輩なりの処世術な気もするけれど。
「私は臆病だから……研究で部屋にこもっているほうが好きだ。でも、王族に生まれたからには、務めを果たさなくてはならないと思っている……」
王子は体を起こして、アイナをまっすぐに見た。
「力を貸してもらえる?」
アイナは、王子の言葉に面食らってしまったようだ。
「私が……できることでしたら。私に、魔物と戦う以外にできることがあります?」
「ある。私は、この国を変えたいんだ。正しい形に」
「今は正しくないと?」
「そう、この国はいびつなんだ。王族がおかしな魔法を使うせいで、本来のことわりがゆがんでしまっている」
魔法のおかげで、並の人間よりだいぶ賢くなったはずの僕だけれど、王子のこの話はむつかしい、と思った。
「小さな領土で、大した資源もない。兵力も弱い。なのに国の体をとっているのは、きみのように本来いるはずでない人の力を借りているからなんだ。厄災を己の力で越えられないのであれば、ほんとうはこの国はそれまで、ということ……」
異世界の人の力を借りるなんて、ずいぶん調子がいい連中だ、って考えたこともあったっけ。まあでも、働きに見合った対価はもらえるようなので、それはそれ、って今は思っているけどね。
「私はいるべきではないですか」
アイナの声は、少し悲しそうに響いた。そういうことじゃないんだ、と王子は首を振る。
「どう、伝えればいいのだろうか……王族だとか、貴族だとか、平民だとか……そういうくくりも、この国を苦しくさせていると思う。例えば、ロシュのように優秀な兵士が、騎士団を率いてくれたら、どんなにか心強いだろうか?」
隊長殿は、王子にだいぶ高く評価されているらしい。確かに、年齢も経験もさまざまな百余名の男どもをまとめあげるのは、なかなか骨が折れそうだ。でも、今の国の決まりだと、王族でも貴族でもない隊長は、騎士になれない。
「たとえ領土のひとつを統治したとしても、この国での私の力は小さい。でも、ひずみを正していきたいと思っている。私の考えは……青いのかな?」
「いいえ、尊いお考えだと思いますよ」
アイナの言葉に、少し必死になっていた王子の表情がゆるんだ。
部屋の外で、時間を告げる鈴が鳴った。
「もう行かなくてはなりませんね。また、ゆっくり考えましょう?」
「ええ、ありがとうアイナ……今日は少し、宴の騒がしさにやられてしまったらしい」
王子はひざに乗った僕を抱えあげて、床におろした。そうして、もう一度アイナのほうを向く。
「つまらない話を聞かせてしまった。これはお詫びです」
王子の顔が動いて、アイナの唇のすぐ横にふれた。
アイナはびっくりして、口をへの字に曲げてしまった。
「大人を……からかってはいけません」
「私を子供扱いしないでもらいたいですね?」
おやまあ、僕はお邪魔かね?
アイナの心臓の音が、僕にまで伝わって、ちょっとウルサイ。影の中に入っていようか……と思ったのだけど。
「!」
アイナが突然立ち上がって、窓のほうを見た。その瞬間、激しくガラスが割れる音がする。
その音は、部屋の外で警備している騎士にも聞こえたようだ。
「王子! どうされました!?」
僕はフゥっと全身の毛を逆立てる。アイナは王子を背にかばった。
「入室いたします! ウッ!」
部屋に入ってきた騎士は、窓のほうを見て後ずさった。黒い魔物がぞろぞろと、群をなしておいでなさったんだ。