どうかしている
「ずいぶんな効果だな……」
「はあ……さすがはアズール王子ですね」
オトコどもがため息まじりに口にする。アズール王子に魔力を流してもらった次の日のことだ。
アイナは苦手な乗馬の練習をしていた。大きな円を描くように馬を走らせるさまが、以前と見違えるように流麗で、隊長とミディを驚かせたのだ。
何周か走り終えて、戻ってきたアイナはちょっと興奮ぎみだった。
「どうでしたか!?」
「よかったです」
ミディ先輩の評価は雑だ。隊長は、何か考えごとをしているようで答えなかった。
「アズール王子のおかげ……なのよね?」
「でしょうね……」
苦手なことを克服できたのは、大変に喜ばしい。ただ、オトコたちには別の思いがあるらしかった。
「魔法ってのは……」
隊長は全部を口に出せなかったようだけど、ミディは了承していた。
「わかりますよ。今までの努力はなんだったのかってね。でも、いくら魔法だからって、なんにもないところから力が湧いてくるもんじゃないです」
「そうだよな……」
隊長は自分に言い聞かせようとしているふうだった。アイナは苦手な乗馬も、毎日少しずつ、真剣に練習していた。でも、ある日突然、うまくなったりするものでもない。
それが、魔力だけで解決してしまうのである。猫の僕とて、隊長の気持ちがわからないでもない。
「私も……なんだかずるいなって思います」
アイナは、バカ正直だ。そして真面目だ。
「でも、力をうまく使えるようになって早く役に立てるなら、そのほうがいいです」
「お前らしいな……今日も行くらしいな?」
「はい、しばらくお時間を作ってくださるそうです」
「今日も?」
ミディはちょっと驚いたようだった。
「ご多忙なアズール王子がね……」
「私……ほかのお仕事に割り込んでしまったのかな」
「そうなりますね」
この国を救う戦士だもの、優先してもらって当然じゃない? 僕はそう思うのだけど、どうやらアイナは「ずるい」って感じちゃうみたいだね。
相変わらず、魔物はあちこちに出没しているけれど、多からず少なからずという平常運行だ。またコトが起こる前に、アイナの力を高めておくに越したことはない。
訓練は途中で切り上げて、アイナと僕は約束の時間にアズール王子のもとへ向かう。
アズール王子が住んでいるのは、王様のおわす城の敷地にある、豪華なお屋敷だ。ここに到着するまでもひと苦労。こんにちは、と入れるものでもないので、城から手配された馬車に乗って行く。僕の視界には入り切らない大きな門で、誰それが入城します、という確認の順番待ちも長い。
ようやく王子のお屋敷に着いたら、また僕にとっての苦難が待っている。その一室で、今日も僕らは念入りに洗われるんだ。これは省略できないものかね?
「いらっしゃい、アイナ」
アズール王子は、穏やかな微笑みを浮かべて出迎えてくれた。アイナが近づいていくと、王子の視線は僕に向けられた。
「そうだ……ルルだったね」
僕の名前が呼ばれたので、ビクッとした。
「きみは、こうしてもいいでしょう?」
細くて長い手が伸びて、僕は抱き上げられた。昨日は思わず逃げてしまったけれど……王子様に失礼はできないからなあ。
僕を抱えた王子は、ソファに体をうずもらせた。
「ふふっ、猫って気持ちがいいんですね」
王子に抱かれて、僕の腕は緊張でピーンと伸びてしまっている。でも、王子の指がするっとなでると、途端に力が抜けてしまった。猫を抱くのは慣れているわけではないようで、僕の扱いかたは「ソウジャナイ」ものだったのに、なぜか体はゆるんでいく。
体がくったりしてしまった僕を、王子は体が沈み込んでしまうほど柔らかいソファに横たえた。ふわあ、これも魔法なのか?
それから王子は昨日と同じように、アイナの横に座って手を取る。
「今日、上手に馬に乗れたんです……王子のお力ですよね?」
「私はきっかけを作っただけですよ。それはアイナの力です」
僕はすうすうと眠ってしまった。でも、その間のアイナと王子の様子はちゃんと見ていたよ。
「この国をおびやかす、魔物を倒すための力」
王子の長いまつ毛が伏せられて、少し苦しそうにした。
「それを、ほかの世界の……何の関係もないあなたに任せるなんて、どうかしている」
「でも……私は承諾したので……」
「あなたの好意を、いいように利用しているだけです」
王子は言い切った。アイナは、どう答えたものか、困ってしまった様子だ。
「ごめんなさい、アイナ。私の言っていることもおかしいですね」
「いえ……」
「あなたを戦わせるのはおかしいと言いながら、あなたが戦えるようにこうしている」
王子の長めの髪が揺れた。体を傾けたので、小さいあごが、アイナの頭に当たるような形になる。
「せめてこの力が、あなたを守れるように」
昨日よりも近い距離で、しばらく時間が流れた。部屋の外で、チリンと鈴を鳴らす音がする。
「……時間ですね。また明日」
王子は、アイナから体を離した。その表情はすごく悲しそうだった。年齢よりもだいぶ大人びているなあと、まだ4歳の僕は思ったんだ。