五:声が老いた芸人
(一)
耳を塞いでみたのに、そのかすかな隙間から笑い声が入ってきます。もう、ずいぶん昔のことで、確か小学四年生の時のことだったと思うのですが、初めて父に連れられて、お笑いの演芸場にやって来た時のことを今でも覚えています。確かにお笑いは好きだったのですが、それよりもはじめて父と二人きりで出かけたという緊張がとても嬉しかったのだと思います。父は上機嫌で笑い続けていたのです。めったに見せないその笑顔を記憶にとどめておこうと思って耳を塞いだのかもしれませんが、その時の観客の笑い声が身体に突き刺さるように入り込んでくる感触は、子供心にぞくぞくするような何かしらの興奮を湧き起こさせたような気がします。
日曜日の朝に急に父に呼ばれます。
「今から笑いに行くから」
父はそう言ったきりで、さっさと出かける用意を母に任せていたのです。父に何が起きたのかわからなかったし、選択権などなかったので、言われるがままに、少しだけ外行き用の服を母から着せられて、あっという間に家から出ていたのです。どこに行くかは父に委ねるしかなかったのですが、どこに行くのかくらい尋ねてもいいはずなのに、もちろん、二人とも無言です。バスに乗り込むと、押し揺られながら、それでも、次第に街中に近づいて行くことだけはわかります。
「降りるぞ」
立ったままでもうとうととしかけていた時だったので、慌てて父の後についてバスを降りて行ったように思います。ビルというのでしょうか、コンクリートの建物が途切れることもなく聳え立っていて、両端から狭まってくるのではないかと、思わず真上を観なければ、まだ背が低かったので、押しつぶされるような恐ろしさで、息が詰まりそうになりかけたのを覚えています。色々な車が行き交い、色々なお店屋さんが軒を並べ、色々な人が歩いている風景は、今まで決して見たこともないような世界だったのですが、さりとて夢の世界とは思えなかったし、決して楽しくはなかったのですが、子供心を刺激してきたのは確かです。このまま帰っても、その時はくっきりとその風景は刻み込まれていたので、一週間以上は学校の友達に話せるような気にもなっていたのです。
「ねえ、どこに行くの?」
だからか、つい、声が自然に父に向けられていたのです。でもどうして声が出たのかわかりません。
「笑いに行くんだ」
父は珍しく首をくねらせながら、視線を降ろし、笑いかけてくれます。だからそれは朝聞いたよと、言いたかったのですが、見慣れない笑顔だけで満足してしまいます。それに、こんなまじかで父と歩いているんだ、という高揚感で満たされてもいます。
「お笑いはテレビだけじゃないんだぞ」
父は、知ったような言い方ですが、かと言って我が家にテレビがあったわけではありません。何でも屋というわけではないんですが、食料品から衣服までを扱っていた叔父が近くで商売をしていて、弟である父をかわいがってくれていたので、いつもとは言わないのですが、一週間に一度放送されていた喜劇だけは、皆でお邪魔して、夕食もごちそうになってと、そう言う時間がまだあの頃はあったのです。
「演芸場ってところがあって、そこではあのテレビの何倍も面白いことを見せてくれるんだ」
父は初めて演芸場という特定の固有名詞を語りかけてくれます。けれど、演芸場が何かはわかりません。
「演芸場って?」
「お芝居とかお笑いとかを見せてくれるところさ」
お芝居もお笑いもわかりませんが、今度はもう尋ねることはしなかったのです。
「でもどうしてわざわざそういう所に行くの?テレビがあるんじゃあない?」
父は急に立ち止まります。そして、不思議そうな顔で覗き込んでくると、大声で笑ったのです。
「わざわざ行く価値があるからさ」
そう言うと父は胸ポケットから二枚紙切れを取り出すと、振りながら、また、大声で笑っていたのです。
「何それ?」
「入場券だ」
「だから、何?」
「演芸場には入場券をお金を払って買わなきゃ、入れないんだよ」
「笑いに行くだけじゃあなかったの?」
叔父の家でテレビを観ていても、父も母もお金を払っているとは思えなかったので、驚いたのです。
「そうさ、でもな、お金を払ってまで笑いたいと思うこともあるんだよ」
父の言葉に素直に頷くことはできません。なぜなら、そんな贅沢なお金が家にあるとは思えなかったからです。
「買ったの?」
父にそう言ったのですが、「ああ」と、なぜか大きな声で返ってきます。その声はいつもの父の威勢のいい嘘だと家族は全員知っています。父は職人として働いていたのですが、誰かに頭を下げるような器用さはもちあわせていなかったし、人付き合いの良かった父は、近所の仲間とよく飲みに行っていたので、母も当然内職をしていましたが、年の離れた弟がいて、二人の子供を育てるにはずいぶん苦労しているようだったのです。だからひよっとしたらその入場券は、誰かに嫌々ながらも頭をさげてもらってきたものかもしれません。ずいぶん自慢げに見せびらかしていますが、二枚しか手に入らなかったというか、それで遠慮した父の姿が垣間見えて、子供心にそれ以上のことは言えなかったのです。
「でもどうしてお金を払ってまで笑いたいと思うの?」
機転を利かせたつもりだったのですが、正解だったどうかわかりません。
「幸せな気分になるだろう」
父はなぜか声のトーンを落とします。こういう時は昔のことを思い出していいるって、母から聞いたことがあります。もちろん今そのことは尋ねません。
「じゃあ、アイスクリームみたいだね」
素直に言ったつもりですが、しまったという顔を見せます。
「そうか、アイスクリームを食べると幸せになるのか?」
当時の事です。少し甘味のある氷のようなアイスキャンディーですらなかなかなか買ってもらえなかったのです。
「本当は目の前に幸せは山ほどあるんだ。だけどな、みんな高望みばかりする。だから幸せにならないんだ」
確かにアイスクリームは高望みです。それに、お金持ちの同級生が偉そうに食べているのをちょっとだけ横取りしたことがあったのです。その同級生から泥棒って、本当はもっと下品な言葉で罵られたのですが、その口の中にへばりつく甘味はしばらく消えませんでしたし、幸せを感じたことは確かなのです。でも、敵もさるもので二度と目の前でアイスクリームは食べてくれなかったので、それからその幸せはなかなか訪れなかったのです。だから、いつか自分でと高望みしてしまって、母がせっかく作ってくれた蒸かしイモの甘さに満足できなくなってしまっていたのです。
父の言葉をすべて理解したわけではなかったのですが、蒸かしイモを食べても笑顔どころか不服そうな顔をしていたことを母はどう思っていたのだろうと考えてしまいます。と同時に、そんな高望みを普段から決してしていない母さえも幸せにできなかったのだと、何か申しわけないような気がしたのです。
「でもな、高望みをがまんすることはないんだ」
父は意外なことを言います。
「さっき、高望みばかりするから幸せになれないって言っていたんじゃないの」
「そうさ。けどな、高望みしてこそ笑えるときもあるんだ」
父のいうことがますますわからなくなります。
「笑えるからと言って幸せとは限らないから。それに、幸せだけど笑えない時もあるだろう」
今がその時かもしれません。父とふたりだけで居ることがとても幸せなのに、緊張しすぎてまだ吐きそうな気分が続いているのです。
「笑いたくても自分では笑えない人が世の中には一杯いるから」
この時の父の言葉を今でも覚えています。でも、なぜ父がそう言ったのかいまだに聞けずにいるのです。きっと、「さあ」としか答えてくれないに違いないと思ったからかもしれません。
演芸場は確かに満員だったのですが、二人の席は丁度、二階席の後ろの方で、はっきり言って顔の表情まではよくわからなかったのです。ずいぶん遠いんだと、でも仕方がないと、そう言う顔は決して見せなかったのですが、それでも、不思議と声だけは確かな音として鼓膜を揺らし続けてくれたのです。だから、どんな顔で今の話をしているのだろうと想像することより、周りの大人たちにつられてつい笑ってしまっていたのです。子供にはまだよくわからない大人の話も結構あったのに、その反面、子供でも分かるような飛んだり跳ねたりする動きがあって、物凄く楽しくて、とても不思議な気分の行き来で、アッと言う間に時間が流れたのです。
「楽しかったか?」
父はとても満足げな顔というか、外では威勢のいいことばかり言いながら、いつも母には優しく接していたので、少し背を丸くした印象しかなかったのですが、並んで歩いていると、父はやはり大きくて、強そうで、背筋を少しのけぞらしながら歩いているように見えたのです。だから、いつもなら「うん」と返事をするのですが、「はい」と返事をしてしまっていたのです。照れることもなくそうはっきりと声を出せたのは、楽しさがまだ続いていて、心の中でそういう変わった言い方をしてみようと、ひよっとしたら、父が笑ってくれるんじゃないかと思ったからかもしれません。
父とこんなに話したのは初めてですし、父はこんなに話をするんだと思ったし、父にこんなに話せたんだと驚いていたのです。もちろんここでも緊張していないことはありません。けれども、家を出る時のこの先どうなるんだろうと思う気持ちはどこかに吹っ飛んだようで、確かに親子なんだからと、思わず笑ってしまっていたのです。
「ちょっと寄り道しようか。でも・・・、いや・・・、あいつには秘密にしないとな」
あいつとはもちろん母の事です。父は少しお酒を飲んでから帰りたかったのです。それに、外食という、めったに機会がない幸運をプレゼントしてあげようと、優しさが父からなんとなく子供心に伝わってきていたのです。それでも向かったのは、小さな中華料理屋のお店屋さんです。
「ここは珍しい料理を出してくれるんだ」
入り口は小さかったのですが、奥行きは結構あって、その一番奥に厨房があって、威勢の良い音と香りが、すぐに二人を迎えてくれたのです。カウンター席とテーブル席があり、それでも、昼時で、お客さんは一杯だったのです。丁度テーブル席が空いたので二人で座わります。当然合い席だったのですが、当時はごく普通の光景だったのです。
母と同じようなエプロン姿に、白頭巾をかぶったお姉さんがやってきて注文を聞きに来たのです。父は何やら早口で言います。すると、お姉さんは一端厨房に行った後に、戻ってきて父の前にビールを置いてまたすぐに去って行きます。
「人を笑わせるだけでお金がもらえるんだね」
なぜ、そんなことを急に言ったのかは憶えていません。けれども何となく演芸場が満員で、その観客が、お金を払って観に来ているということが何となくはわかったからなのかもしれません。
「子供がそんなことを考えなくていい」
父はビールの一口で気持ちよさそうだったのにその表情を一瞬止めて、険しい顔でそう言ったのです。
「ごめんなさい」
怖い一面が蘇ってきたのかすぐに謝ると、父はまた上機嫌な顔を見せたのです。それでも気まずさと沈黙は続きます。そんな時に、あのお姉さんが、目の前に卵焼きにケチャップがかかったものを持ってきてくれたのです。
父の顔を見ると満足そうな、早く食べてみなさいと言うような顔をしています。だから、盛り上がっていて、明らかに何かを包んでいるその食べ物にスプーンを入れたのです。卵焼きは薄くて表面だけがパリッとしているのですが、中から、赤い色のご飯が出てきて、卵と一緒に食べると、ほのかに甘くて、けれども、焼き飯のような香りもしてと、とにかく今まで食べたことのない、それでいて、おいしいとしかいいようのない喜びが、口の中一杯に拡がっていったので、ゆっくりと食べながら話せたにと悔やみながらも、あっという間にお皿は空になっていたのです。
「おいしかったか?」
父の声にやっと気づきます。
「うん」
「じゃあどうしておいしかったと思う?」
父の質問に答えられないでいます。
「まず、一生懸命作っている。おいしいものを作ろうっていつも考え続けている。そしてな・・・、おいしいものが何よりも好きだって思っている」
「じゃあ、今日、笑うことができたのもそういうこと?」
「ませたことを言うな。でもそういうことだ」
父は先ほどとは違って穏やかな表情でそう言い、枝豆をあてに残りのビールを飲んでいます。そして、父はきっと言い聞かせるつもりでこう言ったのだけは覚えています。
「だから、そう簡単にお金はもらえないんだよ」
(二)
フタヤマヒラヨシは今年七十歳になる芸人さんです。もちろん、もう何十年も本名よりも芸名で呼ばれることが多くなっています。小さい時から人を笑わせるのが好きだったのですが、両親に学校でその日起こった出来事を面白可笑しく話して聞かせたことがその始まりだったかもしれません。両親は忙しくてイライラすることがあったのですが、ヒラヨシが話し始めるとすべてを忘れたようにお腹を抱えて笑ってくれたのです。でもだからと言って、自分が芸人になろうとは思ってはいなかったのです。なぜなら学校では引っ込み思案だったので友達の前でそんなことは出来なかったからです。
ヒラヨシに転機が訪れたのは小学校の六年生くらいの時だと思います。人前で歌うのが好きだったのですが、自分の声で自分なりに歌うと、周りの人はそれなりに聞いてはくれるのですが、うまいなあとは感心してくれません。それがある日、男の子が教科書の歌を真面目に歌うことが少し恥ずかしいという時代だったので、学校の音楽の時間に不真面目に歌っていると、誰かがある歌手に似ていると言ってくれたのです。ヒラヨシは言われた歌手がわかりません。だから、まねているという意識はなかったのですが、うまいなあと感心してくれたのです。そんな経験が今までなかったので、ちょっと嬉しくなったのです。だから、また、同じように歌ってみたのです。ヒラヨシはなぜか同じように歌うことが出来たのです。だから自分でもびっくりします。友達はもっとびっくりしてくれます。だから有頂天になって、今まで経験したことのないような、ヒーローにでもなったように歌い続けていたのです。けれどもそのうち友達は飽きてきます。だから他に誰かいないのかと言われた時にはもうもとの陰気な子供に戻っていたのです。
ヒラヨシはそれでも家に帰った時に、うまいなと感心してくれたことは忘れなかったのです。心の片隅では歌手になることを夢見た部分もあったのですが、うまいなあと感心してくれた方を選んだのです。と同時に、うまいを一つ極めてもそれだけでは長続きしないことも知ります。そういう時に丁度テレビで歌とお笑いコントをコラボした番組が始まります。ヒラヨシは、今度は歌手の歌まねではなくてコントのまねをしてみます。歌まねの時は皆感心してくれたのですが、コントのまねをすると今度は大声で笑ってくれます。だからそれからはその番組を欠かさず見て復習していたのです
そんなヒラヨシを見ても両親は何も言いません。いや忙しく何も言えなかったのかもしれません。それに、両親は疲れていたのです。きっと、勉強しなさいと言いたかったのかもしれませんが、それよりもヒラヨシの笑顔がなによりも嬉しかったのかもしれません。学校は楽しかったのですが、勉強は苦手だったのです。それに、勉強して偉い人になるのですよと学校の先生に言われても、偉い人がどんな人かはわかりませんし、偉い人は皆怖い顔をしていて誰も笑っていないようにも思えたのです。だから偉くなくても笑える人になりたいと子供ながらに思ったのかもしれません。
中学生になると男子は運動部に入ることが多かった当時ですが、ヒラヨシは学校が終わると帰宅します。テレビはもはや自宅に置かれていて、ヒラヨシは忙しい両親に代わって家事を手伝いながらも夢中でテレビを観ていたのです。ヒラヨシには弟がいます。当然弟も、好きなテレビ番組を観たかったのでしょうが、力技でねじ伏せられる年齢差だったので、ほぼ、ヒラヨシの観たいテレビだけを独占することが出来たのです。弟にとってはちょうどそのことは良かったのかもしれません。なぜなら、読書好きになってくれて、それなりの成績で、両親にとっては、少し自慢の弟になってくれたからです。
ヒラヨシはより多くのテレビ番組を観て、その内容をまねてみます。それは歌手やテレビタレントだけではありません。ニュースを読んでいる人や、ドラマで少し癖のある女優などもまねしてみたのです。少し練習すると学校でその物まねをする。家では学校での人間観察での出来事を家族の前で物まねして見せる。本当はそういう努力が勉強に向けられたら良かったのですが、なぜか習慣のようになって毎日積み重ねられていったのです。もちろん、嫌いではなかったからに違いありません。
苦学して大学に行ってと、そういう夢も実力もなかったし、どうしようかと思いながらそれでも何とか高校には通っていたのです。母は手に職を付けていればなんとか食べていけると考える人だったのですが、あきれるほどヒラヨシは手先が不器用だったので、父は今自分がしている仕事を息子に継いでもらおうとは思わなかったようです。それでも高校を卒業する前に、一応親に今後のことを相談します。ヒラヨシは両親が大好きだったので、喧嘩をしたり、物を盗んだりして親に迷惑を掛けたわけではなかったのですが、よく怪我をしていたのです。骨折も何度かあるのですが、とても忙しい中、それでも父か母が必ず病院に駆けつけてくれます。そして、怒られることも心配することもなかったのですが、静かに治るまで見守ってくれていたのです。ヒラヨシをちゃんと長男として扱ってくれようとしたのだと思います。そういう、たとえ記憶の断片だとしても親の思いは蓄積されていきます。だから親の希望をくみ取ってやはり手に職を付けようと、工場に就職すると言ったのです。すると、父がなぜか「他にやりたいことはないのか」と尋ねてくれたのです。あったとしてもそれを簡単に言うことはできません。だから「別に」と言って、工場に就職します。しかし、一か月もたたずに手に火傷を負います。この時も両親はなにも言わなかったのですが、父が今度は今まで見たことのないような優しい声で、もう一度、「他にやりたいことはないのか」と尋ねてくれたのです。包帯が痛々しく巻かれていたのですが、ヒラヨシは、弟もいるのに溢れる涙をぬぐいながら、正直な気持ちを話します。きっと、反対されたり怒られたりするのだろうと思ったのですが、「やりたいことがあったんだな」と、なぜか喜んでくれたのです。けれど直ぐに父はいつものような険しい顔に戻って、「一人前になるまで戻ってくるな」と、怒鳴ってきます。でも母がこっそりと、「ああ言っているけど、物凄く心配しているのよ」と、涙ぐみながらへそくりを渡してくれたのです。
ヒラヨシは、ある落語家の弟子になります。ものまねをしたかったのですが、どうしてよいのかわからなかったからです。だからとりあえずという意味もあったのかもしれません。師匠もスターと呼ばれる大師匠ではなくて、地味なのですが落語を真面目にやっていて、なによりも優しそうな師匠の所に行ったのです。
落語家になるには内弟子と言って、師匠の所で寝起きを共にして落語家になるための修行を始めるのが常だったのです。師匠は優しかったのですが、ほとんど稽古を付けてくれなかったのです。今思えばヒラヨシの心根を見透かしていたのかもしれません。だから、ヒラヨシは兄弟子に近づきます。兄弟子の中にはヒラヨシと同じように優しい師匠だからという動機で入門してきている者もいます。だから、そういう兄弟子はわがままで個性的ですし、決して優しくはありません。それでもヒラヨシに才能があれば良かったのですが、落語自体に興味のなかったヒラヨシは落語の話を覚えられなかったのです。それに相変わらず不器用さは続きます。内弟子は家の掃除などを任されます。それに兄弟子の用事も頼まれます。ヒラヨシはその度に怪我ばかりか、今までそのことで怒られたことがなかったのに兄弟子によく怒鳴られます。まだ若かったヒラヨシの心が次第に揺れ始めるのです。
ヒラヨシが師匠の家を飛び出したのは、内弟子期間がもうすぐ終わろうとしていた時です。でもそれは落語が嫌になったからでも、何かとちょっかいを出してくる兄弟子と取っ組み合いのけんかをしたわけでもありません。弟子時代に付き合っていた女性を追いかけて行ったのです。半ばふてくされていたヒラヨシをいつも励まし、十歳以上も齢が離れていたのですが、無条件に優しくて、何よりも輝いて見えたのです。彼女の前では落語をしたことはありません。それよりも、高校生の時のように物まねをしていたのです。その笑顔に母の面影を重ねたのかもしれません。ヒラヨシはもはや師匠と一緒に居ることよりも、その女性と片時も離れたくないと思ったのです。けれども、彼女はものまねで笑わせてくれるヒラヨシの才能を見抜いたのか自分から離れて行きます。そして、遠くに旅立つのですが、ヒラヨシはそのことをいち早く察知して、彼女の元へ行ったのです。彼女は本当に優しい人だったので、追い返すことが出来なかったのですが、ヒラヨシは働かないので彼女が働きに行きます。だから、家でゴロゴロしているヒラヨシに時々は感情で当たってしまいます。母の面影に恋していたヒラヨシですが、彼女は母ではありません。だから、次第に喧嘩が多くなってしまいます。それは今思えば彼女がヒラヨシに対しての決意だったのかもしれません。しかし、そのことを知らないヒラヨシは彼女の元から去ってしまったのです。
師匠の住まいを訪れたのですが、当然、内弟子生活に戻れるわけもなく、破門という形になります。しかし、家に戻るわけにもいかなかったので、一人暮らしを始めます。師匠が他の弟子や他の師匠の手前、ヒラヨシを破門にしたのですが、師匠がヒラヨシに大激怒して、二度と顔も見たくないと思っていたということはありません。ほとぼりが冷めたらまた弟子として迎えてあげようと思っていたようです。だから、ある芸能事務所の裏方に耳打ちして、あの子は才能があるからと頼んでくれていたのです。それに、師匠や落語仲間の中には人付き合いの良かったヒラヨシを応援してくれる人もいて、ちょっとした隙間仕事を紹介してくれたり、食事に連れて行ってくれたりしてくれたのです。だから、もちろんアルバイトはしていたし、風呂なしトイレ共同の四畳半のアパートだったのですが、それでも芸人ですと、人前ではっきりと言えることが出来たのです。
ヒラヨシがそんな仕事を続けていると師匠から突然ハガキが届きます。そこには噺家としての名前が書かれてあったのです。もちろん師匠の一門でありませんので、師匠の創作です。仕事の時に困るだろうという師匠の優しさです。もちろん、現場で顔を合わせても、自分で名付けて置きながら、その名前で呼びません。必ずヒラヨシと呼ぶのです。師匠はそう言う気遣いでいつも接してくれていたのです。
ヒラヨシは落語噺がなかなか言葉として覚えられなかったのですが、何か報いなければならないのではないかと、師匠の落語を聞きに行きます。すると、噺としては覚えられなかったのですが、師匠の物まねをしようとすると、スーッと噺が入ってきます。けれどもそれは落語ではありません。物まねです。だから、たまに高座に呼ばれても、先輩方には受けるのですが、師匠方には興味を少しもたれる程度だったのです。
ヒラヨシが、師匠に呼び出されたのはそういう高座を何度か経験し、そのことでラジオに出させてもらった時でした。
「落語はもうやらねえのか?」
師匠の言葉は胸に突き刺さります。だからそのことに応えられなかったので黙ってしまいます。
「落語がすべてじゃねえよ。けどな、落語がやっぱりすべてなんだって、俺は師匠からそう言われた。それがある日、俺の落語を聞いて旨いって頷いて帰った客を見た時に、何かを感じたことがある。それがなかなかわからなかったんだ。俺はテレビが大嫌いだ。けどな、否が応でも、このご時世だ。嫌々でも目に入る。そうすると、公開番組なんぞを最近テレビでやっていて、そのテレビの中の客はいつも笑っている。皆同じように笑っているんだよ。そうか、落語には単純に腹を抱えて笑えない時があるって、ひよっとしたら落語はお笑いじゃないのかって、その時思ったんだ。お前を見ていて、俺はひさしぶりになんか師匠から言われたことを思い出してな。俺はだからって、落語をやり続けていることに嫌気がさしたなんてことは一度もない。なんたって、落語が大好きだからな。でもな、あのテレビの客を観てると、あの笑いってすごいなあっても思うんだ。お前、落語で客を笑わせたって思ったことがあるかい?ないだろう。だから、落語が面白くないんだろ。けどな、そんなに簡単じゃないってわかるだろ。客は簡単に金を払わないってわかるだろ。それは面白いとかそうじゃないとかじゃないことだってわかるだろ」
「師匠・・・」
なぜか涙が止まりません。師匠はそれ以上のことは何も言いません。そしてしばらくその涙に黙って付き合ってくれます。
「何かやりたいことがあるのか?」
最後の一滴まで見届けると師匠は眉間に皺を寄せて、それでも優しい声で呟いてくれます。
「物まねという芸があるんだったら、それをしてみたいんです」
思い切ってそう言ってみます。
「そうか。わかった」
師匠は、しかし、なぜか大きく皺を引き延ばして喜んでくれたのです。
(三)
物まね芸人オムライスは、折角師匠から頂いた噺家としての名前も捨て、新たなスタートを切ります。けれど、芸人の世界は狭く、それまで番組のレポーターや不定期な寄席の前座に出させてもらっていたのですが、破門と落語を辞めたということから、他の芸人への遠慮もあったのかもしれませんが、何となくの忖度が働いて、仕事は次第になくなっていったのです。破天荒な芸人が多かったのですが、オムライスは比較的常識的で、テレビ時代の段取りに優れていたので、その道での仕事を薦めてくれる業界の人もいたのですが、まだ自分の芸が確立していないのにと、まだ若かったこともあり、その申し出を断ってしまったのです。オムライスにはそんな気は全くなかったのですが、どこからともなく、生意気なやつと噂が立ってしまいます。だから、師匠や兄弟子たちにもし迷惑がかかったらと、出来るだけ離れたところから再スタートしようと思って、慣れないより都会の街に旅立ちます。けれども歌がうまいというだけではお笑いは出来ません。誰も伝手のない見知らぬ土地で、その昔テレビに時々出ていた程度の芸人を全面的に信用して使ってくれる業界の人はほぼいなかったのです。
そんな鬱積した時にアルバイト先で出会ったのが、妻だったのです。
オムライスはとあるイベントの司会を頼まれます。本名で仕事を受けたので誰も物まね芸人だと気づいてくれません。そのイベントは若者向けの化粧品会社の主催だったので、まだ売り出す前の女優やモデルがいたのです。オムライスにとって久しぶりの芸能界を感じる仕事だったのですが、もちろんオムライスが女性たちと近づけるはずもなく、むしろ遠ざけられるような扱いだったのです。
オムライスはそれでも芸人です。少しだけであったとしてもテレビにも出ていた過去があります。それにこのようなイベントの進行や回し方は得意です。だから仕事としてはむしろ彼女たちの方が緊張していたので、オムライスは出来るだけほぐしてあげようと笑いも少し入れてみたのです。
イベントはそれなりにトラブルもなく終わったのですが、オムライスは主催者に怒られます。もっとまじめにやれと言われたのです。オムライスはムッとしたのですが、少し表情をこわばらせるだけで、土下座するような卑屈な表情で平謝りするしかなかったし、まだそういう時代だったのです。
「ねえ、飲みに行こうよ」
帰り際に声に声を掛けてきた女性を見た時に、なぜかこんな人と付き合えたらと、単純に思ったのです。でも、オムライスにはお金がありません。それでもなんとか嘘をついてでもと思ったのですが、歌まね芸人なんですが、まだ売れてなくてお金がないんですと、「まだ」が余計だったのかもしれせんが、正直に言っていたのです。
「そう。でも、今日私のことを助けてくれたからごちそうしなきゃって思って・・・」
「助けてなんていませんよ。仕事ですから」
「でもそれで怒られたんでしょう。ごめんね、私見ちゃったの。それとも女性におごられるのイヤ?」
「そう言うことは・・・」
「だったら、歌ってみて、私その歌にお金を払うから」
いつもならこのような言い方をされると逆に歌わないことが多いのですが、なぜか生意気だと思わなかったどころか、道端で行き交う人がいたのに彼女に魅入られるように憚ることもなく歌っていたのです。
「ごめんね。私、この業界に居るのに芸能人に疎くて。でも歌はうまいわ。でも歌にあなたの個性が感じられなかったのは残念ね」
「歌まねですから」
二人は思わず大声で笑っていたのですが、その絵にかいたような出会いは、オムライスが酔った時に後輩に話すネタなのかもしれません。
きっかけはどうでも良かったのです。オムライスは妻と出会い、その後、何度かデートに行き、そして二人は結ばれるのです。
「ちゃんと食べてる?」
「ああ」
「ちゃんとお風呂に入っている?」
「時々」
「ちゃんとご飯食べてる?」
「今日はまだ」
「私の家に来ない?」
オムライスはそのままアパートに帰らず、妻の所に転がり込んだのです。
その夜。妻に初めて作ってもらった手料理は偶然にもオムライスだったのです。妻は、本当はオムレツを作りたかったのですが、たまたま買い置きの具材がなく、ご飯が余っていたからと、ケチャップライスをパリパリにした薄い卵焼きで巻くしかなかったのと、オムライスという芸名だと初めて口にした時にあの夜のことを話すと、妻は笑ってそう話してくれたのです。それでもオムライスはオムレツでなくて良かったと、心からそう思ったのです。そして、オムライスという料理は妻の屈託のない笑顔とともにまた新しい記憶を刻んでくれたのです。
オムライスは妻と暮らし始めてしばらくすると籍を入れます。子供が出来たからです。自分一人の生活費すらまだ稼げないオムライスが子供を持つなんて、信じられないことだったし、妻は別に籍を入れなくてもと言ってくれたのですが、けじめだと言ってオムライスは役所に行きます。これからは家族のためにと思うのですが、思えば思うほど空回りしますし、売れないオムライスのために結婚してくれ子供まで授かったのに妻の親に挨拶さえなかなか行けなかったのです。
それでも、以前にも増して、オムライスは覚えられてもいないのに、昔落語を少し齧っていた忘れられた芸人として、色々なところを回ります。スナックや盆踊り、歌唱教室なども回ります。もちろん物まねなのですが、そういうところでは、笑いこそ生まれなかったのですが、物まね自体は評価してくれたのです。そういうことを繰り返しているうちに、物まね芸人ではなく、物まね歌手として、ラジオやテレビや演芸場に呼ばれることが少しずつ増えてきたのです。
もう四十に手が届きそうな年齢になっていたのですが、若手物まね芸人オムライスとして、その名前は次第に認知されていきます。けれども、番組に呼ばれれば呼ばれるほどオムライスは不思議な気持ちになります。なぜならいつしかオムライスは拍手で迎えられるようになっていたからです。
「俺は何をやっているんだ」と、師匠の言葉が思い出されたのです。
オムライスは物まねで何とか笑わせようと思います。けれども、オムライスの物まねは歌まねであり、声まねです。だから、このことは外せないし、外して笑いをとってもそれはおしゃべりであって物まねではなくなってしまいます。
それでも、先の見えないオムライスは、歌いだしの歌手紹介を一人でまず話を創ってから、そのあと物まねで歌を歌うことにしてみます。自分ではある程度練られたと思った歌手紹介のネタであったので、それなりの笑いを取れるのではないかと思ったのですが、そう甘くもなく、もちろん漫才ではないので相方からのツッコミもボケもありません。だからむろんそれを自分一人でするのです。落語をやっていたので一人で話すのは苦にならないのですが、どうしても落語口調になってしまいます。お客さんを少し巻き込めばよかったのかもしれませんが、若さがそれを躊躇させます。だからと言って、落語口調を止めてしまうと、結局一本調子となって、内容よりもそのことが笑いを打ち消してしまいます。それまで誰もしたことがなかったのですが、誰もしたことがなかったからどうしたものかと余計に戸惑ってしまいます。それに、そのことを引きづって歌いだすと、その切り替えは難しく、物まねにも影響してきます。そしてそれまでそれなりに笑ってくれていたときでも、歌が始まると静かになります。やはりどうしても歌まねでは笑いが取れなかったのです。
それでもそういうことを繰り返していたのです。もちろん、そういうことが出来る演芸場というのは限られていますし、お笑い芸人ではないオムライスに声がかかるわけではありません。けれども、そういう地道な努力を見てくれている先輩もいたので、時々一緒にやろうと誘ってくれたので、なんとか試みることが出来たのです。
「奥さんに感謝しろよ」
先輩からそう話しかけられ、オムライスははっとします。周りの芸人の中にはアルバイトに追われてなかなか芸人として努力できなかったり、家族を守るために仕方なくこの世界から去って行ったりしていたものがいたのです。もちろん才能も有ります。好きだけでは続けられない世界です。けれどもほとんどの芸人はお笑い自体が嫌いではないのです。好きだから続けたいと思っているのです。
オムライスの妻は仲間数人と小さな旅行会社を始めていて、それなりに稼いでくれていたのです。だから、芸事だけに集中できたし、芸人仲間の飲み会に出来るだけ参加できたし、後輩の面倒も時にはみられたのです。しかし、オムライスはいつしかそれが当たり前だと思うようになっていたのです。だから先輩にそう言われた時に、何か手伝おうかと、ひよっとしたら、添乗員になってもらいたいと思っているんじゃないかと、オムライスは妻に言ったことがあるのですが、妻は、それより何か面白いこと見つかった?と、妻はまだオムライスの未来にかけてくれていたのです。
だからと言うことではないのですが、オムライスは鏡の前に立ってみます。そこには自分の顔が映っています。どうにかして顔の表情を出せないかと思ってみたのです。けれどもなかなか思い浮かびません。でもそう言えばと、鼻を動かしてみます。子供の時に何気なくやったことですが、鼻を動かしただけで友達が笑ってくれたことを思い出したのです。子供の何気ない動作は思春期には却って恥ずかしくなります。だからそういうことはやらなかったし、それからは鼻が動くことを意識しなくなっていたのです。多少心配だったのですが、鼻はちゃんと動いたのです。もちろん鼻自体が上下運動をするわけではありません。小鼻がひくひくと動いてくれる程度です。昔はもっと大きく早く動いたような気がしたのですが、久しぶりの事なので仕方がないのかもしれません。
次に耳を動かします。さすがに耳を動かしても笑ってはくれません。却って子供の時は気味悪がられます。だから密かに自己満足のために思い出したように動かしていたのです。耳も同じように上下に動くことはありません。小象のように大きく靡かせることもできません。かすかにパタパタと前後に動くだけです。そして今度は鼻と耳を同時に動かしてみます。そうすると、同じ動きしかできないのですが、鼻はひくひくと耳はパタパタとまるで音を奏でるように動いたのです。
オムライスはしばらくの間、鏡の前で、鼻を動かし、耳を動かし、そして鼻耳を動かしと、発声練習のあとに鏡の前でその動きを繰り返してみたのです。おまじないではなく、そのことが物まねを笑いに変えてくれないだろうかと思ったからです。けれど何もヒントは沸き起こってきません。だからと言って、止めることもできません。オムライスはしばらく混沌と日々を過ごします。
そんなある夜にまた先輩に飲みに誘われます。何か面白いことはないかと、後輩達をいじりながら、それでも面白さを引き出そうとしてくれます。オムライスはここぞとばかり、鼻を動かし、耳を動かし、最後に鼻耳を動かします。先輩はグラスを持ったままで見入ってくれたのですが、最後には笑いながらもやはり気味が悪いとつぶやいたのです。オムライスは愛想笑いで返すしかありません。
「蝋燭立てて、一人夜中に鏡の前で練習してたんじゃねえよな」
先輩はまたにやけています。しかし、オムライスの馬鹿正直な顔を見て、ふとこう言ったのです。
「誰が、そんな微妙な動きに気が付くと思う?テレビでもカメラマンさんが気を使ってかなりズームインしないとわからないからな。劇場だったら、なおさらだろう。表情は出来るだけ大げさに、顔真似も大げさにしないとな。笑いの鉄則だろう」
オムライスはでも鼻耳を微妙に動かせても顔全体が動かせるとは思っていなかったのです。だから、不安だったのですが、物まねする歌手の特徴を出来るだけ大げさにして顔を動かしてみたのです。もちろん鼻耳は動きませんが、案外大きく顔の筋肉を動かして表情を変えることも出来たのです。オムライスは等身大の鏡を買います。そして、歌に合わせて、その歌手の表情を出来るだけ大げさにして見ます。
それでステージに立ってみたのです。お客さんはオムライスに大笑いしてくれます。オムライスはそれで一気に人気が出ます。けれどもそれは顔真似です。今度は声でお客さんはひきつけられません。なぜなら、身体や顔を動かし続けると歌が耳に入ってこないからです。
オムライスは歌が好きなのです。お笑いと同じように好きなのです。そしてそれは声を出すことです。声でお客さんを楽しませたいのです。
オムライスは父と訪れた演芸場のことを思い出します。色々な分野の芸人さんがいたことを思い出します。そして、そのことを一人でやってみようと思います。
自己紹介、歌まね、顔まね、一人語り、そして、形態模写と、これまで培ってきた芸を、自分一人で自分自身を最大限引き出せるような演出を創りだそうとしたのです。それは、テレビに出ることから遠ざかることになるかもしれません。けれどきっとお金を払ってまでお客さんは必ず笑いに来てくれるとオムライスは確信したのです。そして、それは物まね芸人オムライスがお笑い物まね芸人オムライスとして独り立ち出来た瞬間だったのです。
(四)
オムライスのはじめたコンサート形式のお笑い物まねショーは小劇場から始まります。もちろん最初からうまくいったわけではありません。それでも紆余曲折はありつつも、今では歌手の皆さんがコンサートを行うような大劇場ですら満杯にすることが出来きるようになったのです。もちろん、大劇場ですべてのパフォーマンスを見せることはできません。巨大なスクリーンに映し出すしかありません。でもそれなら劇場でやる必要はないのだと思い直して、そこそこのそれも地方の会館を回るようにしたのです。そしてその代わり、短時間の物まねを考え、時々はトークを中心にテレビにも出るようにしたのです。
お笑いはシビアです。お客さんは新しい笑いを求めてきます。オムライスは売れてからやっと芸人としての現実を知ります。だから、お笑いを提供しているはずなのに、笑っていない時間が多くなったのです。それでも、オムライスは幸せです。自分のやりたいことをして、生活できているからです。オムライスは休みなく働きます。それでも遅咲きだったので、もはや気が付くと染めなければ白髪を隠し切れない年齢になっていたのです。
オムライスは幸運にも家族に恵まれます。家族の思い出作りを何一つやって来なかったですが、二人の娘は、目立った反抗期を迎えることなく大学生となり、妻はオムライスが売れ出すと仕事をきっぱりとやめ、オムライスを献身的に支えてくれる、そんな気遣いが打ち水のようにじんわりと浸み込んできて、すがすがしい気分にさせてくれていたのです。
そんなオムライスを黙って見守っていてくれていたのは妻や娘だけではありません。両親もそうです。ずいぶん年老いてしまっていたのですが、昔の人で一切贅沢なことをしなかったのです。お小遣いをあげてもすぐに使うことはまれで、芸人はいつどんなことになるかわからないからと、反対に、ちゃんと貯金しているの?無駄遣いはしていないわよね?と、いつまでたっても子供扱いが抜けないのです。特に父親はあれほど無口でぶっきらぼうだったのに、母親に頼んで、オムライスの記事やその頃発売されたビデオに出演番組を録画することを、職人を辞めさせられたからと、それでも困った様ではなく、反対に嬉しそうな笑顔を見せてくれていたのです。
オムライスは忙しくなってからはそれなりに収入を得られるようになります。だから、家族のために大きな家を建て、家政婦を頼み、両親にも家を建て、出来るだけの金銭的な補助をしたのです。そして、まだ結婚もしていないのですが、弟が時々両親を見舞ってくれていたのです。弟は大学で何やら小難しい研究を続けている様なのですが、オムライスが何度聞いても良くわからなかったのです。あの時テレビを独占して読書に走らせたのは良かったことだったのかはわかりませんが、弟に今の仕事が好きなのかと聞くと、兄貴のおかげで好きなことをさせてもらっていると、弟もいつも笑顔で答えてくれるのです。
家庭内ではいつも笑顔が絶えなかったのですが、オムライスの表情は冴えません。むしろ、この幸せな空間が身体を否応となく締め付けてくるようで、常に口をパクパクさせなければ、窒息してしまうような息苦しさを感じてきていたのです。もちろんそれは一線を走っている芸人にはつきものの孤独というものなのかもしれません。周りを見ていると、もっと肩から力を抜いているように思えますし、芸人同士で旅行に行ったりもしています。オムライスもそういうことをしていないわけではありませんし、特に飲み会はスタッフの親睦も兼ねて催しています。けれども、その度に笑いでお金を稼ぐのは大変だと言う父の言葉を思い出して、つい仕事の話をしてしまったり、しなかったとしても何かヒントが転がっていないかと思ったり、本当に楽しめないでいたのです。このままこんな素晴らしい日々が本当に続いていくのだろうかとふと笑顔の消える恐怖と闘ってもいたのです。
そんな悶々とした日々に弟から思いがけない連絡がきます。それはある里山に最近できた老健施設に両親が移りたいと言ってきているということだったのです。妻は両親との同居を拒むことはなかったのですが、不規則な生活を支え、家庭を切り盛りしてくれているのに、それ以上の負担はかけられないとオムライスが思っていたのです。弟は近況を報告してくれるし、妻も全く顔を出さないこともなかったし、世話をしてくれる家政婦さんを雇っていたし、そしてなによりも高齢で動きはずいぶん鈍くなっていたのですが、ふたりとも仲睦まじく、大きな病気もせずにまだ自分のことを何とか自分で出来ていたことが大きかったのです。でもそれはオムライスの勝手な思い込みかもしれません。両親は寂しかったのかもしれませんし、長男であるオムライスに何らかの期待を寄せていたのかもしれません。
オムライスは休みを取って久しぶりに両親に会いに行きます。売れていないから会いに行けなかったし、売れたから会いに行けなかったのです。いやそれを口実にしていただけかもしれません。
「どうして老健施設に移るんだい?あいつが心配してね」
ずいぶん小さくなった両親に膝まずくように身を寄せると、それでも、元気そうなので良かった、と安堵の目じりを向けながら、オムライスは妻の気持ちをそっと伝えます。
「ごめんなさい。でも、今回のことは私達の我儘なの。だから、気を使わないで。本当にごめんなさい。いつも良くしてもらって感謝しているのよ。今度ちゃんとお話しするけど、ヒラヨシからも言っておいてね」
「オヤジはどうなんだい?」
オムライスは母からではなく父から事情を聞きたいと思ったのです。
「お前には言ってなかったけど、母さんとは幼馴染でね、あの里山で生まれ育ったんだよ」
オムライスは初めて聞く話です。もちろん子供に、どこで出会った、どうして結婚するようになった、などを自らは話してはくれませんし、両親はそんなことを話す性格ではありません。もちろんオムライスからも聞けません。それが当たり前だったのです。だからこういうことがなければ知らないままだったのかもしれません。そんな父がそれでも自ら話してくれているのはそれなりの思いがあるはずだと、強く伝わってきます。
「ずいぶん昔だから。子供のころはみんなで野山を走り回っていたんだよ。狭い里山だったから、みんな顔なじみで。兄弟みたいで。それでも。中学を卒業すると働きに行かなくちゃならなかったんだ。次男坊だったから。それで、職人の道を選んだんだ。だけどな、お前もわかるだろう。職人の世界がどんなに厳しい世界だってことは。昔だから。口答えなんかしたら、すぐに殴られたよ。それに、下働きばかり。ていよく雑用ばかりでこき使われて。それでもいつかは職人になるんだと、三年間は我慢したんだ。行く当てもなかったし。そしたら親方がある日私の所に来て。ある現場に助っ人に行ってくれないかって。何も教えてもらっていないんで、大丈夫かと思ったんだけど、手伝いだかって。それで現場に行くと、なんか胡散臭いというか。どうやら堅気の家ではないことがわかって。私は胆がまだ据わってなかったんだろうな。なんたってまだ未成年だから。それで、緊張のあまり、つい、しくじってしまったんだよ。そうしたら、急に大声で騒ぎだして、どうやら後始末をどうのこうのの話になって。ひとまず私だけ帰させられたんだけど。帰るなり親爺さんに殴られて。それで、詫び入れて来いって。わかるなって言われて」
父はそっとオムライスに小指を差し出します。もちろん、小指がなくなっているわけではありません。
「その仕事にもちゃんと大将がいたんだよ。だから、本当は大将の所に行かなければならなかったんだけど、親爺さんは付き添ってくれるどころか、知らぬ顔だし、私はあの家に行くのが恐くなって、そのまま、里山に戻ってきたんだ。里山には小さな神社があって、良くお参りに行っていたし、皆に会うのがつらかったから、軒下で眠り込んでいたんだ。そうしたら、朝になって。どうしたもんかと思っていたら、あいつが、お参りに来ていて。別に驚かすつもりじゃあなかったんだけど」
「お参りに来ていた母さんに偶然出会ったんだ」
「ああ。そうさ」
「あいつ、はじめは驚いていたんだけど、急に私の顔を見たら泣き出して。それで・・・。あいつの話を聞くと、身売りされたって。どういうことかわかるだろう。昔だから。母さんもずいぶんつらい選択を迫られていたんだよ。日が暮れるまで、何も食べないで二人で話続けていたと思う。まだ子供なのに、もう先はないと二人涙を流していた。それでも、私のお腹の音が鳴って。あいつのお腹の音が鳴って。そしたら、暗闇の中で、神社の中だけが輝いているように思えて。不思議だったんだけど、お互いが笑いだしていたんだ。悲しいはずなのに、とても、つらいはずなのに笑っていて。笑っていると元気になって。お腹が空いて。お腹が鳴って。それを聞いているとまた笑って。今思うと夢のような時間だったんだけど、あいつも私もいまでもちゃんと覚えているんだよ」
「それで・・・」
「それでね。逃げるのは止めようって。逃げていても神様は助けてくれないって。何となくお互いがね」
「母さんはでも女学校に行っていたんだろ。あれって嘘なのかい」
女学校を出たのは控えめな母の唯一の自慢なのです。
「そんなことはない。身売りされたって思っていただけで、女中として奉公に出されただけだったんだ。そこで一生懸命働いたんだろう。それで気に入られたのかもしれない。いや、主人が良い人だったんだろうね。あいつに勉強する機会を与えてあげて。あいつはいつ身売りされるかびくびくしていたから頑張って嫌われないようにしていただけだって言ったんだけど」
珍しく父の口元が幸せに引っ張られて緩んでいます。
「じゃあ、父さんは?」
「あれだけ怖かったんだけど、神社にお参りに行った後は、嘘のように消えていて。神様に後押しされたのかなと本当は思うべきなんだけど、あいつの声が聞こえてきたんだ。それで、一人でいいから、どうなってもいいからその家に謝りに行こうとしたら、たまたま、その仕事を請け負った大将の元で働いていた、二番手の職人さんに出会って。それでその人に事情を説明したら、もう、済んだからって。すべて終わったからって。でもその人の右手は赤い包帯でまかれていたんだよ」
父の目じりが善と悪に両側から引っ張られているように思えたのです。
「それで父さんはどうしたの」
「その人は独立するって。だから、手伝ってくれないかって。この手だからって。笑いながら私に言うんだよ。まだ、職人にでもない小僧にだよ」
オムライスは初めて父の頬を流れる悲しみを聞いたのです。その声を黙って見守るしかありません。大将の元を離れた二人が、それも堅気でない人達に一度は睨まれた二人が、あの時代にどのように仕事を紡いでいったのか、オムライスには想像すらできません。けれども、その後の父の仕事ぶりとその熱意を見ていると決してその時間が無駄ではなかったと確かに思うのです。
「母さんとは?」
オムライスは控えめにそれでいてそう言わざるを得なかったのです。
「戦争がね」
父はまた険しく、それでいて、不思議そうにどこかを見つめています。
「大勢の仲間が死んだよ。理不尽な訓練を受けて、そして戦地に行って。でも、私は・・・」
父はそのことについては多くを語ろうとしなかったのですが、戦地で偶然だったのですが、あの家の堅気でない人にたまたま出会って、何となく助けてもらったというのです。父が最初に奉公していた大将は金だけもらっておいて父のことを知らないって言い張り続けたそうだったようなのです。かわいそうになって。生い立ちはわかりませんが、本当は優しい人だったのかもしれません。
「戦争が終わって、無事に内地に戻ることが出来たんで、一人前の職人として育ててくれ、一緒に仕事をさせてもらっていた師匠を探そうとしたんだけど、見つからなくて。というよりも、探している場所自体がどこなのかわからなくなって。そうこうしているうちに里山に来ていたんだ。きっと笑うだろうけどね、あいつの声が聞こえたんだよ。里山は全く変わっていなかったんだ。神社も昔のままで。周囲の山々も畦道もそのままで、本当に戦争があったのかって思ったくらいだったから。それで、神様に無事に帰ってこられたことを感謝していたら、あいつが現れて。あの時と同じように。でも今度は笑いながら涙を流してくれたんだ。そしてね。約束を守ってくれたのねって」
「約束?」
「私は全く覚えていなかったんだけどね。一人前になって戻ってきたら、結婚しようって。ここで待っていてほしいって」
父は母に向かって確かにそう言ったとは神様からの声は聞こえません。けれども、そうなることを父も望んでいたことは確かだったようです。戦後まもなくだったのに、里山では食糧を求めてぶつぶつ交換することもあって、高そうな婚礼着さえももってくる人がいたのです。だから、村人が久しぶりに集まってささやかな結婚式を挙げることが出来たのです。そして二人は一緒にこの里山を旅立ったのです。いつか必ず帰ってきますと、声には出さなかったのですが、神様に伝えたと父は今度ははっきりと言ったのです。
「あいつには内緒だけど、だから女学校を本当は卒業していないんだ」
父は珍しく嬉しそうだったのです。それは母を揶揄しているのではありません。それでも、オムライスのために台所に籠りっぱなしの母からくしゃみの音が聞こえてきそうです。
「あいつが時々どこかに出かけて行くのに気がついていたかい?」
オムライスは幼い頃母に見知らぬ場所へ連れられ、見知らぬ人に会わされたことを思い出します。
「あいつを、つまり母さんを育ててくれた恩師のボランティア活動の手伝いに行っているんだよ。その方はもう亡くなられたんだけど、その意志は体が丈夫な限り続けたいって。こっちも貧しかったんだけどね。でもうちの家族は皆笑えているからって」
父は初めてオムライスの顔の真向かいを見つめます。少しはにかんでいるのかと思ったのですがそんなそぶりもなく、力強いものだったのです。きっと、笑いを届けることを仕事にしているオムライスに何か伝えたかったのかもしれません。いや、この頃全く笑えていないオムライスに何かを促してくれていたのかもしれません。けれどもそのことをもはや尋ねることは出来ません。そして両親は里山へと向かったのです。
(五)
「犬を飼いたいの?」
妻が珍しく一人で里山の神社に参拝した後に、オムライスはそう告げられます。二人の娘は大学を卒業し、家を出ます。上の娘は結婚し、子供も出来たのですが、遠方で暮らしています。妻は暇を見つけて娘たちの所に行きたがっているのですが。オムライスのことを一番に気遣ってくれています。妻は寂しいのかもしれません。そう思うとつらいし、妻のために何かをしてやらなければと思うのですが、オムライスの仕事は減るどころか増える一方です。
その上、オムライスは若手芸人を助けるためにちょっとしてライブハウスを作ります。もちろん物まねタレントだけではありません。けれども新人ばかりです。採算はすべてオムライスにかかります。老健施設を時々妻と訪れるようになって、帰りに神社を参拝すると、子供のころの思い出が蘇ってきてオムライスに何かを芽生えさせたのかもしれません。ライブハウスの完成記念の時、両親を招待すると、車椅子の父はおそらくその笑いについていけなかったに違いないので愛想笑いだったのかもしれませんが、それでも心から楽しんでいるという風に見えたのです。
両親は里山での暮らしを本当に楽しんでいたのです。けれども、父が亡くなり、その後をすぐに追うように母が亡くなり、二人が過ごした老健施設も老朽化と、オーナーが代わったことで新しく建て替えられることになったのです。とても寂しかったのですが、里山はそのままです。神社もそのままです。変わるものもあれば、変わらないものもあります。仕方がないことです。
「孫に会いに行けなくなるね」
もちろんその時はオムライスが世話をするだけの事なのです。誰かに任せる金銭的な余裕もあります。けれどもなぜかあえてそう真面目な声でつぶやいていたのです。
「わかっているわ。新しい家族を迎えるのよ」
妻がどういう気持ちからそう言ったのかはわかりません。きっとオムライスが妻への気遣いなく言ったとは思っていないでしょうが、妻の心音をこの時はあえて聞かなかったのです。
妻はペットショップで愛らしい子犬を見つけて来たのではありません。犬種など知らないオムライスでしたが、何となく雑種であることは見てすぐにわかったのです。中型犬でしたが、オムライスの家にやってきた時には、尻尾を下げて、おどおどしながら遠巻きにオムライスを眺めているような印象だったのです。まだ、二歳で、人間に換算すると青年男子なのに、その臆病な少し体を丸めるような姿からは、到底そうには思えなかったのです。
「スプーンって名前にしたの」
我が家にとって初めての男の子です。当然名前の由来はオムライスからだと誰もがわかります。
スプーンは子犬の時に大きな災害にあったそうです。その災害は人間にもななんらかの影響が出るのではないかと言われていたので、ずいぶんひどい扱いを受けた後に施設に収容され、殺処分されようとしていたのを、犬への影響を調べるためであったのでしょうが、ある研究機関があずかり、しばらく何らかの検査を受けた後に、すこし遠方である里山近辺の保護施設に引き取られたようです。
「検査結果では何も影響なかったのよ。それなのに要らぬ噂を流すもんだから」
スプーンは愛らしい顔をしています。だから結構人気者だったのですが、保護施設の職員が、今までの経過を説明すると躊躇される方が結構いて、それでなかなかうまくいかなかったようなのです。保護施設には引き取り期間があります。すべての犬の未来を約束することはできません。妻もそのことをよく知っています。だったら、この子だけでもと、もう犬とは思っていなかったのです。
スプーンは臆病だったのですが、妻にべったり寄り添っているということは当初はなかったのです。周りに常に気を張り、物音にとても敏感だったのです。それでいて、妻が遊ぼうとすると喜びを表すのですが、何か物音がするとすぐに部屋の隅でうずくまったりするのです。
スプーンは散歩もあまり行きたがりません。いや、きっと散歩が嫌いなのではないと思うのです。だからと言って、陽が落ちて暗くなってから連れ出そうとしても、クーンと寂しいそうな鳴き声で、尻尾を丸めてしまいます。だから、妻は陽が昇るか昇らないかの間に出来るだけしずかな道を選んで、散歩に出かけていたのです。
スプーンは賢い犬です。だから、ここに来てほんのしばらくすると、順位を把握します。オムライスはスプーンにとって最初はもっとも恐ろしかったに違いありません。何故なら、オムライスの気配を感じただけで、本来なら自らは入りたがらないゲージにものの数秒で収まっていたからです。舌を出し、はあはあと息を切らしながら、オムライスを見ている姿を見ると、そんな態度をどうして見せるんだと憤りを感じるどころか、今までどんな扱いを受けていたのかと、切ない気持ちの方が強かったのです。
一日一日と、朝昼晩、妻はスプーンに声を掛けます。けれど、スプーンはクーンとまでは鳴くのですが、吠えたりは決してしません。本当は吠えてほしい。それは返事なのだから、吠えてもいいんだよといくら話しかけても、クーンという鳴き声しか聞こえません。それでも、妻はそのクーンにも感情があるのよと嬉しそうにオムライスに話します。オムライスは物まねのプロです。音の微妙さに気が付かないわけではありません。それなのに、オムライスにはわかりません。ひよっとしたらまだオムライスには色々な感情は見せていないのかもしれません。
スプーンが来てから、一年が過ぎようとしています。家の中ではもはやスプーンは誰に怯えることもなく、妻と二人きりの時は家の中を走り回るまではいかないまでの小走りにうろうろすることもあります。外に散歩に連れて行く時間も少しずつ遅くなっていきます。もちろん、人と出会っても、立ち止まることはあっても後ずさりすることはありません。たまにかわいいと子供が無邪気に近づいてくることもあるのですが、その時は妻が何かと気遣ってあげているので、そのことにも少しずつ慣れてきています。
スプーンはそれでも、勝手な行動や不用意に自ら妻に近づいてくることはありません。甘えたいときもあるのでしょうが、そのことをじっと我慢しながら遠巻きに眺め、そして喜びのクーンの声を上げます。きっと、どこかで何かがスプーンを押しとどめているのでしょう。妻は特にそのことがわかるので、涙ぐみながらスプーンの身体中をさすってあげています。
「でもね、私に甘えたい時の表情ってとっても愛らしいのよ」と、妻は目じりを下げながら、「もったいないわ。私だけじゃなくて、皆に見せてあげれば幸せな気分になるのに」と、まだオムライスに対しては時々様子伺いの視線を送ってくるスプーンのことを知ってか知らずかはわからないのですが、そんな事は全く意に介さずに、少しがっかり顔のオムライスにそう言うのです。
スプーンが唯一自ら近づいて行ったのは娘が里帰りした時です。当然娘の顔を見て、妻の後ろに隠れたのですが、クンクンと娘が抱いている孫に近づいて行ったのです。もちろん娘は一瞬ひるみます。わが子を守ろうとします。そうすると、スプーンは申し訳なさそうにクーンとまた声を漏らすのです。
「だいじょうぶよ」
妻は娘に言い聞かせ、スプーンを孫の所に連れてきます。スプーンは娘をチラチラしながら、嬉しそうに尾っぽを揺らしています。スプーンはオスです。いやれっきとした男です。けれど、まるでお母さんが子供を愛しく包み込んであやしているように、クーンと囁き声はとても柔らかったのです。
孫は天真爛漫です。けれど、どんなことをされてもスプーンは終始、気に留めることなく穏やかな面持ちです。それでいて、インターフォンが鳴ったりすると、素早く孫を守ろうと立ち上がります。
「スプーンは優しいのね」
緊張していた娘も、オムライスや妻と同じように、次第にスプーンに心穏やかな気持ちにさせてもらっていきます。
「ねえ、スプーンはみんなを癒すのかもしれないわね」
娘も孫もいつしかスプーンのそばから離れません。孫はぐずることがあってもスプーンが近づいてくると、心が落ち着くのか寝入ってしまうこともあったからです。
「今まで人には嫌な思いを一杯受けたに違いないのに・・・」
オムライスは下積み時代を思い出します。芸人が猿回しの猿以下に扱かわれたあの時を思い出します。汚いトイレで着替え、酔った客にビールをかけられ、バブルで撒かれた道端のお札を拾わされ、そして、ぽっとでの新人に現場以外でもため口以上の言葉を浴びせられる。オムライスは何度も爆発しそうになり、相手を殴りつけてやりたい気持ちになったのですが、そうすると芸人として終わってしまう、明日から好きな仕事が出来なくなる、そういう足枷が、本当はダメなことだったのかもしれませんが、何か使命感のように自己犠牲を促したのです。
「スプーンも同じなのか・・・」
オムライスは妻にそう告げていたのです。知らない誰かにいじめられていたからこそ、知らない誰かを癒してあげてほしい。それは二人の我儘だったのかもしれません。スプーンはやっと心が落ち着いてきて安らぐ場所を得られたにと、そう思っているのかもしれません。けれども、もはや二人の思いは強くなっていきます。
そんな時だったのです。里山の老健施設が完成したのです。オムライスは自分が入るわけでもないのに、いてもたってもいらえれなくなって、しばらく悶々としていたのですが、自ら慰問を申しでたのです。オムライスはもはや有名な芸人となっています。子供からお年寄りまで全国津々浦々とは到底行きませんが、それなりに知ってくれている人もいます。それにこういう所ではお年寄り向けに少し昔の歌手の物まねが出来ます。そうすると、懐かしい思いで聞き入ってくれるのです。過度な物まねはしません。笑ってもらうどころか真顔で注意されます。遠い昔の思い出にすすり泣く声も時として聞こえるのですが、物まねが終わると、皆穏やかな笑顔で拍手をくれます。
「ここに来てよかったわ」
妻の前でいつもの芸風と違うとは言え、芸人としての姿を間近で見せることはとてもキツイことなのですが、両親が妻の傍らに立っていると思ってやり遂げたのです。だから妻はご苦労さんと、ねぎらいの言葉を掛けてくれたのだと思ったのですが、そうではなかったようです。
「ねえ、ここにスプーンを連れて行きたいわ」
「どういうこと?スプーンはいるじゃないか」
スプーンの姿はここから見えませんが、きっと施設の外でおとなしくしているに違いありません。
「そうじゃなくて、この施設内に連れてくるってことよ」
「どういうことだい?」
「さっきね、施設長さんとお話ししていたんだけど。セラピードッグって介護犬っていうか、病気の方やお年寄りの癒しをする犬が世界にはいるんだって。本当は病院とかで活躍するそうなんだけどここは医療施設も併設されているでしょう。だからうってつけじゃないかって。まだ、どうしようかって迷いっているそうだけど、前向きに考えておられるんですって」
「ひよっとして・・・」
「そう、うってつけの名犬がいるわって言っといたの」
妻はスプーンのことが今や何よりも大事なのかもしれません。母親が息子を溺愛しているんだと、オムライスはずいぶんキツイと思いながら、妻の前でクーンとスプーンの物まねをしてみます。けれど、妻からは何の反応もありません。それどころか、踵を返すともはやスプーンのところに小走りに向かおうとしていたのです。
「何かわくわくしてきたわ」
妻はそれから幾度かこの老健施設にスプーンと一緒に訪れます。もちろん施設内に、スプーンを招き入れることはできません。セラピードッグになるためには訓練を受けなくてはならないからです。
妻は施設長からそのことについて詳しく聞いて自分なりに勉強したに違いありません。そして、スプーンの生い立ちを包み隠さず話していたに違いありません。妻は浮足立っていますが、その傍らで、スプーンは妻をきょとんと見つめています。
妻はとても寂しかったと思うのですが、意を決し、スプーンをセラピードッグの訓練士さんにあずけてみたのです。スプーンが家から離れるのは初めてです。大丈夫だよねと、閑散とした空間に秋風だけが迷い込んで妻に語りかけてはくれますが、華やかな秋模様が終わり、冬がやってくると、しばらく続く鉛色の毎日が妻から声を次第に奪っていきます。
「どうしたんだい?」
オムライスは妻に尋ねます。
「ううん、何でもないの?」
きっとスプーンのことに気を揉んでいるのに違いないのです。大学生として独り立ちしていく息子を見送る母親の気分なのかとオムライスは思ったのです。それでもオムライスは今日も仕事に出掛けなければなりません。夜遅くまで仕事をしなければなりません。妻のことが気になって後ろ髪を引かれる気分だったのですが、後輩の面倒をみなければなりません。オムライスのステージは今日も大爆笑です。けれども、オムライスの声も観客の声も、劇場の外にまでは届きません。その反対も真です。
(六)
妻が倒れたのは、スプーンが訓練所にあずけられてから数か月経った頃だったのです。オムライスを支えながらの家事、それにスプーンのことと、妻は張り切っているようにも思えたのですが、無理をしていたのかもしれません。その張りつめた想いが急に目の前からなくなって、ちょうどどっこいしょと一息つこうとした矢先だったのです。オムライスは不在だったのですが、たまたま臨時で来てもらっていた家政婦さんが帰らずに居残っていてくれた時だったので、すぐに救急車で病院に運ばれたのです。脳疾患が疑われてすぐに色々と検査をしてくれたそうなのですが、オムライスが駆け付けた時は救急治療室で重々しくはあったのですが、いつものように穏やかな笑顔を見せてくれたのです。
「妻の様態は?」
オムライスは当然ですがフタヤマヒラヨシとして医師と対峙します。
「お疲れになっていたのかもしれません」
医師は検査の結果を色々と話しながら、原因の可能性についても説明してくれたのですが、結局のところ現時点では明らかな異常がなかったということしか理解できなかったのです。
「何もなかったのに妻は倒れたんですか?」
医師の説明の後にオムライスはそうつぶやいていたのです。
「そうですね。おっしゃられることはわかります。けれども、検査の結果ではそうなのです」
検査の結果って、妻は機械じゃないんだと言いたかったのですが、きっと先生は色々な可能性を考えて検査してくれたのだと思うと、結果として妻が大事に至らなかったことを一番に考えることにしようと思い直したのです。
翌日には一般病棟に移り、その後の検査でも明らかな異常は認められなかったので妻は家に戻り、オムライスは仕事に行きます。妻が倒れたことなど何もなかったかのようにいつもの日常が戻ります。オムライスはそれでも嫌がる妻を説き伏せて、毎日家政婦さんに来てもらうことにしたのです。妻への負担を少しでも和らげようと思ったからです。
「スプーンが帰ってくるの」
久しぶりの妻の笑顔です。それに、この頃、少し無頓着になっていたのに、お化粧をして、お洒落な服装に身を包んでいます。
オムライスはそんな妻にあきれ顔を見せながらも、気持ちは妻と同じで、うれしくてうれしくて仕方なかったのですが、家の主人としてのプライドが息子を迎えるような気持ちになっていて、お笑い芸人なんだぞ俺は、と思いながらも、もはやスプーンと会うと涙を流して抱き付いている妻を見て、笑顔でもらい泣きしてしまっていたのです。それでも家を出て一人前になろうと頑張っている息子を見るように妻は優しく体をさすってあげています。スプーンも少しは成長したところを見せたいのか、妻に自らよりそいながら、妻の心音を一生懸命聞こうとしています。
「うちのスプーンは?」
妻は心配げに訓練士さんに尋ねています。
「まず親離れからですから」
セラピードッグになるためには、二年くらいはかかると言われています。課題があってそれをひとつひとつクリアーしていかなければならないからです。もちろん素養や、育った環境もあります。だから一概に言い切れない部分もあるようですが、スプーンの場合はおとなしいというか、人を怖がっているところがあるので、優しくて誰をも癒せる長所もある反面、臆病でしり込みしてしまう短所もあります。
「スプーンは立派ですよ。あんな過去がありながらも頑張っています。きっと、フタヤマさんが愛情一杯に育てられたからでしょうね」
妻はその言葉だけで胸が一杯になったのか、でももうこれ以上泣くのはやめようと必死です。スプーンから離れると、オムライスに寄り添います。そうよね、そうよねと、気丈に振る舞わなければと葛藤している姿が目に見えて伝わってきます。でも、スプーンがクーンと鳴き声で語りかけると、もはや、居ても立っても居られないのか、また、スプーンに抱きついていたのです。
楽しい時間はすぐに過ぎます。その終わりは悲しいのですが、楽しかった過去は必ず残っていて、未来への礎になります。
スプーンがまた訓練場に戻ることになってから、三か月ぐらいした時に、オムライスの仕事場に家政婦さんが現れます。妻に何かあったのかと思ったのですが、意外なことを聞かされます。
「奥様の物忘れが・・・」
家政婦さんによると、物忘れがひどくなっているというのです。スプーンがまた訓練所に戻ったんで気落ちしているだけなんじゃないのかと思ったのですが、家政婦さんによると、妻が倒れてしばらくしてから、何となく変だなと今思い返してみるとと、話してくれたのです。やはり、何かあったのだろうか?だったらなぜ?と、家政婦さんに詰め寄りたい気持ちだったのですが、夫であるオムライスから何も言われなかったし、スプーンのこともあったので、黙っていたというのです。
「でもいまどうして?」
「旦那様に気遣って、色々とメモに書いてらっしゃったみたいなんですが、なんども同じことを聞かれたものですから」
最近そう言えば妻から話しかけらることは少なくなったような気がするのです。オムライスのスケジュール管理も妻への負担を配慮して、マネージャーを雇ったし、何よりも仕事で遅く帰ってくるし、家でもはや食事をあまりとらなくなっていたのです。たまに家にいる時もあるのですが、家政婦さんが食事は作ってくれるし、妻との会話もするのですが、スプーンの事ばかり話す妻に少しうんざりしていたのか、早々と切り上げて部屋に籠ってしまっていたのです。
オムライスは家政婦さんに休んでもらって妻と朝から一日過ごしてみることにしたのです。オムライスはいつものように遅く寝室から出て行きます。妻は先に起きていたんだと、きっと、朝ご飯の支度をしていると、取り越し苦労ではないのかと思ったのですが、台所に行くと、朝ごはんは全く用意されていなくて、テーブルでボーっとしている妻がいたのです。
「ねえ、お味噌汁の具は何がいい?」と、妻はオムライスの顔を見るなり、尋ねてきたのです。
「何でもいいよ」
「そう」
妻は立ち上がり、冷蔵庫の前まで行くのですが、冷蔵庫を開けようとはせずに、またテーブルに腰かけてしまっていたのです。
「おい!」
オムライスは大声で叫んでいたのです。すると妻は、何か急にスイッチが入ったようで、「あら、あなた、今日はお休み?」と、「今から朝食を作るわね。えーっと」と、いつものようにてきぱきさはありませんが、食事を作り始めます。
その日、何度も妻のフリーズした姿を見たのです。それでも何とか前には進んで行っている様なのですが、オムライスは仕事の段取りを整えると、きょとんとした顔で見つめてくる妻を病院に連れて行きます。
「認知症かもしれませんね」
オムライスは言葉を失います。まさか妻がと思います。まだ、六十なったばかりです。見た目はそれ以上に若く見えます。
妻はそれから薬物療法を始めます。妻の病状は少しずつ悪くなっているように思うのですが、それを妻は自覚していません。だからオムライスは担当の医師と相談したあとに、妻に思い切って病状を告げます。妻はオムライスの話にきょとんとしていたのですが、じゃあ、オムライスを作ってみてと言うと、ところどころで立ち止まってしまうのです。お手伝いさんに、あれはどこ?これはどこ?と何度も聞いているのでが、もちろん、お手伝いさんにはお休みを取ってもらっています。妻はそれでも何とかオムライスを完成させます。以前なら手際よく料理をしていたのですが、台所はかなり散らかっています。
「これがオムライスかい?」
「そうよ。おいしいわよ」
「そうだね」
確かにそれなりの味はします。けれども、オムライスが初めて妻に作ってもらったオムライスはソース味ではなくて、ケチャップ味です。スマホで見ると簡単にオムライスの作り方の動画が見られます。だから、その中でケチャップ味の動画を妻に見せます。妻はそれでも気が付きません。もはや仕方がないのかもしれません。オムライスは妻の前でケチャップ味のオムライスを作り直します。妻の半分以下の時間で出来上がったオムライスを妻は口に入れます。その途端、無意識のスイッチが入ったのでしょうか、妻は激しく震え泣き出します。オムライスは妻をしっかり抱きしめます。
そんな日々が少しずつ妻と日常にずれを生じさせていきます。妻の認知は肉体にも影響を及ぼし、これも少しずつ何かを奪っていくように思います。
オムライスは娘達を呼びます。今ならまだ、妻は子供たちのことがわかります。娘はどうしてもっと早く知らせてくれなかったのとか、いいお医者さんにちゃんと診てもらったのとか、泣きながらオムライスに詰め寄ってきます。仕方がありません。でも、あらゆる手立ては尽くしたのです。多少はお金の余裕があるオムライスは色々な医療施設を受診したのです。だから、まだ、進行が抑えられているんだ、と言いたかったのです。娘たちもそうですが、オムライスが一番妻を愛していると自負しているからです。
でも、オムライスは黙って二人の娘に謝ります。二人の娘はお母さんと一緒に住むと言います。けれども娘達にはもはや生活があります。長女にはもう一つの家族がいます。
「芸人としての活動を止めて、母さんと一緒に過ごそうと思っているんだ」
オムライスは二人の娘にそう告げます。ずいぶん悩んだことです。芸人オムライスが皆の前に立てないのです。それは妻が望んでいないことかもしれません。でも、もし、あの時に妻に出会わなければ、妻の助けがなければ、芸人オムライスは成り立たなかったのです。そのおかげで多少どころかそれなりの老後を送れる貯蓄もあります。ただし、若手育成のために始めたライブハウスの経営はあきらめなければなりません。それが唯一心残りだったのですが、オムライスの知り合いが、経営を引き継いでくれるようになったのです。
「里山に行きたいんだ」
父や母が最期に暮らした里山で、オムライスは妻と暮らそうと考えたのです。
「慣れ親しんだこの家でいる方がお母さんにとって幸せなんじゃないの」
娘たちは当然反対します。無理もありません。けれども、妻にとって慣れ親しんでいるこの家でいる方がつらいように見えたのです。妻にとって記憶との対峙は苦痛を伴うように思えたのです。
里山の老健施設は父母が暮していた時よりは少し高給な施設になっています。医療施設も併設されています。お金さえ出せば、入居者の要望にもある程度は応えてくれます。但し、妻は認知症です。これからもっと悪化していくかもしれません。だから、まるで一軒家のような皆とは少し離れた特別施設ではあるのですが、オムライスとの同居が条件だったのです。
オムライスもだったらと言って、条件をだします。スプーンと一緒に住みたいと言います。なぜなら、もうじきスプーンの訓練は終わります。落第点を付けられることなく、社会人として、他の犬よりも早く卒業出来ることになったからです。妻はオムライスの物まねには興味を示しませんが、スプーンが家に戻ってくるたびに喜んでいます。スプーンの事だけは記憶が薄れて行かないのかもしれませんが、あれほど息子を心配して流した涙は、今はありません。
施設長は喜んでスプーンとの同居を許可します。むしろ、一般施設にも来てもらってセラピードッグとして活躍してほしいとまで言ってくれたのです。
オムライスは芸能活動を完全に休止します。もちろん、その理由をはっきりとは告げなかったのです。やんわりと妻の体調が悪いというような噂を流しただけで、プライベートのことだからと、本当のことを言わなかったのです。芸能記者は取材に来るかもしれません。だから、病気のことを正直に話して、それでも、それなりの協力を受けながら仕事を続けても良かったのかもしれません。けれどもお笑い芸人にはそれは出来ません。自らが生きるか死ぬかの状態であっても、人を笑わせなくてはなりません。もし、自分がそうであるのなら、無理をしても、そうしたでしょう。けれど、妻の事です。オムライスはそう出来なかったのです。
スプーンは以前にもまして、優しさというより包容力で妻を癒します。二人は本当に穏やかな景色を優しいタッチでキャンバスに日々描いていきます。オムライスはただそれを美術館に飾らている絵画のように記憶にとどめていきます。もはや妻との思い出は何千枚と蓄積されているのに、新しく書かれた一枚だけが妻との今なのです。残念ですがそれも明日にはまっさらなキャンバスに代わっています。いや、妻のキャンバスはオムライスが交換しなければそのままで、上から塗り重ねられて行くだけなのです。
娘達や孫やスプーンや施設の人達が妻を取り囲むように里山の風景とともに描かれています。オムライスはどのくらいその絵を眺めつづけていたことでしょう。それでも里山の風景は変わりません。里山は生きています。だから何かしらの営みを刻んでいるはずなのに、里山は今しか見えません。里山が妻に重なります。オムライスにとって妻は変わりません。そして、妻も生きています。
オムライスはそんなある日、この絵に声を入れたくなります。どんなに幸せそうにみえても、音は全く聞こえてこなかったからです。だから、オムライスは妻を笑わせようと思います。もちろん芸人に戻るということではありません。妻と紡いだ物まね芸人オムライスのすべてを妻に届けようと思ったのです。
オムライスは妻と出会った時のように大きな姿見の前に立ちます。そして、最初に物まねを始めた歌手から歌いだそうとします。お腹をリックスさせ、身体の奥底にため込んだマグマのような声玉をゆっくりと静かに喉もとから通過させようとします。あの声がもうすぐ戻って来る。鼓膜を通して響いてくる。オムライスの高揚感は量りしきれなかったのです。けれどいくら繰り返しても結果は同じだったのです。見かねたスプーンが珍しく妻の所を離れてオムライスに傍らで寄り添ってくれます。
「うまく声が出ないよ」
オムライスはスプーンに語りかけます。スプーンはしばらくじっとオムライスを見つめていたのですが、初めて「ワン」と、妻にも聞こえるような大声で吠えたのです。
(七)
妻の一周忌が終わります。オムライスは妻と過ごした老健施設でそのまま暮らしています。もはやオムライスと同じように老犬となりそうなスプーンは施設での人気者であり、その役割を後輩犬と一緒に果たしています。
オムライスは、妻に芸人としての声を最後まで届けることが出来なかったことが唯一の心残りだったのです。昔のような声がもう出ないのだととあきらめたわけではありませんが、妻への介護が忙しかったのです。それに七十歳を過ぎてしまっています。世間はもはやオムライスの事を忘れています。その代りあのライブハウスで育った若者たちがテレビで活躍しています。
スプーンは老健施設でクーンと鳴くことはあっても吠えることはありません。けれども、オムライスが一人姿見の前で立っていると、この頃決まってワンと大声で吠えます。スプーンはきっと何かを言いたがっているのでしょうが、それが何かはわかりません。
オムライスはいつものように里山の神社へ参拝に向かいます。ひよっとしたら神様がスプーンの代わりに何かを伝えてくれるのではないかと思ったからです。むろん神様は何も答えてはくれません。それでも参拝を続けていたのです。
そんなある日、オムライスが鳥居をくぐった時に、目の前にいる男性に偶然声を掛けられます。もちろん、本名でではありません。その人はオムライスよりは若かったのですが、もはや壮年とは言い難いようです。
「被災犬をセラピードッグに育てられたとお聞きしたのですが・・・」
男性は意外なことを知っていたのです。
「私ではないのです。亡くなった妻が・・・」
男性は深々と頭を下げられます。そして、震災に関わっていたものですからと、控えめに自己紹介をされます。オムライスは簡単にいきさつを説明します。
「それではもう完全に引退されたのですね」
「いえ。そうではないのですが、声に力がなくなってかすれるようになりまして」
「失礼ですがご病気をされたのですか?」
「そうではありません。ただもう年なので高い声が出なくなったのです。もう一度、何とかしてあの頃の声を戻したいと頑張っているんですが、なかなか・・・」
「なぜそこまで」
「もう一度笑いを届けてみたいんですよ」
その男性はしばらく考え込んでいたのですが、手帳を取り出し、何か走り書きをすると、声のことを一度相談されてはどうですかと、オムライスに引きちぎったメモを渡したのです。そこにはある病院の住所とある医師の名前が書かれてあったのです。
オムライスはメモを頼りに予約を取ります。ヤマブ医師の診察を受けたいのですがと伝えると、どこが悪いのですかと尋ねられます。オムライスは声のことでと曖昧に答えます。すると、電話口で明らかな困ったような間があきます。手ではないんですね。その人はそう言ったと思いますが、オムライスにはどういうことかわかりません。ひよっとして、だまされたのかもしれないと思ったのですが、紹介された人の名前と事情を説明すると、違う人が電話口に出られて、予約の手続きを取ってくれたのです。
オムライスはヤマブ医師の診察を受けます。以前耳鼻科で見てもらったような器具が置かれているのかと思ったのですが、そうではなかったのです。簡単な診察を受けた後は、まず、と言われて、隣接された病院でしばらく言語訓練を受けることになります。今まで発声練習を受けたことはありますが、言葉の一語一語をきちんと言葉のつながりとして発声し、確認したことはなかったのです。アクツという言語療法士の先生が根気強くその訓練を指導してくれます。
声帯の動きを確認している様なのですが、もちろんオムライスにはわかりません。
「年寄りなのに、声帯だけは硬くなっているんだって、耳鼻科の先生が言っていたんですけど」
もちろん耳鼻科の先生はそんな下品なことは言いません。ついアクツ先生には芸人魂がくすぐられたのです。それでもアクツ先生はいつも冷静です。だからすぐにフタヤマヒラヨシに戻らざるを得ません。
「確かに、声帯筋は年を取ると弱ってきます。だから、硬くなるというか、声帯の動きも悪くなります。声帯はとてもデリケートですから。特にフタヤマさんのようなお仕事の場合はなおさらです。それでも、なんでもかんでも年のせいにしたりしたら滅入るでしょう。筋力はいくつになってもつくんですよ」
「でも、あまり良くなっていないような・・・」
オムライスは当然ですが自分の声を知っています。アクツ先生もおそらく今までの経験とこれまでの会話からこういう声を出せるようにと訓練をしてくれているのでしょうが、オムライスの場合それだけではないのです。きっと、アクツ先生にはそのことはわからないはずです。それでも基本の声が出なくては応用も出来ません。だから訓練は続くのです。
オムライスは里山の施設に戻ります。スプーンはその気配を感じとったのか、ピクッと体を微妙に動かしますが、仕事中なのでオムライスの方を向こうとはしません。もうこういう光景には慣れたはずなのですが、それでも寂しい気持ちはあります。
オムライスは、まだ陽が昇りきる前に起床し、朝靄に身を隠すように神社に向かいます。
「神様、私はどうしたらよいのでしょう」
オムライスは、アクツ先生から促されて、ヤマブ医師にファイバースコープで声帯の動きを精査してもらっていたのです。けれど検査が終わってもヤマブ医師は何も言いません。オムライスが尋ねても、答えてくれません。アクツ先生が、思わず、カンファレンス、つまり、検討会にかけますのでしばらく待っていてくださいと説明されただけだったのです。
「私の病態は声帯萎縮というもので、やはり加齢が原因だそうです。声は声帯を通るのですが、縁の所が弓状にくぼんでしまって、声を出した時に声門が完全に閉じなくなって、空気が漏れて、声に力がなくなって、か細く甲高い声になるようです。声帯にメスは入れられないそうなので、声帯の外枠に人工物を入れて押し込むようにして声帯を狭めるのだそうです。局所麻酔で声を出しながらなので、微妙な調整が行えます。でもその調整は根気と経験が必要だそうです。ヤマブ先生は私の声を治してはくれないそうなんですが、ある医師が手術をすれば今のような声の漏れがなくなると思いますと答えてくれたのです。私は、それは私の声を戻すということですかと尋ねたのです。ヤマブ先生はもちろんですと、答えてくれたのです。でも私は物まね芸人です。私の声だけが私ではないのです。そのあたりの所はどうなのでしょうと、尋ねたのですが、ヤマブ先生は答えてくれません。まず基本が戻らなくては練習できませんからと、いつも未来志向なアクツさんが思わず間に入ってくれたのです。でも、声帯はデリケートです。アクツさんとの訓練で余計に思うのです。物まね芸人オムライスは完全復帰しなければなりません。それが出来なくては意味がないんです。私はヤマブ先生にもう一度尋ねたのです。どうですかと。そうするとヤマブ先生からは意外な答えが返ってきます。それは、どうしてすべて良くならないといけないんですか?というつぶやきのような返事だったのです。私はつい、私の定番の物まねがあるんです。それを期待しているお客さんがいるんです。芸人はお客さんの期待に応えないといけません。だからです、と答えたのです。そうしたらヤマブ先生は、私にこう言ったのです。フタヤマさんは物まね芸人さんなのですか、お笑い芸人さんなのですか?」
オムライスはお笑い物まね芸人です。だから、物まねだけではなく顔真似も取り入れながら話芸も磨いてきたのです。それらがそろってこそオムライスなのです。欲張りかもしれません。けれど、それを貫いてきたのでオムライスはこれまで支持され続けていたのです。
「神様、もしかしたら、ヤマブ先生は新しいオムライスになれと言っているのでしょうか?定番の芸でお客さんは納得するのでしょうが、本当に笑っているのか確かにわからないのです。もし、お客さんがオムライスの定番芸の安らぎだけを求めているのなら、私はスプーンと同じなのかもしれません。ヤマブ医師はそのことを言っているのかもしれません。でもスプーンも常に新しく入居してくる人たちの体調を感じ取り癒しているはずです。手術で声帯の動きが回復し、漏れが治って自分の声が戻るかもしれませんが、定番の物まねが出来なくなるかもしれません。でも、その声は新しい物まね声を生み出すかもしれません。私はどうすればよいのか悩んでしまいます。私は妻のために声を戻したいのです。妻のためにこれまでの私の物まね芸を取り戻したいのです。けれども妻はもういません。それにもし妻が居て、これまでの私の物まね芸を見て、もう一度同じように笑ってくれるでしょうか?おそらく安らぎにはなります。それはスプーンと同じなのです。私はオムライスです。スプーンとは違います。何故ならセラピードッグはヒトを笑顔にさせてくれます。けれどもこころの底からお腹をよじりながら涙を滲ませながら大声で笑わせることはできないと、自惚れかもしれませんが、私は信じているのです」
オムライスは神様に尋ねます。しかし、神様はなにも答えてくれません。その代り、朝霧が晴れて行くと、狛犬がまるでスプーンのようにオムライスを見つめていたのです。
「スプーンは神様の声が聞こえるのかもしれません。それは父や母の声であり、妻や仲間の声でもあります。だから私にだけ吠えたのかもしれません。きっとそれは、なぜオムライスがすべてを取り戻そうとしているのかの本当の意味を知っているからです。そうです。私は、妻を裏切り、芸人仲間を裏切ってきていたのです。そうして得た私の芸を一つたりとも失いたくなかったのです。
妻のために私は一度引退したのです。本当にこの時は妻のために生きようと思ったからです。でもそれも私の妻への罪滅ぼしかもしれません。なぜなら、私は妻を裏切り他の女性と関係を持ち続けていたからです。私はあれだけ尽くしてくれた妻の優しさに胡坐をかき、異なる刺激を求めてしまっていたのです。あの時、もし、引退すると言わなければ、そのことが表に出ていたに違いありません。けれども、多額のお金で強引にねじ伏せたのです。そこにはそれなりの人を介したと聞いています。もちろん私が直接その人に頼んだわけではありません。しかし、回り回って、そういうことだったということを後で知ります。それでももしかしたらという不安があったのですが、妻は認知が進行してきて、私との会話が次第に出来なくなります。だから、私はもし伝わってもわからないとその時にやっと安心したのかもしれません。私は最低な男です。だから妻に寄り添うのは当たり前なのです。でもその女性にもずいぶん身勝手な思いをさせ続けていたにも関わらず、ある瞬間からその女性との過去を消し去ってしまいます。それは認知症という病気ではありません。私は両親から夫婦の絆をあれほど聞かされていたのに、家族から笑いを続けるためにあれほど支えてもらっていたのに、皆の行いを何一つ顧みなかったのかもしれません。
そして長女の夫をこの世界から葬ったのです。彼は才能のある若手芸人だったのですが私は許せなかったのです。芸人として私の大事な娘に無断で近づいたことではなく、彼の才能がとてつもなく大きく思えたからです。私は彼に、娘を取るか、仕事を取るか尋ねます。彼はずいぶん悩んだに違いありません。どうしてそんなことを言うのか娘にも泣きつかれたのです。けれども私は頑として選択を迫ったのです。ひよっとしたら、家族となった彼が私のせっかく作り上げたお笑い物まね芸の領域を犯してくるのではないかと恐れたからです。結局、彼は娘を選びます。そして、私から離れたくて、芸人の世界から離れたくて、家業を継ぎます。もともと何に対しても一生懸命だったし、才能があったからでしょうか、彼は今その世界ではとても有名です。彼は私の妻には笑顔を見せていたのですが、私には笑顔を見せません。なぜなら、もし、娘をあきらめて仕事を取ったとしても、私が彼をこの世界から追い出そうと企んでいたことを引退後にどこからか何となく耳にしたからです。もちろんそのことを彼は私に確かめたりはしません。もはや知ったとしてもどうすることもできないからです。ライブハウスを続けられなくなって、誰かがオムライスの知り合いに手を差し延べてくれたと聞いていたのですが、その誰かとは長女の夫だったのです。彼は彼なりの信念を貫きたかったのかもしれません。それでも彼はきっと笑っていなかったと思います。彼はそういう男ではなかったのです。父があれほど情について話してくれたのに、師匠からあれほど優しく包んでもらったのに、私は二人の言葉から何も学んでいなかったのです。
芸人は自分が大切です。けれども人を笑わせないで自分だけが笑っていても仕方がありません。私はそのことをあの遠い記憶の片隅にある父と一緒に訪れた演芸場に置いてきたのかもしれません。「人を笑わせるだけでお金がもらえるんだね」と、あの時の私の声が聞こえます。きっと神様もその言葉を聞いていたに違いありませんよね。でも人を笑わせるだけなのにどうしてこんなに難しいのでしょう。神様はわかっているのでしょう?」
オムライスはフタヤマヒラヨシとともに参拝し、フタヤマヒラヨシはオムライスとともに施設に戻ります。
施設ではスプーンがある入所者のために、その人の前でワザとくるくると高速で一か所を回っています。その人はスプーンのその動作に喜んでいます。もちろん、他の人にはスプーンは決してしません。いや、他の人にまでは出来ないのかもしれません。だから施設の人達もその行為をとがめることはしなかったのです。その入所者は、妻と同じような認知があって、骨折で病院に入院していた時はベッドに横たわっていたばかりか、手足を抑制されていたのか足腰が弱くなっていたのですが、今ではスプーンに会いたくて、立ちあがってよちよちですが近づこうとします。そして、それまでなかなかヒトの名前を憶えられなかったのに、「スプーン」と、その名前だけは忘れないのかしっかりとした声を出しながらにこやかに身体中をさすってあげています。オムライスは思わず妻の姿と重なって涙ぐみますが、今度は俺の番だと、皆の前で、出ない声に合わせた物まねと顔まねをしてみます。施設長に頼んでそういう催しを始めたからです。もちろん、若手を含めて後輩たちがボランティアで数人来てくれています。売れっ子の芸人に比べて、オムライスの物まね芸をまだ施設内の人がすべて大きな声で笑ってはくれませんが、オムライスが今できるすべてなのです。もし手術を受けるともっと大声で笑ってくれるかもしれません。けれども、今までと同じことでは笑ってくれる人は新たに生まれない気もします。
「私は禊ぎを受けなければなりません。それが手術なのかどうかわかりません。安定なのか挑戦なのかわかりません。家族に償う気持ちならきっと安定が必要なのでしょうが、物まね芸人としてはいつも挑戦が必要です。邪念かもしれませんが、私にはまだ未練があります。けれど私の人生もそう長くはありません。そんな年老いた芸人がまた誰かを笑わせられるのでしょうか。いや誰が笑ってくれるのでしょうか?」
オムライスは神様の代わりにスプーンに尋ねていたのです。ここは施設内です。スプーンは相変わらず素知らぬ顔です。もちろん大声でワンと吠えることはありません。でもオムライスにはスプーンの鳴き声が聞こえます。その声は、ある意味定番の行為なのかもしれませんが、ゼイゼイと息が荒がってくるのを必死でこらえながら、床をぐるぐる回り、自分も楽しみながら働いているスプーンの笑い声なのかもしれません。