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前夜の出来事

 リュセットに借りた服は意外にもサイズがピッタリだった。スカートの丈はくるぶし丈。腰のあたりも普段のドレスよりもかなりゆとりがあり、袖は膨らみも広がりもない。欲を言ってしまえば胸元がもう少し閉まっていると良かったのだが、それでもマーガレットが持っている他のドレスに比べれば断然マシではある。


「えーっと、明日は何が必要……? というか、そもそもどこでマッサージをするんだろう」


 マッサージをすることしか頭になかったけれど、森の中だとベッドがない。いいや、前世でまだ満里奈だった頃、初めてドライマッサージを学んだのは畳の上だった。そう考えるとベッドがなくともドライなら問題ない。例えば芝生の上にタオルを敷いてマッサージをするのはどうか。そもそも上手く手や指が動くとも限らない。その上圧がきちんとかかるのかどうかがマッサージの重要なポイントでもある。それらが上手くできる自信は、マーガレットとなった今では皆無だった。

 ならば何も床に寝なくとも、座ったままで上半身のみをマッサージをすることは可能だ。そうすると次に問題になるのが、価格に見合うほどのものを提供できるのかという疑問だった。


『金を貰えて勉強が思う存分できる。俺はさしずめパトロンといったところだな』


 カインはそう言っていた。けれどあまりにもみっともないことはしたくはない。それだけ5小型銀貨(ソルド)という金額は高いものだった。

 今のマーガレットには明日に備える資料や参考書はない。持っているものは前世で学んだ記憶と満里奈が学んだ実践経験のみ。それらを必死に思い起こしながら、ひたすらにイメージトレーニングをする。時には枕や壁を使って指の押す角度やポジションのイメージトレーニング。そして何より身近で無料の実験台、自分の体を使ってツボの位置と強さを確認する。また、鏡の前に立ち、筋肉の歩行、リンパ、経絡を自分の体で思い起こす。

 そうやって一日を潰し、準備できるところまではした。あとは明日の実践だけだった。



  *



「マーガレット! マーガレットはどこにいるんだい!」


 夜遅くにイザベラが騒ぎ立てる声が聞こえて何事かと思い部屋から飛び出した。


「お母様、私はここです。こんな夜にそんな大声で、どうしたというのですか?」


 イザベラは今にも沸騰しそうなほど顔を真っ赤にしている。つり上がった目がマーガレットを捉えた瞬間、いつもはへの字に曲がった口先が醜く歪んだ。


「どうしたじゃないよ! あんた、私の言いつけを聞かず自分でドレスを洗ったね!」

「えっ?」


 なんでそんな話になってるのか理解できずにぼけっとした表情で立ちすくんでいると、イザベラはさらに手に握りしめていたものをマーガレットに向けて投げよこした。


「そのドレスを見てごらん! ボロボロになってるじゃないか!」

「……!?」


 イザベラの言ってる意味も理解できぬまま、受け取ったマーガレットのドレス。それは無残なまでにボロボロだった。まるで切り刻まれたように、見るも無残な状態だ。変わり果てたそのドレスを見たあと、一瞬リュセットの顔が頭に浮かんだ。けれど、それはすぐに消え去った。


(……リュセットがこんなことするはずがない)


「見てごらん! こうなることがわかっていたからサンドリヨンに頼みなさいって言ったんだ!」

「私はリュセットに頼みました。私は洗濯しておりません!」


 マーガレットの反論を聞いて、イザベラの怒りはさらに急上昇をみせた。


「じゃあこれはサンドリヨンの仕業なのかい!?」

「それも違います!」


 マーガレットはそうきっぱりと言い切った。このままではリュセットにこの罪を被せることになってしまう。リュセットが普段どれだけマーガレットを助けてくれているのかわからない。感謝してもしきれないくらいだ。それだけに、ここはきちんと否定しておかなくてはいけないとマーガレットは本能で感じていた。


「じゃあやっぱりマーガレット、あんたじゃないか。あんたは一度マルガリータのドレスもダメにしたのを忘れたのかい!?」

「それは……!」


 その言葉を聞いて、一つの仮説がマーガレットの脳内を占めた。


「……もしかして、マルガリータお姉様が」


 その仮説はどんどんマーガレットの脳内で確固たるものとなっていく。普段のリュセットの仕事ぶりをマーガレットは知っている。それだけにこれがリュセットの仕業だとは到底思えなかった。となると残るはマルガリータだ。イザベラの言う通りマーガレットは以前マルガリータのドレスを洗濯の際にダメにしてしまっている。その時の怒りっぷりときたらなかった。一週間以上顔を見れば文句をぶつけられ、ドレスのことをねちっこく言われ、挙句の果てにマーガレットのドレスを盗んでいった。破いた罰として。サイズが合わないのに、少し痩せれば着れるとか言って。

 それにマルガリータが犯人だと思う理由はもう一つ。マーガレットがイザベラにこのドレスの洗濯について釘を刺されていた内容をマルガリータは聞いていたのだ。


「それは、マルガリータお姉様の仕業ですわ。私でもリュセットでもございません」


 きっぱりと言い切りながら、マーガレットはイザベラに挑むようにまっすぐ見据えた。すると、イザベラのすぐ後からやってきたのは、ことの元凶であるマルガリータだ。


「まぁ、マーガレット! なんてひどいことを言うのかしら!? 私がそんなことするとでも思っているの?」

「……大変言いにくいことではありますが、お姉様以外にはあり得ないかと」


 マーガレットは怯むことも揺るぐこともなく言い切ると、マルガリータの眉間にシワが幾本刻まれた。


「実の姉に向かってなんて口の聞き方をするのかしら! お母様、最近のマーガレットは変だと思いませんか? いつも灰かぶりの肩ばかり持って……今回のことも自分の身から出た錆だと言うのに、罪を私になすりつけようとしている上に、こんなに素直な私のことを嘘つき呼ばわりするのです」


 醜く嘆きながらマルガリータはイザベラのドレスの袖に泣きついた。イザベラは怒りがピークに達している様子で、自分の洋服の袖を掴みながらニヤリとほくそ笑んでいるマルガリータの姿は一切目に入っていない。

 けれどそれを見ていたマーガレットは、やはり……と確信した。このドレスをこんな風に切り裂いたのはマルガリータの仕業なのだと確証を得た瞬間だった。


「もういいよ、マーガレット。マーガレットにはしばらくの間、新しいドレスやアクセサリーは買ってもらえないものと思いなさい。たとえそれがあんたの誕生日だろうとね」

「……」


 理由がマルガリータの陰謀によるものというのが気にくわないところだが、マーガレットにとってドレスやアクセサリーなど興味はなかった。むしろ今のものでも十分だと思っていたため、この罰は痛くも痒くもないものなのだ。


「……ざまぁみなさい」


 口パクでそう言ったのがみて取れて、マーガレットは怒りのボルテージがどんどん上がっていく。それなのに、イザベラはマルガリータの様子や嘘には全くもって気付いていない。それがまたマーガレットの怒りを増幅していく。


「あと、マーガレットは最近は外に出歩く機会が増えてるらしいじゃないか。まさかとは思うけど、街の外に出たりはしてないだろうね?」

「え、ええ。もちろんですわ」


 今まで外に出るなとは言われたことがなかった。それだけにこの質問は嫌な予感がしてならない。これもマルガリータから得た情報だった。


「それならいいけど、外は女性にとって危険なことも多いからね」


 すでに強姦未遂にあったとは口が裂けても言えまい。マーガレットはひやりとした汗が背中を滴り落ちるのを感じながら、眉根を寄せて心配そうな顔をして見せた。


「そうですわね。私は怖くて街の外へ出る勇気はありませんわ」


 この言葉を聞いて満足したのか、イザベラはくるりとスカートを翻し、廊下を今しがた歩いてきた方向へと戻り始めた。それにつられるように、マルガリータも身を翻す。その瞬間に不敵な笑みをマーガレットに投げ、扇で口元を隠した。

 マーガレットは拳を握りながら、部屋の中に入ろうとした時、イザベラが再びこう言った。


「あと、一週間外出はやめて裁縫の練習なさい。最近ずっと外に出ていたのであればそんな練習すらできていないでしょうからね。裁縫はレディのたしなみだよ」

「えっ!? お母様それは……」

「何か問題でもあるのかい?」


 イザベラは首だけ振り返り、マーガレットの言葉の続きを待った。


「た、たまには外の空気も吸わなければ集中することなどできません」

「それなら窓をお開け。庭に出ることも許しましょう。だけど、家の外はダメよ」

「なぜですか? 街の活気ある景色を見てリフレッシュするのが好きなのです」


 マルガリータは困るマーガレットの様子を見て面白可笑しそうにクスクスと笑っている。


「もう少し令嬢らしくなさい。なんです? 毎日あてもなく外に出て、子供でもあるまいし」

「それならばリュセットは毎日買い物のためにマーケットへ行っていますわ」

「買い物のため、だろう? それにあの子はいいのよ」


 あの子はいいのよ、どうでも……とでも言いたげな投げやりな物言いにカチンとくるが、それよりも明日外出できないのは困る。そう思ってマーガレットは懸命に何か策を講じようとするが、いい案が思い浮かばない。


「これもドレスをダメにした罰です。そういうおてんばなところが今回のことに繋がったのですよ」

「……」


 弁論の余地がない。マーガレットの視線は気がつけば床に向けられていた。


「裁縫を頑張って、そのドレスを修復してみればいいわ。ドレスも直せて裁縫の腕も上がって一石二鳥でしょ?」


 嫌味ったらしくそう言ったのはマルガリータだ。


「あんたもよ、マルガリータ。あんたたち二人揃って裁縫できないじゃないの。そんなことで立派な相手を見つけれると思ってるのかい?」


 この言葉はさすがのマルガリータも意表を突かれたらしい。今まで観客としてこの様子を楽しんで見ていたマルガリータは、イザベラの言葉によって突然表舞台に上げられた気分だった。


「私はちゃんと毎日していますわ」

「ではそれを見せてごらん。毎日していても腕が上達していなければ意味がないんだ」

「……き、今日は遅いので明日お見せしますわ、お母様……」


 二人はそんなやりとりをしながら、俯いたままのマーガレットをその場において去って行った。


「何としても、明日は出かけなくちゃならないのに……」


 誰にいうわけでも、誰に聞かせるわけでもなく、ただ一人、そう呟いた。下唇を噛み締めながら、しばらくの間その場に立ちすくみながら……。

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