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王子の決断

「こんな時刻まで仕事ですか?」


 開いたままの扉からアンリ王子が顔を出した。声をかけながら扉をコンコン、と二度ノックしながら。


「リュセットと言ったか。あの者と結婚することを決めたのだな」


 ちらりとアンリ王子を見やった後、再び書類に視線を落とす。そんな様子を見ながら、アンリ王子は部屋へと足を踏み入れた。


「ええ、兄上が結婚するつもりがないのであれば、僕がもらいます」

「えらく入れ込んでるではないか」


 珍しいと言いたげにルイ王子ははっ、と息を小さく吐き出して笑った。


「彼女は信頼できる人間だと思ったからですよ」

「たった数回会っただけでか?」


 皮肉を込めて言われた言葉に、アンリ王子は微笑みながら応戦する。


「それを言うのであれば、リュセットの姉であるマーガレットに関してはどうだったのでしょうか? 兄上は彼女のことを信頼していなかったのですか? 舞踏会までに何度か会っていたのでしょう? おおっと、そんなに怖い顔で睨まないでくださいよ」


 ルイ王子の鋭い視線がアンリ王子を貫いた。けれどアンリ王子はそんなルイ王子の視線を受けてもなお、笑っている。


「……そんなもの」


 ルイ王子はそこまで言って、再び口を閉ざした。続きの言葉は心の中に落とし込んで。


「そんなもの?」

「……」


 言葉の続きを待ってみるが、ルイ王子がその続きを言う様子がないと判断したアンリ王子は、肩で息をついた。困ったようで、呆れたように微笑みながら。


「僕はまだリュセットの家族に関しては信頼していませんけどね。もちろんマーガレットもですが」


 ルイ王子は何も言わず、書類にサインを書き込み、再び別の書類へと視線を走らせている。そんな様子を見ながら、アンリ王子は独り言のように続きを話し始めた。


「リュセットのあの自己評価の低さといい、今日着ていたドレスといい……僕の勘ですが、彼女の家族はリュセットを虐げているように思えるのです。舞踏会の日も彼女はずっと一人で行動していたようですし。家族と言っても再婚した相手、実の父親も母親もすでに他界しているようですからね」

「そこまで心配しているのであれば、リュセットとさっさと結婚してしまったらどうだ」


 アンリ王子がひとりごちる様子に痺れを切らしたのか、ただ一息つきたいだけなのか。ルイ王子は首を回しながら書類から視線をあげた。


「俺の後などと言わず、お前が先に結婚してしまえばいい」

「それはできません。と言うか、そんなことをしてしまっては、兄上は本当に結婚をしなくなる気がするのです」

「するさ、いつかな」

「そのいつかとは今世のことでしょうね?」


 冗談交じりにそう言ったが、ルイ王子は答えない。アンリ王子は近くにある二人がけのソファーに腰を下ろし、さらにこう言った。


「まぁ、僕からマーガレットと兄上のことに首を突っ込むつもりはありませんが、他の誰か別の方でも早く見つけてほしいものです」


 二人がそんな会話を繰り広げている、そんな時だった。ちょうど扉の向こう側からひっそりと姿を現したのは、リュセットだ。ルイ王子が黙って彼女に視線を送ると、その視線に気がついたアンリ王子は席を立ってリュセットの元へと駆けつけた。


「お帰りなさい。遅かったですね」

「申し訳ありません。少しお姉様と話し込んでいたものですから」

「何も謝る必要はないですよ。さぁ中へどうぞ」


 アンリ王子はリュセットが持つトランクを手に取り、訝しげな顔を向けた。


「荷物はこれだけなのですか? 他の荷物はもう部屋に運んだのでしょうか?」

「これだけですわ。元々荷は少ないのです」


 にっこり微笑みながらリュセットは返事を戻す。アンリ王子が聞きたかったのは、他に荷物がないのかということ。普通の令嬢であればもっと荷物があってもおかしくないのだ。アンリ王子の顔が曇った様子を背に、リュセットはルイ王子と向き合った。


「ルイ王子、姉のマーガレットと話してきました」


 ルイ王子は何も言わずただ静かにリュセットを見つめるだけ。だがリュセットの表情を見る限り良い話が聞ける様子ではないことは悟っていた。そしてリュセットも言いにくそうにゆっくりと小さな口元を開いて、こう言った。


「姉は何かに囚われでもするように……やはり、王子という肩書きを心底嫌っております」

「はっ、それは程のいい言い訳だろうがな」

「……それは違います!」


 思わず叫んでしまったことに驚き、リュセットは再び落ち着いた口調でこう言った。


「姉は、ルイ王子のことを今でも慕っています……」


 目を伏せながら、マーガレットに問いただした最後の言葉を思い返していた。


『……さぁどうだったかしら? もう忘れてしまったわ』


 マーガレットはそう言いながら、笑っていた。けれどそれは傷だらけの中、必死になって笑顔を取り繕っているような、そんな繊細さをリュセットは感じていた。


(……お姉様はルイ王子のことが今でも好きなのだわ。私がアンリ王子と結婚すると知らず、ルイ王子と結婚すると思いながら……)


 リュセットはあの時初めて見た。涙も流さず、微笑みながら泣く人を。

 アンリ王子と結婚することは今はまだ誰にも言わないようにとアンリ王子と約束していた。まだアンリ王子のことを世間は認識していない。だから結婚するまではアンリ王子はひっそりといたいからと。

 アンリ王子の気持ちを考慮し、その条件を飲んだが、マーガレットと対面するときは自分が罪人のような気持ちになり、胸が締め付けられる思いだった。


「アンリ」

「なんでしょうか」


 フーッと背後の窓の外を見やりながら、ルイ王子は背中越しにアンリ王子に問いかける。


「お前、俺が結婚するかどうかを心配していると言ったな」

「……そうですが?」


 背を向けてしまったルイ王子の表情を読むことはできない。一体何が言いたいのかと探っていると、ルイ王子は再びこんな問いをアンリ王子に投げた。


「では俺の結婚か、この国の行く末か。どちらか一方を取れと言われたら、お前ならどちらを取る?」


 どちらか一方……そんな問いかけに、アンリ王子は迷いなくこう答えた。


「どちらか一方というのはあり得ませんね。兄上の結婚はこの国の将来に関わる。すなわち、兄上の結婚とこの国の行く末はイコールなのですから」


 ルイ王子は反応を示さない。振り向く様子もない。そんな中でアンリ王子はさらにこう言葉を付け加える。


「……ですが、それが仮にそれが切り離せるのであれば、僕の答えは後者です。国の存続が優先ですから」


 アンリ王子の返答に、ルイ王子は何も言わない。表情も読めず一体何を考えているのかとルイ王子の考えを探っている時、ルイ王子の座る椅子がくるりと回った。アンリ王子と向き合う形になったルイ王子は——ほくそ笑んでいた。


「お前はやはり、さっさと結婚して表舞台に上がれ」


 ルイ王子は立ち上がり、アンリ王子の元へと向かう。そんなルイ王子の方は見もせず、アンリ王子はため息をこぼした。


「ですからそれは——」

「俺はこの家を出る」


 あっさりとそう言いのけたルイ王子の言葉の意味を、噛み砕くように黙り込むアンリ王子。そんな弟の肩に手を乗せて、さらにこう言った。


「お前は17年も舞台裏にいたのだ。今度は俺が舞台裏に回る番だ」

「……兄上、正気ですか?」


 ルイ王子が何を言っているのかをやっと理解できた時、リュセットは驚いたように口元を手で覆い隠した。アンリ王子は驚いた様子も見せず、ただ静かに視線だけでルイ王子を追っていた。


「それは、マーガレットの為なのでしょうか?」

「馬鹿を言うな。それはおまけだ」


 アンリ王子は目を細めて、ルイ王子を見やる。


(……おまけ、ですか。おまけでもマーガレットとのことは念頭にあるというわけか)


 そもそもそのおまけというのも本当なのかどうか……アンリ王子は疑問を抱いていた。


「考えていたことではある。俺よりもお前の方がこの国のことを考えている。才もある。あとは実績だけだろう」

「では僕に王位を譲ると?」

「ああ。そして俺は王子の地位も捨てる」

「……! それは本気ですか? 僕はてっきり王位継承を辞退するだけなのだと……」


 ルイ王子はゆっくりと首を縦に振った。アンリ王子の驚いた表情がよほど面白かったのだろう。ルイ王子はいつも以上にしたり顔だ。


「言っただろう。俺はこの家を出ると」

「ですが……」

「騎士になってもいい。俺の剣の腕はカインの墨付だ」


 最近鈍っていると言われたばかりだというのに、ルイ王子は偉そうにそう言った。


「それに商売に興味があるのでな。そっちの手はずは整っている」

「……それでは、兄上の裏舞台というのはどういうものなのでしょうか? 僕を舞台へと押し上げ、自分は舞台の袖にもいないではないですか」

「いるだろう。俺はお前の様子と国の様子を見届けるつもりだ。ただしお前とは違い、城内(うち)からではなく城外(そと)からだがな」


 意表を突かれた様子で、アンリ王子は険しい顔つきをしている。


「ですが、王と王妃が承諾するはずもないでしょう。それに——」


 はっとした。その瞬間に、アンリ王子の手をそっと掴み、隣で微笑みを浮かべるのはリュセットだった。


「……私も、説得するのをお手伝いいたします」


 リュセットは何かを願うかのように、アンリ王子の手を自分の額に当てた。そしてそのあとすぐにルイ王子へとこう告げた。


「私にできることがあればいつでもおしゃってくださいませ。ですからどうか、姉のことをよろしくお願いいたします」

「ふん、マーガレットのことはおまけだと言っただろう。俺が王子を捨てたところで俺がマーガレットを、そしてマーガレットが俺を選ぶとも限らんだろう。マーガレットに関しては王子だからなどというのは言い訳かもしれないのだからな」


 そんなルイ王子の言葉を聞いて、リュセットは再びふわりと微笑んだ。


「大丈夫ですわ。姉ならきっと、ルイ王子を選びますわ」


(そこに、気持ちがあるのならば、地位を捨てる覚悟を持つルイ王子を、きっとお姉様が無下にするはずがありませんもの……)


 ルイ王子はマーガレットのことをおまけだと言うが、きっとそうではないとリュセットは思っていた。


 ——こうして極秘裏に王子達は動き出した。それぞれの未来を胸に……。

番外編二作目、完結です。

次回は本編最終話、その後の結婚式での番外編です。

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― 新着の感想 ―
[一言] ルイ王子は素直じゃないなあ! 好き!!! 商売……マーガレットのマッサージですね! 次回結婚式ということで楽しみです。 イザベラとマルガリータ自業自得とは言えお通夜染みてそう……
[一言] ああん!ルイ王子!ツンデレ!ツンデレね!言い訳しなくていいのよぉ!!マーガレットと結婚したいって方が本音でしょお!恥ずかしがらなくていいのよぉ!(オカマ口調) なんて言ったらブチ切れられそう…
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