ガラスの靴の令嬢
「ローアン王。少しお話があります」
玉座の間の重い扉を開けた先には、大臣と何やら話し込む王の姿があった。話は止める様子はなく、書類から視線だけ上げた王は、声をかけてきた相手に向けて人差し指をクイッと動かし、近くに寄るように指示を出した。
「では大臣、その方向で話を進めよう」
大臣は書類を持ち直し、少し薄くなった頭を王に突き出すように会釈し、その場を離れる。その様子を見ながら、声をかけてきた主にやっと言葉をかけた。
「アンリ、何の用だ?」
アンリ王子はちょうど大臣とすれ違いながら王の元へと向かい、玉座の少し前で立ち止まった。
「兄上のことです」
ローアン王は話してみろと言わんばかりに、玉座の肘掛け部分に肘を乗せ、指を組み合わせるように両手を組んだ。アンリ王子の顔をじっと見つめながら、聞く姿勢を見せている様子をみて、アンリ王子は朗らかな様子でこう言った。
「連日行われた舞踏会で兄上が踊られていた相手というのは、どこのご令嬢かご存知でしょうか?」
ローアン王の眉がピクリと揺れた。それを見た瞬間、王がリュセットのことを気に入っていたという噂は嘘ではないようだと思った。
「……お前は知っているのか?」
「詳しくは分かりかねますが、あのご令嬢が履いていたこの靴が頼りになるかと」
アンリ王子は手に持っていた青いサテンの中身を見せた。サテンの中から出てきたのはあの煌びやかに輝くガラスの靴の片割れだった。
「こちらの靴はあのご令嬢が履いていたもので、これを元に彼女を探し出すというのはどうでしょうか?」
「アンリ、お前はそれをどうやって手に入れたのだ?」
「昨夜偶然ご令嬢と居合わせた時、落として行かれたのです。何やら急ぎの様子で、靴が脱げてもなお駆けて行ってしまわれました」
なんとも嘘くさい話だとアンリ王子は思っていた。靴が脱げてそれを回収せずに逃げるように去っていく令嬢がどこにいるのか……。そんな風に思う一方で、この手の中にあるガラスの靴が何よりもの物的証拠となるとアンリ王子は踏んでいた。なにせ、ローアン王は目を見開いてガラスの靴を食い入るように見ているのだから、と。
「確かにその靴はあの令嬢がルイとダンスしている時に履いているのを見かけたが……お前はなぜそれを知っている? なぜあの令嬢のことも知っている?」
部屋に閉じこもって舞踏会にも参加していないというのにーーそんな言葉がローアン王の言葉の最後に加わるのだろうと、アンリ王子は感じていた。
「噂は時に矢よりも早いのですよ。それに、あの頑固な兄上をダンスを踊られたというご令嬢には幾分興味がありましたので、こちらでも調べてみたのです。噂によれば、王もあの令嬢をたいそう気に入っているとか……?」
「あれほどの器量と美貌を持っていれば、いくら令嬢に興味を示さぬルイですら無視はできまいと思ったまでだ」
アンリ王子は軽く会釈をしながら、右手を心臓の辺りに当て微笑んだ。
「そうでしたか。では是非、その詰めと参りましょう。私も兄上とこの国の行く末を案じる身、少しは手助けになればと思い、この靴を回収していたのです」
「ではお前の言う“詰め”とやらを聞かせてみよ」
アンリ王子はガラスの靴を光に照らすように、その靴を両手で持ち上げる。片手は靴のサイドを滑らせるように形やサイズを測りながら。
「あのご令嬢の足は特段小さいようです。この靴を持って街を回り、女性一人一人足をここに合わせて行けは良いかと。この靴にぴったりと合う女性こそ、兄上のお相手なのですから」
手間がかかるそのやり口に、王はあまり乗る気を感じられない。そんな様子を見て、アンリ王子はさらにこう言葉を続けた。
「手間と時間はかかるでしょう。ですが、それで兄上の相手が見つかるのであれば最短の道かと。このままでは兄上はいつ相手を見つけ、結婚するかも分からないですし」
ルイ王子は頑なだ。ローアン王が相手を見つけて婚約させても破棄するように持っていく。気に入った令嬢すらそう簡単に見つかる相手ではないこともローアン王は知っている。それに手を焼いていたからこそ今回の舞踏会は国中の令嬢を集め、結婚相手を探すという別の名目も帯びていたのだ。
「そこまでしても、ルイがあの令嬢を迎え入れようとするかどうかが問題だがな」
「王に言われたとはいえ、二夜ともダンスを踊った唯一の相手です。他のご令嬢とは違うように思います。万が一兄上が結婚を承諾しなければ、他の道を探すまで。とにかくやってみる価値はあるかと」
髭を携えた顎を指で掴み、一瞬考えるような仕草を見せるローアン王。しかしそれもすぐに顔を上げて、アンリ王子に指示を下した。
「ではお前が指示を出し、あの令嬢を探し出してみよ。ルイにも上手くやるのだぞ」
「はっ」
アンリ王子はガラスの靴を胸元に寄せ、そのまま頭を下げた。その下げた頭の下で、口元を綻ばせながら。
まだまだ番外編は続きます。