王子様の婚約者
「お待たせいたしました」
リュセットはあの母親の洋服に身を包み、足元には輝きを惜しげも無く放つガラスの靴を履いている。そんなちぐはぐな姿に、大臣も思わず確認した。
「その……他にドレスは持ってないのか?」
見るからにみすぼらしい。先ほどの煤汚れた服よりかは幾分マシとは言えるが、それでも今からお城に向かうという服装では決してない。
「はい、これが一番の服なのです」
「では舞踏会で着ていたドレスはどうしたのだ?」
「あれは、借りたものでしたので、今はもうないのです」
リュセットはどんどん顔を赤らめながら、困った様子で大臣から顔を背けた。マーガレットの服ではリュセットには大きすぎる。貸したところでサイズの合わないものもまたみすぼらしくなるだろう。
「……まぁ、仕方があるまい。では参ろうか」
大臣は諦めたようにそう言い、家の前に止めておいた馬車に乗った。
「それでは、行ってまいります」
「リュセット」
リュセットがイザベラ達に頭を下げた後、マーガレットはリュセットの腕を掴んだ。
「帰ってきたら話がしたいわ」
リュセットの耳元に囁くような声で、そう言うと、リュセットもマーガレットの顔を見て、微笑んだ。
「はい」
その笑顔はさっきのような拒絶はなく、マーガレットを安心させた。
そしてリュセットは馬車に乗り込み、一行はお城へと向けて走り出したーー。
*
「なんであの灰かぶりがあの時の令嬢だというのかしら! 全く納得できませんわお母様!」
足の痛みから解放されたマルガリータは鼻息荒く母親にそう噛み付いている。こんなことならいっそのこと、足をずっと縛り付けていた方がいいのではないかとマーガレットは本気で考え込んでしまうほどだった。
「しかもあのドレスも靴も一体どこで手に入れたというのかしら!」
「あの子はお金なんてないはずだし、つてもいないだろうからねぇ」
イザベラも疑心暗鬼な様子。それもそのはずだ。普段お金は買い物をする分しか貰っていない上、ドレスなど買い与えたこともない。そんなリュセットがまさか舞踏会に来てたなど、逆立ちしても思いつくはずもない。
「しかしあの子、本当に結婚を辞退するつもりなのかしら」
「フン、あの子の考えてることは分からないね。普通に考えればしないだろうさ」
マーガレットにはそこが不安だった。リュセットが王子様と結婚しなければ、この物語は物語として成立しなくなる。そしてそれは、アリスに言わせると、物語であるこの世界が消えるということ。全て消えてなくなる……。
(そんなことは、させないから……)
幼い頃に読んだ物語。幼少の頃の満里奈はシンデレラストーリーの世界の中にだって入り込むほど、童話の世界に憧れた。ハラハラドキドキするような冒険ストーリーではなかったけれど、素敵なドレスを着て、最後には王子様がちゃんとシンデレラを見つけてあげる。真っ直ぐに生きるシンデレラを、ちゃんと光の方へと導いてくれるそんなストーリーは読後の満里奈の心をホッとさせ、温めてくれていた。
きっと他の子供だってそうだ。虐げられて、全身灰だらけになっても、心の中まで汚すことはできない。見た目だけでなく心まで綺麗なシンデレラが、王子様と結婚しなければ、そんな夢のない話など誰も読もうとは思わないだろう。
(……シンデレラの話は、壊させないわ)
そう思って、マーガレットは机の上で拳を握りしめていた。
「ともあれ、リュセットがルイ王子と結婚すれば、リュセットはプリンセス。もうここへ戻ってくることもなければ、私達のことを思い出すこともないかもしれませんわね」
それはマーガレットの願いでもあった。もうここのことは忘れて、お城で幸せに暮らせばいいと、本当にそう思っていた。
「……お、お母様。私達、今のうちに灰かぶりにすり寄って、一緒にお城に住めるようにしてもらうのはどうかしら?」
「私もそのつもりだよ。なにせサンドリヨンは曲がりなりにも私の娘なのだからね」
当たり前だとでも言いたげな口ぶりであっさりとそんな大それたことを言ってのけるイザベラに、マーガレットは冷ややかな視線を投げた。今までの振る舞いを悔改めようとも考えず、再婚によって繋がった“だけ”の、蜘蛛の糸よりも細い繋がりにしがみつこうと言うのだ。
「それをおっしゃるのであれば、リュセットはきっと私達をお城には呼びたがらないと思いますわ。なぜなら、私達は形式上での家族。お城へ向かうために着替えたドレスをご覧になりまして? 彼女は一着も着飾るものを持っていないのです。そんな仕打ちを受けてきたリュセットはなんと言うでしょう? そんな身の上話を聞いたルイ王子もなんと言うでしょう?」
マルガリータは不満そうに口元を真一文字に閉じている。イザベラもフンと鼻を鳴らしただけ。
「……私達は離れて暮らすのが一番ですわ」
そう言って、マーガレットは二人に釘を刺しておいた。こんな釘では正直、この二人には効果があるとは言えない。その一番の理由はリュセットの性格である。リュセットもきっと二人にお願いされれば、お城に住むことも認められるかもしれない。けれど、マーガレットの心情としては言わないよりはマシだった。
結婚式に起こるかもしれない、最悪のバッドエンドを回避するためにも。……と、そんな時だった。
「お母様、そしてお姉様方。ただいま戻りましたわ」
リュセットは少し疲れた様子だが、曇りが晴れたような表情でにこやかに微笑みながらダイニングへと入ってきた。
「リュセット、お帰りなさい」
マーガレットがそう言って微笑み返すと同時に、マルガリータは立ち上がり、リュセットの隣へと向かった。
「灰……じゃない、リュセット。疲れたでしょう? ほら、こちらへ座りなさい」
マルガリータはリュセットのために椅子を引いている。今までそんなことをしたことなど一度もないというのに。
「そうだね、馬車で疲れたろう。マーガレット、紅茶を入れてやりなさい」
(はいー?)
イザベラまでもが手のひらを返したように、そう言った。二人とも完全にごますりにかかっている。マーガレットは不服に思いながらも、ひとまず紅茶を淹れにキッチンへと向かおうと立ち上がったが、そんなマーガレットをリュセットは呼び止めた。
「マーガレットお姉様。私は大丈夫です。外に馬車を停めておりますので、すぐに戻らなければいけませんから」
「馬車を停めて……?」
リュセットの言葉を反復したのは、マルガリータだ。マルガリータの疑問を引き継ぐように、こう言ったのはイザベラだった。
「じゃあなにかい? あんたはまたお城に戻ると言うのかい?」
「はい」
曇りのない澄んだ瞳でイザベラを真っ直ぐ見つめて、はっきりとした口調でそう言った。マルガリータはわなわなと震えた手でリュセットの肩を掴み、イザベラの言葉の続きを紡いだ。
「……それって、もしかしてあんた……」
リュセットは部屋の中を見渡して、三人の顔をそれぞれ見た後、唇を弓なりにしならせた。
「……はい。私は、王子様と結婚いたします」