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パトロン

 男はポンポンと肩を叩きながら、マーガレットにマッサージされるのを待っている。


「えーっと……」

「俺はただマーガレットの力量をみてみたい。ただそれだけだ。何も本気でマッサージしてみろと言っているのではないぞ」


 男のこの口調がマーガレットには少し引っかかっていた。要望を言っている割に命令口調な感じが気に食わないとでもいうように。

 しかし、男に大きな恩ができてしまったため、ボディチェックするくらいはいいかと思い、渋々ながらマーガレットは男の背後に立膝をつき、肩に触れ、そのまま上腕へと手を伸ばす。すると、指を跳ね返すような筋肉質な身体。見た目は細身に見えるが、立派な筋肉がそこにはあった。


「どうだ?」

「そうですわね……腕は右側の方が筋肉が発達していますわね。やはり右で剣を持つことのが多いせいか、右の上腕部分の筋肉が左よりも大きくなっていますわ。けれど肩は思っていたよりも両側とも凝っています。これだと首も凝っていらっしゃるのでは……ああ、やはり」


 マーガレットは肩から今度は首に触れ、男の髪の生え際まで触れた。


「これほど張っているのであれば、頭痛をお持ちではございませんか?」


 マーガレットは男の顔を覗き込むようにそう言うと、マーガレットの手を掴み、こう言った。


「……すごいな。頭痛のことは当たっている。その上マーガレットが触れる箇所も俺が時々身体に鈍さを感じるとこだ」


 男は感嘆の言葉を述べ、男の澄んだマリンブルーの瞳は輝きをその奥に宿し、先ほどまで嫌味や偉そうに指図していた様子とは打って変わるほどの表情だった。その表情を見るだけで、マーガレットはマッサージの上で男の信頼を勝ち得た事を悟った。


「お褒めいただき、嬉しく思います」


 男の素直な反応に感化されるように、マーガレットも素直にお礼の言葉を述べた。その表情には微笑みを携えて。


「俺はカインと言う。城で騎士団を統べるのが俺の仕事だ」

「統べる? と言うことは、騎士団長……?」


 マーガレットは独り言のようにぼそりとそう呟いたが、カインはしっかりそれを聞き取り頷いた。


「しかし、騎士団長ともあろうお方がどうしてこんなところに? しかもお一人で……?」


 マーガレットはこの世界に転生して日が浅いため詳しい情報は持ち合わせていないが、団長といえばもっと年配の人物を想像していた上、長ともなればきっと毎日が忙しいに決まっている。そんな先入観からの疑問だった。しかも男は今日だけではなく、昨日もこの付近にいたのだ。休暇とはそれほどたくさんあるのだろうか、とマーガレットが疑問に思っていると、男はマーガレットが思っているであろう事を読み取ったかのようにこう言った。


「こんなところで暇しているような奴が騎士団の長ではないと? もしくは俺のような若造に務まるのか、と?」

「あ、いえ、そう言う意味では……」


 心の中を読まれた気になり、マーガレットは気まずさから思わず顔を背けた。けれど、カインは未だに掴んでいたマーガレットの手を引き、顔をカインの元へと向けさせた。

 マーガレットがそろりとカインの顔を覗き見ると、カインは可笑しそうに笑った。カインのそんな笑顔を見るのは初めてだ。そしてそれは、マーガレットの予想の範疇外の反応だった。


「さっきまでの威勢はどうした? しおらしくなられては話しづらいではないか」

「いつも威勢がいいわけではございません。むしろこちらの方が普段の私でございます」

「そうか? 到底そうとは思えぬがな」


 カインは相変わらず失礼なことを言うが、ずっとぶっきらぼうな表情ばかりだったカインの見せた笑顔に、マーガレットは思わず頬があからみそうになり、それを悔しくも思えて目を逸らした。口は悪く、物言いも偉そうで時々冷たくもあるが、初めてカインを見たあの時、正直王子様かと思ったほどだ。それほどの美貌を持ったカイン。

 王子様に見えた理由は美貌だけではなく、もちろんその衣装のせいもあるが。けれどそんなカインが見せた不意打ちの笑顔は卑怯だと思った。胸が高鳴ってしまっても仕方がない……そんな風にマーガレットは自分が抱いたこの感情に言い訳をしながらも、カインを直視できずにいた。


「騎士は実力社会なのでな、年齢は関係ない。それに昨日も言ったが、マーガレットと同じで散歩の足を伸ばしついでにこのあたりの治安を視察しにきているのだから、立派に職務をこなしているとは思わないか?」

「ええ、まぁ……」


 曖昧な返事をしつつ、マーガレットはカインが繋いだ手をどうすれば離してもらえるのかと考えていた。すぐに手を触れたりするのは女性に慣れているせいなのか、はたまた軽い男だからななのか、それともーー?

 

「けれど、そうだな。俺はそろそろ戻らなければならない」


 カインは辺りを見渡しながら、立ち上がって馬の手綱を解いた。と同時に、カインはマーガレットの手もスッと離した。まるで解放された気分になったマーガレットは、握られていた手を空いた片方の手で撫でた。


「マーガレット、これは依頼なのだが、今度マッサージをお前に頼むことは可能か?」

「……えっ?」

「もちろん報酬は出そう。1回につき5ソルドでどうだ?」

「5ソルド!?」


 ソルドとは通貨の名称のことで、小型銀貨、大型銀貨、金貨の3種類が存在し、小型銀貨をソルド、大型銀貨をグロ、そして金貨をフローリンと呼ぶ。5ソルドということは、織工の仕事を朝から晩まで働いた日給と同額になる。それを1回のマッサージでもらえるとなれば、かなり魅力的な金額だった。

 マーガレットは一度図書館へ行った際、この世界では本を借りるのもお金が必要なのだと知った。義父親のウィルヘルムが帰らぬ人となった今、イザベラは娘達に玉の輿と結婚し、生活を豊かにすることばかり考えている。また、イザベラに言わせると、女性は知性をつけると可愛げがなくなり、男性から敬遠されると言う。だからこそ余計に本を借りるためにお金を貰うことは不可能だった。

 もし5ソルドのお金があれば……そんな思いに瞳を輝かせているマーガレットに、カインはさらにこう言葉を続けた。


「もちろん、マーガレットの腕をみてそれに合わせて報酬は上乗せしよう。5ソルドはあくまで目安で言ったまでだ」


 この美味しい申し出に飛びつきたいところだが、マーガレットには一抹の不安があった。それはこの世界に転生してからマッサージをしたことがないため、手の感覚、力加減が上手くできるかがわからない。曲がりなりにも前世ではセラピストとして、プロとして働いていた経験があり、前世ではスクールも出ている。そんなプロ意識から下手なマッサージはしたくないとも思っていた。金額に見合うテクニックがあるのかどうかが疑問であり、見合わなければお金を貰う資格はない。マーガレットは真面目にそんな事を思っていた。


「とても嬉しい申し出ではありますが、先ほども申し上げた通り、私はまだマッサージを勉強中なのです。それも独学で勉強しているため、人様にして差し上げるなど……」

「ならば余計にいい機会だとは思わないか? 勉強するにも資料が必要だろう。資料を借りるのも買うのも、金がかかること、そうだろう?」


 マーガレットは言い返すことが出来ない。カインの言うことは正しく、マーガレットがこの申し出を引き受けたい理由でもあるのだ。カインはなかなか頭がキレる上に、人の弱いところを突くのも上手い。カインが若くして騎士団長をしている理由が分かった気がした。


「それに、実際に人の身体に触れて見なければ、技術は向上しないのではないか? いくら座学で勉強したところで、頭でっかちになるだけではないか? 実戦では使えないというのでは意味がないように思うのだが」


 マーガレットは口を真一文字に締めている様子を見て、カインはクスクスと笑った。今度の笑い方は嫌味を感じるようないつもの笑みだった。


「金を貰えて勉強が思う存分できる。俺はさしずめパトロンといったところだな」

「……それでは、カイン様、あなた様の利点はなんなのでしょうか? 私のような見習いにも満たない者にお金を費やす理由が知りたく存じます」


 女性とは男性よりも地位が低いと感じるこの世界で、そんな甘い話はあるはずないとマーガレットは思っていた。女性の地位が低いということは、何かあれば泣き寝入りしなければならないのはこちらの方。その上マッサージは身体を触り、触れる仕事。満里奈として生きた前世でも何度かセクシャルな目的でマッサージを受けに来るお客がいた。マーガレットとなった今でもその記憶は残っていた。

 そのため、いくら騎士団長とはいえ、カインが変な気を起こさないとも限らなければ、実際はそういう目的で提案している可能性も無きにしも非ずなのだ。現に昨日も勘違いとはいえ、マーガレットはすでに一度カインに押し倒されているのだ。マーガレットが必要以上に警戒するのもおかしくはない。


「俺はマーガレット一途な思いに感銘を受けたのだ。それに、お前の技術は悪くはないと思う。俺はそれで頭痛や身体の不調が改善し、マーガレットは金と経験が貰える。双方にとって利があるとは思わないか?」


 マーガレットは考えるように、腕を組んで口元に手を当てた。悪い話ではない、けれどどうしても不安は拭えないでいた。何せ昨日はカインから、今日は山賊から襲われそうになったのだ。特に山賊が触れたあの気持ちの悪い感覚は今でも記憶に焼きつき、離れない。

 そんな不安を感じている中、カインは再びマーガレットの手を取った。


「マーガレットよく聞け。これはビジネスだ。俺はお前にやましい感情を抱くことはないし、純粋にマッサージをして欲しいと思っている」


 そして、腰に差していた剣を抜き差し、顔の前に突き立てた。


「この剣に誓おう、俺の言葉に嘘偽りがないことを。そして、誇りと名誉にかけて」


 真っ直ぐ、射抜くようにマーガレットを見つめるカインの瞳は、一点の曇りもないように思えた。この人を信じても大丈夫……そんな風に思えることが不思議でならなかった。

 昨日はあんな出会い方をし、まだ出会ってたったの二日の間柄だというのに。


「……わかりました。そこまでおっしゃるのであれば、カイン様のお言葉を信じましょう」


 マーガレットが胸を張ってそう言うと、カインは少しばかり微笑んだ後、剣を鞘に納め、マーガレットの手の甲にキスを落とした。


「二言はない。信じろ」


 カインの柔らかな唇が触れたそこを、マーガレットは無意識でそっとそこに触れた。まるで誓いの証が消えてしまわないようにと願うかのように。


「話が決まれば街まで馬を走らせよう」

「馬!?」


 マーガレットは馬に乗ったことがない。乗れるのか、そもそも振り落とされないのかが不安だった。


「いえ、歩いて帰れます」

「今朝襲われたというのに、また同じことを繰り返すつもりか?」


 カインが冷ややかに言うが、カインの言葉尻よりも今朝の光景を思い出してマーガレットは背筋が凍りそうになった。


「わかったのなら、乗れ」

「……よろしくお願いいたします」


 降参とでも言いたげに、マーガレットは頭を下げた。すると、下げた頭の上からカインの大きな手が触れた。まるで子供をあやすように撫でるそれは、意外とマーガレットの怯えた心を解きほぐしていく。

 カインは馬の首を撫でた後、ふわりと軽やかに馬の上に飛び乗った。


「手を貸せ、1、2、3で引き上げるから思いっきりジャンプをするつもりで飛び乗れ」

「えっ、そんな!」


 自分の背丈よりも大きな馬にどうやって……そんな不安を感じる暇もなく、カインはカウントを始めた。


「1、2……3!」

「きゃっ」


 マーガレットは思わず目を瞑り、カウントに合わせてジャンプしたが、カインが上手く引き上げてくれた。マーガレットが恐る恐る目を開けると、すっぽりとカインの腕の中に埋まるような形で馬の上に跨っていた。

 カインの吐息が髪にかかる。心音が聞こえてきそうなこの距離に、流石のマーガレットも赤面してゆく顔を抑えられずにいた。


「顔が真っ赤だぞ」


 わざわざ指摘しなくてもいいものを、カインは嫌味ったらしくそう言った。マーガレットの様子を見て、完全に楽しんでいる。


「う、馬に乗るのは初めてなので、緊張しているのです」

「では、馬のたてがみをしっかりと握り締めておけ。マーガレットが強く握ったところで、馬にとっては痛くもかゆくもないから、遠慮はするな。さもないと振り落とされるぞ」


 マーガレットはカインが指し示したあたりのたてがみを両手で必死に掴んだ。すると、そんなマーガレットを包み込むようにしてカインは手綱を握り、走り出した。

 上質なシルクを思い起こすような艶のある毛並みをした黒馬。風を切り裂きながら走るその力強い姿に、振り落とされそうだとかいう不安を一切感じない。それは馬の扱いが上手いカインのおかげなのか、それとも馬が優秀なのか。乗馬が初めてのマーガレットにとってその答えは見つけ出せそうにもない。


 そうこうしている間に、街の入り口に着いた。先にカインが下馬し、抱きかかえるようにして、マーガレットも下馬した。


「では早速だが、明後日、マーガレットと俺が初めて出会ったのと同じ時刻にここで落ち合おう」

「……はい、かしこまりました」


 マーガレットは再びドレスの裾を持ち上げ、会釈する。


「あと、俺のことはカインでいい。その振る舞いも言葉遣いも不要だ。職務と城以外で堅苦しいのはごめんだからな」


 そう言って、カインは再び馬に飛び乗り、片手を上げて走り去った。マーガレットはまだ初めての乗馬の感覚と、カインから発せられた甘いパフュームの香りに酔いしれていた。それは今朝のあの不快な感覚すらも消し去るほどに。

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