舞踏会二日目 3
「こんばんは。また、会いましたね」
今夜もマーガレット達がお城へと出発してから準備をして家を出たリュセットは、またも遅れた登場となった。昨日よりも到着は早いが、入り口に人は少なく、二日目ともなると皆真っ直ぐ大広間へと向かったようだ。
そんな中で再びであったのは、昨日出会ったあの貴族だ。
「こんばんは。またお会いしましたわね」
リュセットはしっかりと会釈をした後、顔を上げて微笑んだ。今宵もアリスに魔法をかけてもらい綺麗に着飾ったリュセットの極上の笑顔は、誰もが虜になるほどの優美さだ。
そんな中でこの貴族の男性は兵士や他の貴族とは違い、外見にとらわれることなく紳士的な笑顔を返した。
「これから大広間へ向かわれるのですか?」
「いえ、まだどうするか考えていたところですわ。人混みにも舞踏会にも慣れておりませんので、どうしても人の目が気になってしまって落ち着かないのです」
リュセットは未だに周りの視線がなぜ自分に向いているのかを理解していない。この男性にも他の殿方にもその美貌を褒められたところで、全ては社交の場、リップサービスだと考えていた。
「そう言う、あなた様は……えっと……」
そういえば、名前を聞いていなかったことに気がついた。そんなリュセットの様子に微笑みを携えて、男は会釈をしながらこう言った。
「そういえば、お互い名を名乗っていませんでしたね。私はアンリと申します」
リュセットもアンリにならい、再び会釈を返す。
「アンリ様。私はリュセットと申します」
「リュセット。可愛らしい名ですね」
顔を上げるとアンリの整った顔がリュセットを見つめている。昨夜共に踊った王子様と負けず劣らずの美青年。
「もしお時間あるようでしたら、少し外でお話ししませんか?」
「私は構いませんが、アンリ様は今夜も舞踏会には参加されないおつもりですか?」
参加されないつもりなら、どうしてここに来ているのだろう。そんな素朴な疑問からの問いだった。
アンリはリュセットに肘を差し出し、エスコートするように外に連れ出す。廊下を歩いて正面玄関とは別の出口から外へと向かいながら、アンリはリュセットの問いにこう答える。
「ええ、元々ダンスは好きではありませんから」
「ではなぜ、舞踏会へ?」
「付き合い、というものですよ」
にっこりと微笑んだその笑顔は、どこか距離を感じる笑みだとリュセットは感じた。先ほどまではそんな風に感じなかっただけに、そんな違和感を不思議に思いながらもリュセットはアンリと外へと繰り出した。
「リュセットこそ、昨夜のダンスはいかがでしたか? 噂ではあのルイ王子とダンスを踊られたとか」
その言葉に、リュセットは昨夜のことを思い出して瞳を輝かせた。
「それはそれは、夢のような時間でした……私が王子様と踊るなど、夢にも思っていませんでしたから。ルイ王子はとても紳士的で、ダンスの下手な私を優しくエスコートしてくださったのです」
リュセットが夢を見るような瞳で語り、それを優しく見守るアンリ。二人は微笑み合いながら、空の星を見上げた。
「リュセットはルイ王子がお好きですか?」
「ええ、言葉はさほど話していませんが、良い方だと思いますわ」
「ではリュセット、もしルイ王子がリュセットのことを気に入れば、あなたはルイ王子と結婚したいと思いますか?」
トロンとした夢見るような瞳で空を見上げていたリュセットは、この言葉にどんぐりのような大きな瞳をさらに見開いてアンリに視線を向けた。
「それはまた……大きな夢物語ですわね」
リュセットはクスクスと笑いながら小さな肩を揺らした。
「夢物語などではありませんよ。王はルイ王子の花嫁候補を探しておいでです。そして昨夜あなたは唯一ルイ王子とダンスを踊られた女性です」
「それでしたらきっと今夜王子様は他の方と踊るでしょうし、そうすればきっと、私なんかよりもっと美しい方や聡明な方をお選びになりますわ」
「あなたはとても自己評価が低い。リュセットは今日ここにいる誰よりも美しく、聡明な方だと私は思います」
リュセットは再びクスクスと笑う。アンリがあまりにも真剣な瞳でそんな冗談としか思えない言葉を言うからだった。
「そのお言葉、本当に嬉しく思います」
「私は冗談で言っているのではないのですよ」
アンリは真剣だった。けれど、リュセットにはその言葉が本心だとはどうしても思えない。
「昨日今日お会いしただけで何がわかるのかと言われれば、お答えするのは難しですが、私はこれでも人を見る目はあると思っています」
「アンリ様はお優しいのですね」
「いえいえ、あなたほどではありません」
言って、二人は見つめ合って微笑んだ。そんな時だった。
「リュセット……?」
リュセットの背後から声がした。振り返って見ると、そこにいたのはーー。
「マーガレットお姉様!」
暗がりから出て来たのは、姉のマーガレットだった。マーガレットに出会った瞬間、微笑みを送った後すぐ、眉尻を落とした。
「マーガレットお姉様、泣いていらっしゃったのですか……?」
リュセットの言葉に、マーガレットはとっさに扇を開いて顔を隠した。泣きはらし、むくんだ瞳は暗がりの闇でも隠してはくれなかったようだ。
「違うの、これは目にゴミが入っだけで……その時に目を擦りすぎたみたいで……」
リュセットは何も言わずマーガレットの元へと駆けていき、そのまま体を抱き寄せた。マーガレットは扇から顔を覗かせることもできず、ただ黙ってリュセットに抱きしめられている。
マーガレットの気持ちが少し落ち着いた頃、リュセットは微笑みながらこう言った。
「ふふっ、マーガレットお姉様は私のことに気づいてくださったのですね。お母様もマルガリータお姉様でさえ私がリュセットだと気づかなかったというのに……」
マーガレットはそっとリュセットの体から離れ、覗くように扇から顔を出した。
「わかるわ。私には」
「さすがはマーガレットお姉様ですわね」
マーガレットの言葉にリュセットは嬉しそうに笑っている。そんな中で、リュセットはアンリの存在を一瞬とはいえ完全に忘れていたことに気づき、振り返った。けれど、アンリはすでにそこにはいない。
「……行ってしまわれましたわ」
「さっき一緒にいた方は、誰なの……?」
「アンリ様と言って……」
名前だけ言った後、リュセットは口を閉じた。よくよく考えてみるとアンリのことを何も知らないと言うことに気がついたからだ。アンリがどこの出身で、どこの貴族なのか。
「昨日私が困っている時に声をかけてくださった方なのです。とてもお優しい方ですわ」
リュセットはさっきまでアンリが立っていた場所を見つめながら、マーガレットにそう返事を戻す。けれどそれはどこか心ここにあらずといった様子だった。
「リュセット……」
「はい、お姉様」
マーガレットは扇で顔を覆うのはやめて、リュセットの肩を掴んでマーガレットへと体を向けた。
「昨夜ルイ王子と踊ったのでしょう? 王子はどうだったの? その、リュセットの好みの男性だったのかしら……?」
「お姉様もアンリ様と同じようなことを聞くのですね」
ぽつりとこぼした言葉を、マーガレットは聞き漏らした。
「えっ?」
「こっちの話です。ルイ王子はとても素敵な方でしたわ」
リュセットがにっこりと微笑みながらそう言うと、マーガレットの瞳は一瞬揺らいだ。けれど暗がりでそれはリュセットに気づかれない。マーガレットはリュセットの手を取り、歩き出した。
「リュセットこっちへ。ちょっと奥で話をしましょう」
リュセットはマーガレットに連れられるまま、お城の建物から遠のいていく。庭の中へとどんどん歩いて、足元もかなり暗い。
「どちらに行かれるのですか?」
「行けばわかるわ」
そう言って、マーガレットはどんどん進んでいく。人気のない、お城の外。庭を超えた先にある時計台だった。
「大きな時計台……近くで見ると圧巻ですわね」
リュセットは首を必死に伸ばして時計台を見上げている。そんなリュセットを背に、マーガレットは時計台へと続く階段を数歩昇ったあと、振り返ってこう言った。
「……リュセット、私はマルガリータお姉様や他の方よりもリュセットが王子様と結婚することを望むわ」
「マーガレットお姉様どうなさったのですか、急にそのようなことを言って?」
思わず戸惑いからリュセットは辺りを見渡した。そんなリュセットの手をしっかりと握りながら、マーガレットはさらに言葉をつないでいく。
「リュセットお願いがあるのだけど、いいかしら」
「なんでしょう、急に改まって……?」
リュセットが訝しげに首を小さく傾げた後、マーガレットはつん、とリュセットの足元を指してこう言った。
「そのガラスの靴を履いてみたいから、私の靴と交換してくれないかしら?」
リュセットはドレスの裾を少し持ち上げて、ガラスの靴を見た。
「いいですが……私とお姉様とでは靴のサイズが違うかと思いますわ」
「私の靴には先にハンカチを詰めましょう。そうすればリュセットでも履けるでしょう?」
「ですが、マーガレットお姉様がこの靴を履けませんわ」
「いいの。私は一度どうしてもその靴を履いてみたいの。履けなかっとしてももっとじっくり見て見たいの。ね? いいでしょう? 家に帰ったらちゃんと返すから」
必死の様子でマーガレットが懇願している。そんな姿を見るのはあのリュセットの洋服を貸して欲しいと言っていた時以来だとリュセットは思った。ガラスの靴など珍しいもの。マーガレットが履いてみたいと思うのも致し方ないと判断したリュセットは、にっこりと笑って首を縦に振った。
「わかりましたわ、マーガレットお姉様にお貸しします」
「ありがとう」
お礼を述べたはずのマーガレットの顔は、どこか泣きそうでいて、このガラスの靴よりも脆いものに見えた。けれどそれがなぜなのかはリュセットには分からなかったが……。
「リュセットは広間へ戻って、せっかくの舞踏会を楽しんできて」
靴を交換し、リュセットの靴のつま先には裂いて小さくしたハンカチを詰めた。マーガレットはやはりサイズが合わないが、一旦靴を手に抱えて裸足で立っていた。
「マーガレットお姉様はどうなさるのですか?」
「私は疲れてしまったので、ここで休んでからお母様達と家に帰るわ」
ここで休んで……と言いながら階段に腰を下ろした。
「あ、あと、お母様達はリュセットのことに気づいていないのだから、リュセットがこの舞踏会に来たことは内緒にしましょう」
リュセットの首はコテンと、片側に傾いた。
「なぜでしょうか?」
「リュセットがここに来たと知ったら、どうやって来たのかとか、いろんなことを根掘り葉掘り聞かれて大変よ」
「確かにそうですわね……」
考え込むような表情で、唸る。
「けれどそれなら、どうしてマーガレットお姉様は私に根掘り葉掘り質問なさらないのでしょう?」
真っ当な疑問だった。だけどマーガレットはそれに答えるつもりもなく、ただ微笑みながらこう言った。
「なんでも知らない方がいいことだってある、でしょう? さぁリュセットは行って。楽しんで来てね」
「ありがとうございます」
リュセットは両手でドレスの裾を少し持ち上げながら、マーガレットへ会釈をした。会釈のあとは極上の笑顔を溢れさせて、駆けて行く。
「楽しんでいらっしゃい、リュセット」
リュセットの背中を見つめながら、小さく呟いた。すぐにリュセットの姿は見えなくなり、マーガレットは抱えたままのガラスの靴に視線を落とす。
「シンデレラだけが履ける、ガラスの靴」
マーガレットは立ち上がり、階段をゆっくりと上っていく。ある程度上ったあと振り返ると、ライトアップされているお城が綺麗に聳え立っているのが見える。そして、その下には昨日通ったあの迷路が見えた。
昨日は喜びで胸が高鳴り、お互いの気持ちを確かめ合った場所。
ーールイ王子だと知らずに。
「リュセットはルイ王子とダンスを踊るわよね……?」
さっきリュセットが話していたアンリという男の姿が、マーガレットの脳裏に一瞬広がる。
(リュセットを見かけても、マルガリータ達と同じで知らないふりをしようとしていたのに……)
リュセットがとても楽しそうに他の貴族の男性と話している姿を見たことがないマーガレットは、あの姿を見たとき、思わずリュセットに声をかけてしまっていた。
マーガレットにすら変な虫、ウィリアム公爵みたいなのが来たくらいだ。リュセットにはもっとたくさんの虫が寄ってくるだろう。そんなどこの馬の骨かわからない相手にリュセットを渡さないと思っていたら、つい声が出ていたのだ。
それが例え、運命の相手ではないにしても。それでもリュセットが他の者と楽しそうにしている姿を見ると不安になった。
ーー自分がこれほどまで心をすりつぶして、ルイ王子から離れようとしているのに、と……。
その時、時計はボーンと大きな音を立ててこの城内に響き渡る。それは23時の時刻を知らせる音だった。
あと一時間でリュセットの魔法は切れる。ドレスも、馬車も消えてなくなるだろう。けれどリュセットはそのあと、真実の愛を手に入れるのだ。それは時間など気にせず、消えることのないもの。
時計の音が鳴りやんだ時、それはマーガレットの魔法が切れた時。ルイ王子との恋の魔法は、これで全て終わりなのだと、マーガレットに知らせていた。
そんな風に感じ、マーガレットの枯れた瞳は再び歪み始める。
「ここに置いておけばきっと、見つけてくれるはずよね……?」
リュセットから借りたガラスの靴。プリズムに輝くこの靴を、きっと誰かが見つけて、リュセットに届けてくれるはず。
マーガレットは階段にそっと、ガラスの靴の片方だけを置き、時計の鐘が鳴り止むのを静かに聞いていたーー。




