目覚めの朝
「マーガレットお姉様」
コンコン、とノック音とともに聞こえてくるのはリュセットの控えめな声だった。
「どうぞ」
マーガレットは部屋の扉に向かってそう言葉を戻す。するとリュセットが言葉と同様に控えめな様子で扉を開けた。
「おはようございます、マーガレットお姉様」
「おはよう、リュセット」
窺うような顔を見せたリュセットに対し、マーガレットは微笑みを返した。一晩泣いていたマーガレットの目は赤く、まだ腫れているが、その表情はどこか晴れやかに見えた。
「その、今朝の体調はいかがでしょうか?」
「ええ、もう調子は良好よ。心配かけてしまったわね」
すっきりとした様子のマーガレットを見て、リュセットはホッと肩をなでおろした。
「それでしたら良かったですわ! 今日は舞踏会の最終日ですし、楽しんでいらしてくださいね」
「ええ、そうするわ」
マーガレットはリュセットに微笑みかけた。それを受けてリュセットの表情にも笑顔が咲き誇る。
美しい娘、リュセット。本来の美しさをその洋服と灰で覆い隠し、光の指す場所とは真逆のところにいる健気な娘。だがそれももうすぐ真逆になる。今までの日陰の人生は王子と出会い、王子と結婚するためのお膳立てのようなもの。耐え忍んだ分明るい未来が待っている。
それは誰もが望む未来であり、幼い頃の満里奈が望んでいた結果。決して変えてはいけない物語の結末。
「それじゃ着替えたら朝食をとりにダイニングへ向かうわね」
「もうお母様もマルガリータお姉様も食事を済まされてこの後私はお母様達の支度の準備をいたします。マーガレットお姉様も必要があればお手伝いしますので教えてくださいね」
「ええ、わかったわ」
どこか軽やかな足取りでリュセットは部屋を出て行った。その理由は今日もお城の舞踏会に行くという興奮した気持ちからなのか、それとも昨夜ルイ王子とダンスを踊った興奮からなのか。どちらにせよマーガレットにはその理由を知る由もない。
鏡の前に立ち、その中に映る自分の姿を見て、両手で頬を叩く。
「よし! 元気出していくぞ!」
首元にはもう無いネックレス。それはもうマーガレットの宝石箱の中にも、この家の中にも存在しない。そのことを考えると心にぽっかりと空いた隙間に北風が吹き抜けている感覚がマーガレットの顔を曇らせようとするけれど、それには気づかないフリをして部屋に掛けておいた昨夜のドレスに身を包んだ。
イザベラに買ってもらったコーラルオレンジのドレス。それはルイ王子にもらったドレスと引き換えとなったもの。
「よくよく見て見ると、このドレスも悪くないわよね」
ドレスの裾をゆらりと揺らしながら、鏡の前で一回転して再び鏡の中の自分と向き合う。
「オレンジは元気が出る色だし、私の好きな色でもあるもの。うん、悪くない。悪くない」
マーガレットはダイニングで一人食事を済ませ、部屋に戻る。リュセットはきっとイザベラとマルガリータのドレスアップに力が入っているのだろうと、マーガレットは推測していた。マーガレットはマルガリータほど着飾るつもりもなく、普段より少し身綺麗にして終わらせるつもりだった。
空いている時間に貸本屋で借りていた本に勤しむことにして、マーガレットは夕方までの時間を過ごしていた。今なら他の誰に邪魔されることなく、本を読んでいられる……そう思ったからだった。
けれど、あれだけ好きな本だというのに全く内容が入ってこない。そもそもこの体について借りた本に関しては、全てはルイ王子のためだ。マッサージをする必要もなくなれば、勉強する必要もない。
ただ趣味で本を読むのにはいいかもしれないが、今はマッサージのことなど考えたくもなかった。
ーーそして、刻一刻と出発の時刻がやってきた。
「それじゃリュセット、私たちは行って来るから。くれぐれも家のことをしっかりするんだよ」
「わかっていますわ、お母様」
昨日イザベラ達が家を出た時の様子とは打って変わり、今日のリュセットは何やら楽しそうな表情を見せていた。マルガリータはリュセットの暗い顔が見れなくて残念そうだが、マーガレットはそんなリュセットの表情を見て、決意した気持ちを確固たるものに変えた。
ーー童話の結末は変えてはいけない、と。