舞踏会一日目 2
「ーーカイン!」
マーガレットの声を聞いて、カインはティーカップに落としていた視線を上げた。ちょうど迷路の樹木が抜けた先にマーガレットが駆けてくるところだった。カインは立ち上がり、マーガレットを迎え入れようとしたその時、慌てて駆けたマーガレットの足はドレスの裾に引っかかり転倒する。
(転ぶ……!)
痛みの衝動に耐えるため、マーガレットが目を強く瞑ったその瞬間だった。カインは風のようにマーガレットのそばへと駆け寄り、彼女を抱きとめた。
「……相変わらず、落ち着きがないな」
カインの声がマーガレットの耳のそばで聞こえる。転倒するのを防いでくれただけだというのに、まるで抱きしめるみたいにカインはマーガレットのことを抱きとめていた。
「相変わらずは、余計だわ」
照れを隠すように、マーガレットは小さな声でそう言って膨れてみせた。そんな様子にふっ、と声を漏らして微笑んだ後、カインはマーガレットを抱き上げた。王子様がお姫様にするように、軽々とマーガレットの体を持ち上げている。
「……っカイン! 自分で歩けるわ」
「ほう、では今先ほど転びそうになったのはどこのどいつだ?」
「……!」
それを言われてはマーガレットも黙るしかなかった。そばにあるカインの整った顔が直視できず、マーガレットは視線を別の場所へと向けた。カインはティーセットを用意しているあのテーブルまでマーガレットを運ぶつもりだろう。そう思ってマーガレットは視線をそちらへと向けた時、カインが囁くようにこう言った。
「俺の送ったドレスは、気に入らなかったか」
「違う!」
マーガレットの着ているコーラルオレンジのドレス。それはカインが送ったものではない。カインに会えばすぐさまその理由を説明しなければ、と、そう思っていたにも関わらず、カインに会えた喜びと転びそうになったこの状況でタイミングを逃していたのだ。
「これには訳がって……」
「俺はお前に会えるのを楽しみにしていたぞ」
懸命に説明しようとするマーガレットの胸元にかかっているネックレスにそっと触れ、ネックトップのプレートを指で弄んだ。するとカインはそのネックレスのプレートにキスを落とした。
「送ったドレスを着ているマーガレットにな」
そう言ったあと、カインはニヤリとほくそ笑んだ。最後に言った言葉はジョークだと言いたげに。
テーブルに着いたカインはマーガレットを椅子に座らせ、自分は隣の席に着いた。
「私は気に入っていたのよ、本当よ。……けどお母様が、私がどうしてもカインのドレスを着ていくのを拒んだの」
ドレスが売られてしまったという事実は、敢えて伏せておいた。そこまで言い切る勇気は、今のマーガレットには持ち合わせていなかったのだ。
興味深いと言いたげに、カインは首を傾げた。マーガレットはそんなカインの顔を直視できずに悔しさを滲ませた表情でさらに言葉を紡いでいく。
「お母様は爵位が大好きなの。だから将来私が位の高い貴族の殿方と結婚することを望んでいるの。それで……」
言いながら、そんなことをいけしゃあしゃあと言う自分が恥ずかしくなり、マーガレットは唇を噛み締める。このことを聞いてカインはどんな反応をするのか。
幻滅しただろうか。せっかく用意してくれたドレスをこんな理由で着てこなかったという理由に。
もしくは、呆気に取られただろうか。母親のいいなりになり、ドレス一つ自分の意思で選び取ることもできない、哀れな自分に。
「そうか……」
カインはマーガレットのネックレスから手を離し、深く椅子に座りなおした。
幻滅された……そう思い、マーガレットが意を決して顔を上げた瞬間、だった。
「でも、私は……!」
「一介の騎士のからの贈り物では仕方がないな」
顎を手でこすりながら、そんなことを淡々と言っている。驚いた顔をしたマーガレットを見て、カインはなんとも思わない顔で腕を組みながらこう言った。
「なんだ?」
「なんだ、って……怒ってないの?」
思った反応とは違いすぎて、拍子抜けだった。今度はマーガレットが首をかしげる番だ。
「想像は容易につくからな。団長を務めるとはいえ、騎士は騎士。それならば安泰で位の高い貴族と婚約を願うのはよくあることだろう」
淡々と言い張るその言葉に、マーガレットは少しばかり不安になる。自分が思っている気持ちと、カインが思っている気持ちに差異があるのかもしれないと。
「でも私は階級なんて気にしない。自分が幸せかどうかなんて自分で決めるわ」
マーガレットはカインの目を射抜くように真っ直ぐ見据えた。そんな様子にカインは驚いたような顔をした後、ゆっくりと表情を和らげた。
「例え相手が平民の出、でもか?」
「ええ」
「ただの騎士でも?」
「関係ないわ」
マーガレットの言葉に揺るぎはない。ぎしっと椅子を軋ませながらカインは立ち上がり、マーガレットが座る椅子の背もたれに手を置いた。そんなカインを見上げるように、マーガレットも見つめている。
「幸せが手元に無いのなら、自分で作り上げていくまでよ」
カインはふっ、と笑った。とても優しい笑みでマーガレットの豊かな栗色の髪に触れた。まるで大切なものを扱うように、優しい手つきで。その手が今度はマーガレットの頬に触れ、マーガレットの唇にそっと触れた。
「そんなこと言う女性はお前くらいだ、マーガレット」
お城の喧騒などこの迷路の中までは届かない。そこはマーガレットとカインだけしかいない。お城の敷地内だというに隔離された空間だった。
そんな切り離された空間に風が吹き抜ける中、マーガレットとカインは静かに口づけを交わしたーー。