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舞踏会当日

 *



 時間は湯水のように、あっという間に過ぎていった。


「おはようございます、マーガレットお姉様」

「おはよう、リュセット」


 朝の挨拶とともにセットで向けられる無償の笑顔に癒されながら、マーガレットは席に着いた。この数日、社交ダンスの練習をさせられ、イザベラが先生を雇っていたせいで、足は棒のように疲れていた。


「あら、おはようございます、マルガリータお姉様」

「おはよう……」


 ダイニングにやってきていることにも気づかないくらい、マルガリータは静かに現れた。その表情は少しばかりやつれていた。マーガレットと同じようにマルガリータも社交ダンスのレッスンに勤しんでいたせいで、毎日疲労が溜まっているのだろう。なにせマーガレット以上にマルガリータは運動という運動をしない。なるべく家からは出ない。歩かない。そういう人間だ。それなのに突然始まったダンスに体が悲鳴をあげていたのだ。


「朝からなんてだらしない顔をしているのマルガリータ。しゃんとなさい」


 まるで鞭のように言葉を放って現れたのは、イザベラだ。


「ですがお母様、体がどうしても重いのです。連日の練習でいくら眠っても疲れが取れませんわ」

「でしたらマルガリータお姉様、私が今からサラダを作りますのでそちらをお召し上がりになりますか?」

「ふん、またビネガーの入ったものでしょ? ふん、そんなもの朝から食べる気になどならないわよ」


 せっかくリュセットが気を使ってわざわざ作ろうと言ってくれているにも関わらず、マルガリータは舌を出しながらそれを断った。連日ディナーのサラダには、ビネガーが入ったドレッシングのものが食卓に並んでいた。

 疲れた体には乳酸がたまる、それを流してくれるのがビネガーに入ったクエン酸なのだと、マーガレットがリュセットに助言していたからだ。

 マルガリータだけではなく、マーガレットの体も疲労が溜まっていた。決して激しい運動ではないが、ヒールのある靴で長時間に渡ってダンスを踊り続けるのは、おてんばだと言われるマーガレットですらこたえていたのだ。そのためせめて食事で疲れを取ろうと食事にも気をつかい始めていたのだ。

 けれどマルガリータにとってそれは喜ばしいことではなかったが。


「まぁきついレッスンも今日までだよ。夜には本番が待っているんだからね」


 イザベラはそう言ってスプーンにスープを掬って一口飲む。


「夕方には準備を全て終わらせてお城に向かうよ。馬車は16時に来るように手配しているんだから、遅れるんじゃないよ」

「もちろんですわ、お母様」


 突然元気を取り戻したように、マルガリータは体を起こして食事にありついた。それもそのはずだ。ズボラな性格のマルガリータが懸命に練習を続けていたのも全ては今夜の舞踏会のため。新しく買ってもらったドレスとアクセサリーに身を包み、お城という絢爛豪華な晴れ舞台へと行くのだ。派手好きで、着飾ることが大の好物であるマルガリータには、今夜の舞踏会がどれほど待ち遠しいものだったか手に取るようにわかる。


「私がルイ王子のお妃になるのですから」


 なんとも気が大きい話だ。マルガリータがどう頑張ろうが、王子はリュセットを見初めるのだ。そしてリュセットに意地悪をしていた悪役令嬢のマルガリータは罰を受けることになる。それは民話伝承である童話ならではの残酷な方法で……。

 マーガレットは白けた目をマルガリータへ向けた後、すぐにリュセットへと視線を移した。リュセットはどこか寂しそうに微笑みながら食卓に並ぶ食事に目を向けている。

 彼女もきっとお城に行きたいのだろう。マーガレットはそう感じていた。


(大丈夫よリュセット。あなたはこの後笑顔が絶えないバラ色の人生が待っているのだから……)


 童話の世界は王子様とシンデレラの結婚式を挙げ、その継母と義姉達の出来事()までしか描かれていない。けれど、それでもマーガレットはリュセットならばどこでも幸せな生活を送れると信じていた。これだけひたむきで、前向きな少女であれば。さらに王子様と結婚をしても恥じぬほど、家庭的なリュセットならば、と。


「ところでお母様。ルイ王子はどのような方なのでしょうか? 一度も顔を拝見したことがありませんが」


 そう聞いたのはマーガレットだった。一応リュセットの将来を案じ、ロクでもない王子ではない事を願ってのことだ。


「あら、マーガレットもルイ王子狙いなの? 王子は私のものよ。あなたには騎士がいるのでしょう?」


 嫌味なことを言う時のマルガリータは、本物の悪役令嬢なのだなとマーガレットは思っていた。邪悪そのものが顔から滲み出ている。


「マルガリータ、いらないことを言うんじゃないよ。騎士は認めていないからね」


 ここでカインのことを反論する気はもうない。いくら反発したところで、話は平行線だ。今日お城でカインに会って、できることならばそのまま駆け落ちでもなんでもしたいところだった。このままいけばバッドエンドは免れない可能性が高い。それならばその前に抜け出してしまいたいとこの数日考えていた。

 けれどそれは、カインがマーガレットと同様に惹かれ合っているというのが前提なのだが。まだそこが確証を得ていないため、今日はそれを確認したいと考えていた。そのためにはお城に着いたらこの二人とは別行動を取らねば……ここ数日はそんな事ばかりに頭を使っていた。


「ルイ王子が生まれた時はそれはそれは美しい王子だと囃し立てられたものさ。あまり表に出たがらない性格なのか、王位を継承するまではお見かけすることは少ないけれどね。王が統治の才をお持ちで、隣国とうまく言っているのもそのためさ。だからきっと、王子は立派な方だろうよ」


 いつも何かに不平不満をこぼしていないと気が済まないような母親が、今日だけは雄弁だ。そのことだけででも王子に対して良い印象を持っていることが明らかだった。これならばリュセットはきっと将来の不安もないだろうと、マーガレットは安心していた。


「さぁ、話は終わりだよ。食事を済ませたらもう一度ダンスの復習でもしなさい。着替えと髪の結ひ上げはサンドリヨンに手伝ってもらうんだ」

「灰かぶり、私の新しいドレスにその灰をつけたら承知しませんわよ」


 失礼なことを言う、醜い姉マルガリータ。曲がりなりにも実姉。バッドエンドはできることなら回避して欲しいと考えていたマーガレットだが、彼女にはバットエンドで罰が必要なのかもしれないと思った。

 マルガリータの醜い言葉にイライラした感情を、このスープで流し込むようなイメージでマーガレットはそれを飲み干した。


「ではお母様。私の預けていたドレス、後ほど受け取りに参りますわ」


 席を立とうとしたマーガレットに対し、イザベラはまだ食事をとりながらこう言った。


「この間買ってあげたドレスを着て行きなさい」

「それは明日の夜に着ます。今日はカイン様にいただいたもので伺いたいのですわ」


 二着持っているマーガレットに不満をぶつけるようにして、マルガリータは彼女を睨みつけている。マルガリータは代わりにアクセサリーを買ってもらっていると言うのに、底なしの貪欲さだ。


「だったら二夜とも買ったドレスを着て行きなさい」

「なぜですか!」


 この問答はもうやり飽きた。にも関わらず、マーガレットは怒りを抑えられずにテーブルを叩いた。


「私は今日までちゃんと言い付けも守りました。カイン様にはドレスのお礼を言いますが、あとは接しません。お母様の言う通りに他の殿方を探すつもりです」


 それは嘘だ。けれどもう、嘘でも付かなければ舞踏会には連れていってもらえないかもしれない。お城まではかなりの距離があるため、馬車に乗らなければ到底行ける距離ではないのだ。


「それは良い心がけだよマーガレット。そうやってきちんと言い付けを守ってるのが私のマーガレットだ」

「でしたら……」

「けれどドレスはダメだ。それを着ていけば、周りの人はどう思う? その騎士もマーガレットに気があるからドレスなんて高価なものをよこしたのだろう? だったらマーガレットがそれを着ていけばその騎士はどう思う? わかるね?」


 イザベラは食事をしていた手を止め、テーブルの上で両手を組んでマーガレットを真っ直ぐ見ている。


「それでは……約束が違います……」

「これはマーガレットのためなんだよ」


 マーガレットは歯を食いしばりイザベラを睨みつけた。そのままドレスの裾を持ち上げて、イザベラの部屋へと駆け出したーーその背中に向かってイザベラはこう言った。


「そんなに急いで探しに行っても、ドレスはとっくに売ってもうこの家には無いんだよ」


 いきり立っていたマーガレットの気持ちが、一気に冷めていくのを感じる。走り出した足もピタリと止まっていた。


「今、なんと……? なんと言ったのですか……?」


 聞き間違えかと思い。マーガレットは恐る恐る振り返った。聞き間違いであってほしいと、そう願って。

 けれど現実は残酷なものだった。


「あのドレスは売ってしまったよ。あんたのドレスを買うためにね」


 マルガリータはざまあ無いと言いたげに声を殺して笑っている。イザベラは再びスプーンを手に取り、食事の続きを取り始めた。

 けれどそんな状況はどうでもよかった。マーガレットの目の前は真っ暗な闇が広がっていた……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 流石にあんまりだよお母様…… うーん、実の家族にも容赦がない。
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