リュセットの憂鬱
*
リュセットはいつものように部屋の中を掃き、今日はいつも手をつけない場所まで念入りに掃除をしていた。
「……ふぅ」
ため息がこぼれる。これで4度目だった。
イザベラ達が買い物へ出かけてからというもの、リュセットは心ここにあらずといった様子でぼんやり窓の外を見つめては、慌てて掃除を始め、再びぼんやりと意識をどこかに飛ばし、戻って来たかと思えば、こうやってため息をついていた。
「お城の舞踏会はさぞ豪華なのでしょうね」
リュセットが物思いにふけりながら窓の外を見上げていると、チュチュッと小さな鳴き声と共にどこからともなく現れたのは、ネズミのシャルロットだ。
「あらシャルロット、ごきげんよう」
リュセットは床に屈み、シャルロットに手を差し出す。するとシャルロットはリュセットの手から上手く登っていき、肩の上に乗った。
「ちょうどいいところに来てくれたわね。チーズの残りがあるからそれをあげる代わりに、私の話し相手になってもらえるかしら?」
シャルロットは小さく首を振った、ように見えた。そんな様子を横目で見ながら、リュセットは微笑んでシャルロットの小さな頬を指の先で撫でた。
「ふふっ、ありがとう」
手に握りしめていた箒を壁に立てかけ、早速リュセットはキッチンへと向かった。棚の中に隠し置いていた小さなチーズのかけら、それを肩に乗っているシャルロットに渡す。するとシャルロットは奪い去るように掴み、チーズを小さな口でモグモグと食べはじめた。
そんな様子に愛らしさを感じたリュセットは、再び微笑みながらシャルロットの背中をそっと撫でる。
「来週、お城で舞踏会が開かれるらしいの。お母様はお姉様達と一緒にその日のためのドレスを買いに行っているのだけれど、私はお留守番なんです。舞踏会当日も……」
悲しそうな物言いに、シャルロットの忙しなく動いていた口がピタリと止まった。鼻をくんくんと動かしながら、リュセットの顔を見上げている。
「私も一度でいいから、綺麗なドレスに身を包んでお城の舞踏会へ行ってみたかったのです」
そう話しながら裏口へとまわり、そのまま裏庭へ出た。リュセットは以前マーガレットが居眠りをしてしまったあのプラタナスの木の幹に腰を下ろし、立て肘をついて曇天な空を見上げる。
「ルイ王子とは、どのような方なのでしょう? ……わからないけれど、きっと素敵な方なのでしょうね」
女性であれば一度は憧れるお城の生活。リュセットも漏れることなく、お城に憧れがあった。そこに住みたいという意味ではなく、どのような作りで、どのような人たちがいるのか。せっかくお城に行くチャンスが巡って来たというのに、行けないとなると余計に憧れは強くなっていった。
「あら、シャルロット。もう食べ終えてしまったの? あなたは相変わらず食いしん坊ね」
シャルロットはリュセットの首に頬をすり寄せていた。それは食べ終えたチーズをねだるようにも、慰めているようにも見える。リュセットはふふっ、と笑いながら手に持っていた残りのチーズのかけらをシャルロットに渡した。それを受け取ったシャルロットは再びチーズを食べ干すのに懸命になっている。
「さぁ、お母様達が帰ってくる前に掃除と洗濯を済ませてしまわなくては」
リュセットは元気よく立ち上げる。するとその反動でシャルロットはリュセットの小さな肩から落っこちそうになるのを、間一髪のところで踏み止まった。
「あら、ごめんなさい」
足をパタパタとさせながらリュセットの服に必死に食らいつくシャルロットを、リュセットは優しく手ですくい上げて木の幹に置いた。
「シャルロット、話を聞いてくれてありがとう。なんだかスッキリしましたわ」
そう言って、シャルロットをその場において、リュセットは再び家の中へと戻って行った。
*
マーガレットが家路に着くと、いつものようにリュセットが笑顔で迎え入れてくれた。
「お帰りなさい、マーガレットお姉様」
「ただいま、リュセット」
マーガレットは借りた本をスカートの裾に隠しながら、辺りを見渡した。もしイザベラかマルガリータにこの本の存在を知られると、また厄介なことになる。そう思って警戒していたのだ。
「あら、お母様とマルガリータお姉様はご一緒ではないのですね?」
その言葉を聞いて、マーガレットはホッと肩を下ろした。あの二人より先に戻っていなければいけないところだが、貸本屋で本を目の前にすると、時間を忘れて思わず読みふけってしまっていた。その為、あの二人が先に家に着いているのではないかと不安もあったのだ。
「ああ、ええ。マルガリータお姉様のアクセサリーを買いに行かれたから私は先に帰ってきたの」
「そうでしたか」
リュセットはどこか元気なく、そう返事を戻した。その様子を見て、なぜリュセットが元気がないのかを知っているマーガレットは、彼女の肩をポンと叩いてこう言った。
「大丈夫よリュセット。あなたは大丈夫」
「……それは、どう言うことでしょうか?」
「いいえ、こっちの話よ」
マーガレットはそれ以上何も言わず、ただにっこりとリュセットに微笑みかけている。リュセットは訳がわからないといった様子だが、小首を傾げながらもマーガレットにつられるようにして微笑んだ。
「あっ、そうだわリュセット、私あなたに渡したいものがあるの」
マーガレットはリュセットの手を引きながら、自室へと向かった。スカートに隠していた本を片手で抱え保ちながら。
「渡したいものとはなんでしょう? あら、それにその本はどうなさったのですか?」
矢継ぎ早に質問を繰り広げるリュセット。そんな彼女に、マーガレットは「部屋に着いてからね」とだけ返事を戻し、足早に部屋へと向かった。
すっかり夕暮れで部屋の中がひんやりと冷え始めている中、マーガレットは引き出しの中からあのカインの手紙を取り出した。すでに開いている封を開けて、中に入っている招待状を取り出した。
「リュセット、この招待状はあなたにあげるわ」
招待状手に取り、その内容を読み終えたあと、リュセットは困った顔でそれをマーガレットに返した。
「いただけません。これはマーガレットお姉様のものですわ」
「いいのよ、私はお母様達とお城に向かうし、今朝家に届いた招待状で私も参加できるから」
「けれど、私にはドレスもありません。お母様だってお許しになりませんわ」
悲しそうに目元を細めたリュセットの肩を、両手でそっと触れながら、マーガレットは再び微笑みを携えてこう言った。
「ドレスは私の合うものがあれば着ればいいし、お母様には内緒で向かえばいいのよ。もしリュセットが本当にお城に来たいと思うのであれば、ね」
「ですが……」
リュセットが何を言おうと、マーガレットは招待状を受け取らない。
「それが不要であればそのまま捨てればいいわ。ただ、もしものために持っておいて」
そう、もしものために。
この招待状がリュセットに必要なのかどうかは分からない。リュセットはシンデレラだ。間違いなく、この童話の世界の主人公で、唯一無二のヒロインだ。だからこそ、心配は不要かもしれない、が、マーガレットにはこの招待状が不要なのも間違いない。だから念には念を入れて、リュセットの手元に置いておこうと考えたのだ。
リュセットはドレスを持っていない。それにイザベラは行くのを反対しているため、マーガレット達と同じ馬車ではお城に向かえない。
けれど、リュセットにはドレスも馬車も必要ではないのだ。それは彼女が自分達とは違う形で得ることになることを、マーガレットは知っている。
ならば招待状はどうだろうか? きっと招待状も不要だろう。けれどマーガレットはリュセットに何かしてあげたかった。今朝、ダイニングで家に届いたというあの招待状を見たリュセットの顔は、興奮と喜びに満ち溢れていた。それをマーガレットは見逃さなかったのだ。そして、それと同時に、イザベラがリュセットは連れて行かないと言った時、リュセットの表情がどんどん暗くなるのも見ていた。まるでロウソクに灯った明かりが、ふっと吹きかけた息で消されてしまった時のように。
「……分かりました。マーガレットお姉様がそれほどおっしゃられるのであれば、この招待状はいただいて行きますわ」
その言葉を聞いて、マーガレットはリュセットを抱きしめた。
「もしお城にくるのであれば、楽しんでね」
それは心からの言葉だった。けれどリュセットは何も言わず、ただマーガレットに抱きしめられているだけだった。