招待状
*
朝の光がカーテンを開けたままの窓から差し込んで、それをまぶたの裏で感じながら脳が覚醒を始めた。
「……んんっ」
両手を天に向けて突き上げ、大きく伸びをしながらマーガレットは上体を起こした。
まだ頭がはっきりとしない状態で、マーガレットは辺りを見渡す。ここは自室。太陽の光が窓ガラス越しに強く差し込んでいるのを見て、今が朝だと認識した。マーガレットはどうやらドレスを着たまま眠っていたらしい。寝汗もかいていて気持ちが悪く、ベッドから這い上がろうとすると、ちょうどベッドの脇になにやら大きな箱が置かれていることに気がついた。
真っ白い箱。シルクのような滑らかな紺色のリボンが上品に巻かれ、その上には一通の手紙がそっと乗せられている。
「なにこれ……?」
熱と戦った体はどこか力なく、マーガレットはベッドサイドテーブルに置きっぱなしのコップの水を飲み干してから、手紙を手に取った。一夜明けると頭の中はクリーンだった。その為、昨日の出来事を一から振り返っていた。カインとの約束が守れなくなった事、それによってリュセットに手紙を託した事。アリスという女性の不思議な夢、それから熱を出して倒れた事。そして……夕暮れ時、カインがこの部屋に現れた事。
マーガレットはカインが現れた窓に視線を投げて、昨日の記憶をなぞる。一夜明けて全ては夢だったのではないかと思えてならない。それくらい記憶がおぼろげだったのだ。
身に覚えのない箱と手紙を訝しげに見つめた後、手紙の封に手をかけた。赤い蝋には“R”の文字が刻まれている。それを剥がすように開け、中に入っている手紙を取り出した。
親愛なる マーガレット
来週城で舞踏会が開かれる。
その招待状を同封する。
俺はお前に来て欲しい。
カイン
カインからの手紙とは別で、上質な紙を使用した招待状が同封されていた。
「お城の、舞踏会……」
恐れていた日がやって来た。それはシンデレラであるリュセットが王子に見初められる日。12時の鐘と共に魔法が解けたリュセットのドレスはいつもの灰にまみれたものとなり、脱げたガラスの靴だけが取り残される。シンデレラの事を忘れることができない王子は、片側だけのガラスの靴を持ってシンデレラを探し回り、やがてハッピーエンドとなる。
けれどハッピーエンドなのは言うまでもなくシンデレラのみ。意地悪な母親とその姉妹はバッドエンドへと向かうことになる……。
マーガレットはカインの手紙を元に戻し、そっと胸に当てた。すると自分の首元にカインから預かったネックレスが付いていることに気がついた。
「なんでこんなところに?」
自分でつけた記憶はない。もしかするとリュセットが無くさないようにつけてくれていたのかもしれない。この部屋に意識をなくした自分を運んでくるのも一苦労だったはず。あとでお礼を言わなければ……そう思いながら、リュセットが用意してくれていた食事から視線を再びネックレスへと戻した。
ネックレスについているシルバーのペンダントトップ。それに触れながら、カインのことを考えていた。
この世界に転生してからというもの、マーガレットは最悪のシナリオを想像し、自分の非力さに悔しい思いをしていた。自分の環境と自分の持つアビリティでは回避するのは難しい……そんな風に諦めそうになったこともあった。けれどーー。
「……カイン」
けれどーー今はそんな恐怖は影を潜め、むしろマーガレットとして生きるこの世界に希望を見出していた。初めから王子様に興味はない。イザベラがなんと言おうと、他の男性を探すつもりも、貴族と結婚するつもりもない。
気がつけばマーガレットの心の中を埋め尽くしていたのは、カインだった。
例え彼が騎士だろうと。母親に反対される立場の者だろうと。貴族との結婚はマルガリータに託そう。正直あの性格であれば望みは薄いと感じていたが、それでも自分の姉である。彼女もバッドエンドを回避して欲しいと思うと同時に、イザベラの望みを叶えてあげて欲しいと思っていた。
マルガリータはイザベラによく似ている。顔だけではなく、考え方もだった。そのため、上流貴族と結婚するのが女性の幸せだと考えている。ただ、この舞踏会に関しては、彼女も行くことになる。そうするとマルガリータの目標は王子様と結婚にシフトチェンジすることだろうと、マーガレットは理解していた。なにせこの舞踏会はただの舞踏会ではない。王子様が結婚相手を探す舞踏会でもあるのだ。
招待状を見る限り、そのことは公には書いていない、が間違いない。マーガレットの記憶するシンデレラストーリーがそうなのだから。
そうなると街中の貴族女性が招待されるに違いない。
それなのにカインはわざわざマーガレットに招待状を持ってよこした。それは、マーガレットと一緒に舞踏会に出たいと言う意味になる。
カインもマーガレットと同じ気持ち……少なくとも、舞踏会に一緒に出たいと思える存在なのだ。その事実こそがマーガレットの表情を明るいものにしていた。
「これほどまでに、このマーガレットとしての人生が幸せだと感じたことがあったかな。ううん、無いに決まってる。この世界には私の欲しいものなんてことごとく手に入らなかったんだもの!」
マーガレットは嬉しさのあまり、ダンスの練習でもするように、一人で踊り始めた。その時、足元にコツンと当たったのは、カインが置いていったあの大きな箱だった。
マーガレットが両手で抱えないと持てないほどの大きな箱。あまりにも他のことで胸がいっぱいだったため、その箱の存在をすっかりと忘れていた。
「これもカインからなのかな?」
特に何も書かれていない。箱を外からくまなく見た後、紺色のリボンに手をかけてそれをそっと外した。そして恐る恐る蓋を開けてみると、その中には息をつくのも忘れてしまいそうなほど輝かしい光を放つ、シャンパンゴールドの上品なドレスが入っていた。
「きれー……」
思わず見惚れてしまうほどの美しいドレス。そのドレスの上には小さなメモが置かれていた。
質素なドレスもいいが、このドレスを着たマーガレットも見てみたい。
舞踏会、楽しみにしている。
それはカインからの手紙と同じ筆跡で書かれていた。マーガレットは思わずドレスを持ち、姿鏡の前に立った。ドレスを体に当てながら、くるりと一回転。見たところ、サイズも丈もぴったりの様子。
「カインってば、あたしのサイズ知ってるとか、ほんと侮れないやつ……」
そう言いながらもマーガレットは、頬が綻ぶのを引き締めることができずにいた。
そんな時だった。コンコン、と部屋をノックする音が聞こえ、マーガレットは浮かれた様子で何も考えず、ただ返事を戻した。
「はい」
マーガレットの声を聞いて扉を開けたのは、リュセットだった。美しいドレスを掴んで嬉しそうに踊っているマーガレットを見た瞬間、状況が把握できていないリュセットはただ驚きの表情を見せた。
「……まぁ、なんて美しいドレスでしょうか。それはどうなさったのですか?」
幼子のように喜ぶマーガレットを見て、驚いた顔がやがて笑顔に変わっていく。ドレスを手に喜んでいる姿など、今まで一度も見たことがなかったのだ。
マルガリータのそんな様子は何度も見たことがあるが、マーガレットはあまり物に頓着していないと思っていただけに、リュセットもなんだか嬉しく感じていた。
「カインがプレゼントをしてくれたのよ! 見て!」
マーガレットから差し出された手紙を読み、カインがプレゼントしたものだと知ったリュセットは、さっきよりも嬉しそうに微笑んだ。
「そうでしたか。カイン様は紳士な方なのですね」
「ええ、お城で騎士団長を務めているみたいなの」
「まぁ、それは素晴らしいですわ」
ドレスを抱きしめながら、マーガレットの頬は緩みっぱなしだ。ドレスをもらって嬉しいと言うよりも、カインから舞踏会に誘われたことの方が何よりも嬉しいと感じていた。
「朝から騒がしいじゃない。何をそんなに……!」
騒ぎを聞きつけたマルガリータが、開け放たれたままの扉から顔を覗かせた。そしてマーガレットが握るドレスを見て、いつもの嫌味ったらしい表情から一気に怒りの表情へと変貌を遂げた。
「どういうことなのマーガレット! お母様! マーガレットにだけドレスをプレゼントなさったのですか? 私は買って貰っていないというのに!?」
マルガリータはそう叫びながらダイニングへと駆けて行った。その様子を見て、マーガレットの表情はやっと引き締まる。
「マーガレットお姉様……」
心配そうなリュセットの肩にそっと触れ、マーガレットは力強く微笑んだ。
「大丈夫よリュセット。私は一旦服を着替えるから先にダイニングへ行ってちょうだい」
リュセットはマーガレットの様子を見に来ていた。昨日熱を出して倒れたせいで気にしていたに違いない。そして体調が良くなっているのなら朝食の準備が整ったため、皆で食べようと声をかけに来ていたのだ。
「わかりました。お待ちしておりますわ」
相変わらず心配そうに眉尻を下げた顔をしたまま、リュセットは部屋を後にした。扉が閉まったのを確認してから、ドレスを手紙とともに箱の中へと片付けた。
このドレスを着て、舞踏会に行こうとするのだ。否応無しにイザベラとマルガリータにドレスをどうやって手に入れたのか聞かれるのは想像がついていた。その上舞踏会ではカインのエスコートで行こうとしているのだから、なおさらカインの存在を隠すことは不可能だ。
マーガレットはドレスを入れた箱を大切にクローゼットの中へとしまい、代わりに別のドレスを取り出してそれに着替えた。
「ふぅ」
一息ついたあと、意を決し、戦いの舞台となるダイニングへと向かった。