夕食での討論
一本道の廊下を抜けるとロウソクの明かりが灯る食卓へと続く。その食卓テーブルではイザベラがいつになく誇らしげな声を上げているのが静かな廊下に響いていた。ダイニングに着くとそんな様子のイザベラの隣でマルガリータは鼻を高々としながら、部屋に入ってきたマーガレットを蔑むように視線を投げた。
「あら、マーガレット」
一瞬ぞくりと背中に悪寒が走る。なぜだか理由は分からないが、マルガリータが向ける表情に嫌な感じがしたのだ。マルガリータの表情を見て嫌な感じを思うのは今回に限ったことではないが、今日は特に勝ち誇ったように母親に似た鷲鼻を振り上げ、まるでマーガレットを見下すみたいに見ている。
「マーガレットもこっちへ来て見てごらん」
イザベラに呼ばれてテーブルの上を見てみると、スープをテーブルの脇に寄せ、代わりに置かれているのは丸い刺繍枠の中で咲き誇る、真っ赤な赤い薔薇の花だった。
「これは……」
まさかマルガリータではないだろう。そう思うが、この状況から見て明らかに彼女が刺繍したものの様子。
「マルガリータが刺繍したものだよ」
ちゃんとごらんと言いたげに、イザベラはマーガレットへと刺繍を手渡した。そんな様子を鼻高々に見ているマルガリータにマーガレットは至って冷静に見ていた。
「これ、本当にマルガリータお姉様が刺繍なさったのでしょうか……?」
うーん、なんて声を漏らしながら、思わず頬に手を当てた。するとマルガリータは堰を切ったように席を立ち、鬼の形相でマーガレットの意見に異論を唱えた。
「当たり前でしょう。私でなければ誰がこれを刺繍したと言うの」
「それはそうですわよね。失礼いたしましたわ、お姉様。ですが以前お姉様の裁縫の腕前を拝見したところ、驚くほどに腕が上がっておいでなので驚いてしまいましたの。まるで誰かが代わりに刺繍したかのようではございませんか」
マーガレットは気づいていた。これを誰が刺繍したのかを。リュセットがマーガレットとの裁縫を延期し、引きこもっていたはずなのに疲れた様子でいるのかも。この薔薇の刺繍を見た瞬間、全てのパズルのピースがここに繋がった。
「そう言うマーガレットこそ、お母様に裁縫の練習をするように言われたにも関わらず、こっそり外に出ていたんですって?」
マルガリータはシフトチェンジし、マーガレットを攻撃する姿勢を見せている。それを見て、きたか……と、マーガレットは身構えた。
「私は毎日のように裁縫と向き合っていた結果がこれなのよ。それに比べてマーガレット、あんたはいつまでたっても子供のように……」
扇を開いて口元を隠した。扇の上から覗く瞳はマーガレットを射抜くように、視線を投げつけている。
「ええ、きっとそうだと思いますわ。でなければミミズが這った跡のような裁縫からこのように美しい刺繍技術を得れるとは到底思えませんもの。まるでリュセットが刺繍したようですわよ」
一瞬マルガリータの眉がピクリと動いたのをマーガレットは見逃さなかった。やはりこれはリュセットがしたものなのだろう。マーガレットが横目でリュセットに視線を投げると、リュセットもどこか気まずそうだ。
「あら、このタッチや技術、リュセットのものにそっくりではございませんか……もしかして……?」
正直なところ、リュセットのタッチや技術などマーガレットは知る由もない。そもそもリュセットのもの以前に一般的な技術をマーガレットは知らないのだ。半ば半分あてずっぽうにそう言いながら、今度はマーガレットが疑うような眼差しでマルガリータに視線を投げた。するとマルガリータはマーガレットの嘘にかかった。扇を閉じ、歯を噛み締めながら毒々しい視線を投げながら、こう言い返す。
「侮辱するのはおやめ! 一緒の家に住んでいれば似るのは当たり前でしょう。人のことを言う前に、マーガレットこそ裁縫の練習をきちんとしているのかしら?」
「私はこれからです。リュセットにお願いして裁縫を一から教えてもらおうと思っているのですから」
「はん、どーだか。お母様、きっとマーガレットはこんなことを言ってあの灰かぶりにやらせるつもりかもしれませんわ。なにせお母様の言いつけを守らず、外に飛び出すようなおてんばなのですから」
(はぁー!? 自分のしたことを棚に上げて、なんてふてぶてしい奴……!)
マーガレットは腸が煮えくり返りそうなほど、この図々しい姉に苛立ちを感じていた。眉間にシワをふんだんに刻み、再び口を開いたその時だった。
「二人とも姉妹で喧嘩はおやめ!」
ぴしゃりと言い放つイザベラの言葉に、二人は一度開いた口を静かに閉じた。その様子を確認した上で、イザベラは鋭くつり上がった目尻を細めてマルガリータへと視線を移した。けれどイザベラから放たれた言葉は、リュセットに向けたものだった。
「サンドリヨン、以前あんたが縫った刺繍をいくつかここに持っておいで」
ハラハラと震えるようにしてこの光景を見やっていたリュセットは、突然舞台に上げられたことに驚きつつ、イザベラの言う通り自分が縫ったものを部屋に取りに行った。
数分と経たないうちに、リュセットはいくつか布を手に持っている。それをそっとイザベラへと渡した後、リュセットは部屋の隅の影に隠れるようにして立った。
「マルガリータ……この薔薇の刺繍は、本当にあんたが縫ったのかい? まるでサンドリヨンが縫ったかのような出来じゃないか」
イザベラはマルガリータとリュセットの布を見比べ、再びマルガリータへと視線を投げた。今度はその瞳に疑念の色を乗せて。
「マーガレットだけなら悪しからず、お母様まで疑うのですか?」
マルガリータはイザベラのそばに屈み込み、泣きつくようにしてイザベラのドレスに顔を埋めている。
「昨日見せてもらった刺繍は酷いものだった。一夜にしてこれほど上達するのは確かにおかしいねぇ」
「それは、お母様に早く見せないとと思い、プレッシャーを感じていたからですわ。だから不出来なものをお見せしたと先ほどお伝えしたではありませんか!」
「ではまた明日、別のものを見せてちょうだい。完成していなくてもいいから、プレッシャーを感じる必要はないわよ」
泣き落としが通用しないと感じたのか、不満の色に染まった顔を上げてマルガリータは抗議している。その様子を見てイザベラはさらにこう付け加えた。
「途中経過を覗きに行くから、しっかりやりなさい」
マルガリータは立ち上がり、椅子に座る母親を見下ろした後、睨みつけるような視線をマーガレットへ投げつけ、床を踏みつけるようにして去って行った。
いい気味だと内心ほくそ笑んでいたマーガレットだが、イザベラの矛先が今度はマーガレットへと向けられる。細くつり上がった瞳をマーガレットへ向けた後、テーブルの上で両手を組んだ。
「ところでマーガレット。あんたもちゃんと練習しているんだろうね?」
「……リュセットにお願いして見てもらう予定ですわ。今日はリュセットの調子が悪かったので、明日からするつもりですの」
「刺繍なんてのは一人でするものだよ、サンドリヨンに頼るんじゃない」
「ですが、一人でするよりも誰かと話しながらする方が楽しく針も進みます。それに私はリュセットの技術を学びたいのです」
細い瞳がさらに細まった。マーガレットはその視線から逃れる様子はなく、まっすぐ見つめ返している。マーガレットはマルガリータとは違い、リュセットに代わりに刺繍をしてもらおうとは思っていない。自分でやる気はあるのだ。ただ技術がやる気に見合わないだけ。
「刺繍ができたら見せに来なさい。さぁ、座ってご飯をお食べ、せっかくの料理が冷えてしまった」
イザベラはリュセットにスープを温めなおすように皿を渡している。マーガレットは席に着き、リュセットがスープを温めなおそうとするのを断り、スプーンでそれをすくってひとくち口に含んだ。ぬるくなったコーンポタージュ。それとともにパンへと手を伸ばした時、マーガレットは意を決してこう言った。
「お母様、一つ聞きたいのですが……」
「なんだい?」
「いつも将来は爵位の高い貴族の殿方と結婚するように仰いますが、はたまた騎士というのはどうなのでしょう?」
パンをひとくちサイズにちぎり、口に含んで咀嚼する。ほんのり塩味が効いた硬いパン。それをポタージュスープと共に飲み込んだ。
「騎士など話にならないよ」
冗談じゃないと言いたげに口元を引きつりながら笑っている。その様子からマーガレットの頭の中で浮かんでいたカインの笑顔が薄らいでいく。
「ですが、例えばお城の騎士団長とかであれば……」
「いいかいマーガレット。騎士はやめなさい」
笑顔は影を潜め、リュセットが運んできた温かなポタージュスープの上で手を組んだ。
「万が一怪我をすれば給与は下がり、さらに戦が始まれば死んでしまうかもしれない。あんたまで未亡人になる必要はないよ」
「けれど」
「それに、貴族であればお金に困ることがない。けれど騎士は違う。わかるね? 女は家にいて家庭を守りはするが、お金は作り出せないんだ。どっちが幸せなことかわかるだろう?」
マーガレットは手に持っていたスプーンをテーブルに置いた。代わりにイザベラはスプーンを手に取り、スープを飲み始めた。この話はこれで終わりだとでも言うように。
けれどマーガレットは納得がいかなかった。
「女性もきちんと手に職を持ては働くことはできると思いますわ」
言葉に揺るぎはなく、目の前に座るイザベラへとまっすぐ言葉を紡いでいく。
「もしきちんとした技術を得ればーー」
「やめなさい」
声は決して大きくもない。それなのにどこか言葉に重みを感じるその物言いに、マーガレットは思わず口を閉ざした。
「女性は無駄な知識は必要ない。必要なのは立派な殿方を見つけて幸せに暮らすことだよ」
「ですが、そのような相手を見つけたとしても安泰とは限りませんわ。いつ経済は傾くかわかりませんし、現にお母様は二度も旦那となった相手がいなくなってしまったではないですか。お父様達は騎士でもないのに」
「マーガレット!」
今度はイザベラも怒りの様子を露わにしながら、叫んでいた。その声を聞いて、さすがに言いすぎたとマーガレットも思い、口を閉じて目を伏せた。
「さっさと夕食を済ませて寝なさい。最近のあんたは余計なことを考えすぎだよ」
食卓はその後お通夜かのように誰も何も言わなかった。ただスプーンが食器を擦る小さな音だけがダイニングに響いていたーー。




