5
***
デレクが埋葬されてから、王女としてあてがわれた、ただっぴろい部屋に閉じこもっていた。
あまり家具は無かったが、突然のことで何も用意していなかったのだろう。
とりあえず用意された、それでも売れば十分生活できるほど高価なテーブルとイス、美しい絵画、生けられた花。
そしてその優しい花の匂いが漂っていたが、何の慰めにもならなかった。
シルクのシーツに柔らかい毛布。
その感触を無駄にするように、ジゼルはその上に横たわっていた。
ただただ、孤独と虚無感と、謎の違和感を感じていた。
「何か言いたかったんじゃないのか、リーダーの最期に」
平然とイスに座り悠々と佇むエヴァン。
どうやってこの部屋に入ったのか、そもそも釈放されてから今までどこに居たのかすら不明だったが、ジゼルは驚く気力も無かった。
「どうなんだよジゼル」
「・・・・・・・・・・・・。・・・・・・お父さんって、呼びたかった、かもしれない」
エヴァンは唇を吊り上げるように、何もかも知ったふうに笑った。
「ならそのたった一言、それを言えばよかった」
「言えるわけないでしょ、本当の娘でもないのに」
「それだけか?」
「・・・・・・・・・・・・」
ジゼルは黙った。
(母親のことが後ろめたい、なんて言ったら、一から十まで説明しないといけなくなる)
「死んだ人間に後なんて無い。けれど生きた人間にはその後一生付き纏う。お前にどんな事情があるのかは知らないが、リーダーを父と呼ぶことをその理性が邪魔をした」
エヴァンは立ち上がって、ベッドの前に来た。
「非常時に理性を保つっていうのはとても大切なことだ。けれどそれは逆に、普通人の死に際に対して理性があるっていうのは、異常じゃないのか?」
「・・・・・・異常?」
「お前が理性的であり、異常であり、自分を圧し殺しているからだ。これも、そうやって悔やみ続けてもいいのか?本当に、あの時リーダーの最期に、何も言わなかったことが正解だったのか?」
ジゼルは起き上がって、ようやく振り向いた。
「・・・・・・分からない。私は常に冷静に、理性的あり続けたよ。あの騒がしい妹のようにはならないし、実は普通の人間とは違うし、けれどもそれを口にしないことで、心の中のプライドを固めていたりもした。でもどうして私がこうなったのか、もう分からないんだ」
「それが『お高くとまってる』ってことか?」
「・・・・・・そうだね」
人の言ったことをよく覚えているものだと、ジゼルは呆れた。
この男は自分の顔の良さも含め、記憶力を上手く活かしているから、女子を取り込むのだ。
「これはお前が自分のことを、話した数少ない言葉だからな」
「そうかもね」
「俺なら時間を戻すことが出来る、と言ったらどうする?」
ジゼルは目をぱちくりさせた。
この男はこんな時に冗談を言うほど、図太い神経は持ち合わせていないはずだ。
「あなた、魔法使いだったの?」
「そうさ」
「・・・・・・見返りは?」
「差し出さなくていい」
魔法使いに無償の行為など存在しない。
ジゼルが眉をひそめると、察したようにエヴァンは笑ってジゼルの隣に座った。
「見返りは俺が勝手に貰う。お前はお前の好きにすればいい。・・・・・・で?戻りたいか、戻りたくないか、二つに一つだ」
普段のジゼルなら、その見返りが何か追及するはずだった。
けれども───、
「戻りたい」
───その不思議な言葉を信じてしまうくらいに、ジゼルは疲れていたのかもしれない。
そして同時に、解き放ってはいけない錠前を解錠してしまったような、いやな感じがした。
ジゼルはその違和感を解決しようとしたが、エヴァンはジゼルの頬に手を当ててきた。
「いいだろう。だが、やり直せるのはお前の『言葉だけ』だ」
***
目の前が真っ暗だった。
目眩のような気持ちの悪さが身体に残る。
どれだけ時間が経ったかは分からない。
とても長い時間だったことは確かだ。
けれど次に目を開けた時、ジゼルの目の前には『あの時』の光景が広がった。
「ジゼル」
「!」
名前を呼ばれて、ジゼルの身体は強ばった。
あの時死んだはずのデレクが、目の前に居たからだ。
「今更こんなことを言うのもおかしいが」
あの時と同じ言葉を、デレクは紡いでいく。
不意にデレクの後ろの城壁に、不気味な仮面を付けた人影が三人見えた。
ジゼルはデレクを庇おうとしたが、冷や汗がどっと流れた。
(身体が動かない!)
エヴァンの『言葉だけ』というのはこういうことなのだ。
過去とはそう簡単に覆せるものではない。
そう都合のいいものでもない。
本当にジゼルの後悔を払拭する為にしか効果が無い。
そしてあの時の通りに、デレクはジゼルを真っ直ぐ見据えた。
(いけない、また、矢が・・・・・・!)
ジゼルは必死に声を出した。
「リーダ───」
「───生きてくれ」
そうして、またデレクの胸に矢が突き刺さった。
「リーダーっ!!!」
地面に倒れ込むデレク。
矢を抜こうにも止血するものが無い。
周りの衛兵達が慌てていた。
けれどもあの犯人達を取り逃がすことは分かっている。
勿論、デレクがすでに助かりようのない状態であることも。
(分かっている、知っている)
でも涙と嗚咽が止まらなかった。
自分の無力さと、この世の中の無情さはずっと前から知っていた。
でもこんなに知らしめなくてもいいではないか。
デレクの命が流れていくのを見ながら、ジゼルは、ずっとずっと言えなかった言葉を呟いた。
「お父さん」
するとデレクの目がゆっくりと見開かれ、その瞳の奥に怒気と哀しみが揺らめいた。
苦しみで顔が歪む。
「・・・・・・その名でだけは・・・・・・呼ばないで欲しかった・・・・・・」
それがデレクの最期の言葉だった。
ジゼルはポカンとした。
辺りの喧騒が聞こえなくなる。
一体何が起こったのだろう。
ふと、腹の底から笑いが込み上げてきた。
「ハハハハハッ!ハハハハハハハハハハッ!」
それだけが言ってはいけない言葉だと、分かっていたのに、どうして過去に戻ってまで言ってしまったのか。
何を考えても後の祭りだった。