天啓の勇者末裔フラン=ローゼル=レヒベルク①
私はそう静かに呟いた後ーー
よろよろと彼に歩み寄り、物も言わずひしと抱きしめた。
彼は一瞬驚いたような顔を見せたが、私の抱擁を拒絶せずにいてくれた。
私の血で彼の黒衣が汚れてしまわないだろうか……?
そんな配慮も微かに私の頭の中に過ぎったが、まるでそんなことは些事だと、目の前の彼なら許してくれると言わんばかりに彼の胸に頭を預けさせてもらった。
暖かい……、とても……、とても暖かい……。
このまま彼の胸の中で身体を弛緩させて泥の様に眠ってしまいたい、少なくともそう思えるくらいにはーー
だがまたしても彼の口から出た言葉は予想外でーー、彼は静かに言葉を続けていった。
「……君はとても気高く美しいが、どうやら勘違いはしやすいようだ。俺は君に対して慰めたつもりも、美辞麗句を並び立てて機嫌をとったわけでも、ましてや下心を持って君に近づきたかったわけでもない。ただただありのままに君に対する事実を連ねただけだ。君は俺が素敵だと認めた人間を……、高潔なシンシア=サラ=エーデルノヴァに対して事実無根の暴言を並び立てた。見当違い甚だしい言いがかりをつけ、汚し、貶め、冒涜した。あまつさえ恥知らずな臆病者だとすら罵った。そんな輩に対して何もせず、穏便に見逃す程俺は腐りきった人間ではない」
何故私の名を……?
「君はこんなところで枯れ果てて終わっていい人間じゃない、多くの人が君の助けを待っている。先程のヘルハウンドのような魔物が近頃頻繁に出没しているのはよく知っているだろう? 強い者が弱い者を虐げられるのは自然界における唯一の法理だ。ただの一片すら疑う余地もなく、どうしようもないほど正しく、惨たらしく、容赦のない当然の自然の法理なのだ」
その言い分は……、どこかで耳にした記憶があるがどこだっただろう……?
「ならばこそ誰かが彼らの手楯とならねばならない、弱い者を弱い者たらしめるのは強者という手楯がないからに過ぎない。君は必ずそうなれる。弱者を護り、弱者を勇気づけ、弱者を奮い立たせる破天荒で容赦のない手楯にな。それにこの俺が認めたのだぞ? 大船に乗ったつもりで構えていれば良い、皇女護衛騎士団長シンシア=サラ=エーデルノヴァ。君はまだまだ強くなる。一騎当千、いや一騎当万という言葉ですら君を評するには生温いと謳われるほどの強者にな。そうなるまでは、先程のように俺が君を護ってやるさ」
彼の言葉を聴くにつれ、少し彼に対する疑問が浮かび上がったがーー
今はそんなことよりも彼の言葉がただただ暖かくてーー
私は嬉し涙を浮かべながら彼を見上げて言葉をつなげた。
「ははっ……、とんでもなく……、とんでもなく堅固な手楯だなそれは……。私には本当に……、本当に過ぎたる代物だ……」
そう言い終えて再度彼の胸に顔を埋めた。
彼は無自覚なのだろうが、そこまで言われて何も思わず求めもしない女などいるものか。
彼の前世はきっと天然ジゴロだったのだろうと想像しながらも嬉し涙は止まらない。
声や口元の感じからして私より少し年上程度なのだろうが物凄い包容力の持ち主だと私は推察する。
下手をすればお父様より……?
私がそんな風に浮いた考えを巡らせていたーー
まさにその瞬間だった。
「やはりここにいましたか」
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突如凛とした女性の声が響いたと同時に、幾重もの斬撃が上下左右から黒衣の仮面を身に着けた彼を襲った。
彼は私を振り解いて振り返り、両の腕で一つ残らず跳ね除けて剣戟を放った張本人へと対峙する。
何故だか、仮面の下に愉しくて堪らないと言わんばかりの笑顔を浮かべながらーー
「ほう、今のを全ていなすとは……、やはり只者ではないようだ。それに……、腕に何か仕込んでいるのか?」
どこからか急襲した声の主がゆらりと月光に照らされながら、私達の前にゆっくりと姿を現す。
最初に色白で凛とした美しい顔付きとショートカットの金髪が、次に燕尾服に身を包み、仕込み刀を腰に帯びた彼女の肢体全体が露わとなってゆく。
紛れもない、ステラヴィゼル家執事のフラン様だった。
そしてフラン様は閉じていた眼をキッと見開いて私達を睨みつけた。
--が。
「こんなに愉しい剣戟を誰と行えるのかと思えば……、あの性悪女の執事サマではないか。俺の来訪に対する返礼であるならばなかなかに情熱的だな」
黒衣の仮面の彼はそれに少しも動じることなく、傷付いた黒衣の両袖から仕込み刀を取り出してフラン様へと対峙する。
それどころかあの幾重もの斬撃を受けてなお、心底余裕そうに軽口をたたきながら仮面の下ににやりと笑みを浮かべながらだ。
しかし対するフラン様も、少しも引けをとっている様子はなかった。
「セレナお嬢様より貴殿を亡き者にせよと命を受け参上仕った」
やはりそうか、と私は思った。
先程の彼の散々たる物言い、あのステラヴィゼル公爵家嫡女であるセレナお嬢様が許しておくはずがない。
きっと自身がヴェルビルイス城に辿り着いた後、刺客として彼女を差し向けたのだろう。
「ほう、これはこれは……。命の恩人に向かってすぐさま殺しの命令を下す公爵家令嬢とは……、恩を仇で返すどころの話ではないな、なぁそう思わないか皇女護衛騎士団長様?」
彼は悠然と振り返りながら私に同意を求めてきたが……、今はそんな場合ではない。
「今すぐに逃げてくれ! 貴方が途轍もなく強者だということは良くわかっている! あのヘルハウンド達を瞬殺する程の腕前だ! だがそれでも、この御方には勝てないんだ! この御方は……、フラン=ローゼル=レヒベルク様は、あの天啓の勇者様の末裔でいらっしゃる! だから今すぐ……、今すぐ逃げてくれ、お願いだ!!」
ここで死なせたくはない、その後ステラヴィゼル家から報復を受けても構わないと私は思い、涙ながらに彼へと必死に訴える。
フラン様は神より天啓を受けた勇者様の末裔だ。
その実力は折り紙付きであり、このヴェルビルイス帝国でたったの四人しか許されていない称号であるSSSランクの冒険者だ。
私と同い年とは思えない比類なき強さの前には、神話級の魔物でさえも歯が立たないとまで謳われている。
目の前の彼が如何に強かろうが神よりの天啓を授かっているフラン様にはどうやったって勝ち目がない。
そしてフラン様はセレナお嬢様の命をただただ忠実にこなす。
セレナお嬢様から殺せと命令されたのであればたとえ地の果てであろうと追いかけて実行するに違いないが、それでも彼には逃げて欲しかった。
しかし、目の前のフラン様はそんな頼みを聴けるはずがないと言わんばかりに仕込み刀を突き付ける。
そして目線を私に向けてゆっくりと言い放つ。
「ほう、そのように吠えるかシンシア=サラ=エーデルノヴァ。今の発言はセレナお嬢様に対する重大な背信行為と受け取った。セレナお嬢様が殺せと命じた眼前の敵を今まさに逃がそうとしているのだからな。貴女もお嬢様を害する者と認識して同じく息の根を止めてやろう」
フラン様は言葉を続けた。
「さて、自己紹介の手間が省けたようだな。如何にも、私こそが天啓の勇者ローゼルが子孫、フラン=ローゼル=レヒベルクだ」
目線を目の前の彼へと戻して、睨みを利かせながら悠然とフラン様は語る。
「もっとも、これから死に逝く貴殿には必要のない情報だが……なッ!」
そう言い切るとフラン様は地を蹴り黒衣の仮面の彼へと襲い掛かる。
それに彼は真っ向から迎え撃つ姿勢でいる。
だが無理だーー、幾ら彼が強いといってもフラン様と数合斬り結ぶうちには絶命してしまうーー
また……、また私の想いを寄せた人は私の目の前からいなくなってしまうのか……?
だが、そう考えていたのにーー
目にも止まらぬ速さで繰り出される斬撃を、驚くことに彼は一つたりとも漏らさずに受け止めながら口を開いたのだ。
「ハハッ、ハハハハ! これは面白い! 実に面白いぞ!!」
そうしてこの後、耳を疑う言葉を彼は発する。
「そうすると君、もしかしてーー」
その瞬間だった。
信じられないことに彼は突然何を思ったのか両手の仕込み刀を投げ捨てた後、フラン様の仕込み刀を右手の三本の指で摘まんで止めてしまった。
驚いて目を見開くフラン様、傲岸不遜に嗤い続ける黒衣の仮面の彼。
フラン様は剣に力を込めるが全くもってびくとも動かないようだ。
そして彼は、未だ驚くフラン様の顔に仮面を被った自身の顔を思い切り近づけてゆっくりと言葉を発したのだ。
ーー胸に隷属印が刻まれていないかい?
そんな有り得ない一言が、常に冷静沈着な彼女を激昂させることになるとはこの時の私は知る由もなかった。
まったく黒衣の仮面は一体誰なんだ……?(すっとぼけ)
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