一章『姉と、日常。』その4
春秋は冬夏と同じ孤児で――特殊な力を持った人間はよく親に捨てられるらしいが――今現在所属している『帳』という組織に育てられた。
昔は一緒に訓練をしたりした。それ以上に喧嘩もよくしたが。
そして冬夏が七歳、春秋が八歳の頃に義理の兄弟として楠城家にもらわれた。
楠城家は『帳』と深くかかわりがあり、いやしの父親は構成員の一人としてずっと海外で活動中。
母親・楠城 乱は組織の結構なお偉いさん、兼、冬夏たちの師匠だった。
その関係で、というよりは、乱が冬夏たちに訓練をつける時間をより多くとるため、社会常識を身に着けさせるため、引き取った形になる。
そのまま楠城家で育ち、春秋が十歳、冬夏が九歳になったころ、正式に日常的にいやしの護衛を行う様に言い渡された。
その辺りからだろうか。春秋のことが一層嫌いになったのは。
「――うか、楠城冬夏ー? 居ないのかー? 居ないなら返事しろー?」
ふと、名前を呼ばれていることに気付く。教師が出欠をとっていた。
「す、すいません、居ます!」
「おーう、返事したから居ないんだなー? 出欠、×、っと」
「げ、勘弁してくださいよ、先生!」
「じゃあ次からはぼけっとしてないですぐ返事するように」
毛髪の後退に合わせて潔く剃りあげた頭を光らせながら、細マッチョな担任教師が言うとクラスの中で笑いが起こる。それに苦笑していると、来夢もくすりと笑った。
「ばーか。なにぼけっとしてんのよ」
「……朝から仕事して疲れてんの」
「あたしも同じだってば」
「ごもっとも。気を付けるよ」
出欠をとり終えて、号令に合わせて生徒が挨拶をすると、担任は教室を出て行った。
最初の授業は英語。
冬夏はさっさと道具を机の上に出すと、こっそりと力を発動させる。
赤く染まる目。
視界の中の一点に意識を集中させると、そこに新たな「視点」が出来上がる。
目が赤くなっていることがばれないように顔を伏せると、冬夏は両目を閉じて左目に意識を集中した。
左目を閉じていた方が負担も少なく、目も「ちょっと充血してる」程度のもので済む。
生み出した視点を素早く移動させる。
実際に体を移動させているわけではないので、移動速度はかなり速い。
自動車くらいの速度は余裕で出る。
『視点』は教室を出て、素早く一つ上の階へ。三年生の教室が並ぶ中、素早く冬夏は三年五組の教室へと視点を飛びこませた。
三年生の教室は、受験の年だけあって冬夏たちの教室よりも座って真面目に勉強している生徒が多かった。そんな中、隣の友人と軽く談笑しながら授業の準備を整えるいやしの姿を見つける。
窓側の席に座ったいやしは、時折可愛らしい笑みを浮かべていた。
声は聞くことができないものの、その表情から今日もクラスメイトと仲良くやっているのは一目瞭然だ。
一方。
いやしから二列横、斜め後ろに座る春秋は対象的だ。
カリカリと、わき目もふらず勉強をしている。完全にノートに集中しているのを見ると、護衛のために『帳』の計らいで同じクラスにしてもらってんのにやる気あるのかと言いたくなってくるが、開くための口は「視点」と同じ場所には無いので断念した。
一体何をそんなに熱心に書いているのやらと、そっと近寄ってノートを覗き見ようとする――が。
『……こら』
視線を感じたのか、目線を冬夏の「視点」に向けてくると、口をゆっくりと動かし警告する。
『それ以上、見たら、夕飯に、毒をしこむぞ?』
過激な冗談に、冬夏は顔をしかめる。本音を言わない春秋だが、冗談は常に毒が含まれ『キレて』いる。
いや、あるいは、普通に本音でそう思っているのかもしれないが。
冬夏が春秋を嫌いなように、春秋も冬夏を嫌っているだろうから。
口を開いて出てくる本音は毒だけ。
冬夏も春秋には毒しか吐いていないようなものだし、毒々しい仲と言うべきなのか。
いずれにしても、冬夏にとっては春秋と関わるのはいい気分になるものではなかった。
……わざわざ進んで嫌な思いをするのも馬鹿らしい。
「視点」を通して冬夏の事を見透かそうとするような視線から、逃げるように視点を反らす。
代わりに、冬夏はいやしの方を見た。
春秋は視点がずれたのを感じたのか、ほどなくして元通り、ノートに向かって、ノートを腕と体で覆い隠すようにして、何か書きはじめていた。
さきほど一瞬覗き見た限りでは、ノートではなく何か、報告書のようなものに文字を書いていたように思えたが、実際に何をやっているかは知ることはないだろう。
春秋のことをわざわざ深く考えるよりだったら、いやしを見ていた方がいい。精神衛生的にも。
……そのはずなのだが。
自分の教室に教師が到着し授業が始まるまでの間いやしを見ていた冬夏だったが、来夢の仲直りしたら、と言う言葉がひっかかってか――それとも別の何かが引っかかるのか――
日課の『警護という名目のいやし観察』に集中できず、春秋のことを気にしてしまって何ともすっきりしない気分で居たのだった。