一章『姉と、日常。』その3
バス停まで家から歩いて二十分、バスに乗って十五分、その後歩いて十分ほど。
街の中心地近くにある冬夏たちの通う学校までの道のりは、毎朝のことながら少々面倒だ。下駄箱のあたりでいやし・春秋と別れ、冬夏と来夢は二年三組の教室へと向かう。
教室に入ると、適当にクラスメイトが声をかけてくれた。
同じように適当に返事を返しながら、冬夏は廊下側の列、真ん中あたりにある自分の席に座ると、痛む首を押さえながら机に突っ伏す。
「あのクソ兄貴……首の神経痛めたらどうしてくれるんだっての……」
「春秋さん容赦ないもんねぇ。ていうか、いい加減仲直りとかすればいいのに」
前の席に座った来夢が、振り向きながら苦笑する。
「そうは言っても、原因もなにもないのに仲悪いんだからどうしようもないだろ」
しいて原因を言うなら生理的に無理。決定的かつ致命的な原因だ。
治せと言われて治るものじゃない。死なない限りは。
「確かに昔から仲悪かったけど、今ほどじゃなかったでしょ。なんかあったんじゃないの?」
「えー……あー……あった……っけ……?」
冬夏は眉根を寄せて考え込むものの、特に思い当たる節はない。
「姉ちゃんのことを妹扱いしようとしてて喧嘩した……のが、今くらい仲が悪くなった原因……かな?」
「とんでもなくくだらない喧嘩でよくあそこまで仲が悪くなれるもんね……」
「くだらなくない。兄貴のやつ、同学年なのに誕生日が速いんだからって、いやし姉ちゃんに自分のこと『お兄ちゃん』とか呼ばせようとしてたんだぞ? 反吐が出るわ」
「って言っても、子供の頃の話でしょ? 子供の頃ってなんか偉ぶりたい気持ちとかあるし、仕方ないんじゃない」
「来夢も昔、よくおれに馬乗りになってたなぁ、そういえば」
「そ、そういうことは思いださなくていいの! 昔のことでしょ、昔の!」
顔を真っ赤にする来夢だが、冬夏からしたら顔が真っ青になるような思い出だ。
なにせ女の来夢に力負けして押し倒され馬乗りになられた記憶である。
しかも何度も。
言われなくてもあまり思いだしたくないので、思考を春秋のことに引き戻した。
「……そういや、小学校も半ば過ぎると言わなくなったな、『お兄ちゃんと呼べ』、みたいなこと」
「つまり成長したってことでしょ。ちょっとは仲直りする気になった?」
「いやさっぱり」
がくん、と来夢が脱力して机に突っ伏す。
ここまで説得してもらったことに対して多少思う所はあるものの、しかし、冬夏は春秋と仲直りする気は全然起きていなかった。
「それがあろうがなかろうが、生理的に無理だから、今更だろ。
おれも兄貴も互いに嫌いっぱなしだし、積み重ねられたものは、今更どうしようもないって」
「仕事の最中はそこそこ連携とれてるくせに、これなんだから」
「仕事は仕事。来夢だって私生活のこと、仕事に持ちこんだりしないだろ」
「そりゃそうだけどさ――あ、先生来た」
担任教師が教室に入って来たのを見て、来夢が前を向く。
自分より小さな背中、その真ん中をなんとなくじーっと見ていると、制服のブレザーに春秋の顔が思い浮かんでくるようだった。
思いだすだけで、なんとなく胃の底がむかむかしてくる。
……けど。
「……昔は」
今ほど嫌いじゃなかった気もするんだよなぁと、ほんのちょっぴりイライラとは違うものが心臓を撫でた気がした。