四章『姉と、義兄弟。』 その7
――『目』の中に、映像が飛び込んできたのは突然のことだった。
春秋が能力を使って、いやしをさらおうと車に襲い掛かる映像だ。
『視点』は全て消していたはずなのに、そんな映像がなぜ突然見えたのかわからない。
しかし、意識を徐々に遠のかせていた冬夏は、それを見て即座に体を起こし――今まさに走り出そうとしていた春秋に向かって、来夢からもらっていたカードの一枚、拳銃を実体化させて、その足を止めさせた。
「――待てよ、クソ兄貴」
呼びかけに、春秋がゆっくりと振り向く。その顔に表情はないが、冬夏にはわかった。
ものすごく怒っているのが、わかった。
「なに怒ってんだよ。そんなに義弟に負けたのが悔しいか? なぁ?
つか、負けたクセにいやし姉ちゃんだけかっさらってこうっていうのは……どうかと思うぜ」
「……なら、お前を殺してから行けばいいんだな?」
「……ああ。やれるもんならやってみろ。
まだ負け足りないみたいだし、もう一回気絶させてやるよ、春秋」
冬夏は立ち上がって、無表情な春秋に向かって人さし指を立てて、挑発する。
こうすれば、絶対に春秋は乗ってくる。
そう思ってのことで、実際、春秋は冬夏の方に体の向きを変えると、ゆっくりと歩いて近づいてきた。
距離、二十メートル。今の春秋なら一呼吸の間に詰められる距離だろう。
春秋は、冬夏が結構な回数殴ったと思ったのだが、かなり元気そうだった。
一方、冬夏は視点一つ作ることもまともに出来ない状態だ。
目に力を込めると、変に視界が歪む。
制御が利いていないのか、左目に重なるようにして能力が発動しているような、妙な感覚だけがあった。
それでも、春秋への挑発は止めない。
「来い、クソ兄貴」
「お前さえ……いなければ……!」
「おれが居ようが居まいが……兄貴の願いはかなわない。どーせ」
「そんなことは……ない……っ」
「いいや、そんなことある。
――だって、いやし姉ちゃん、どっちかっていうとお前のこと嫌いだし。
無理やりとか、むしろ余計に嫌いになられて終わりだろ?」
せせら笑う様に、言って見せる。
その言葉に、今まで無表情だった春秋の顔が、憎悪に狂った。
「とぉおおかあぁあああああ!」
「来いよ――っ」
疾走する狼を前に、身構える。
迎撃する手段なんてない。見切るだけの体力もない。
だけど少しでも時間を稼いでいやしの安全が確保できるならと思っていた冬夏だったが。
……その時、不思議なことが起こった。
冬夏の右目と左目で、映る景色が変化する。
右目は、今までと変わらない。
なのに、左目には、春秋が『これからする動き』が、連続写真のように写り込む。
そして両目それぞれの光景が脳の中で重ね合わせられ――冬夏の目には、春秋がこれからする動きが、ガイドのように示されているように見えていた。
春秋の体が、先にある映像と重なると、重なった分の連続写真の一枚は消えていく。
次々と、連続写真と同じ動きをしながら、迫ってくる春秋。
その連続写真の戦場に、冬夏は自分自身が居ることに気付いて、慌ててその場から少しだけ退いた。
ほんの一メートルほど、横に跳ねるようにして、退いた。
それは、ほとんど直感的な判断だった。
『ここに居たら当たるな』と思って、どいただけ。
受け身をとるわけでもなければ、必死に避けた風でもない。
しかし、だからこそ。
風をまといながら冬夏の隣を勢いよく通り過ぎて行った春秋は、驚愕の表情で振り向く。
「……お前……今、なにした?」
「……さ、さぁ?」
義兄弟仲良く、戸惑いに顔をひきつらせる。なにが起こっているのかわからないのは冬夏も一緒だった。
自分の能力は、遠くを『見る』だけのものだったはずなのに。
「なら、もう一度見せてみろ――!」
春秋が再び襲い掛かってくる。今度はジグザグに、さっきよりも避けるのが難しい動きで。
それでも、冬夏の視界にはしっかりと動きの順路が示されている。
すぐさま冬夏は春秋が通らない場所に避難する。
だが、避けるのが早すぎたのだろう。
視界に映る連続写真のガイドが変化を起こし、冬夏が移動した先に春秋が向かってくるのを示した。
しかし冬夏はさして慌てず、もう一度春秋が通らない場所へと移動する。
先ほどの戦闘の最中、高速移動時の方向転換にさらに磨きがかかった春秋だが、それでも限界はある。
再び冬夏を捕らえられず、そのすぐ横を通りぬけて行った春秋は、今度こそ驚きに目を見開き、完全に動きを止めた。
「なん……だ? お前、なにをしてる……! 視線は感じない……見切った上で避けている動きでもない……今のは、俺の……俺の動きがわかっていたような――」
「……ああ、うん、そんな感じ。自分でもよくわかんないけど、なんか兄貴の動きが全部予測出来てるんだわ……今」
「お前の力は遠くを見るだけだろ!?」
「知るか馬鹿兄貴おれが知りたいわ! なにこれ!? おれなに見てるのこれ! 怖いんだけど!」
「くそっ、意味がわからない……! なんなんだお前は、俺の邪魔ばかりして!」
「邪魔してるのはそっちだろ! 邪魔っていうか迷惑なことだけどな今回は!」
「うるさいっ、俺はいやしを手に入れ――いづぁべっ!?」
「はい、そこまで」
いつのまにか春秋の背後に近寄っていた乱が、首筋にスタンガンを打ちこんで、春秋を地面に押さえつけた。
それから手早く懐から注射器を取り出すと、頸動脈に打ちこみ、完全に春秋の意識を途切れさせる。
能力も解除されているし、もう暴れることはないだろう。
それからようやく、呆れた様子で立ち上がる。
「……やれやれ。弟との口喧嘩で飛びかけていた人間性が戻ってくるとは、笑い話もいいところだ」
「師匠……」
「なにはともあれ、お疲れ様……と言いたいところだが。
目、大丈夫か? さっきからなんというか……妙に赤いぞ。充血しているわけでもないようだし……」
珍しく心配そうに近づいてきた乱が、冬夏の瞳を覗き込む。
……それまでの動きも全て、連続写真のように冬夏の目には映り込んでいた。
「師匠、なんか、動きが……目の中に映って……連続写真みたいに……」
「……連続写真? 今、能力を使ってる?」
「なんか……左目だけ、使ってるような気もするんですけど……妙な感じで」
「遠視を使っている時の充血症状は出ていない……となると……」
乱は少し考え込んでから、なにか思い当たったことがある様子で口を開く。
「そういえば……冬夏は、能力を使い過ぎると目の映像が遅れてくることがあるんだったか。
視界の遅延、というか」
「え? あ、はい……ありますけど」
「……おそらくそれだ。冬夏、お前は今、未来の自分が見たものを脳が受信してるんだよ」
「未来の、受信?」
「そう。正確には、未来でお前が見たものが、遅れてお前の脳に流れ込んできているんだろう。
脳を酷使したことで、遅延した状態で、能力が解除できなくなったせいかもしれないが……
元々、お前の作る『視点』は、空間を越えてお前に映像を届けていた。多少時間を歪めてもおかしくはない」
「は、はぁ……そういうもんですかね――って、あれ」
話している最中、突然左目が真っ暗になった。本当に突然の事だったので、冬夏は驚く。
「どうした?」
「いや、師匠、なんか急に、未来の視界が見えなく、なって――」
ぐらりと、冬夏は自分の体が傾いだのを感じた。
同時に、右目の視界も真っ暗になってしまう。今さっき、左目がそうなったように。
……未来で意識がなくなったから、映像が見えなくなったのか、と冬夏が気づくのは、それから随分と後のことだった。




