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英雄姉を好む  作者: 七歌
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四章『姉と、義兄弟。』 その4


「おれだってなぁ……!」



 ずきずきと痛む側頭部と左肩をやや意識しながら、勢いよく突進を繰り出してきた春秋を一度かわす。


 今現在、冬夏の視界は何千という視点が混在しているような状態だった。

 全ての映像を処理する脳は過熱して、どくどくと痛みを伴いながら脈打っている。


 それでも、数多生み出した視点を操作して、多方向から春秋へと向けた。

 一点に集中した視点は、敏感な人間にとってはそれだけで不意に針に刺されたような不快感をもたらす。

 殺意があればなおさらで、その上春秋は訓練を受けている上に能力で狼のような鋭さを持ち合わせている状態だ。

 本来ならばプラスにしかならないはずの部分。

 だが、冬夏にとってはそれが狙うべき勝機となる。



「だが……所詮視線だ! この程度に、義弟にぃ、俺がぁ――っ!」



 吼え、地面を這うかのように姿勢を低くする春秋。

 狼の毛が逆立って、両の前腕の爪が肥大化する。


 地面に爪を突き立てて、弓を引くように加速のための緊張が高まっていくのがわかる。

 後ろ足こそないものの、春秋の被る毛皮からは狼そのものといえる野生の迫力が伝わってきた。

 それでも、冬夏は退かない。

 その動きを見逃さないと、全ての『目』に力をこめた。


 一瞬、わずかに、目から戻ってくる映像のいくつかに遅滞が生じた気がした。

 数秒前の映像がいくつか流れ込む。だがそれを気合で押さえつけ、冬夏は猛る。



「うるせぇっ! これがおれの全部だ! おれだって、負けられないんだよ、クソ兄貴! 

だから――来い! 叩き潰してやる!」


「潰すのは……俺だぁ――っ!」



 叫んだ春秋の姿が一瞬ブレた。

 刹那の時で達した、最高速度による突進。

 さっきまでなら動きの『起こり』を注視していなければ対処が危うかったが、百パーセント以上で稼働する冬夏の『目』たちは完全にその速度域を認識していた。


 向かってくる春秋に対して、投下はダメージの少ない右腕に全力を込めて構えつつ、数多ある視線を集中的に移動させた。

 場所は、自分の背後、そして、春秋の斜め右後ろ。

 そこから、順に、向かってくる春秋を『睨みつける』。本気の殺意を込めて。



「っ、!? っづぉあ!? しまっ――」



 一瞬。

 春秋は動きを鈍らせ、次いで反射的に右腕を振り上げ、自ら突進の速度を遅らせた。

 春秋の能力は獣の力の再現だ。

 その力の鋭さ、強さが、増せば増すほど――春秋の本能もまた野生のそれに近づいていく。

 それはつまり、危機察知能力と、それに咄嗟に体が反応してしまうのも、止めにくくなるということ。



「もら、ったぁあっ!」



 超高速移動状態からの、咄嗟の動きに、春秋の体は隙だらけの状態で冬夏の目の前にさらされる。

 その顔面に向かって、冬夏は右の拳を叩きこむ。



「――ッらぁ!」


「ぐ、げっ」



 地面に叩きつけられる春秋。

 追撃に一発腹に蹴りをいれようとしたが、流石にそこまでさせてくれるわけもなく、無様に転がりながらも春秋は距離を取る。


 ぜはぁと、と大きく息を吐きながら立ち上がる春秋。

 一方、冬夏も無傷とはいかない。手袋をはめているのに、硬めのサンドバッグを殴ったほどの感触が残っていた。


 狼の毛皮を被っていない部分を殴ったはずなのに、この手ごたえ――出血もしていないようだし、相当な数を叩きこまなければ春秋をねじ伏せることは不可能に思えた。


 しかし、それが、何だと言うのか。



「数が必要なら……必要な数叩きこむだけだ」



 やや中腰気味に、両の拳を構え直す。

 じりじりとすり足で移動しながら、仮想の多眼を移動させた。

 常に殺気を出して居ては『慣れられて』しまうため、可能な限り多くの目は『閉じた』状態にしているが、それでも負荷は凄まじい。


 どのくらい持つか?


 わからない。


 これだけのことをして、頭が大丈夫だろうか?


 わからない。

 

 わからない、だらけの自問自答を繰り返すが、それも、春秋が完全に立ち上がり、狼の目と重なった、狂気と殺意を孕んだ目を向けてきた瞬間途絶えた。



「……殺す。お前だけは、殺す。俺の勝利に、お前は絶対的に邪魔だ。

俺の夢に、お前の場所はない。俺の未来に――お前は邪魔だ!」


「……その通りだぜ、兄貴」



 極限の状況だったが、猛る兄を見て冬夏は笑った。



「邪魔なんだ、結局。おれたちは、細い道で顔突き合わせているようなもので」



 今まで、家族として過ごして。

 楽しいことがなかったわけではない。

 春秋に、尊敬の念を向けたことがなかったわけではない。

 その強さに羨望を向けたことだってある。

 けれど。



「なんとなくどけるのも面倒だから、『なぁなぁ』で嫌な顔しながら進んだり下がったりして。

お互い妥協しようかなんて思ったりもして」



 仲直り、しようと思った。

 けど、それが間違いだったのだと、今になって冬夏は思う。



「そんなことしてる場合じゃなかったんだ。兄貴の目的地は俺の後ろの道あって、おれの目的地は兄貴の後ろにある道の先にあるんだから」



 もう一度、言う。



「だから、邪魔なんだ。ただそれだけなんだ。

ただそれだけだから――本当に、心ッ底、どうしようもない!」



 言葉を吐き捨てる。春秋に対して思ったこと、全てを地面に打ち捨てるように。

 それと同時、二人は動いた。



「――冬夏ぁ!」


「……春秋ぃい――っ!」



 久しぶりに、本当に久しぶりに、冬夏は兄の名を呼んだ。


 不思議なことに、名前を呼ぶと、自分の中で複雑に渦巻いていた感情が取り払われた気がした。『兄』という枷を、『弟』と言う枷を、取り去って、今。


 冬夏と春秋は、互いに自分の道を塞ぐ『邪魔者』としてだけ、純粋に互いを認識する。



「死――ねぇ!」



 殺意をほとばしらせて、春秋が冬夏に向けて疾走する。

 大きなジグザグの移動は、おそらく冬夏の視線につかまりにくくするためだろう。


 ここにきて、春秋の動きはさらによくなっていた。

 スピードは落ちていないのに、グリップ力が高まっている。

 直進のみトップスピードに一瞬で入れるはずだった能力は、気づけば本物の狼顔負けの、獣のような動きを可能にしていた。


 よく見れば、能力によって作り出されている半透明の狼の毛皮は最初よりも実体感が強くなっており、春秋の体にぴったりと張り付くようにして徐々に面積を広げている。


 能力を引き出し、より獣に近くなっている――だがそれは、冬夏にとっては好都合。



「すぅ――」



 ジグザグに向かってくる春秋を視界から外し、腕をだらりと下げ、大きく息を吸う。頭の中から、可能な限り余分な感情をそぎ落とす。


 そして、ゆっくりと目を閉じて。

 前に倒れ込む様に、一歩を踏み出した。


 それに対して驚いたように顔をしかめたのは春秋だ。

 一体なにをしているのかわからないという表情だったが、その一瞬の逡巡こそが冬夏の狙い。



「開け」



 呟いて、『閉じて』いた目をいくつか春秋の『上』に移動させ、殺意を持って開かせる。

 突然の脱力姿勢によって生まれた春秋の意識の空隙に、視線が殺意をねじ込んだ。


 獣の勘の良さで、思わず勢いよく顔を上に向けて動きを止めた春秋が、『しまった』とばかりに目を見開いてももう遅い。

 脱力した前傾姿勢から、冬夏は春秋の懐に飛び込んでいた。



「もらった」



 静かに呟いて、冬夏は素早く師匠直伝の連撃を叩きこむ。――『三段殺し』。


 正中線上の急所を的確に打ち抜かれ、いくら能力でガードを硬くしているとはいえ流石に春秋も苦しそうだった。苦し紛れに振るわれた爪をかわして、冬夏はそのまま追撃をかける。


 そこからは、冬夏の優勢だった。

 密接した状態で、視点を駆使して意識を乱しつつ、確実に攻撃を叩きこんでいく。


 しかし、春秋も流石というべきか、意識を乱されながらも徐々にガードの要領がよくなっていく。


 徐々に日の色がオレンジに変わり始める中、能力をフルに発揮する二人は泥臭くも殴り合いを続ける。

 だだっぴろい公園に響く打撃音の多くは春秋が打ち付けられる音だったが、時折冬夏の身も引き裂かれ、殴られ、鈍い音を出した。


 互いに全身血まみれで、あざだらけで、そうなっても止まらない。

 どちらかが倒れるまで。

 止まるわけもない。


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