四章『姉と、義兄弟。』 その3
『ウルフウェア』の能力は、走るという行為にのみ関して人外の速度を与える。
だが、それを使っているのは人間だ。
「見え見えだ!」
地面が足を蹴りだすまでの動きの『起こり』。春秋の人外の速度の突進に対して、冬夏はその『起こり』を観察することで対処していた。
走り出すまではあくまで人間の動きの範疇で、難なく目で見て追える。
動きの起こりからその後の加速まで予測して、冬夏は大きく横に飛んで、危なげもなく突進をかわす。
舌打ちをしながら冬夏の横を通り過ぎて行った春秋は、ブレーキをかけて再び冬夏との距離を測りながら睨みを利かせてきた
そんな春秋を見て、冬夏はわざとらしくあざ笑って見せる。
「相変わらず狼じゃなく猪だな、兄貴! もうちょっと細かく来いよ」
「そっちこそ、相変わらず目だけはいいな。使えない能力だが、目の良さに繋がっていることだけは評価できる」
「能力関係ないぜ――っとぉ!」
会話の途中で突進が来たので、またかわした。
だが、さっきよりも速度が緩い。冬夏の横を通り過ぎた瞬間にブレーキをかけたかと思うと、腕を振り上げ、その腕、狼の毛皮の先にある鋭い爪を冬夏に向けてくる。
だが、冬夏もそれをそのまま受けるようなことはしない。
春秋が腕を振り下ろすよりも早く――走る以外の動作速度はあくまで人間並みだ――その懐に向かって、今度は冬夏が肩から突っ込んでいった。
懐に潜り込むと同時、追撃が来ないように春秋の両手を外側に向かって打ち払う。
それから右手で腹に向かって拳を突きこもうとして。
「……遅い」
「は?」
目いっぱい右拳を伸ばした瞬間、春秋は冬夏よりもかなり遠くに離れていた。勢いよく振りぬいた拳は空を切り、上体はバランスをやや崩す。
走ったのだ。後ろ向きに。
「後ろにも速く走れるのかよ……!」
……狼は後ろ走りなんてしないだろ普通!
心の中で突っ込むものの、それで完全に腕が伸びきったガードの甘い状態がどうにかなるわけでもない。
おそらく次の瞬間にくるであろう衝撃に備えて、どうにか冬夏は腕を引いた。
だが
「だから――遅いんだよ!」
「っづ――!?」
予想よりもはるかに強く、肩のあたりをえぐられるような痛みが走り、冬夏は地面を転げる。
コンクリートではなく柔らかめの土の地面であることに感謝しつつ、状態を確認。
左肩が死んでいた。
おそらく爪で突き刺してきたのだろう。
衝撃のままに後ろに吹き飛ばされた分、深くえぐられたわけではなかったが、皮膚が裂け血が滲み、完全に骨が外れて力なくぶら下がっている。
折れなかったのは不幸中の幸いか。
一応外れた肩の骨の戻し方くらいは知っているが、そんなことを許すほど春秋は甘くない。
「ここで、死ね、冬夏――っ!」
速度を落とし、多方向から連続で襲い掛かってくる。
速度が落ちている分、一撃一撃はそこまで重くないものの、左腕が使えないのもあって右手と足を使って捌くので手一杯だった。
左肩が揺れるたびに走る痛みも、動きをわずかに鈍らせる。
二十数発受け流したところで、冬夏は体勢を崩しその場に膝をついた。
それをみて、春秋も一度動きを止める。
「っは……っは……っは……」
「息が荒いな、冬夏。もう終わりか? 死ぬか? 能力も使わないで」
「馬鹿、言うなよ、クソ兄貴……兄貴こそ、もう、それで本気か? なら、終わるのは……お前の方だ」
息を整えながら立ち、右の拳を構えて春秋を睨みつける。
春秋にこれ以上の奥の手がないならば、冬夏には勝ちの目がある。
というよりも、そのために能力を温存しているのだから。
「来いよ、兄貴。潰すなら、全力で――来い! 生ぬるい手で潰されるような奴だって思ってるなら、舐めるなよ! おれはそんなに、弱くない!」
自分自身にも言い聞かせるように、冬夏は叫んだ。
自分は弱くない。
春秋だって倒せる。
春秋くらい倒せないといけない。
そうじゃなきゃ、いやしの傍にずっといるなんてきっと無理だから。
「来い、クソ兄貴ぃ――――!」
「いいだろう……やってやるよ!」
春秋が姿勢を下げる。避ける余力が無いと判断しての、全力での突進を仕掛けてくるつもりなのだろう。
それが、春秋の全力。
その程度が、春秋の全力。
そう理解した瞬間、冬夏は目の色を変えた。
真っ赤に目の色を変えて、叫んだ。
「開けぇえ――っ! 『天蓋』!」
自分の、力の名前を。




