一章『姉と、日常。』その1
「おはよー」
「おはよう」
冬夏が洗顔と学校の制服への着替えをすませて居間に入ると、いやしより先に挨拶をしてきた少年が居た。
少年と言うか、どちらかと言えば青年という印象か。
平均より高い身長。
精悍で整った、端的に言ってしまえば「イケメン」と言えるような顔立ちをしている。
いつまでたってもどこか幼さが抜けない冬夏とは真逆に位置するような青年は、二人座りのソファの真ん中で足を組みながら爽やかな笑みを浮かべていた。
「……なんでお前に先に挨拶されなきゃならないんだよ……」
けっ、と冬夏は吐き捨てながらもう一つある小さいソファに腰掛ける。
疲れている時に朝一で見たい顔は、居間には無かった。
気分を改め、キッチンの方で料理をしているいやしに向かって明るく声をかける。
「改めておはよー、姉ちゃん」
「はーい、おはよー。もうちょっと待ってね、朝ご飯出来るからー」
振り向いたいやしは冬夏、春秋と同じく制服に着替えていた。
エプロンの下、落ち着いた色合いのブレザーの制服は、いやしの大人っぽさを強調してくれて大変良い。
やっぱり姉ちゃんの声は癒しだなぁ、と、青年の声で汚れた耳を洗い流されるような気分で、うんうんと一人満足げに頷く冬夏。
それを見て、青年はやや不満そうに苦笑を浮かべる。
「おい、流石に朝から兄に対してその態度は無いだろ」
「血がつながってねー義理の兄なんてどこに需要があるんだよ。
ボーイズラブか? 残念ながらおれは正常な青少年だから男の尻にも棒にも用はないんですー」
「正常な青少年は義理とはいえ姉に欲情しない」
ぼそりと言葉を返す青年に、ずい、と冬夏は顔を寄せ、着ていた制服の襟首を軽く掴む。
「なに? 喧嘩売っての? 買うぞこら」
「冬夏、朝から喧嘩しちゃだめだってばー。春秋くんも何言ったか知らないけど、変なこと言って煽らないんだよー?」
つかみかかろうとすると、キッチンから横目で見ていたのかいやしがいさめてくる。
それに、仕方なく、渋々、どうにか心の中の反吐をぶちかましそうな気分を飲みこみながら冬夏はソファに座りなおした。
そんな冬夏を見て、義理の兄――
いやしと同じ年齢のの青年、楠城 春秋は唇の端を吊り上げ、あざ笑う。
「怒られたな」
「お前も怒られてたのになにおれだけ怒られたみたいな態度してんの? 馬鹿なの? 死ね」
「死なない。あとな、俺へのは注意で、お前へのは指導だ。
まぁ俺は長男だからな。扱いが違って当然だが」
「いやし姉ちゃんよりちょっと誕生日早いだけのくせに毎度よく言う……」
春秋は、冬夏と同じくいやしの護衛を行うために義理の家族となって潜入している。
同じ施設の出なので、付き合いだけで言えばいやしより長い。
なのだが……冬夏と春秋はとことん『ソリ』が合わない。
朝から侵入者を捉えるのに一仕事していなかったらまだ食って掛かるところだ。
「で? ネズミはどうしたんだ、冬夏」
「ちゃんとポイしてきたよ。心配されるようなことはないから安心しろクソ兄貴」
「ご苦労さん。あとで来夢ちゃんにもお礼言っておけよ、朝からありがとうって」
「当り前だ。後で朝から働かせた分はきっちり労うっての」
「ご飯出来たよー」
ぼそぼそと小声で簡単な報告をしている間に、朝食が出来上がる。
キッチンの方にある四人がけのテーブルに三人で座る。
冬夏の横にいやし、いやしの体面に春秋。
……このイスの場所決めるのにも春秋と争ったな、などと冬夏はふと思いだした。
しかし今ではそれぞれ馴染んだ定位置だ。
自然な流れで座り、いやしの作った簡単な和食の前で手を合わせる。
『いただきます』
三人分の声が重なる。
姉に感謝の気持ちを込めて軽く一礼してから、食事をとり始める。
ご飯、みそ汁、海苔、卵焼き。あと瓶詰の鮭フレーク。
甘い卵焼きと適度なしょっぱさの味噌汁を交互に味わっていると、一日を生きるエネルギーが補充されていく気がした。
「そういえば、そろそろ衣替えだね。て言っても、実際に変える人はまだいないだろうけど」
「まだ朝は寒いからね。中に半袖着るくらいの温かさはある気がするけど」
ゴールデンウィークが明けて数日。
今年はちょっと気温が低いせいか、桜の時期も完全に終わったが朝が少々寒い。
北国ならではの気温感覚だが、冬夏にとっては毎年のことなので何も違和感はない。
一方で昼間は春相応に温かいため、体温調節が難しい時期だ。
「お前はガキなんだから半袖短パンでもいいだろ。走り回って温まってろ」
「一歳年上なだけで何言ってんですかねこの馬鹿は。風邪引くわ。卵焼きとるぞ」
春秋とにらみ合う。が、いやしが目を細めてやや冷たい視線を送ってきたので黙々と食事に戻った。
姉は怒らせると怖いのである。