三章『姉と、デート。』その10
「はる……あき……さん?」
目の前の春秋の姿を、来夢は信じられないものを見る目で見つめていた。
現実感がない。春秋がなにをやっているのか、理解が追いつかない。
それでも来夢の目の前で、現実は非情に時間を進めていく。
「ああ。仕事ご苦労様、来夢ちゃん。俺の想像した通りに無事ことが運んで、安心してるよ」
「なんっ……! なんで、あの、手紙、春秋さんが!? なんで!」
動揺で言葉が上ずる。
なにか武器を取り出して、すぐにいやしのことを助けなければならないのだが、上手く体が動かない。
過呼吸気味になっている来夢。それとは対照的に、落ち着き払った声音で、春秋は言う。
「時間がないから、簡潔に説明しよう。
俺はいやしが欲しかった。どんなことをしても。
だから、帳以外の組織の庇護下で、二人で仲良く過ごせるように算段を整え、そして最後の仕上げのために来夢ちゃんに手紙で指示を出した」
「そんなの……春秋さんなら、さらうだけならいつだって……! なんであんな手紙っ」
「冬夏に察知されないように、少し薬に対する反応とかを見たかったんだ。
今使ったこの麻酔薬や、いやしを俺のものにするための他の薬もいくつかな。
いやしの体に不調が出ないように。そのために、何人か使い捨ての人間を雇って時間稼ぎとかをしてもらったわけだ」
いやしのことを優しいまなざしで見つめながら、春秋は語る。
そこには純粋な愛情があった。研ぎ澄まされた欲望があった。
ただ、好きで、そのすべてが欲しいと言う気持ちが。
けど、だからってここで見逃すことは出来ない。
「……行かせません。あなたをここで拘束します、春秋さん」
ようやく頭が落ち着いてきて、懐から創り札を取り出しながら来夢は言う。
勝てる見込みは薄いものの、やるしかないと覚悟を決めながら。
しかしそんな来夢を見て、春秋はわずかに口元をゆるませた。
「いいや、来夢ちゃんは俺を通してくれる。
そして、上にも報告せず、俺の事についての情報伝達は遅れ、俺はいやしと一緒に幸せに過ごすだろう」
「何を根拠に……!」
「だって俺がいやしをさらうことは、来夢ちゃんにとっての報酬でもあるんだからな」
「報酬って……どこが!」
冷静になりきれず噛みつく来夢に対して、春秋は親しげに語りかける。
兄のような幼馴染として。同じような恋の境遇に居る者として。
「だって、そうだろ?
いやしが居なくなれば、いやしが帰ってこないとわかれば、冬夏の心はきっとくじけるだろう。
欠けるだろう。悲しむだろう。
その時――来夢ちゃんは、冬夏にとってどんな人間になれるだろうな?」
「――――」
来夢は、息が止まるかと思った。
一瞬頭の中に駆け抜けた、多くの想像。
それが現実になるかもしれないと言う予感に、息をつまらせ、手を震わせる。
そんな来夢に向かって、春秋はささやく。
契約をもちかける悪魔のように、甘く、甘く。
「あの不出来な義弟は、あまえたがりだからな……なんだかんだ、来夢ちゃんにべったりになるだろうな。最初は代わりだったとしても、ずっと続けていればそれは本物になる。
晴れて恋人、いや、夫婦になれるだろう。お似合いだよ、きっと幸せになれる」
だから、と。
背を向けながら、春秋は言い残す。
呪う様に、言い残す。
祝う様に――呪う。
「お互い幸せになろう、来夢ちゃん。そのためにすべきことは、わかるだろ?」
次の瞬間、風のように疾駆して、一瞬のうちに春秋の姿は消えていた。
その背を見送ることも、追いかけることも、来夢は出来なかった。
ただ、俯いて、肩を震わす。
今の自分の表情はどうなっているのだろうかと、混乱を極めた頭の隅で、ぼうっと考えながら。
しばらくの間、来夢はその場にじっと立ち尽くしていた。
目を見開き、地面を睨んで――その口元を、歪に歪めて。




