二章『姉と、不審な来夢。』その3
カレーを取って席に戻ると、冬夏と来夢はそれぞれ互いの皿を見て不思議そうに首を傾げた。
「え、なにそのカレー、白い」
「冬夏だって、グリーンカレーなんてクセの強いものいきなり持ってきてるじゃない」
「名前は聞いたことあるけど食べたことはなかったから、試してみようと思って」
他愛もない会話をしながら、カレーを食べはじめる。
初めて食べるカレー含めて、どのカレーも値段以上の美味しさで、そのおかげもあってか徐々に来夢の表情は緩んでいった。
今なら悩みを聞き出せるんじゃないだろうか――と思い口を開きかけたが、冬夏は自分の口の中にカレーをつっこんでそれを止めた。
このタイミングで聞きだすのは、せっかくの美味しい食事に水を差す。
帰り道にさりげなく聞けそうだったらでいいやと、何も言わず食事を続けた。
そうして、時間ぎりぎりまで二人でカレーとデザートを堪能し――
「っはぁ~……満腹だー」
「おいしかったー」
大分膨れたお腹をさすって、背もたれに体重を預ける。
二人して同じ仕草をしたのがおかしくて、顔を見合わせて笑いを漏らした。
「じゃあ、そろそろ出る?」
「腹重いけどなー。ちょっと休む時間とっとくんだった」
「まぁでも、これだけ食べたら元も取れただろうしいいんじゃない?」
苦笑いを浮かべつつ、二人一緒に席を立つ。
荷物を持って、さて店を出ようかと足を踏み出そうとし――瞬間、バチン! と音を立ててビルの中の電気が落ちた。
「げ、停電か?」
「昼間でよかったわね。ちょっと暗いくらいで済むし」
周囲では多少驚きの声は上がっているものの、大きな騒ぎにはなっていなかった。
そのうち、ビル内にアナウンスが響き、『その場から動かないでください』という旨が伝えられる。
「どうする? しばらくここに座ってる?」
「そうだな。正直腹も重いし、ちょうどいいっちゃちょうど――」
いい、と言おうとした瞬間、来夢が目を見開いたのを冬夏は見逃さなかった。
その口が動き、危険を告げようとしているのもまた、すぐにわかって。
……後ろか!?
背後になにかしらの『危険』があるのだと判断し、とっさに身をよじりながら地面に倒れ込む。
途端、首筋のあたりに感電したような痛みと痺れが走った。
「っぢ……ぃい!?」
「冬夏!」
「動けるから大丈夫! それより一旦ここ出るぞ! ……開け!」
首筋に触れ、能力を使って生み出した視点で傷口を観察すると、細長い何かが皮膚をかすめとっていったような傷がついていた。
毒の類が仕込まれていたような痛みだったが、それらしい症状は特に体を襲っていない。
体が問題なく動くことを確認しながら、背後を『視点』で確実に警戒しつつ飲食スペースを出る。
能力で生んだ『視点』は、脳への負荷を抑えるために左目の『視界』と完全に入れ替える。
それでも若干赤くなってしまう目を隠すために、冬夏は軽く左目を閉じた。
今更ながら、調子に乗って少々食べ過ぎたことを後悔。腹が重くて走れたものではない。
階段を使って一階に急いでいると、ふと、来夢が声をかけてくる。
「どうするの、これからっ?」
「人気のないところに行く! なんでおれたちの方狙ってるかは知らないけど、こんなところじゃやってられない! ……『ハンドガード 59』!」
鞄から取り出した創り札で手袋を装着して数秒後、一階に到着する。
まだ停電が治っていないためか、大人しくしている客たちを横目に、出口まで一気に走り抜ける。
ビルの目の前の中央通りに出ると、中が真っ暗になっているビルが不思議なのか、見物客が少し集まっていた。
とはいえ、地方の中心街だ。集まると言ってもほんの数人であとは気にもとめていない。
野次馬に声をかけられない内に、来夢と一緒にその場を離れる。
背後に視点を常に展開しているが、追いかけてくるような人影はない。
しかし相手の姿を確認していない上に、建物の出入り口は数か所あるため安心は全くできなかった。
別の出口から先に外に出ていて、何食わぬ顔で歩きながら冬夏たちを狙っているのは十分考えられる。
「姉ちゃんの方にも行ってたりしないだろうな……?」
「……それは、ないんじゃないかな」
不安から零した言葉を、ぽつりと来夢が否定する。
「どういうことだよ、来夢」
「えっ? い、いや、勘っていうか……心配なら春秋さんに連絡してみたら?」
……明らかに何かを隠している。
「来夢、今悩んでることって、本当なら報告しなきゃいけないようなことか?」
「……ノーコメで」
「本当に危ないなら、言えよ? 手に負えなくなった時でいいから。あと、姉ちゃんに危害が及びそうならすぐ言え。そうじゃないなら、来夢が話してくれるまでは上には情報を上げないでいるから」
「いやしさんには……多分、危害はない、かな。一応、今のところ危害をこうむってるのはあたしだけ」
「お前が危害こうむってれば、おれとしては十分なんだけど……ま、いいよ。言いたくなったらで」
目を伏せ、ごめん、と小さく来夢が謝るのを聞きながら、中心街を出る方向に移動しつつスマホで春秋に連絡をする。
すぐに返ってくる返信。『昼ごはん食べていやしは昼寝中、可愛い』と打たれていた。
「うらやま死ねクソ兄貴……! こっちは大変だってのに!」
「なに走りながらいきなり物騒なこと言ってんのよ。
……で? どうするの? とりあえず中心街は抜けたけど、このあたりまだ人が多いわよ」
「学校の近くに神社があっただろ。参拝に来る客なんてたかが知れてるし、そこに行こう」
敷地こそそこそこ広いものの、基本的には無人の神社だったはずだと思いだしながら言うと、来夢も同意して頷く。
「わかったわ。相手は追って来てる? 来てない?」
「多分、後ろには居ないな。車で追って来てる可能性もあるけど、今のところはわからない」
『視点』で後ろを確認しながら答える。
何台かずっとついてきている車はあるが、大きな道沿いに走ってきているため、同じ方向に偶然走ってくる可能性もないとも言えない。
結局、人気のない場所におびき出すしか方法はないのだった。
「大人しく出てくると思う?」
「いや、絶対遠距離から狙ってくるだろ。さっきも遠くからいきなりやられたし――」
と。
もうすぐ神社に到着しようかというころになって、ふと冬夏は「あること」に気付いた。
さっき、来夢は何かを見つけて冬夏に警告を発しようとした。
冬夏ほど目がよくない来夢のことだ、おそらくはっきりと危険がわかる「異常」があったのだろう。
もしかしたら、武器を構えた人間がそこに立っていたのかもしれない。
もちろん電気がついておらずはっきりと見えなかった可能性はある。
しかし、何も情報を教えてくれないのは何かおかしいと思った。
シルエットからわかる背格好、性別などだけでも、大分戦う際の不利有利が違う。
「なぁ、来夢、お前さっき、何を見ておれに警告しようとしたんだ?」
「……、おかしな動きをしてる人間がいたのよ。みんなが驚いてる中、立って動いてるみたいだったから、危ないって思ったの。
電気が消えてたし、ちょっと遠かったからはっきりとは見えなかったけど、殺気が出てたしね」
嘘が下手だな、と冬夏は来夢の言葉を聞いて思った。
一部真実も混じっているのだろうが、声音から、冬夏は来夢の言葉の半分以上が嘘だと感じた。確証はなく、幼馴染の勘というやつだが、しかしおそらく当たっているだろう。
「……ったく。あんまおれが不利になるようなことするなよ」
「迷惑はかけないわよ。たとえ死んでも、死なせたりしないから。安心して」
「そういうこと言うなっつーの」
冬夏が心配混じりに呆れてため息を吐くと、来夢は少しだけ嬉しそうに頬を緩めた。